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楓が香坂先輩と別れたあの日から時間は巡り、冬期休暇は目前に迫っていた。

楓は相変らず皆の前で気丈に振舞おうと無理をしているように見えた。
どんな綺麗な笑顔を見せたところでわかってしまう。
それを見る度に皆の瞳に憐憫の色が滲む。

なるべく香坂先輩の話はしないように。香坂先輩を思い出してしまうような状況を作らないように。それが暗黙の了解になっていた。

昼食も下校も全員一緒。蓮も自分も恋人に構う暇はなかった。
彼らもそれは充分に理解してくれるし、今は何よりも楓の傍にいたかった。
自分のことは気にせず、いつも通りの生活をしてくれ。そんな風に楓は言うが、お前を置いてどこにも行けないと言えば、今度は泣きそうな笑顔を見せるだけだった。



「ゆうきー」

金曜日の夜、先輩から呼び出しがかかった。景吾を一人にするのは心許なかったが、行って来いと言う笑顔に背中を押され、彼の部屋へ来た。
面と向かって話すのはいつぶりだろうか。もう思い出せないくらい長いこと触れていない。

「…なんだ?」

「お前さっきからずっとそのページ見てるよな」

膝の上に置いた雑誌。
たいして興味もなかったが、何かしていないとまた余計な心配をしてしまうので捲ってみたが、意味を成さなかったようだ。

「…楓のこと考えてんのか?」

答えられずにいると彼は一つ溜め息を零し、対峙するように座った。

「四六時中お前が心配したってどうしようもないだろ」

「…わかってる。そんなこと」

「ならなんでそんな辛そうな顔してんだよ」

「…してない」

「してる。俺まで辛くなんだろ?」

ふと彼の目を見上げれば、困ったように眉を寄せながら笑っていた。

「折角二人でいるのに、友達の心配ばっかりされたら寂しいじゃん」

「…嘘つけ」

寂しいなんて彼には不釣り合いな言葉だ。俺などいなくとも平気なくせに。
独りでも生きていけるような強さを持っているのに。

「嘘じゃない。楓のことはなるようにしかならないだろ。あいつら二人で解決しないと」

「…わかってる。でも考えちまうんだよ」

「涼だってたぶんちゃんと考えてるよ」

一筋の希望が見えたようで、木内先輩に縋りついた。

「考えてるって?より戻すとか?」

「さあな。それは涼にしかわかんねえけど」

「…そうか」

自分の早とちりと知り、縋りついていた手を放した。
頼むからもう一度楓に手を伸ばしてほしい。
楓は素直ではないし、一度決めたら曲げない頑固さと潔さがある。
自分が香坂先輩と不釣り合いだと言い聞かせ、先輩から手を差し伸べない限り永遠にあのままだろう。

「大丈夫だよ。あいつらは」

「…ほんとかよ…」

「ああ、大丈夫だから…」

酷く落ち込み、俯いた頭を胸に懐かせるように促される。
楓のことが心配で心配でしょうがなくて、今自分が幸せでいることに罪悪感があった。
それなのに彼の腕の中にいるときが一番満たされた気持ちになる。薄情者の自分に嫌気がさすが、この腕を振り払えない。静かに先輩の背中に手を回した。
木内先輩は顎に手を翳し、ゆっくりと顔を近付け、そして長く、優しいキスをくれた。
心についた無数の傷を癒すかのように。
ゆっくりと離れていく彼の唇に視線を移すと頬を撫でられた。

「楓の奴強がって平気なふりしてんだろ」

一度ゆっくりと頷く。それが一番気掛かりなのだ。
誰にも頼らず弱いところを見せない楓が重さに耐えられなくて壊れてしまいそうで。

「あいつなりにお前らに心配かけないようにしてんだよな。お前もわかってるだろ?」

「…わかってる」

「お前らは楓の捌け口になるんじゃなくて、ただ一緒にいればいいんじゃねえの。無理に励ましたりしないでさ」

「でもそれじゃ…」

「お前だって同じだったろ?」

「え…?」

「辛いって景吾や楓に頼ったことあったか?」

「…ない」

「だろ?お前なら楓の気持ちわかるよな?」

問われこくりと頷いた。

「じゃあどうすればいいかもわかるはずだ」

くしゃっと髪を指に絡ませ、二、三度乱暴に撫でられ、少しだけ恨めしくて上目で睨んだ。
一番欲しい言葉を何故この人はいつも言ってくれるのだろう。
悩んでいるとき道に迷わないようにと灯りをともしてくれる。
たった一歳。たった一歳の違いなのにその一年が果てしなく遠い。
余裕の笑みを崩してやりたいのにうまくいかないものだ。

「何も考えられなくしてやろうか?」

「は?」

その真意を聞こうと言葉を続けたかったがそれは叶わなかった。彼がまた唇を塞いだからだ。
久しぶりに感じる彼の熱さに一瞬くらりと眩暈がした。口付け一つで身体の中でなにかが弾けたようになる。

「ん…。は…」

舌をしつこく絡められじんわりと涙が滲んだ。もうやめろという意味を込めて拳で胸を叩く。

「神谷、先輩がいるのに…」

「関係ねえよ」

囁くように話せば息が濡れた唇を撫でる。

「全然お前に触れてない。そろそろ限界」

「でも…」

「涼と楓が離れたからお前まで俺と別れるとか言い出しそうで怖いんだよ」

拗ねたような口調と表情にふっと笑みが零れた。
一歳の差が悔しい、埋まらないと嘆いていたが彼もまだ子どもだ。無意味な恐怖に思考を支配され、そんなことはないと確かめたくなるらしい。

「…わかった。いいよ」

自分からベッドの上に腰を下ろし、彼の首元のシャツを引き寄せた。

「男前だなお前」

「あんたよりはな」

挑発的な視線を送ると木内先輩が肩をぽんと押し、ゆっくりとベッドに沈んでいった。
彼は上から覆い被さるようにし、片方の口角を僅かに上げた。

「俺は何があってもお前を離すつもりはねえからな…」

香坂先輩と楓に重ねて言っているのだろう。切れ長の瞳は強い光を放っていた。

「だから、お前も俺から離れようとすんなよ」

「…ああ」

何だか愛おしさがどうしようもなく込み上げ、首に腕を回し抱きついた。
正直不安だった。同じ毎日が続くと思っていたのに、楓と香坂先輩は呆気無くお互いの手を離し、明日は誰にもわからない、自分たちにも不幸が降りかかるのではないかと。
楓を通して自分たちの行く末を勝手に決めつけ、今からでも少しずつ木内先輩の存在を心から削り取りたくて、だから彼に連絡をしなかったのかもしれない。

「俺はずっとお前の傍にいるから」

自分にとって最高の告白に、瞳を閉じて静かに微笑んだ。


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