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水戸の部屋を訪ね、会長が楓の居場所を言えと詰め寄った。
ここにいると薄らと嫌な笑みを浮かべた表情を見て、鈍器で頭を叩かれたように頭痛が響いた。
最悪の予想は現実になった。
水戸が身体をずらしてできた隙間から室内を見た。ソファに座る楓の後ろ姿が見えて大声で名前を呼んだ。
楓が見付かった安堵と、間に合わなかったかという焦燥。
水戸を押しのけて楓に近付き、目線が同じ位置になるように傍にしゃがんだ。
楓はひどく怯えた様子で瞳を揺らした。

「…心配、したんだぞ。帰ろう」

楓を責めないよう、できるだけ柔らかな声色で言った。
それなのに楓は首を横に振り、帰らないと言う。
香坂先輩が待ってる。皆心配していると言っても帰らないの一点張りだ。
冷静でいよう。楓を一番に考えて。会長と約束したのにかっと頭に血が昇った。
水戸の胸倉を掴んで何をしたと詰ったが、会長に暴力はやめろと止められた。
会長と水戸が言葉を交わすのを呆然と眺めた。
間に合わなかった。誰のせいだろう。水戸か、それとも気を抜いた自分か。
会長は帰ろう、と楓の背中を優しく促すが、頑固な楓はその場を動こうとしない。

「楓!早く来い!」

焦れたのは会長も同じで、楓を無理に抱えるようにして一旦会長の部屋へ戻った。
楓は瞳を揺らし、表情を曇らせる。何があったのか詰問したかったが、楓を見るととてもそんな気分になれない。
この顔には見覚えがある。木内先輩と出逢う前のいつかの自分だ。
とりあえず皆を安心させるために、楓の腕を引いて彼の部屋へ連れて行った。
慰めの言葉も、叱咤の言葉も、今の楓には届かない。
こんなとき、どんな言葉をかければいいのかわからない。人の機微に無関心で、言葉を紡ぐ行為を放棄してきた自分を呪った。
秀吉なら上手い言葉を掛けらるかもしれない。自分が情けなくなる。
暫くすると蓮と景吾がやってきて、心配したとか、ほっとしたとか、二人で順番も守らず楓に詰め寄った。
本当は何があったか、何処にいたのか、すぐに聞きたいだろう。
でも誰一人そこには触れなかった。禁忌の言葉となんとなく察したのだ。
香坂先輩にも連絡が回ったようで、彼はひどく焦った様子で部屋の扉を開けた。
楓の姿を視界に捉えた瞬間、香坂先輩は泣きそうに顔を歪めた。
その表情を見て、自分は随分ひどい言葉を先輩に投げ捨てたと気付いた。
木内先輩が言う通り、香坂先輩は全能ではない。不安で、怖くて、泣きたいのを我慢していた。
後は香坂先輩に任せよう。蓮と景吾に手招きし、二人きりにするため自分の部屋へ戻った。
これでもう大丈夫。香坂先輩がいてくれれば楓も元気になる。
二人は嬉しそうに言うが、自分は浮かれていられなかった。
大丈夫だろうか。坂道を転がった石は加速しながら最悪へ飛び込んで行く。
どうか、どうか丸く収まりますように。
胸騒ぎにぎゅっと瞳を瞑って願ったが、神様はいつだって自分の願いをおざなりにする。


秀吉から楓と香坂先輩が別れたという信じ難い事実を聞いた。
楓は何も悪くないのに。全ては水戸のせいなのに。
何故楓と香坂先輩が苦しまなければいけない。好き合っているはずなのに馬鹿げている。
なにが楽しくて水戸はこんなにも自分たちを掻き回すのだろう。
なんとかしたい。なにもできない。二つの想いの間でゆらゆらと揺れ、黙って拳を作る日々が続いた。

当事者の問題で、横から首を突っ込んでいい話ではない。わかっている。
香坂先輩も楓の嘘を見破れないほど馬鹿じゃない。
どうして。なんで。どこを間違ってこんな結果になったのだろう。
楓は無理に笑うが、自分はぼんやりと空を見詰める時間が増えた。
香坂先輩、どうにかしてくれよ。縋る想いを心の中で何度も唱えた。
今楓が欲しいのは自分たちではなく、香坂先輩の手だけなのだ。
自分たちでは限界がある。楓の心を完全に救ってやれない。
彼が一言声を掛ければ、それだけで楓は笑ってくれるのに。

見ず知らずの奴に身体を好きにされ、それでもいいと、それだけが自分の価値なのだと諦め、この世界を馬鹿馬鹿しいと自棄になっていた自分と楓が重なる。
木内先輩と出逢って世の中は捨てたものじゃないと知った。
恋をして温かで柔らかな気持ちを知った。
木内先輩は、汚れた身体を持つ自分を、それでも綺麗だと言った。
それは香坂先輩も同じだと思う。例え水戸と間違いを犯したとしても楓を手放したりしない。
楓の気持ちも、香坂先輩の気持ちも、どちらも同じくらい理解できる。
だけど、自分が出した結論を二人に押し付けるわけにはいかない。
誰でもいい、楓を救ってやってはくれないだろうか。自分の限界を知って他力本願になる。

全員、顔には出さずとも焦っていた。どうしよう、どうしよう。どうしたら楓の辛さがなくなるのだろう。
考えて、何もできず、普段通りに接して、上手くできない自分を疎む。
そんな毎日が暫く続き、自分は夜もなかなか寝付けなくなった。
ベッドに横たえ、暗闇を見詰めた。隣からは景吾の規則的な寝息が聞こえる。
枕元に置いていた携帯が小さく鳴った。景吾を起こさぬよう小声で電話に出る。

『部屋の前にいる。来い』

なにか返事をする前に切られてしまった。相変わらず横暴だ。
楓を探したあの日、喧嘩のようなことをしてから木内先輩とろくに話していなかった。
楓のことで頭がいっぱいだったし、彼からも連絡はなかった。

パジャマ代わりのTシャツの上にパーカーを羽織って廊下に出た。
木内先輩は扉横の壁に背中を預けて立っていた。

「久しぶり。全然連絡ないから顔見にきた」

「…悪い。楓に付きっ切りで余裕なかった」

「そうか。景吾は?」

「部屋で寝てる」

「じゃあ俺の部屋行くぞ」

パーカーのポケットに入れていた鍵でしっかり施錠し、木内先輩について行った。
こんな深夜にお邪魔して大丈夫だろうかと心配したが、部屋に入ると神谷先輩はまだ起きていた。

「いらっしゃい。久しぶりだね」

神谷先輩に微笑まれ、ぺこりと頭を下げた。

「座れ」

相変らずの命令口調で促され、適当にソファの上に座る。
神谷先輩は温かいココアを入れてくれ、頭を下げて礼を言った。彼も同じ物を手で包んで向かいのソファに座る。
ふう、と息を吐き出した神谷先輩の顔には疲れが見て取れる。関係のない彼まで巻き込んでしまい、申し訳なく思う。

「楓の様子はどうだ?」

「…元気に振る舞ってるけどやっぱり…」

「…そうか」

「涼は毎日大暴れだよ。拓海がそろそろ絞め殺しそうって言ってた」

神谷先輩はくすくすと笑いながら言った。香坂先輩の部屋は毎日台風が襲来しているかのような有り様だとか。物に当たるなと須藤先輩が言っても聞かず、手が付けられないと見離される寸前らしい。
木内先輩は楓と水戸の間に何があったのか、察していると思う。須藤先輩や、香坂先輩だって。

「早く仲直りさせないと、涼が昔に逆戻りだ。ああなる前にどうにか首輪つけないと」

「そうだな。まあ、あいつが荒れるのはいいけど、俺らまで被害被るからな。今のあいつ翔の言うことすら聞きやしねえ」

「楓君以外の言葉なんて届かないんだよ」

「ったくよ。涼の奴も冷静になれば簡単に答えがでるのによ」

呆れたように二人は溜め息を吐いた。
こちらは楓のサポートに四苦八苦だが、彼らは彼らで香坂先輩を落ち着かせるのに手を焼いているらしい。その方が余程大変そうだ。

「香坂先輩今どうしてんの?」

まさかむしゃくしゃするから夜の街へ行って女漁りなどしていないだろうな。猜疑心で木内先輩を見た。

「拓海が睡眠薬飲ませて眠らせた」

「あ、そう…」

そこまでするとは。須藤先輩が怖ろしい。まるで檻から出て大暴れする肉食獣に対する扱いだ。
辛いのは楓だけじゃない。香坂先輩も同じくらい苦しんでいる。
あれだけ楓を可愛がっていたのだから仕方がない。

「まあ、暫くは景吾からも目放さないようにな。楓の次は景吾なんてなったら俺もう無理。面倒で水戸殺しちゃうかも」

木内先輩は心底面倒そうに長い溜め息を吐いた。
言われるまでもなく、景吾とべったり一緒にいる。水戸の気配はないが、安堵した瞬間同じ轍を踏むだろう。だからもう二度と胡坐を掻いたりしない。

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