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「…誰?」

とろんと瞳を眠そうにしながら問われ、慌てて口を開いた。

「氷室会長に頼まれて来たんですけど…」

あの…。と口ごもる。人と話すのは得意ではなく、初対面となれば尚更だ。

「…ふーん。なんかよくわかんないけど入れば?」

明らかにだるそうで、欠伸も交えながら扉を開け放してくれた。
恐る恐る後をついて行く。

「お邪魔します…」

寮長は何度目かの欠伸をしてソファにうつ伏せになり瞳を閉じてしまった。
え。人が用事があって訪ねたのに寝るってどういうことだ。
雰囲気といい、行動といい、まったく掴めない。
次の行動が予想できない幼子の相手をしている気分になる。

「あの…」

控えめに声をかければ瞳が薄っすらと開いた。

「なに?」

「これ、会長から…」

メモを渡すとクッションに顔を伏せたまま、そのメモと俺を交互に見た。
やはりあんなメモ一枚じゃマスターキーなんて貴重なもの貸してくれないのでは。悪用したい奴もいるだろう。自分はそんなつもりはないと胸を張れるはずなのに、曇りのない透明な瞳に見られると何故か後ろめたく感じる。

「氷室っぽいメモ」

ふ、とその人が微笑んで驚いた。とても綺麗に笑ったからだ。
独特の雰囲気に圧倒されて、彼が表情を変える度に一々驚いてしまう。

「そこの引き出しの中にあるから勝手にどうぞ」

そこ、と視線だけで言う棚の一番上の引き出しを開けると、無造作にごろっと鍵が転がっていた。
マスターキーをこんな扱いして、やはりこの人普通ではない。寮長という役職に就けるには完璧に人選ミスだ。

「じゃあ、お借りします…」

それを制服のポケットに入れ、もう一度ソファを振り返ると、彼がじっとこちらを見つめていた。

「…君さあ」

その視線に瞳を奪われ、こちらも石のように固まって見つめ返した。

「……すごく美人だね」

何を言われるかと緊張して損した。一気に肩の力が抜けていく。

「…はあ」

「一年生?」

「そうですけど」

「ふーん、氷室の恋人?」

「は?」

「あ、違うんだ。氷室が生徒会以外の後輩と接点持つの珍しいからさ。あ、でもこの学校にいるなら男か。あまりにも美人だから忘れてたよ」

どちらかと言えばその弟の玩具だよ、という叫びは胸の中に留めておいた。
彼はそれだけ言うとまた瞳を閉じてしまった。睡眠の邪魔をしないよう、小さくお邪魔しましたと声をかけて部屋を後にした。

ノックもなしに会長の部屋を開けるのもどうかと思ったが、一々会長を立たせるのも悪いので勝手に入った。

「おかえり」

会長はこちらの気配に顔を上げ微笑んだ。

「…これ」

貰った鍵を会長に差し出す。
ありがとうとにっこり笑いながらPCの横にごろっと置いた。
この人たちはマスターキーの大切さをわかっていない。そこら辺のゴミと同じような扱いをする。呆れたように息をつき、再びソファに座った。

「吉宗はどうだった?」

「…吉宗?」

「寮長。長めの髪でぼうっとしてる奴」

「ああ、はい」

「掴み所がない男だろ?」

「はあ…」

「あいつの頭の中どうなってるのか見てみたいよ」

会長はくっくと楽しそうに笑った。その意見には完全に同意する。
ふわふわと浮いてはいつの間にか形を変えたり、消えたりする雲のような人だった。決して手中にそれを収めることはできないのに、手を伸ばすと掴めそうだと夢見てしまう。

「何か話しかけられた?」

「…まあ」

「なんて?」

「…美人だとか、会長の恋人なのか、とか…」

「はは、それはいい」

なにがいいものか。侮辱された気分になった。悪意はないとわかるので言い返さなかったが。

「あいつに興味持たれるなんて、さすがゆうき君だ」

どうしよう嬉しくない。あんな人と一緒にいたら自分まで侵食されそうだ。
うんざりすると、テーブルの上に置いていた会長の携帯が小さく震えた。
まさかなにか状況が変わったのだろうか。肩に力が入る。
一言、二言会話を交わす姿を見て、どうやら楓とは関係ない電話なのだと悟った。
氷室会長はいつも柔らかな表情を浮かべているが、更に目尻が下がっているように見える。

「――はい、わかってます。葵さんも風邪ひかないように」

会長は名残惜しそうに電話を切った。
葵さんとやらは知らないが、もしかしたら恋人かもしれない。声色や表情でなんとなく思った。年上の恋人か。会長らしい。

「さてと、じゃあ行こうか」

携帯をポケットにしまい、鍵を手の中で弄びながら会長が立ち上がった。

「…何処へ?」

「水戸の部屋」

「…水戸の部屋?」

「そう。マスターキーがあればあいつがいてもいなくても入れるし。楓君はそこにいる。絶対」

自信を持って頷かれ、ずっとPCで何を調べていたのか聞きたいけど怖いのでやめておいた。

「でも、俺ここにいろって言われたし、あいつの顔みたら殴りそうだし…」

「仁の言うことは気にしなくていいよ。ゆうき君も行きたいだろ?」

「行きたいけど…」

「じゃあ行こう。君は仁の恋人だけど、言うことを聞かなくてもいいんだよ。大丈夫、僕が一緒だからゆうき君が殴りかかったら止めてあげるよ」

菩薩のように穏やかなのに、それは修羅と紙一重のように見え、この人はやはり一筋縄ではいかないと知るに足るものだった。

「仁や涼を連れていくわけにはいかないからね。あの二人暴走しそうだし、僕じゃさすがに止められないしね。腕力には自信ないんだ」

会長は困ったように笑い、その意見には同意しますと心の中で頷いた。
木内先輩は冷静でいろと諭したが、短気さで言えば群を抜いている。

「行こう。なにがあってもまずは楓君のことを一番に考えてね」

「…はい」

何を見ても、何を聞いても、一拍置いて深呼吸をしよう。
そうでなければ先ほどのように暴走するかもしれない。

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