Episode6:稲妻
ついこの前、学園のいたるところに植えられている木の葉が赤や黄色に変わったと思ったのに、少し見ないうちにそれはあっという間に葉を落とし、季節は秋から急ぎ足で冬になっていた。
苦しかった考査も終わり、あとは冬休みを待つだけだ。全員がほっと安堵し浮かれていた。
冬休みになれば皆実家に帰る。全員が関東圏とはいえ、わざわざ揃うのは難しく、それなら休みに入る前に五人揃って遊びに行こう、と提案された。
可もなく、不可もなく、特別楽しそうとも感じないが景吾に腕を引かれれば断れない。
楓に呼び出しがかかり、校門で待っているから早く終わらせろと四人で待った。
それなのに待てど暮らせど楓は戻らず、忽然と姿を消した。
焦る気持ちを隠せず、いつもの冷静さに欠けていた。
秀吉と二人で校舎をくまなく捜すも見つからず、絶望が身を包んだ。
絶対に水戸の仕業だと確信していた。
鬱陶しい蠅のように楓の周りを飛び回っていたことを思い出す。
牽制しようにも非力なこちらが使える手段は限られ、そもそも香坂先輩がいるのだから大丈夫だろうという怠慢もあった。
こんなときになって楓から目を離すべきではなかったと後悔する。
肩で息をしながら汗を乱暴に拭った。
「ゆうき大丈夫か」
「…ああ。下校時間になる前に見つけねえと…」
四人だけじゃ埒が明かないと、香坂先輩や木内先輩、連絡がつく人間には片っ端から事情を話した。
学園の敷地は広い。それぞれ探す場所を決め、全員で走り回った。
自分一人が疲れたと弱音を吐いている場合ではない。
皆水戸が絡んでいるかもしれないと気付いているだろう。言葉にすれば現実になりそうで知らんふりを続けたがそれも限界だ。
だからこそ早く。一刻も早く楓に手を伸ばしたかった。
万が一、以前の自分のような仕打ちを受けたら。考えただけで背筋が凍りついた。
「…あかんな。もう陽が暮れる。一旦校門前集まるか」
秀吉は携帯を取りだしそれぞれに連絡を入れた。
「…ゆうき、気をしっかり持てよ」
青ざめた顔を覗き込まれながら言われる。
「俺は大丈夫だ」
「…せやな。問題は景吾と蓮やな」
校門へ向かう間も秀吉は何度も大丈夫だからと言った。
発破をかけるように背中を思い切り叩かれたときは殴ろうかと思ったが、こいつがいてくれてよかったと思う。
とにかく早く楓を見つけ、犯人が水戸だったら思い切りぶん殴ろう。
しかしなぜ楓だけを奪って行ったのだろう。
どちらかというと、水戸は景吾の方を気に入っているように見えた。
傍から見た感想なので、あいつの本当の気持ちはわからないが。
校門についたときには全員が揃っていた。
皆ブレザーを脱ぎ、シャツの釦を開けて暑いと言いながら汗を拭っている。
この場を仕切ってくれたのは須藤先輩で、今後の指示を先輩たちで話し合うのをぼんやりと聞いた。
これだけ探してもいない。他に見落としている場所、寮内を探そうか。
けれど寮と言っても一部屋ずつ見ていくわけにもいかない。
部室がある方やグラウンドの影は。もしかしたら敷地内ではなく別の場所かも。
自分よりも頭の回転が速い彼らの指示を待つことにした。
「どうする?涼」
須藤先輩が問いかけると香坂先輩は俯きながら溜め息を吐いた。
額からぽつ、ぽつと汗が地面に落ちる。
「どうって…。どうしようもねえだろ。こんだけ捜してももいねえんだ」
その言葉を聞いた瞬間、香坂先輩の胸倉を掴んで引き寄せた。
「ふざけんなよ!お前が諦めてどうすんだよ!今も楓はお前のこと呼んでるかもしれねえんだぞ!」
「やめろゆうき」
香坂先輩に伸ばしていた手を木内先輩に振り解かれた。
興奮が治まらず肩で息をしながら香坂先輩を睨んだ。くそったれ。そんな簡単に心が折れるような男だとは思わなかった。見損なった。楓のことを大事にしていると思っていた。何がなんでも、血反吐を吐いても彼ならば楓を諦めないと思っていた。
とんだ勘違いだ。香坂先輩を美化していた。
「俺は諦めない。絶対に楓を見つける」
地面に視線を固定させ、俯く香坂先輩に苛立った。
いつもの傍若無人な態度はどうした。らしくない。弱気な香坂涼など求めていない。
「お前が楓の恋人なんて言う資格ねえよ」
捨て台詞のように吐き捨て、その場を後にした。
もう誰も頼らない。一人になっても一日中捜してやる。
苛立ちで踏み出す足にも力が入ってしまう。
こんなに感情を怒りに振り切ったのはいつぶりだろう。慣れない分制御ができない。
なにがあっても冷静でいると秀吉と約束したのに早速破ってしまった。
だけど黙っていられなかった。口先だけの香坂涼など見たくなかった。
「ゆうき」
後ろから聞こえた声に気付かないふりをした。今は一人にしてほしい。
「ゆうき!」
ぐっと肩を引かれ振り返った。
「なんだよ!」
ぎりっと歯を食い縛りながら木内先輩を睨み上げた。
彼も同じように怒りが篭った瞳でこちらを見下ろしている。
誰になにを言われても自分は間違っていない。絶対に香坂先輩が悪い。怯んでなどやらない。強い気持ちで視線を合わせる。
「…お前、ちょっとこっち来い」
腕を引かれ、それを振り解こうともがいた。木内先輩などに構っている暇はない。
「離せよ!」
「落ち着け!」
一蹴するような言葉にそれ以上何も言えなかった。
「兄貴の部屋に行くぞ。いいな」
何故。一分、一秒も惜しいというのに。けれど握られた腕にぎりっと力を込められた。どうせ力では敵わない。悔しくて唇を噛み締めた。
足早に寮内を歩き、氷室先輩の部屋の前でぱっと腕を放された。
思い切り握られたせいで赤くなっているし、ひりひりする。彼の馬鹿力が疎ましい。
木内先輩が乱暴に扉を叩くとすぐに氷室先輩が顔を出した。
「兄貴、ちょっとこいつ置いてくれ」
「…別にいいけど」
話しが見えず眉間に皺が寄る。
「来い」
抵抗をしてみたがやはり力の差は歴然で、それでも暴れると乱暴に抱えられた。
ソファの上へ投げ捨てるようにされる。
「お前はここで頭冷やせ」
「なんでだよ!遊んでる暇ねえだろ!」
「お前らしくない。感情的になりすぎだ」
「だからなんだよ!俺は間違ってない!」
「…お前な、涼が一番辛いってわかってんだろ?」
その言葉にぐっと喉を詰まらせた。
わかってる。わかってるのだ。痛いほど。
一番諦めたくないのは香坂先輩で、だけど一番途方に暮れて、前に踏み出したいのに踏み出す勇気も空っぽになってしまって、立ち竦むしかできない。
わかってる。だけど彼の口から楓を諦めるような言葉の一切を聞きたくなかった。
「お前らから見る涼がどんなもんか知らねえけど、あいつは大事な人を突然失くした経験がある。強くいられねえんだよ」
言葉の一つ一つが胸に突き刺さった。
頼りにしているからこそ、いつものようになんとかする、大丈夫だと香坂先輩に言ってほしかった。
彼が弱気になれば全員の不安が膨れ上がる。
「あいつだって本心じゃねえんだ。気弱になってるだけで、誰よりも楓を心配してる」
「わかってる!」
「なら、今お前がすることもわかるな」
「…楓捜す…」
「何のためにここにここに連れて来たと思ってんだよ」
「でもじっとしてられねえだろ!」
混乱と怒りで木内先輩のシャツをぎゅっと握って懇願した。
こんな場所にいたくない。足を動かさないと、立ち止まったらそこで楓が消えてなくなりそうで怖い。
「その気持ちもわかる。だから兄貴のところに連れてきた。兄貴も色々調べてる。お前は兄貴のところで状況を見てろ。自分の部屋でじっとしてるよりはましだろ」
「でも…」
「今のお前じゃ蓮と景吾の不安を煽るだけだ。秀吉みてえに冷静でいられるか?」
言い返せる言葉がなくぎりっと歯を噛んだ。
「無理だろ?お前はここにいろ。わかったな」
素直に頷くのも悔しくて、彼のシャツを放して俯く。それを肯定ととったのか、木内先輩は踵を返した。
「兄貴、ゆうきのこと頼む」
「わかってるよ」
「じゃあ俺涼のとこ行くわ」
「ああ。何かあったらすぐに電話して」
「わかった」
絨毯を踏みしめる音と共に木内先輩が離れていき、気配が消えて息を吐き出した。
言われた言葉が頭の中で何度も何度も響き、結局一番ガキなのは自分で、それが悔しくて眉間に皺が寄った。
いつだって正しいのは木内先輩で、諭されるのは何度目だろう。
自分の精神状態を考慮し、氷室先輩の傍に置くと決めたのはたぶん正解なのだろう。
だけど悔しい。
先輩と自分の歳の差は一つなのに、一年じゃ埋められない遥かな差があるように感じる。
「はい、これどうぞ」
眼前にホットミルクが入ったカップを差し出された。ふっと現実へ戻り、氷室先輩に頭を下げた。
「…すいません」
一口飲むと沸騰寸前だった頭が柔らかい膜で包まれる。
「…ごめんね、仁はあんな言い方しかできないんだ」
氷室先輩が謝ることではないのに、彼は苦笑してすまさそうに眉を寄せた。
「いえ。たぶん俺が悪いんで…」
「いや、どっちが悪いとかないと思うよ。仁もね、あの高圧的な態度をどうにかしろって言ってるんだけど、僕の言うことなんて聞かないから。困ったもんだよ我が弟ながら。なんでこんなに性格が違うんだろうね」
微笑まれ曖昧に頷いた。
「どうしようもない弟だけど、仁のこと怒らないでやって」
「…そんなことは…」
「うん。ありがとう。楓君のこと心配だと思うけど、もう少し待ってね。僕も今探してるからね」
ぽんぽんと頭を撫でられ面映ゆくて俯いた。
木内先輩相手にはむきになってしまう。いつも。だけど氷室先輩の声は、乾いた地面のようにひび割れた心にぽとりと落とされる雫のようだ。
彼に諭されると素直に頷きそうになる。それも悔しい。この兄弟は人の心をぐちゃぐちゃに掻き回すのが得意だ。
氷室先輩は伸びをした後PCに噛り付き、キーボードを打っては口元に手を置いてを繰り返した。
見える横顔は厳しく、この兄弟の顔はまったく似ていないと思っていたが、少しだけ影が重なって見えた。
「あの…」
「…ん?」
「俺…。俺、何もできないけど、何か手伝うことがあれば…」
「ああ、じっとしてるの嫌だよね。じゃあ、寮長のところに行ってマスターキーを貰ってきてくれる?」
「寮長…?」
「うん。部屋番号と僕からのメモを渡すから」
「わかりました…」
氷室先輩はそこら辺にあった紙の裏に部屋番号と、"鍵貸せ"とだけ書いてそれを渡した。
こんな適当なメモで大丈夫なのだろうか。寮長ということはそれなりにしっかりした人物が就くのだろうし、門前払いされないだろうか。
不安になったが氷室先輩は再びPCと睨めっこを始めたので何も言えない。
「じゃあ行ってきます…」
「あ、携帯持ってるよね?」
「はい」
「ゆうき君が三年の寮をうろうろしてると、馬鹿なこと考える奴がいるかもしれないから、すぐに僕に電話できるようにしといてね」
氷室先輩は俺の携帯に自分の番号を登録した。
「気をつけて行ってらっしゃい」
初めてのお使いでもする子供のような見送られ方にうんざりしたが、彼から見たら同じようなものなのだろう。
メモに書かれた部屋番号を何度も確認しながら廊下を歩いた。
時折、すれ違う上級生がひそひそと自分の噂をしている声が聞こえたが、一切を無視した。
メモに書かれた番号と、扉に張られたプレートを交互に見て確認する。
寮長がいるなどついさっき知った。一体どんな仕事をしているのか。初めて知ったくらいだから大した役職でもないのかもしれない。
少し控えめに扉をノックすれば、少し長めのダークブラウンの髪を無造作にさせた先輩が欠伸をしながら顔を出した。
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