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ぽたぽたと、締まりの悪い蛇口のように涙が流れ、それが止まるまで木内先輩は髪を撫でたり、何度も目元を拭ってくれた。
幼子同然に甘やかされ、どう反応していいのかわからずにされるがままでいた。
「お前、聞いてたならなんですぐ言わなかったんだよ」
多少落ち着いた頃、彼は視線を合わせながら苦笑した。
「…言えるわけないだろ。遊びだったんだって、捨てられるんだって思ったらこっちから捨ててやろうって、そう思って…」
鼻声なのが情けない。毅然としていたいのに、彼にはいつも男らしくないところばかり見せている。
「勘弁してくれよ。焦っただろ。もう少しだって思ったのに、あっさり離れていくからよ」
わざとらしく溜息を吐かれじろりと睨んだ。
「嘘つけ。追いかけても来なかった」
「追いかけられるかよ。俺だって傷つく」
「はいはい」
そうやっていくらでも言い訳して。
俺を丸め込むのは容易いだろう。反発心が芽生えるが、最終的にはこの人の言いなりだ。
ぐすっと鼻をすする。こんなに泣いたりして、俺ただの馬鹿じゃん。
女でもあるまいし。わかってるのに、止まらなかった。
「マジだって。機嫌直せよ」
「はいはい」
「ゆうきー」
困ったように眉を寄せるのがおもしろくて、つい意地悪をしたくなる。
この人が自分の言葉や態度で踊るのが愉快だ。
そうさせているのは自分で、彼の言葉は嘘ではないのかもしれないと思う。
けれど、いつまでも拗ねていると面倒だと逆ギレされそうなので、いい具合で許さなければ。
「もういいよ」
「もういいとかじゃなくて」
「わかってるから、いいよって言ってんの」
「本当にわかってるか?」
「…たぶん」
「不安だ…。俺とつきあってほしいって言ってんだぞ?わかってる?」
「……わかってるよ」
往生際が悪く、大丈夫?このまま進んで平気?と疑問がぽんぽん浮かぶ。
名前のついた関係に自分たちをはめてしまうと、壊れるときが絶対くる。
曖昧な関係でい続けたならば、関係が壊れたときも辛さが半分ですむかもしれない。
木内先輩を失って抜け殻のようになったのに、この先もし捨てられたらもっともっと辛いのだろう。
それが怖くて、未来に脅えて小さく収まってしまう。
「何でそんな顔してんだよ」
「…そんな顔って?」
「死にたい、って顔」
「してない」
「してる。もっと幸せって喜んでくれてもいいのに、お前はどこまでもお前だよな」
「お互い様じゃん」
「俺は幸せ、って顔してるだろ」
「してねえよ。凶悪犯の顔だよ」
「失礼な」
本気で嫌がっている様子がおかしくて口元だけで笑った。
先のことを不安に想う気持ちは一生消えないだろう。
そういう性格に育ってしまって、急に直すのは難しい。
けれど、だからといって今ある幸せまで捨てるのは馬鹿だ。
荷物がどんどん増えていくかもしれないし、それがとつぜん手の中から消えたら軽すぎて逆にどこにも行けないかもしれない。
それでもいいかもしれない。今手を伸ばせば彼に触れられる。
一番欲しかったモノがやっと落ちてきてくれた。
「細くなったな」
立てた膝の上に置いていた腕を握られた。
「なってない」
「…これからはうまいもんいっぱい食べような。きれいな景色見たり、したい遊びをしたり…お前が楽しいと思えることを探そう」
「……うん」
素直にこくりと頷くと、鴉のように真っ黒な髪に指を差し込まれる。
そして触れるだけの優しいキスをくれた。
好きな人が自分を好きでいてくれる。
それ以上の幸せはないと思う。
落ち着いた頃見回りの先生に早く帰れと軽く叱られ、寮への道を歩いた。
木内先輩はロビーに着くと足を止め、こちらを振り返る。
「このまま俺の部屋来るだろ?」
「行かない」
「なんで」
「景吾に心配かけたから謝ってくる」
「お前本当に景吾好きだよな」
呆れたように言われてむっとする。
「ああ、間違いなくあんたよりはな。じゃあな」
「あ、おい…」
手を伸ばされたがそれをひらりとかわした。
彼には散々振り回されたのだから、多少自分が振り回しても罰は当たらない。
景吾はなにも聞かず、なにも言わず、普段通りに接してくれた。
それでも随分心配をかけた。
「ただいま」
「おかえり。遅かったね」
景吾はベットに寝転びながら雑誌を見て、首だけで振り返った。
ブレザーを適当な場所に投げる。
「…話があるんだけど…」
ベッドに腰をかけて言うと、景吾は一瞬息を呑み神妙な顔で雑誌を閉じた。
「…なに…?」
「…あの…なんか、心配かけてごめんな。もう平気だから」
気恥ずかしくて、意味もなく首裏をかきながら視線を彷徨わせた。
「……そっか、よかった。木内先輩とうまくいったんだね?」
「お前、何で知って…」
目を大きく見開いて景吾と視線を合わせる。景吾は得意げに笑った。
「俺が何も知らないと思った?いつ木内先輩に怒鳴ろうかって考えてた。でも丸くおさまったんだね。それならよかった」
景吾はこちらへ近付き、肩をぽんと叩いた。
なにも言わずに笑ってくれて、たくさんの言葉を呑み込んだだろう。
「…ありがとな」
「なんだよ、よそよそしい!」
今度は思い切り背中を叩かれた。
咄嗟に反らして痛みに顔を歪めると、思い切り笑われた。
文句が喉まで出かかったが、景吾が楽しそうに笑う顔を見ると自然と消えてしまう。
悩んでいた心がすっとした途端、今まで見えなかったものが鮮明に見え始め、色んなことに気付かされる。
独りきりだと閉じこもっていたようで、たくさんの優しさと気遣いに守られていた。
「問題が無事に解決したところで、お願いがあるんだけど」
景吾は俺の前に正座して拝み手をつくった。
お願いなど景吾の口から出るのは珍しいし、今ままでの罪悪感もあるため、聞かないわけにはいかない。
「…なに」
「学園祭の出し物でさ、俺と楓と蓮、着物着ることになったんだ。それでね、ゆうきも一緒にやってほしいなあ、なんて…」
「…着物?」
「うん、女の人のやつ」
満面の笑みを暫く眺めて溜息をついた。
「ゆうきが着てくれないと意味なんだよー!」
嫌だ。そんな格好絶対、絶対嫌だ。
「真田を説得してくれ!って皆に頼まれたんだよー。頼む!一生のお願い!」
「一生のお願い何回目だよ」
「今度こそ絶対!ゆうき一人じゃないよ。俺も蓮も楓も一緒だよ!」
俺は絶対に。
「お願いだよー!俺皆に殺される!」
絶対に…。
「ゆうき様!」
ぜったい、に…。
「……はい…」
「マジか!ゆうきなら聞いてくれるって思ってた!ありがとう」
自分が一番頭が上がらないのは木内先輩ではなく、景吾かもしれない。
こんなことになるなら、大人しく先輩の部屋へ行けばよかった。
「ちなみにこの案は秀吉が考えたんだよ」
「……ちょっと秀吉のところ行ってくるわ」
「え、なんで?ちょっと…」
秀吉の部屋へ行き、呑気にテレビを見ていた頭をすぱんと叩いた。
散々文句を言い、追い駆けてきた景吾に落ち着けと宥められた。
結局、秀吉が一週間分の昼飯をおごるという条件で呑んでやった。
秀吉は悪くないとわかっている。けれど、誰も責められない憤りは秀吉に発散するに限る。
可哀想だと思う。でもそういう役回りだから仕方がない。
ただでさえ興味がない学園祭がもっと苦痛になった。
一つ問題が解決したと思ったら、またすぐに違う問題が舞い降りる。
「あー!もー!」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き回して、最後にもう一度秀吉の二の腕を殴っておいた。
楓も嫌だとごねたはずだ。
自分と同じように蓮に説得されて、無理矢理了承する姿が容易に想像できた。
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