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木内先輩に別れを告げて一ヶ月が経った。毎日をただ消去法で過ごしている。
綺麗なものは綺麗だと思うし、美味しいものは美味しい。
身体は以前と一つも変わっていないが、いつもなにかが足りない気がする。
自分の一部をぽっかりと何処かへ落としてしまった。
それを拾ったのは木内先輩で、だから一生自分には返ってこないと思う。
痛みはきっと時間と共に風化するが、そうなるまであとどれくらいの時間を苦しまなければいけないのだろうと考えると、これ以上ないくらい憂鬱になる。

あんな親父の下に生まれなければ、この学園に入学しなければ、そして先輩と出会わなければ。
意味もないことを逡巡して、自嘲して、諦める。
壊れたメリーゴーランドのようにぐるぐる、ぐるぐる、同じ場所を同じ気持ちで回っている。
その繰り返しだった。

木内先輩を校内で見かけることも稀にあった。
広い校内で偶然居合わせるとはどんな巡り合わせか、神様はとことん自分を追い詰めるつもりらしい。
視線が絡まってもすぐに逸らされ、関係のない他人になったのだと実感した。
あんなことを言わなければよかったのだろうか。
すべて知った上で先輩の玩具でい続けたなら、彼の隣を確保できたのだろうか。
自分がどんどんちっぽけで安いものに変わっていく。
けれどゲームはいつか終わる。それが少し早まっただけで、自分の運命は変わらないと思う。
最後のプライドを振りかざして、自分から別れを告げたのは英断だった。
言い聞かせて、これでよかったと納得させる。なのにこの後悔は何だろう。
ただ、今まで一緒にいた事実がなかったかのように時は過ぎ、それが一層薄っぺらいゲームだけの関係だったのだと浮き彫りにした。
きっと自分だけがこんな風に苦しんでいる。

恋愛なんて向いていない。報われない恋でも、別れがきても、いい経験だと笑顔で言えない。
好きな人が幸せならそれでいいと言えるほど達観していないし、自分を好きになってほしいと素直に告白もできない。愛の意味がわかる大人ではないし、欲しいものを欲しいと泣き叫ぶような子供じゃいられない。
感情を押し殺す方法もわからずに、宙ぶらりんになった心を持て余している。



早朝の七時、眠い瞳を擦りながらなんとか校門へ辿り着いた。
お飾りの風紀委員会だと思っていたのに、服装点検という真っ当な仕事を押し付けられるとは思わなかった。

「…だる」

しかもペアを組まされたのは梶本先輩だ。
早朝から意味もない活動というだけで不機嫌になるのに、梶本先輩の顔を見なければいけないのは想像よりも辛かった。

「だるいとか言わない。朝からゆうき君に会えて俺は嬉しいよ」

顔を覗き込まれ、思い切り逸らした。
一秒でも視界に入れたくない。
景吾の一件でただの鬱陶しい先輩から、今最も憎むべき存在に昇格した。
朝からハイテンションなところも鬱陶しいし、花の飾りがあしらわれたゴムも鬱陶しい。
彼のやることなすこと全てが癪に障る。
完全に八つ当たりだと承知だが、嫌いなものは嫌いだし、無理に好きになる必要もない。

「…なにやればいいんですか?」

そっぽを向いたまま小さな声で聞いた。

「さあ、ちゃんとやったことないから。まあ立ってればいいよ。一に仕事してるって思わせればそれでいいからさ」

何故こんな男が副会長になったのか小一時間ほど問いたい。
氷室会長も無能な副会長をもって可哀想だ。
それはいいとして。

「近いんすけど」

隣にぴったりとくっつかれ、端にずれれば更に近付いてくる。
この男は人を怒らせる天才だ。
存在だけでも勘弁してほしいというのに。

「いいじゃん。ゆうき君寒そうだし、この方が温かくていいでしょ?」

「全然寒くないんで。俺のパーソナルスペースに入らないで下さい」

軽蔑の眼差しで彼を見れば、つれないと唇を尖らせながら多少離れてくれた。
それでも十分近いけれど。
そんなやり取りを繰り返していると、生徒が登校する時間がやってきたようで、一気に賑やかになる。

「あれ?翼先輩何やってるんですか?」

「おはよー。これね、生徒会のお仕事なの」

「先輩が真面目に仕事してるなんて珍しい」

「でしょ。偉いでしょ?」

「翼、おはよ。そのゴム可愛いね」

「おはよ。可愛いでしょ。今一番のお気に入り」

「翼先輩おはようございます」

「おはよう、南ちゃん」

梶本先輩のやり取りを見ているうちに、顔が呆れを通り越して冷笑に変わった。
次から次へと愛想を振りまき、いい加減な具合の対応には感服する。
それくらいの気軽さですべてを乗り越えられたら、さぞかし人生イージーモードだろう。
景吾がなにを感じてこの男に興味を持つのか理解ができない。
どこにも誠がないように感じるし、芯もぐにゃぐにゃに捻れている。
良くいえば柔軟。悪くいえば軟派。
景吾に目が腐っていると言ってやりたいが、親友だとしてもそこまでの口出しはご法度なので耐えている。

「なに?」

横目で睨みつけていると、梶本先輩は爽やかに微笑み首を傾げた。

「いえ、別に。顔が広いなあと…」

「え、もしかして焼きもち?」

「…すばらしいプラス思考ですね」

皮肉を込めて言ったけれど、梶本先輩には通用しない。

「前にも言ったけど、俺美人大好きなんだ。女でも、男でも。別に手出すとかじゃなくて、見てるだけでも楽しいじゃん?だからゆうき君も好きだよ」

要はただの人たらしというだけだ。
胸を張って自信満々に宣言できる内容ではない。
深い溜息を吐き出すと遠くから景吾の声が響いた。

「ゆうき!」

笑顔でこちらへ駆けてきて、髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられた。

「サボらなかったんだ。偉い偉い!」

その手を振り払うとヘッドロックされて更に撫でられる。
抗うと別の技をかけられそうなので、大人しくされるがままになった。
髪の毛は爆発するだろうが、気が済むまで遊ばせないと景吾は手を離さない。

「景吾君、おはよう」

景吾の視界に入るように梶本先輩は顔を近付けた。

「梶本先輩も一緒に点検ですか?」

「うん、生徒会だからね。たまにはちゃんと仕事しないと怖い会長に怒られちゃうからさ」

「そうですね、たまには仕事もしないと会長大変ですもんね。じゃあ先輩もゆうきも頑張って!」

大袈裟な素振りで手を振る景吾に、自分も片手を伸ばした。
待ってくれ。一緒に連れて行ってくれ。それができないならこの役を代わってくれ。もう梶本先輩と共にいるのは限界だ。
けれども景吾はこちらを振り返らず、伸ばした手は行き場がない。

「今日も景吾君は元気だね」

梶本先輩は景吾の後ろ姿を眩しそうに目を細めながら見送る。

「笑顔がいいよね。八重歯とか」

口の端を歪ませた表情は獲物を定めた肉食動物のようでざわりと粟立つ。
恐怖を感じながらも梶本先輩を鋭く睥睨した。

「景吾には手を出すな」

敬語を使うのも面倒だし、この男を敬う必要はない。

「えー、どうしようかなあ」

誰にも聞こえないような小さな声で、小さな交戦状態。
もういっその事景吾に興味がないのならこっぴどく振ってほしい。
中途半端な気持ちで中途半端に景吾を縛ってほしくない。
行きつく先が地獄だと誰の目にも明らかなのに、現実をつきつけられるまで景吾は梶本先輩を想うだろう。
景吾がどんな気持ちを抱えているか、梶本先輩は理解した上で掌で転がして遊んでいる。
景吾は転んで、起き上がって、また転んで。それをずっと笑って見ている。
転んでも決して手を差し伸べようとはしない。どこまでも残酷で、どこまでも冷徹だ。
人の気持ちを弄ぶのは人間最大の罪だと思う。
自分がこんな状況だからこそ、景吾にはこんな想いはしてほしくないと切に思う。
人の恋路に首を突っ込むのは野暮だとわかっている。
景吾は俺ではないのだから、彼の選択を尊重しなければいけない。
でも、現実世界は正解だけでは片付かない。
自分は見守るほかないとわかっているけれど、それでもいつだって心配だ。

自分の靴先に視線を落として考え込むと、梶本先輩が顔を覗き込んだ。
能面にぺたりと張り付けられたような笑顔が気持ち悪い。

「そんなに心配?」

「…心配に決まってる」

相手が可愛らしい女の子ならば大いに祝福しただろう。
けれどこの男なのだから、目を覚ませと懇願したい。

「じゃあ、代わりにゆうき君が相手してくれる?そしたら景吾君には手を出さない。どお?」

一瞬で殺意が頂点に達する。
暫く見詰め合ったが、梶本先輩はただただ口を笑みの形にするだけだ。目はまったく笑っていないアンバランスな表情にぞっとする。

「断る」

「じゃあしょうがないね。景吾君をもらうよ」

「やめろ」

「じゃあ今の考えといてね。そろそろ教室戻ろうか」

ぽんと肩を叩かれて、その場所から全身に悪寒が走る。
梶本先輩はさっさと一人で校舎へ歩いて行った。
気持ちが悪い。後姿を見で追いながら思う。
なにが、と聞かれると困るが、あの男は生理的に受け付けない。

冗談のような交換条件を呑むつもりはない。
もう誰にも身体を好きにされたくない。
木内先輩に操を立てているわけではない。
あの人に抱かれた身体を他の人で上書きしたくないだけだ。
ばっさりと切り捨てられたのに、未だに未練たらたらに想っている自分は馬鹿だ。
梶本先輩も、木内先輩もさほど変わらないくらいに最低な人間だ。
なのに木内先輩の熱を求めて感情が暴れてしまう。
恋は理不尽だ。正解ばかりを掻き集められない。
きっと景吾もこんな気持ちかもしれない。
二人揃って厄介な男に心を傾けて、間抜けのあほだ。
景吾ばかりを説教できない。自分も充分盲目になっている。

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