Episode4:リライト

それからまた木内先輩の家に帰るまでの二日間は最悪なものだった。
木内先輩に話しかけられても最初の頃のような素っ気ない態度をとってしまう。
こちらを牽制する柳に阻害され彼と二人きりになる時間もなく、僅かにあった言葉のじゃれ合いもなく、そうしているうちに頭の混乱はひどくなる一方だった。

クルーザーの中で漸く二人になったけど、もう自分がどうやって彼と接していたのかも思い出せずに一人悶々と苦しんだ。
木内先輩はそんな様子を見てなにか怒っているのだと勘違いをしていたようだ。
けれどいつかのように嫌だと言っても抱き締めたり、ごめんと小さく謝られることもない。
強引に振り向かせずただそっとしてくれた。興味をなくしたかのような態度をみせる先輩に小さく歯噛みした。

家に戻り、客間に入った瞬間は心底ほっとした。
自分の家でも寮でもないのに帰ってきたのだと実感する。
旅行中になくしていた心も一緒に戻ってきてくれたようで、じわじわと自分という人間が元通りに形作られていく。

「俺の部屋に来い」

休憩もほどほどに呼び出されてとぼとぼと部屋へ向かった。
もうずっと身体を合わせていないし、戻れば抱かれるのだと覚悟していた。
素っ気ないのはお互い様で、けれど最初から自分たちはこうだったと思い出す。
この家に来て急激に距離が近くなったので見失っていただけだ。
心の距離が縮まってまた離れて、行ったり来たり。ゆらゆらと揺れてぴたりと止まる気配はない。着地点が見えずにずっと彷徨っている。
木内先輩への警戒心を解いたのが問題だと結論付け、これからはより一層心を固く閉ざそうと決めた。

ソファへ座る先輩から距離を置いてラグにぺたりと座ろうとすると、そっちじゃないと腕を引かれ無理矢理隣に座らせられる。

「何に怒ってんだ?」

「怒ってなんかねえよ」

「潤のことか?」

「関係ない」

「あいつの我儘で悪かったな」

「なんとも思ってないから」

機嫌が悪くとも良くとも関係ない。
どちらにせよやることは同じで、玩具の心など無視をすればいい。
触れられれば身体は反応するし、達することもできる。中身がどうであろうと外側は同じなのだからそれでいい。無意味な心の探り合いにはもううんざりだ。
話しをする。相手の心を知る。意味もなくじゃれ合ってたまには笑顔を見せる。
それは恋人同士がする甘ったるい一時で、自分と彼の間にはひどく不釣り合いで滑稽に感じた。

「俺が柳に怒る理由なんて一つもない。勝手にすればいい。俺には関係ない」

真っ直ぐと自分の意志が伝わるように先輩の瞳を見詰めた。
数拍見つめ合い、先輩は視線を逸らして溜息を吐いた。

「お前さ――」

「ってゆーかさ、あんた何のために俺を置いてんの?やるためだろ?なら気なんか遣わないでやりたい時にやればいい。抵抗もしないし、あんたがが何処で何やってようが俺には関係ない。あんたは俺を好きだって言うけど、俺はあんたが嫌いだし、なんか勘違いしてない?」

なにか言われるのか怖くて早口で捲し上げた。
一度口を開けば止まらず、わざと彼を怒らせる言葉を選んだ。なんの共感もない初めの頃の二人に巻き戻すために。
聞きたくない。辛辣な言葉はいい。心を溶かす言葉は一切聞きたくない。

「……そうかよ…」

地を這うような低い声に空気がぴりっと緊張する。全身から怒りが溢れ、そんな姿が懐かしいと感じた。
これでこそ木内仁だと思う。最近がおかしかっただけだ。あんな風に甘やかしたり優しくしたり、そんなもの俺たちには似合わないし必要ない。稚拙で荒々しい殺伐とした空気こそお似合いだ。

肩を乱暴に押されソファに倒れた。
口を広げて置いていた旅行鞄から薄手のタオルを取り出すと目隠しをされる。

「ちょ、なんだよ」

「黙ってろ。やりたいようにやっていいんだろ」

今度は紐状のもので両手首を頭上で縛られる。
暗闇が視界を塞ぎ、先輩の表情も見えずどこにいるのかも気配でしかわからない。
一気に脈が速くなる。怒らせたことを後悔したが、けれど自分の言葉で先輩の感情が色を変えるのをどこか嬉しいとも思った。
行ったり来たり、こんなときでも気持ちはゆらゆら。

「お前の言う通りだよ。お前は誰にでも脚を開くし、俺が特別なわけじゃない。勘違いしてたわ。使い捨ての玩具だって忘れてた」

耳元で囁かれる戒めの言葉。怖い。喉が凍ったように固まる。
どくどくと流れる血のように恐怖が頭を占領していく。
最初から優しくなかったけれど、それは決して一方通行の独りよがりではなかった。
奪われるというより与えられる感覚だった。
けれど今は違う。なにもかもを奪う。先輩は全身でそう語っている。
この恐怖には覚えがあった。初めて親父に組み敷かれたあの時だ。記憶が急激に巻き戻されて、払拭するように首を左右に振った。

耳朶を強く噛まれ、痛みが走る。もしかしたら血が出ているかもしれない。
口ち付けはされず、熱い舌ではなく乱暴に喉から胸まで歯を立てられる。

「…っ、痛…」

「痛い?それすら感じんだろ?ほら、もう形変えてる」

唇をきつく噛み屈辱的な言葉に耐える。
どんなに傷つけられても、抵抗すらできない立場に目の前が真っ白になる。
視界を奪われ、次どう動くのかわからない。それが余計に恐怖を誘い、縛られた手が震えた。

「なんだよ震えてんじゃん。お前らしくねえな。もっと俺を楽しませろよ。こんなんじゃすぐ飽きちまう」

飽きる。その言葉を聞いた瞬間、胸を銃で撃たれたような衝撃を覚えた。
早く俺を解放して、早く代わりを見つけろと何度も何度も願っていたのに、抉られるような痛みに眉間を狭めた。物理的な痛みの比じゃない。なにもかもを吐き出して叫びたくなる。

下着に手をかけられ一気に下ろすと、萎えかけた部分を強く握られた。

「い、たい…」

「うるせえな。玩具なら玩具らしく喘いでればいんだよ」

苛立ったように吐き捨て、手淫を施し完全に勃ち上がらせ根本に紐を巻かれる。
痛い、痛いと叫びそうになるのを堪える。今言葉を発すれば啜り泣いたようになりそうで、そしたらますます呆れられると思った。
ぎゅっと縛り上げるとさっきまでの荒々しい愛撫とは打って変わって、快感だけを与える濃厚な舌遣いで全身を舐められる。

「あぁっ…」

益々角度を増すそこには触れず、胸や首筋、耳、俺の弱い場所ばかりを執拗に責められる。

「もう…外せよ…苦しい…」

「俺に命令すんな。口あけろ」

言われるままに恐る恐る口を開けると熱く、ずっしりと質量を持ったものを押し込められる。

「この前教えてやっただろ。ちゃんと覚えてるよな」

強引に奥まで押し込められて苦しさに首を振った。
口内が乾いて奉仕どころの話しではない。

「ちゃんとできるまでこのままだぞ」

容赦ない言葉にじわりと涙が滲んだ。苦しい。身体も心もすべてが。

大きく口を開けながら舌を這わせるけれど、唾液が少ないので行為はスムーズには進まない。
時折歯が当たってしまい、その度下手くそと詰られる。
段々と酸素が足りなくなり荒い呼吸をしながらまともな判断ができなくなる。次はどうすればいいんだっけ。どこが感じる部分なんだっけ。思い出そうとするのにすべてを覆う白で答えが見つけられない。
"今時処女でももう少し上手くやる"言われた言葉が甦る。
先輩が抱いてきた彼女たちは上手だったのだろうか。こんなもたもたとした場を白けさせるやり方ではなかったのだろうか。自分は玩具としても欠陥品なのだろうか――。
なに一つとして自分は上手にできない。
セフレに望むことなど一つだけ。身体の相性がよくてテクニックが巧みであること。
木内先輩を繋ぎとめるカードを自分はひとつも持っていない。気付いて愕然とした。そして繋ぎとめたいと思っている自分に失望した。膝からぐしゃりと崩れ落ちるような感覚に世界がぐるりと回る。

「余計なこと考えんな。ちゃんと集中しろよ」

深く考えると共に疎かになっていた口淫に意識を戻す。
謝って、降参と告げても今夜は許してくれないだろう。
自分なりに懸命に努力したが、それは口内で徐々に角度を落としていく。
焦れば焦るほど空回りして悪循環のループの中だ。
短い舌打ちが聞こえ、後頭部を鷲掴みにされる。

「歯、立てるなよ」

短い注意の後にずるりと抜けていったと思えば、再び加速して入ってくる。

「っ、ぐっ――」

喉の奥に当たって自然とえずいてしまう。
それでもまた角度を持ち始めたのを確認すれば、胸の奥でふわりと喜びが浮かび上がる。悲痛を訴える身体とは正反対な心がおかしかった。
こんな屈辱的な行為を強要されて、それでも大人しく従った挙句、喜びを覚える自分はどこかおかしいに違いない。
顎は疲労しきってがくがくと痙攣を始める。その拍子に歯が当たらないように懸命に耐える。
しだいに頭上から苦しそうな呼吸と呻きが聞こえゴールはそこなのだと察した。その直後すべてを抜かれ、次には顔にどろりとした液体が飛び散ったのを感じた。
口の近くにあるそれを舌を出して舐める。確認すればやはり苦くて青臭い精液だ。
身体を合わせるようになってから彼が射精したのは初めてで、ひとつクリアしたような妙な達成感を味わう。

「色っぽいじゃん」

ただの確認行為が先輩の目にはそう映ったようだ。それならそれで悪くない。わざわざ否定せず、勘違いをさせたままにする。

「次はお前な。頑張ったご褒美」

紐ごと熱い粘膜に吸い込まれ息が詰まる。
酸素が不足している中で快感を与えられるのはとても辛い。

「ふっ、あ、あ…」

途切れ途切れに声が漏れてしまい、口を閉ざそうとするけれどそしたらもっと酸素がなくなる。鼻で息を吸うのでは間に合わず口をだらりと開けっ放しにした。
早くどうにかしてほしい。
苦しさの中で快感が蠢いて、発散できない熱があちらこちらから助けを求めている。

「や、やだ…くるしい…紐…」

「このままイけるだろ」

「む、り…」

発狂しそうになるのをぎりぎりの理性で手繰り寄せる。
許容範囲以上の快感はただ苦しいだけだ。
身体は急かすし、解きたくとも手は使えないし、先輩に頼るしかないが意地の悪い性格ではきっと聞いてくれない。
いやらしい水音が聴覚を擽り腰を捩った。脳が痺れて真っ白になる。

「…あっ、もう、本当に…やめっ…」

先端から溢れる蜜を吸い上げられる。悲鳴に似た声が漏れ、生理的な涙がタオルを濡らした。

「おかしく、なるっ……おねがい、だからっ…」

泣きじゃくる子供のように懇願すれば、しょうがねえなと悪態をつかれながら紐を解いてくれた。

「あっ――」

瞬間、我慢に我慢を強いられたそこは勢いよくすべてを吐き出した。
身体の中すべてを吐き出したような倦怠感にぐったりとソファに身を委ね、引きつったような呼吸を繰り返した。
額に張り付いた前髪をさらりと払われ、脇と膝に手を差し込まれるとベッドへ運ばれる。
腕の拘束と目隠しは外してもらえず、気配で先輩を探したがどこにもいない。
不安に駆られ呼んでみようと思ったが、言葉を呑み込んだ。
ぎしっとベッドが沈み、戻ってきた安堵で小さく吐息をついた。
先輩はなにも話そうとしない。
顔にほんわりと温かい布があてられる。べったりとついたままだった精液を優しく拭われた。
先輩が放つ不穏な空気とその手の優しさがミスマッチで、彼の心もゆらゆらと揺れているような気がする。

「…手、解いて…」

「だめだ」

「…どうして?」

気配がする方に顔を向けるとゆっくりと先輩が近付いてくるのがわかった。

「これで終わりだと思うなよ」

耳元で囁かれぞくりと身体が粟立つ。快感なのか恐怖なのか区別がつかない。
ただ金縛りにあったようにびくりとも身体を動かせない。
次はなにをされるのだろう。獰猛な肉食獣は喉元に噛み付いて頭からばりばり食い散らかす。遠慮も思慮分別もなく。
それなのに木内先輩は親指の腹で頬を撫でるとそこに口付けた。壊されると覚悟すれば優しさを与えられて矛盾に翻弄される。

「喉乾いてないか?」

こくんと頷く。唾液は絞られひっきりなしに嬌声をあげたせいでからからだ。
そのまま待ちぼうけをくらっていると机にこつんとグラスが置かれた音がした。
水をくれるのだ。施しをうける弱者は強者に媚び諂って生きながらえるしかない。
口を開けるように指で促される。
僅かに開ければ望んでいたものではなく、木内先輩の唇が重なる。同時に熱い口内を冷やすような炭酸の液体を注がれた。
乾燥しきった喉に炭酸がちくちくと刺激をし、鼻をすうっと通り抜けるようなアルコールの臭いが広がる。顔を顰めながら軽く咳き込むと再び唇が塞がれる。それを何度か繰り返された。
そこかしこに醜悪な臭いが立ち込め、それを嗅いでいるうちに胸の奥がちりりと焦げる。早送りで実家での地獄の数年間が突風のように吹き流れた。
唐突な吐き気に襲われる。身体の中を雑巾を絞るようにぎゅうっと締め付けられた。心臓が大袈裟に跳ね、呼吸は浅くなり、頭の中が白んでいく。
アルコールの臭い。真っ暗な闇。拘束された身体。すべてがあの頃と重なった。
誰かの手が頭の中に入って来て、ものすごい力で数年前に引き戻す。
鐘を突くような音、サイレンのような甲高い音、車のクラクションのような人間を委縮させる音。様々な騒音が響き渡る。

――神様なんていないんだ。
幼い頃の自分の声が音に埋もれず勝手に再生される。
子供ながらに縋っていた。存在すらわからないものでも、なにもないよりましだった。
――どうしてこんなことするの。

やめろ。

――痛いよ。とても痛い。

わかってる。わかってるから。

――もうやめようよ、こんなこと。お願いだから。いい子にするから。

わかったから。大丈夫だから。
幼い自分に言い聞かせる。もう記憶の奥深くに帰ってくれ。どうにかするから。
自分自身と戦っていると胸にぴたりと手を這わされた。その瞬間すさまじい光りが身体の中で弾けた。

「やめろ!」

俺、そんなに悪いことした?涙でぐしゃぐしゃになる瞳で父親に何度も問いかけようとした。けれど期待する答えが返ってこない恐怖で聞けなかった。今なら聞けるのだろうか。

「……おれ、おれそんなに悪いことした…?そんなに悪い子だった…?」

「……ゆうき?」

「…勉強も、運動もできなかったけど、でもがんばったよ。八十点以下だと怒って殴られるから、たくさん勉強した。でも八十点以上でもごほうびだって変なことする。俺、こんなのもういやだ。お母さんに悪いかんじするし、よくわからないけど、普通じゃないと思う。だからもうやめよう…?」

「ゆうき!」

がっちりと肩を掴まれ、殴られるのだと覚悟して歯を食い縛る。
幸せに、幸せになりたい。平凡なものでいい。普通の暮らしがしたい。暴力に怯えず、酒の臭いの代わりに温かな夕飯の香りが漂って、母親は涙を流さない。
家族全員で丸い輪を作って、目に見えない絆で繋ぎ合う。
夢になら何度も見るのに現実は変わらずに流れていく。
自分は小さな理由で殴られるし、母親は俺を庇ってさらに殴られる。パートの水仕事で皸だらけの薄い手で一生懸命に身体を抱き締める。暴力が去ると涙をためた瞳で何度も何度も謝る。

ごめん、ごめんねゆうき――。お母さんがちゃんとしないから…ごめんね――。

大丈夫だよ。こんなのへっちゃら。お母さん痛くない?もう少し俺が大きくなるまで待っててね。そしたら……。

――そしたらあいつを殺してやる。

遠い昔に自分が発した言葉が脳内ではなく耳元で囁かれた。身体と心がばらばらに砕かれて地面にべしゃりとおちていく。

「うわあああ」

「ゆうき!おい、ゆうき!しっかりしろ!」

誰かが呼んでいる。この声には覚えがある。
けど、誰だか思い出せない。
思い出したい。忘れてはいけない声のような気がする。初めて心の奥深くまで触れてくれた強引で我儘な暴君。
なのに意志とは無関係で深い海の底に引きずり込まれる。もう、息をすることもできない。

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