11

「お前まだここにいたのか?一日中飽きねえか?」

ぼんやりと声の方に視線を移した。
当然のように声をかける木内先輩に明日突然捨てられるかもしれない。
流行が過ぎたと保健所に連れて行かれる犬のように。なぜだかとても心細くなる。

「なんだ、そんな顔して…飯行くぞ」

ぺたんと座る俺に手を差し出す。その手を素直に握り立ち上がった。
この手だってそうだ。知ってしまった以上、なくなれば大なり小なり自分に影響があるかもしれない。
だから嫌だった。深く知りたくない、関わりたくない。自分という存在を教えないから、そっちも何も教えないでほしい。余計な思い出を書き足さないでほしい。

「今日は何処で食いたい?」

当然のように繋がれた手を振り払わなかった。
きっと俺は真夏の太陽に当てられて脳味噌が半分くらい溶けたのだ。

「…昨日と同じところ」

「昨日と同じでいいのか?もっと色々あんだぞ?」

「昨日のところがいい…」

なんだか落ち着かない。
なにも変わっていないのに。木内先輩の態度も言葉も。
それなのに落ち着かない。なぜだろう。なぜだろう。
なにかが変わってしまった気がする。
けれどなにかはわからない。
夕飯を食べている間もぼんやりとしてしまった。
あんなに美味しかったのに、今日はちっとも美味しいと思えない。
頭のなかが常にぐらぐらとしている。
それは別荘に戻っても治まらず、むしろ時間とともにひどくなっている。
なにに苛立ち、なにに焦っているのだろう。
自分の感情をコントロールできない。

「お前、なんかあったか?」

木内先輩はソファに凭れながら長い脚を組んだ。

「なにもない」

横に来いと手招きされたがそれを無視して立ったまま窓の外に顔を向けた。

「昼間、潤と話してたろ。なんか嫌なこと言われたか?」

「何も。ただ普通に話して…」

「お前と潤が?鬱陶しいこと言われたんだろ。潤のことは悪かったよ。まさかここまでついてくると思わなかった」

「…いいよ。あんたのせいじゃないし、柳も話せばわかってくれるし…」

拗ねたような口調になってしまい、そんな自分にうんざりする。
発言は本音だし、柳を鬱陶しい奴とレッテルを貼ったが嫌いなわけではない。

「だから何話したんだよ」

「あんたとの関係とか」

「で、何て答えたんだ?」

「なんの関係もないって言った」

「何の関係もなくはないだろ」

「じゃあなんだよ。お前の暇潰しか?それともセフレ?なんて答えればよかったんだよ」

真っ直ぐと癖のない髪の毛をぐしゃぐしゃとかき上げた。
なにかに苛立つ。どうしてこんなに感情が言う通りにならない。
これではただの子供じみた八つ当たりだ。

「俺はお前が好きだって言ったよな」

きつく腕を掴まれた。ぎりぎりと締め上げられ、心も一緒に締められる。同時に呼吸が苦しくなる。

「……そんなの信じるかよ」

顔を背けると図ったように扉が開き、柳が入ってきた。

「仁、真田ばっかり構ってないで僕とも遊んでよ」

ぱっと離れた腕に安堵しながらも虚無感を覚える。
柳は木内先輩の隣に腰を下ろして彼の顔を覗き込んだ。

「潤…一に遊んでもらえ」

「一とは昼間遊んだし」

「…わかった。後で遊んでやるから。今こいつと話すことがあるんだ」

「ないよ。柳、ここに寝れば?俺リビング行くし」

これ以上一緒にいたくなくて、木内先輩の言葉を遮った。

「ゆうき」

下からじろりと睥睨され肩が竦んだ。
けれども引けない。心の所在がわからないのは木内先輩のせいで、彼の傍を離れればそのうちおさまってくれると思う。
問題はなにも解決せずとも、ただそれから逃げていればいつの間にかなくなってくれるはず。
視線を逃し、携帯だけを握って扉まで大股で歩く。レバーに手をかえるとまた腕をきつく握られた。

「おい、話しはまだ終わってない」

強く握られすぎて腕の血管が悲鳴をあげている。
真夏なのにやけに冷たい掌に芯まで冷えていく。

「……俺の嫌がることはもう聞かない。あんたそう言ったじゃん」

ぼそりと呟くとゆっくりと腕を放された。
木内先輩がどんな表情をしているのか知るのが怖くて振り返りもせずに部屋を去った。

先輩から離れて階段を下りていると激情が静かに去っていくのがわかった。
頭を冷やすべきだ。自分らしくない。けれど、自分らしいってどんな形だったっけ。
つい最近まで淀みなく答えられていたはずなのに今じゃ思い出せない。
意味もない呻きを漏らしながら髪の毛をぐしゃぐしゃにする。
リビングの掃き出し窓からウッドデッキに出る。
階段部分に腰を下ろし、途中勝手に冷蔵庫から拝借したペリエを一口飲み込んだ。
月明かりだけが頼りの夏の夜はどこか現実味がない。
暗い海から規則的に流れる波の音と、ささやかな風。
昼間の賑やかさは一瞬で掃き出され、この世に自分一人だけのような静かな錯覚が心地よかった。
聴覚が波の音だけに刺激される。それと同調するように混乱の波も引いていく。
混乱は去ったけれど疑問だけは引いてくれなかった。
どうして木内先輩といると気持ちが滅茶苦茶になるのだろう。
怒って、悲しくなって、たまに嬉しいとも思う。
けれどいつも怯えている気がする。
碌でもない負の感情ばかりがぽんぽんと花を咲かせて枯れてくれない。
水も肥料も与えていない。それどころか枯葉剤を毎日毎日撒いているのに。

「あれー、こんなところで何してるの?」

しんみりと静かな空気を一瞬で切り裂く声に肩を揺らした。
梶本先輩の登場だけで周りの空気がぱっと明るくなる。

「なにも…ただ、外にいたくて」

「蚊に刺されちゃうよ?」

梶本先輩は懐っこい表情でくすくすと笑いながら若干の距離を持って隣に腰を下ろした。
風呂上りなのだろう。上半身裸で首にタオルをひっかけ、濡れた髪を後ろに撫でつけながら片手にはビールの缶を持っている。
炭酸が抜ける軽快な音と共に喉を鳴らしながら一気に飲むと、苦しそうにぷはっと息をした。

「夏の風呂上りビール最高!ゆうき君も飲む?」

「結構です」

真面目ぶっているわけではなく、アルコールは好きではない。
淀んで腐ってじっとりと肌に吸い込まれるような独特の臭いが大嫌いだ。
いつだって家の中はその臭いで充満していて、自分に移ったら嫌なので必要以上に身体を洗っていた。
アルコールの臭いを嗅ぐとセットで次から次へと嫌な思い出が溢れ出す。
頼んでもいないのに自然と頭の中に雪崩れこんで、古い映画のように映像がくるくると回っている。

「つれないなあ。そのつんとしたところがまた男心をぐっと引き寄せるんだけどね」

勝手にほざいてろ。
彼と話すとどっと疲れるので口は閉ざすに限る。

「潤君も来て賑やかになったね。一と二人じゃ色気もクソもないからさ。潤君も綺麗な子だよね。気位の高い猫みたいで手懐けたくなるなあ。でもさ、口説いたらあの子なんて言ったと思う?"は?死ねよ"だよ?ひどくない?」

相槌も打っていないのに梶本先輩はぺらぺらと話し続ける。

「潤君仁の部屋に行ったでしょ?いいの?」

「いいんじゃねえの」

「ふーん、随分と余裕なんだね。本当に潤君にとられちゃうかもよ?」

「ご勝手に」

「わお、クールな見た目にクールな性格。しびれるねー」

茶化したように馬鹿にされ、そろそろこいつを殴ろうかとこっそりと拳を作った。
本気で怒っているわけではないが、ひらひらと掴み所のない霞のような存在はとても目障りだ。

「じゃあ俺はビールも飲んだしそろそろ…」

素直に腰を上げてくれてほっとした。ぶん殴らなくてすんだ。

「あ、ゆうき君」

ぽんぽんと肩を叩かれたので、首だけそちらに向ければ軽く触れるだけのキスをされた。

「ご馳走様。今日はいい夢見れそう。じゃあ、おやすみー」

もはやここまでくると怒りよりも呆れが上回る。
犬にでも噛まれたと思って忘れよう。梶本先輩にしてみれば一種の挨拶のようなものだ。

今頃、あの二人はなにをしてるのだろうか。どんな話しをしているのだろう。
自分からそっぽを向いたくせに追い駆けてこなければ気に入らない。
身勝手な不満を覚え、つまりは自分はなにを望んでいるのかわからなくなる。
木内先輩ならば受け止めてくれるという甘えがあったのだと思う。
情緒不安定で定まらない心と態度と言動も、本音のようで虚勢でもある。
彼ならばそれがどうしたと簡単に柵を飛び込えて、無理矢理でも自分を雁字搦めにして落ち着かせてくれるという期待があったのだ。本音と建て前どちらも丸ごと包んで、ばらばらのピースを一つに纏めてくれるような。

一緒にいたくない。でも今すぐにでも大丈夫だと言ってほしい。
妙に甘ったれた期待をしている。

悪循環の中をぐるぐるとループして、そこから抜け出す方法がわからない。

「馬鹿か…」

自分自身に向けてぼそりと呟いて立ち上がった。
リビングに戻りソファに重い身体を懐かせる。

逃げ出したい。
いつ彼が去るのかと考えると自分から消えてしまいたくなる。その方が痛みも半分で済むと思う。

いつからこんな風に思うようになったのだろう。
来るもの拒まず去るもの追わず。
そうやって誰にもなににも期待せずに生きてきたのに。
いつだって自分の足だけで立っていられるように踏ん張ってきたのに。
凭れ掛かれば支えななくなったとき、簡単に地面にべしゃりと倒れ込んでしまう。
だから自分しか信じないし、目に見えないものに希望はもたない。

ごろんと身体を反転させる。
なるべく端に寄って、寝顔を見られないよう右を向いて眠る。
そんな癖がついていることに気付かされる。
熱帯夜だというのに肌寒い。
ぽんぽんと心臓の鼓動と同じリズムを刻む手がどうしようもなく恋しく感じた。


[ 17/54 ]

[*prev] [next#]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -