10

翌日の目覚めは今までで一番最悪だった。

「なんで真田がいるんだよ!」

少し高めのハスキーな声が自分を呼んでいる。
鼓膜がびりびりと振動して苛立ちが一気に加速する。
朝から勘弁してほしい。願うように木内先輩と同時に起き上がる。

「……潤?何でお前がここに…」

寝惚けて困惑しながらも声の主は即座に把握したようだ。

「おじさんと話してたら仁と一がここにいるっていうから来たんだよ。何で僕も誘ってくれなかったのさ。しかも真田もいるし…」

騒いでいる主をぼんやりと眺めた。
確か、えっと、あの…誰だっけ。
寝起きの頭が上手く回転せず、自然と瞼も重くなる。
上半身を起こしながら瞳を瞑るとゆらゆらと前後に身体が揺れた。

「おい」

肩を揺すられはっと起きる。

柳。突然名前を思い出し、様々な情報も一緒に蘇った。
木内先輩の従兄弟で、先輩にとても懐いているので、周りをうろちょろしている俺のことが嫌い。
また面倒な人物と出くわした。
実家にいてもいつかは鉢合わせしていたと思うけど。

「ゆうきはずっと俺の家にいたんだ。暇だからここ連れてきた」

「ずっと?」

「ああ」

薄ら瞳を開ければ、こちらをじろりと一瞥する柳と視線が絡まる。
俺は絶対悪くない。好きでここにいるわけではないし、できることなら代わりたい。
文句があるなら先輩へどうぞ。そんな思惑を込めて横目で先輩をちらりと見た。
意図を察してくれたのか、柳は悔しそうに顔を顰めながら口を一文字に結んでいる。

「取り合えず着替えるから下にいろ」

「…わかった…」

可哀想に消沈した背中が痛々しい。

「…なあ」

怒気を含んだ声を発すると、木内先輩は苦笑して俺の髪をくしゃりと撫でた。

「悪い。とりあえず着替えて朝飯食うか」

「飯はいらない。柳と顔を合わせると文句言われるし俺はここにいるからあんただけ行ってよ」

朝から溜息などつきたくないのに。どうして次から次へと面倒で気分を害する出来事が絡まってくるのだろう。
こちらはそれをなるべく避けながら歩いているのに、あちらがぐいっと近付いてくるのだ。
木内先輩と関係を持ってから日常がごちゃごちゃだ。
本当に自分は厄介な人間の手に堕ちた。

「じゃあここに飯運んでやるから」

「いらない。食欲ない」

素っ気ない態度でベッドから降り窓を開けた。
今日も雲一つない晴天で、波の音とそれから蝉の声がする。

「我儘なお姫様ですこと」

耳元で囁かれ、驚いて後ろを振り返れば木内先輩に軽く抱きしめられた。

「なんだよ」

「機嫌とり?」

「ますます機嫌悪くなるから離れろ」

「はいはい。じゃあ俺飯食ってくるから大人しくしとけよ」

しっしと手を振って追い払う。

昨日は窓から眺めているだけだったが、今日はもっと近くで海を見たい。
日焼けをすると赤く、ひりひりととても痛むので、ちゃんと帽子をかぶって、足だけでも海に入りたい。

暫くして戻った先輩にそのことを告げる。

「そこの海に行きたい。近くだから一人で行ってもいいよな」

「じゃあ携帯持ってけよ。何かあったら電話しろ」

やっと一人になれる。息が詰まって窒息しそうだった。
これ以上はさすがにまずいと自分でもわかっていたので、この時間を有意義に遣わなければ。
キャップを被りサンダルをひっかけて外へ出た。
太陽が天辺で容赦なく輝いている。
それは痛いくらいにじりじりと強かったが、普段感じれない潮風は新鮮だった。
砂浜の近くに茂る木の木陰に腰を下ろしより間近で海を眺める。
水着で楽しそうに遊ぶ家族連れや恋人たち。
皆とても楽しそうな笑顔を見せている。そんな中で鬱々としているのは自分一人だろう。
こんなに綺麗な海なら友人と一緒がよかった。
皆とても喜ぶと思う。誰と来ようと自分の行動は変わらないだろうが、気持ちが違う。
憂鬱になどならないし、大はしゃぎする楓や景吾を見ているだけでこちらも楽しいと思う。

時間がゆったりと流れて、窮屈な世界から飛び出せたような気がした。
たまに砂を手で掬ったり、年甲斐もなく小さな砂のトンネルを作ったり、地味な一人遊びをする。
腕時計で時間を確認すると、砂浜に来て二時間も経過していた。
それからも暫く眺めていると段々と陽が暮れ始め、人気が少なくなった。
太陽の光りも幾分弱まったので、ズボンを巻くって海に足を入れた。
海中で地面を踏む度に柔らかな砂が足を呑み込み、砂の中へと誘われた。
永遠と続く海。ずっとずっと泳いで行けば外国で、この水で繋がっていると思うととても不思議に思えた。
水平線を見ると、そういえば地球って丸いんだっけ、なんて当たり前のことを思い出す。
足を海に入れたまま、ぼうっと突っ立っていると後ろから声を掛けられた。

「入水自殺でもする気?」

振り返るとハーフパンツのポケットに両手を突っ込んだ柳が立っていた。

「…そんなことしねえよ」

「ちょっと話したいんだけど」

こっちへ来いと顎をしゃくられ渋々柳について行く。
元いた場所へ戻り腰を下ろした。
なにが悲しくて柳と夕日を見ながら話さなければいけないのだ。

「真田、仁のこと好きなの?」

こちらに挑むような視線で見られ、面倒くさいと言わんばかりに嘆息を漏らす。
好きとか嫌いとか、そういうのはもうたくさんだ。
何故木内先輩と一緒にいるだけでそういう話しになる。

「好きじゃない」

ぶっきら棒に答える。
柳は答えに満足したようで、けれど俯いてしまった。

「仁は真田のこと好きかも。今までの彼女は一度寝たらぽいだった。でも真田のことは違う気がする…」

なにを言っても変な慰めにしかならない。
俺なんかに慰められたくはないだろう。けれど、わかっていることが一つだけある。

「…よくわかんねえけど…そのうち飽きんじゃねえの。あの人が男なんかに本気になるかよ」

「そりゃ、そうだけど…」

「俺よりお前の方があの人のことわかってんだろ。そんな牽制しなくてもどうにもなりゃしねえよ」

「じゃあ思わせ振りなことすんなよ」

「そんなこと一回もしてない」

「あっそ。ならいいけど」

「……あのさ、俺好きとか嫌いとかよくわかんねえけど、俺に言わないで本人に言えばいいんじゃねえの?」

「仁に言っても聞かないから真田に言ってんの」

「俺に言われても…俺だって早く解放されてえよ。お前もっとちゃんと頼めよ」

「は?真田が言えよ」

「俺の言うことあいつが聞くかよ」

「そんなもん、僕だって同じだよ」

同じことの繰り返しを言い合っている内に馬鹿馬鹿しいと柳が呟いた。
結局木内仁は自分以外の意見は受け付けないという結論だ。

「話はそれだけ。じゃあ」

柳は尻の砂をぽんぽんと払い行ってしまった。
また一人ぽつんと残され、ぼんやりとした。
木内先輩が男に本気になることはない。柳も承知だと思う。
恋愛対象から外されていると理解した上で追い駆けているのだ。
好きだの嫌いだの愛してるだの、よくやると感心する。
どれもこれも面倒くさい。
好きだからなに。嫌いならばどう変わる。愛してるなんて今だけだろ。
一人に自分のすべてを委ねて、嫌いになったら一人になって、また別の相手に委ねて、永遠にそれの繰り返し。
考えると自然と鼻で笑ってしまった。
下らない。愛など不確かなものに縋って生きるなんてごめんだ。
だから最初から一人がいい。僅かな幸福を感じない分余計な寂しさも知らずにいられる。

先輩と一緒にいるからこそ一人になりたいと思える。これが元から一人だったら…。
ゆらゆらと蝋燭の火が揺れるように不安が芽生えた。
だから先輩とは必要以上に馴れ合いたくなかった。
不必要な感情が一つ、また一つと増えている。
早く木内先輩が自分から去ってくれないだろうか。

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