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「兄貴と話してくるから、お前はここで荷物の整理してろ」

木内先輩は不機嫌丸出しで部屋から去った。
とりあえず、言われたように荷物の整理をした。
とはいえ、数枚の衣服だけなのでクローゼットにぎゅうぎゅうと押し込んで窓の外に視線を移した。
この部屋からも海が見える。
窓の淵に頬杖をつき、ここからでも水が透き通っている様子が見えるほど綺麗な海や、そこで遊ぶ人達を眺めていた。
最後に海で泳いだのはいつだっただろう。幼稚園くらいだっただろうか。記憶は曖昧だが焼けた肌が痛くてしょうがなかったのを覚えている。
たまに吹く潮風が心地よくて、なにを考えるわけでもなく、何を見るわけでもなく、そのまま自分だけの時間が止まったように眺めていた。
突如、勢い良く扉が開いた音がして意識を無理矢理引き戻される。

「君が真田ゆうき君?」

開けっ放しの扉から室内へ一歩入ったところに見知らぬ男性が立っていた。
きっと、木内先輩が言っていた人なのだと思う。

「そうですけど…」

彼は興奮を抑えきれないといった様子でこちらへ近付き俺の両手をぎゅっと握った。

「俺、梶本翼。一と一緒にここに泊まってんの。あっ、一応生徒会の副会長やってます。宜しくね!」

握られた両手を上下にぶんぶん振り回され、やんわりと手を引っ込めた。

「どうも…」

その笑顔は人懐っこそうだけど、なるほど、確かに頭が弱そうな印象がある。
中途半端に伸ばされた髪を頭頂部近くで結び、身に纏った白いシャツはだらしなく釦が開いている。軟派で甘い雰囲気を漂わせ、けれども純真無垢といった瞳をしている。

「ねえ、ゆうき君って仁の恋人?」

「…違いますけど…」

「やった。じゃあ俺とつきあうってのはどう?俺、綺麗な子大好き!女の子でも男の子でも!」

呆れすぎて怒りもわかない。
世の中にはこんなに軟派な人間がいたのか。新しい発見だ。

「遠慮しときます」

「えー…絶対楽しいのに。仁と二股でもいいよ!」

唇を尖らせる表情は子供じみていて、まるで玩具が欲しいと強請るような無邪気ぶりだ。
言っている内容は無邪気どころか欲にまみれているけれど。

「…俺男とつきあう趣味ないんで」

「えー!いいじゃん。試してみたら案外いけるかもよ?新しい世界が開けるかも!」

もう無視をすることにしよう。
こんな人間をまともに相手にしても疲れるだけだし、相手も気軽な言葉遊びを所望しているに違いない。
生憎、そんなユーモアセンスはないし喋る行為は不得手だ。

「おい、何してんだよ。さっそくかよお前」

開いていた扉から木内先輩が顔を出す。

「仁来るの早いよ。一から聞いてたんだ。真田君のこと。買い物から帰ってきたら、玄関に知らない靴あるし、もしかしてと思って」

「もしかしてじゃねえよ。こいつは貸さねえぞ」

「それは残念。じゃあ飽きたら貸して」

俺は物か。突っ込みたいのをぐっと抑える。
木内先輩からすれば似たようなものだ。

「飽きないし貸さない」

「あれ?仁いつからそんな子になったの?これは明日雨でも降るな…」

「うるせえな。いいから早く出てけ」

「つまんねえの。じゃあね、ゆうき君。またねー」

笑顔でひらひら手を振る梶本先輩に軽く頭を下げると満面の笑みで去って行った。

「俺が部屋から出るなって言った意味、わかったな?」

その問いには素直に頷こう。
木内先輩を鬱陶しいと感じていたが、上には上がいるらしい。
あの人ならばまだ木内先輩の方がましだ。
あんな人間が生徒会副会長なんて世も末だ。
生徒会選挙は真面目に投票しなければ。一番最初に名前が書いてある人、とか適当な理由で投票するからあんな人間が当選してしまうのだ。次からは気を付けよう。

その後、木内先輩は"仁も仕事手伝って"と氷室先輩に無理矢理連れていかれた。
特にすることもないので、先ほどと同じように窓の外を眺めた。
さすがに退屈を覚えるかと思いきや、陽が沈み海が朱色に染まるときまでそうしていた。
思った以上に癒された。海が物珍しいというのもある。

「…疲れた…」

普段の先輩からは想像もできない程に、心身共に疲れ切った彼が戻ってきた。
ダブルベッドに身を投げ出し、眉間を指で摘んでいる。

「…腹減ったか」

「少し」

「あいつらはここで食べるみたいだから、外で食おうぜ」

「…もう少ししてからでいいよ」

「…なに、心配してくれてんの」

意地の悪い笑みを浮かべられ、一瞬でも可哀想と思った自分を返せと背中を向けた。
もう絶対に気にしてやるもんか。

「拗ねんなよ」

「拗ねてない」

「こっち来い」

「嫌だ」

「なにもしねえよ。早く来い」

この人の言葉は信じられない。けれど拒否もできない。
じりじりと少しずつ近付く。彼の腕が届く範囲に来ると腕を引かれ、ベッドに腰を下ろした。寝転がったままの木内先輩が後ろから腰のあたりに抱きつく。

「充電させろ」

「…変なの」

憮然としたがそれ以上は会話が続かず、三十分ほど好きにさせた

「よし」

木内先輩はなにかを振り切るように起き上がる。
それに続くように自分も立ち上がった。
別荘の近くにはレストランが点々とあり、その中の一軒に入る。
海が近いため魚介類が新鮮で美味しくて、佳代さんの料理も絶品だったがこのレストランもお気に入りになった。
ぽっこりと幼児のように張り出した腹を擦りながら戻り、シャワーを浴びていつもより早めにベッドへ入った。
今日は先輩も疲れているようで二人でおとなしく瞳を閉じた。

やはり誰かと一緒に寝るのは慣れないし、時々目を覚ましたりして浅い睡眠になってしまう。それでも木内先輩にはだいぶ慣れたと思う。
それと同時に慣れというものが恐ろしくなる。
こうして二人でいることに慣れて、それが日常に変わってしまったらどうしよう。
いつか急に手を離されたとき、安全帯をつけていない自分は真っ逆さまに堕ちて大怪我をするのではないか。
だから最悪のケースに備えて出来うる限りの防御を揃えなければいけない。
この男のすべてを信じず、一歩離れた場所から冷静に対応しなければ。
じわじわと木内仁が心に沁み込んでくる。心の柔らかい部分を齧られているようで気持ちが悪い。
これ以上浸食されないように足掻くのにあまり意味がない。
だからこそ何かと理由をつけて先輩の存在を拒んでいる。

自分を見失う程馬鹿じゃないし常に冷静でいなければ。
人は簡単に信じちゃいけないし、足元を掬われたら終わり。
心に不必要な傷などつくりたくない。

こうやって毎晩自分に言い聞かせながら眠りにつくのが日課になりつつあった。

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