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「今日は私の希望で和食だよ。真田君、和食は好きかね?」

「はい」

幼い頃から実家の食卓は和食で飾られるのがほとんどだったので馴染み深い。
とはいえ、今眼前に広がるような料亭風の料理ではなかったけれど。
煮物と小さく細い魚が一匹、それから漬物が定番だった。母の給料日の日にはそこに金色の甘い卵焼きが追加されて、お菓子のようなそれが大好物となった。
今でも卵焼きが一番好きだ。出し巻きも美味しいけれど、砂糖をたっぷり入れた甘いのが一番好き。
今晩の献立に卵焼きはないけれど、どれも美味しそうだ。頂きますと手を合わせ、料理を口に運ぶ。
洋食も絶品だったが和食も美味しい。
繊細な味が口いっぱいに広がって単純に幸せだと思った。

「仁、真田君と友人なら何でもっと早く紹介してくれなかったんだい?」

「親父が変な趣味持ち出すから」

「つれないなあ。噂は昔から耳にしていたんだ。どんな子か見てみたいと思ってたんだよ」

「…噂?」

先輩がなにか話すとは思えない。人に自慢できる関係ではないのだし。
しかも、昔からというのはどういう意味なのだろう。

「君が中等部に入学したときにね。稀代の美少年がいるって聞いたことがあるよ」

疑問符が消化できずに箸を口に運びながら首を傾げた。行儀が悪いけれど。

「親父は東城の理事長だぞ」

驚きすぎてぽかんと口を開けた。声にならない声が喉の奥でひゅうひゅうといっている。

「驚いた顔も綺麗だね」

酷く失礼なことを言われている気がするがそんなものはどうでもいい。
兄貴は生徒会長で、父親は理事長。
この家に来て散々驚いたが今回はその中でも特大だ。
理事長の名前など知らないし、入学式や卒業式など目にする機会はあっただろうが、まったく気にしていなかった。
校長ですら顔を思い出せないのに。

「噂は何度も耳にしたけど、学校にあまり顔を出さないから見る機会がなくてね。家に電話すれば、一に真田君が家にいるって言われて、急いで帰って来たんだよ」

そんな理由で仕事を放り投げて良いのだろうか。

「で、念願のゆうきに会って感想は?」

「文句のつけ所がないくらい綺麗だね。正に美少年。つくりものみたいだよねえ」

自分の容姿は気に入っていないし、それについて語られるのも不快だ。
けれどこんな年上で、しかも理事長様相手に喧嘩を吹っ掛けるわけにもいかない。
大人しく流したほうが得策だと思い黙り込んだ。

「真田君、突然仁に連れてこられたんだって?何も用意してなかったんじゃない?明日にでも買い物に行こうか?」

きらきらと輝く瞳を向けられて曖昧にぎこちなく首を横に振る。
なにがそんなに楽しいのかは知らないが、前のめりに迫られて自然と身体が引いてしまう。

「残念。親父が来るって聞いたから一足先に行って来た」

「なんだ。つまらないな」

親子の会話は意味不明だし、もともと口下手なので余計な発言をしないように、ひたすら料理を口に運んだ。

「親父と一緒に買い物したらゆうきが怖がって逃げるだろ」

「怖がることはしないよー」

「…こいつな、女装させんの好きなんだよ」

こっそりと木内先輩が耳元で囁いた。それにドン引きしたのはいうまでもない。
変な趣味、といっていたのはこのことだったらしい。

「私は娘もほしかったんだ。小さい頃は仁によく着せたものだよ。でも私に似て可愛い顔してないからいまいちでねえ。真田君、いつでもうちの養子になっていいのだよ?」

それなら黙って息子が嫁をもらうまで待っていろ。心の中だけで突っ込む。

「……丁重にお断りさせて頂きます…」

「はは、おもしろい子だ。その独特の雰囲気も君の容姿に合っていて私は好きだな。益々気に入ったよ。夏休みの間はここにいるのかい?」

「その予定だ」

「そうかそうか。折角だから別荘でも行くといい」

「気が向いたらな」

「真田君、学校で困った事があったらいつでも理事長室へおいで。力になってあげるよ」

「…はあ」

「親父の所なんかに行ったら着せ替え人形にされるのがオチだからやめておけ」

「真田君が嫌がるならしないさ。これからは学園行事にもちゃんと参加しよう。誰も私の顔を覚えてくれないからね」

「そりゃそうだろ。ほとんどいねえし」

「仕事が忙しくて中々ね…」

ここまでで気付いたのは親子仲が良好だということ。
先輩のことだから万年反抗期なのかと思いきや、実際はその反対だった。
氷室先輩とは口喧嘩もしていたが、理事長とはにこやかに会話がすすんでいる。
きっと、とても素敵な父親なのだろうと思う。
優しさと愛をたっぷりと息子たちに注いでいる気がする。
自分の父親と比較して、比較対象にもならないと頭の中で打ち消した。

食事を済ませてからも、緑茶を飲みながらしばらく会話を楽しんだ。自分は聞き役に徹していたが。

「そろそろ行くか。親父もこんなとこで遊んでる暇ないだろ?」

「ああ、残念ながらまた戻らなければいけない。暇を見つけて帰って来るから、そのときはおじさんの話し相手になってくれよ、真田君」

「…はい。ご馳走様でした」

軽く頭を下げて食器をシンクへ運んだ。
佳代さんはそんなことはしなくて良いと言うけれど、こうする習慣があるし、それが佳代さんの仕事だとしても自分まで甘えるのは申し訳ない。

二階の自室へ戻ってソファに座る。
今日も色々と疲れた。ここへ来てから毎日ちびちびと体力と精神を削られている。
ぼんやり外を眺めながら携帯に手を伸ばした。
友人たちからメールが来ており、それぞれに短く返事をしてまた放り投げる。

その後は風呂に入れと呼びに来た先輩に促され、風呂に入った後は彼の部屋へ向かった。
毎日風呂上りに来るように言われているからだ。
何度も達した倦怠感に包まれながらも、今日は自分の部屋へ戻るために上半身を起こす。
パジャマを身に着け無言でベッドから降りると後ろから腕を引かれた。

「どこに行くんだ?」

「部屋。眠いし」

「もう少しここにいろよ」

「嫌だ」

「聞きたいことがあるんだよ」

強引に引っ張られ、ベッドに転がるように背中から落ちた。相変わらず乱暴だ。
呆れて溜息を吐きだす。

「聞きたいことってなに」

ベッドヘッドに上半身を預けている彼に向かい合わず、ベッドに腰掛けて首だけそちらを向いた。
俺自身には興味がない、退屈だから抱くのだはっきり宣言したくせに、今更なんの用だと苛立つ。
退屈凌ぎの玩具ならば踏み込んで欲しくない。
ただ好きなように抱き、飽きたら放っておいてほしい。身体だけの関係ならそんなものだろう。お互い会話を楽しむタイプでもない。
ベッド脇にある間接照明だけが仄かに顔を映し出す。

「お前って最初からそうだったの?」

「そうって?」

「なんでそんなに簡単に諦めて抱かせるんだってこと」

最近やたらとこれにつっかかる。
どうでもいい。関係ない。何度も言っているけれど彼は諦めてくれない。

「…あんたの相手してる間は嫌ならやらねえよ」

そもそも好き好んで抱かれていたわけではないが。
今でも無理矢理組み敷かれれば逃げるのは困難だと思う。
自分はあまり身体が大きくないので力の差は歴然で、もがけばもがくほど手酷く扱われるのが嫌なのだ。
それならば最初から無駄な抵抗をしなければいい。
ただ僅かな時間、歯を食いしばって耐えればすむのだから。

「俺が言える立場じゃねえけど、普通男に抱かれるの嫌だろ。お前ゲイってわけじゃないんだろ?」

「さあな。男も女も好きになったことない」

「それマジで言ってんの?」

心底驚いたように言われ、変な発言をしたかと首を捻る。

「中学から男子校だし、歳が近い女と話す機会もないし…別に普通だろ」

「いや、幼稚園の先生が初恋とかさ。小学校の同級生とか、色々あんだろ」

言われてみれば男の初恋はそのあたりで迎えるのかもしれない。
けれど、自分は興味がなかった。女も男も、他人に関心を寄せた覚えがない。
そんな穏やかな心境ではなかったし、地獄の日々を生き抜くので精一杯だった。
甘酸っぱい経験をする余裕など残っておらず、心は父親に怯えてばかりで早く大人になって家を出ることばかり考えていた。

「…そういうのむいてない」

「お前、東城来る前なんかあったな」

先輩の顔をちらりと見れば暗闇にも負けない眼光が突き刺ささる。
その瞳からは逃れられないのを知っている。金縛りにあったようだ。

「言いにくいことか?」

「…あんたには関係のないことだし、何もない」

「そうは思えねえけど。なんっつーか…お前生気がまったく感じられないし。生きてんのに死んでるみたいな。何にも目に映ってないかんじ」

図星すぎてなにも言い返せない。
こちらに興味がないと言ったくせによく見ているものだと感心もした。

「だからなんだよ。俺のなにが知りたいの?知っても知らなくてもやること同じなんだから別にいいだろ」

段々と苛立ちが燻る。怒るのは嫌いだ。エネルギーを必要とするし、感情が乱されて自分を制御できないから。
木内先輩がなにを考えてこんな質問をするのかは知らないけど、お願いだから放っておいてほしい。
傷をほじくられたくないし誰にも何も知られたくない。
俯いているとふいに先輩のてぐしで髪の毛をさらりと耳にかけられた。

「お前のことが知りたいんだよ」

その瞬間、怒りのメーターが振り切った。人を散々振り回して、身体も心も好き勝手扱うくせにそれでも満足などしない暴君に。
どこまで自分を曝け出せというのだ。すべての不幸を見てせせら笑いたいのか。
すべてを手にしている彼は、なにも持っていないちっぽけな自分を揶揄して遊びたいに違いない。
ひどく惨めだ。
男の相手をするのは幼い頃からの習慣で、相手が変わってもそれ自体はなくならない。こんなことには慣れていると意地を張っていた。だけどそんな自分が憎くてたまらなかった。
薄っぺらい自尊心をぐしゃぐしゃに踏み潰して、両手で引き裂いて、何もかもを奪われていくようだ。
元々手には最低限の小さなものしか持っていないのに、それすら持つのを許されない。

馬鹿馬鹿しい。そんな要求にまで付き合っていられない。

先輩の腕を振り払い大股で部屋を出た。自分を呼ぶ声がしたが知らん顔で客間へ戻る。
苛立ったまま派手に扉を閉め、タオルケットに頭まですっぽりと包まった。
あの男は本物の悪魔だ。容赦や慈悲はない。
痛いところを何度も何度も突いてきて、ばらばからに壊すつもりだ。
そして壊しっぱなしで放置して、直そうとせずに去るだろう。

感情が大きく揺さぶられるとすべてを憎んでしまう瞬間が、なにかの拍子でやってくる。
こうなった自分はとても面倒だと知っている。
だから怒りたくないし、悲しみたくもない。
いつも平坦で一定でいたくて、喜怒哀楽など必要ない。
すうっと心も身体も冷えていき、世の中すべてが下らないと吐き捨てたくなる。
周りの人間と関わることに嫌気がさす。
わかり合う努力とか、そんなものはクソ喰らえだ。面倒なことばかりで心の平穏が崩れていく。
誰もいない場所でひっそりとたった一人で生きていたい。
誰にも迷惑をかけず、誰からも干渉されず。寂しくたってその方がずっと楽だと思う。
ぎゅっと瞳を瞑り、苛立ちが消え去るように願う。そのとき扉が開く音と共に足音が近付いてきた。芋虫のように身体を小さくするとベッドが沈む感覚のあと、布の上から優しく撫でられる。



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