5


バーチカルブラインドから差し込む細い太陽の光りが鬱陶しくて、薄っすらと瞳を開けた。隣に人の気配がしてちらりと見れば木内先輩の寝顔がある。
木内家に滞在して数日が経過したが、客間で眠ったのは最初の日だけで、それからは眠るときも呼び出されるようになった。
誰かと眠る行為に慣れず、なんとなく寝不足な日々だ。
朝目覚めて一番に見るのが木内先輩というのも気が滅入る。
今日という日を楽しみにできない。
また朝がきてしまったという憂鬱に支配される。
常に黒いなにかを背負いながら生活をしていて、ぐちぐちと溜まる不満もメーターを振り切りそうだ。

壁掛け時計に視線を移せば昼を優に過ぎていた。いくら夏休みでも自堕落な生活を送り過ぎだ。食べて寝てセックスをしてその繰り返しばかり。
こっそり溜め息をつけば部屋をノックする音が室内に響いた。
びくりと肩が強張る。男二人で仲良くベッドはいくらなんでもまずいと思った。
上半身はTシャツを身に着けているが下半身は下着だけだし、木内先輩は下着しか纏っていない。
慌ててベッド下に放り投げられていたパジャマのズボンを履いた。
ノック相手が誰かはわからないが急いで扉へ向かい対応をする。

「ゆうき君おはよう」

「…おはようございます…」

寝惚けで冴えない表情と、昼過ぎなのにまだだらしない格好をしているが、そこは許してもらいたい。

「起こしちゃったかな?」

首を傾げながら問われ、軽く否定した。
氷室先輩はちょっとごめんと断ると木内先輩の元へ一直線に向かった。

「仁!起きろ」

「……あ?何だよ、うるせえな」

「今日父さんが帰ってくるそうだ。ゆうき君に是非会いたいってよ」

氷室先輩を目を丸くしながら見上げた。
ついにきたか、ラスボス。
いつかは顔を合わせると思っていたが面倒くさいの文字が頭の中を流れていく。

「…あ、そ。勝手にしろ。今何時?」

木内先輩は興味がなさそうに欠伸をしながら上半身だけを起こした。

「昼の二時過ぎたとこ」

「…久しぶりによく寝た…」

「仁、お前課題ちゃんとやってるのか?あまり酷いようなら容赦しないぞ」

「あーあー、朝からうるせえ」

「もう朝じゃなくて昼だぞ」

木内先輩は苛々としながら頭を乱暴にかいた。

「わかったから早く出てけよ」

「はいはい。弟が全然言うこと聞いてくれないのでお兄ちゃんは出て行きますよ」

木内先輩の暴言にもひるまず、揶揄するような口調で氷室先輩は部屋から出て行った。
この兄弟のやり取りを見ているときだけは楽しい。
やられっ放し、言われっ放しで木内先輩が負け続けているからだ。
氷室先輩は一枚も二枚も上手で、木内先輩が歳相応に子供らしくみえる。

「あーあ」

木内先輩は今日も負けてしまったので、ご機嫌は斜めのようだ。ズボンだけを履きバーチカルブラインドを開けるためにリモコンを操作している。
自分は徐々に明るくなっていく室内に顔を顰めながらソファに座った。
彼はなおも欠伸を交えながら気怠そうにウォークインクローゼットの扉を開け、適当にTシャツとジーンズを身に着けて戻ってきた。

「なあ、あんたの親父帰ってくんの?」

「みたいだな。涼たち以外の友達なんて珍しいから会ってみたいんだろ」

「…友達じゃない…」

小さく反抗して唇を尖らせた。
かといって恋人でもないし、ただの知り合いというのも違う気がする。
セフレという言葉が一番しっくりくるけれど、未だに先輩と最後まですることもない。
どんな関係にもあてはまらなくて、ほとほと自分は一体なにをしているのだろうという気分になる。

「じゃあセフレですって自己紹介するか?」

「ふざけんな」

「何時に戻るかわかんねえけど、一応着替えておけ」

隣に腰かけた彼をちらりと窺う。

「…服がない…」

「ない?」

驚いたようにこちらを振り返られて俯く。
何もいらないというから数枚のTシャツしか持ってこなかった。
それらを佳代さんに洗濯させるのも気が引けるので鞄にしまったままだ。

「今から洗濯してもらうか。その間はでかいけど俺のを着ればいい」

折角の提案にも頷けない。
まさかこんなにお金持ちの出身だとは想像していなかったし、襟のついたシャツなんて持ってこなかった。
よれたみじめったらしい衣服しか持っていないし、そんな姿では汚い野良猫のようにしっしと追い払われてしまうかもしれない。
それならばそれで、ここから脱出できるけれど。

「…でも、俺汚い服しか持ってないし、あんたの親びっくりするかも…」

恥ずかしくて語調が弱くなる。
だから金持ちなんて大嫌いだ。そういう人たちの瞳に自分がどんな風に映るか知っている。
木内先輩は自分の出生を知らないけれど、身形を見ればなんとなく想像もできると思う。

「別に親父普通だぞ。厳しくもないし、そこいらにいる普通の中年親父」

彼はそう言うけれど、それは息子からみた視点であり、他人の自分をどう思うかはわからない。
色褪せたTシャツを思い出しては気分が塞ぐ。

「ちょっと変わった趣味はあるけど…まあ、お前に会いたがってる理由はそれだろう。兄貴が綺麗な子が来てる、なんて言ったんだろどうせ」

言っている意味がわからなくて首を傾げる。

「まあ、それは後々わかるだろうから、とりあえず買い物行くか。車出してもらうから」

「…でも……」

「でも、なんだ?」

「…俺、あんまり…その、金とか持ってないから…」

こんなことを白状するのも恥ずかしいが事実は事実だからしかたがない。
服もなければ金もない。木内先輩とは住む世界が丸きり違う。

「買ってやるよ」

「いいよ。いらない。あんたの服着てるから…」

サイズはまったく合わないが、それならばみすぼらしくないだろう。
洗濯をしすぎて生地が薄くなった自分の服を着るよりは幾分ましだと思う。

「お前な、今のうちに買っといた方がいいぞ。後で後悔するから」

「なんで?後悔なんてしない。あんたに買ってもらう義理もない」

「バイト代だと思えばいいじゃん。ここにいるバイト代」

ならば現金でもらった方が嬉しいが、それでは援助交際のようだからやめておこう。

「とにかく行くぞ。しょうがねえから昨日の服に着替えて来い」

納得できずに口を尖らせると早くしろと言わんばかりに背中を叩かれた。
反論すれば無理矢理連れて行かれるだけだろうし、仕方がないので着替えを済ませて車に乗り込んだ。

着いたのは都心の百貨店だった。
暑さと人の多さに車から出るのが戸惑われる。
すでにぐったりと肩を下ろすと腕を握られた。

「お前人に流されて迷子になりそう」

そこまで小さくないと反論したが、そういう意味ではないと頬を抓られた。
人をかき分けるようにぐんぐんと進む先輩に一生懸命着いて行った。
あっちだ、こっちだと様々な店へ連れて行かれては試着室に放り投げられる。
着替えて見せれば唸りながら彼が気に入った物だけを購入する。
そんな調子で上から下まで揃えたときにはくたくたに疲れていた。
一つでいいと言っても聞き入れてもらえず、折角だからとたくさん購入してもらった。
これで数年は何も買わずにいられるかもしれない。
お洒落に気を遣う女性ではないので、このブランドの価値もよく理解はしていないけれど。
帰りの車中では脱力しきって重い頭を右手で支えた。

「楽しかったか?」

「…すげー疲れた」

「お前は綺麗なんだから、もっと着飾った方がいい」

「別に今のままでいい。服なんて着れればなんでもいいし」

「欲がねえなあ…」

困ったように言われたが、自分の経済状況では物欲など持っても苦しいだけだ。
それを理解しろとは言わないし、できないだろうけど、自分にも物にも無頓着だ。
それが行き過ぎていい加減髪を切れと楓に叱られたときがあったと思い出す。
だいたい、今回は特別自分の持ち物を恥ずかしく思う場面に遭遇したが、普通に生活していればそんな羞恥を覚える必要もなかった。
木内先輩と共にいるとなにからなにまで、自分に不都合が舞い降りる。
やっぱり嫌いだし、疫病神に違いない。

家に着く頃には夕食の準備が始まっていたようで、いい匂いが玄関まで漂っていた。

「ただいま」

「おかえりなさいませ。もう少しで夕食ですから。旦那様もお待ちですよ」

「わかった。荷物置いたら下がるから」

ついにお父様とご対面だ。
金持ちといえば、鼻に掛けたような横暴な態度しか想像できない。
対面したことがないのであくまでもイメージだけれど。

沢山の紙袋をまとめて客間に置いた。与えられたものに着替えて自分の服は鞄に突っ込む。
たかがセフレの親に会うだけで、何故こんな努力をしているのだろう。
何かがおかしいぞと段々苛立ってくる。

「おい、行くぞ」

途方に暮れていると更に追い討ちを掛けられる。
首根っこを摘まれて追い出されたら、そのときは素直に帰るけれど、できればそんな扱いはしてもらいたくない。
貧乏人で蓮っ葉で、両親も自慢できる人ではなくて、すべてのコンプレックスを刺激されている気分だ。

緊張しながらリビングへ向かうと、ソファでくつろぎながら新聞を読む紳士がいた。
ロマンスグレーの髪は老いを味方にしているようで逆に品がある。
険しい表情をしているので、やはり厳しい人かもしれない。

「親父、会いたがってたゆうき」

声を掛ければ新聞から勢い良く顔を上げ、こちらを見て破顔した。
険しい雰囲気から一転、とても優しそうな印象に変わった。
木内先輩は父似のようだ。切れ長の瞳や高い鼻梁がそっくりだ。
顔に刻まれた皺で随分柔らかくはなっているが。

「真田ゆうきです」

身体を九十度に折り曲げると弾んだ声が降ってくる。

「君が真田君か。やっと会えたね」

ソファから腰をあげ、こちらに近付くと右手を差し出された。
暫く呆然とし、やっと理解して慌てて握手をする。

「一から真田君が家にいると聞いて楽しみにしていたんだ。想像の何倍も綺麗な子だね」

とても幸福そうに笑うので、容姿に触れられても嫌悪感は湧かなかった。
こんな年上に言われれば張り合おうという気さえしない。
とりあえずは摘み出されることはないようで、一気に身体から力が抜けた。

「とりあえず、先にご飯でも食べようか。急いで帰ったものだから何も食べていなくて」

ぎこちなく頷き昨晩と同じように席についた。
今日は氷室先輩の姿はない。

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