3

氷室さんと入れ替わるように今度は木内先輩がソファに座る。
様々な情報を整理するのに、眉間に知らず知らず皺が寄っていたようだ。

「何でそんな恐い顔してんだよ」

「…先輩が何も話さないから混乱してんだよ」

「何もってなんだ?」

「家のこととか、兄弟のこととか…頭が痛い」

「お前だって自分のこと何も話さないだろ?お互い様だ」

「でも、家に連れてくるなら少しは前もって言ってくれてもいいと思う」

小さな抵抗を口にしながら睥睨した。
こちらは朝から焦ったり驚いたりで一生分動揺した。
けれども先輩は鼻で笑うばかりだ。
言ってもわからないのだと悟ると怒る気力も薄れていく。この人は自分のルールばかりで行動する。相手を思いやる気持ちなど皆無なのだから仕方がない。

「お前には夏休みの間ここにいてもらうから」

「…ずっと?」

「ずっとだ」

「…時間あったら景吾が遊びに来てって言ってた」

「あいつとは学校で腐るほど一緒にいるだろ」

「でも景吾の家族には滅多に会えない」

「じゃあ…もし時間ができたら送ってやるから」

「いい。自分で行く」

「遠慮すんなよ」

「してない」

いきなり運転手付きの高級外車で景吾の前に現れたら自分以上にパニックを起こすだろう。
とやかく詮索されたくもないし、木内先輩との関係も絶対に知られたくない。
可愛くないと先輩がごちるが、最初から可愛くなどないので気にしない。

「じゃあ、夕飯の時間まで好きにしてろ。時間になったら呼びに来る。欲しいものとかあれば俺の部屋に来いよ」

先輩はそう言い残し部屋から出ていった。
自由時間にほっとする。まるで囚人のようだ。牢にしては豪華すぎるが気持ちは同じようなものだと思う。四六時中木内先輩の気分次第で玩具にならなければいけない。
本当なら今頃寮でごろごろ好きなように過ごしていたはずなのに。
木内先輩への恨みをぶつぶつ頭の中で唱えている内に、段々と睡魔が近付いてきた。
室内は適温に保たれているし、雑音も聞こえない。
空間だけは快適なので、一人になれば身体も自然とリラックスできる。
ふらふらとベッドに近付き、横になればふんわりと優しく身体を包み込んでくれる。
ベッドの上だけは天国のようだ。
夕飯まで現実逃避のためにも少し仮眠をとろう。昨晩は景吾に付き合わされて碌に眠っていなかった。


「おい、飯だ。起きろ」

「……いらない。眠い…」

「だめだ。ちゃんと食べろ。ほら」

夢と現実の狭間を行ったり来たりしながら木内先輩に上半身を起こされた。
まだ瞳をしっかり開けられない。ぼんやりする頭はただ眠いと訴えている。

「ちゃんと起きろ」

ぶんぶんと首を横に振ると頭上から溜息が聞こえる。

「抱えてやろうか?」

意地悪に問われ、それだけは嫌だと急いで立ち上がった。

「よしよし」

折角天国にいたのに地獄へ逆戻りだ。
できるなら夏休み中眠り姫のようにずっと眠っていたい。
瞳を擦りながらふらふらと覚束無い足取りで歩く。
ダイニングへ入れば既に料理が並べられていて、氷室さんが待っていた。
どうやら夕食を摂るのは三人だけのようだ。
両親は離婚していると聞いたが、どちらも家にいないようだ。しかしこれは好都合だ。これ以上得体の知れない相手に出会いたくない。

メインのおかずはハンバーグだった。
好みでパンか白米、スープか味噌汁を用意されていた。他にも数品名前はわからないがおかずが並んでいる。
テーブルセットすら完璧で、綺麗に食べなければいけないと緊張が走る。

「いただきます」

「はいはい。どうぞ召し上がって下さい」

キッチンからお手伝いさんが顔を出して微笑む。
優しい笑顔を見ているとほんわかと心の真ん中が温かくなる。自分が今まで与えられなかったものだ。

ハンバーグの味は実に凝っていて、そこらの店で食べるよりも断然美味しかった。
食には興味がないけれど、こんな料理なら毎日食べたい。
これならお金をとれる、なんて下種なことを考えた。

「ゆうき君のお口に合うかな?」

「はい」

「それはよかった。佳代さんに食べたいもの言ってくれれば何でも作ってもらえるから、遠慮しないで言ってね」

「はい…」

佳代さん、とはお手伝いさんのことだろう。
和洋中なんでもお申し付け下さいと佳代さんが力強く頷く。
そう言われるとわくわくしてくる。特に大好物があるわけでもないが、何か探してリクエストしてみようと思う。

氷室さんは気を遣ってか、豊富な話題でさりげなくこちらに話しかけてくれた。
木内先輩とも多少の口喧嘩をしながらじゃれ合っていて、さすがお兄さんだと感動する。
大人の余裕すら感じられ、木内先輩の扱いもとても上手だ。
流石の先輩も兄には敵わないようで、弱みを握れたような気がして心の中でほくそ笑む。

「…食い過ぎた」

夕食を堪能し、自室に戻りベッドに大の字になって腹を手で擦った。
久しぶりの家庭料理にいつもよりも箸が進んだ。一人前すらまともに食べられないくせに、きっちりと一人前たいらげたし、デザートまでご馳走になった。
満腹感は大嫌いだ。具合が悪くなるし、身体が重く自由にならないから。
けれど今日はそれも悪くないと思った。どれも美味しかったし食べる行為がまったく苦痛でなかった。暫くは動けないけれど、美味しいもので満たされた代償としては安いものだ。
できれば景吾にも食べさせたいな、なんて天井を見上げながらぼんやりと考える。

「おい、風呂の準備ができた。入れ」

勿論ノックはなく派手な音をたてながら木内先輩がこちらへ近付く。

「まだ食ったばっかりだ」

「一番風呂は客に入らせるもんだろ?お前が入んねえと誰も入れない」

「いいよ。客なんて大層な物じゃないし。今入ったら具合悪くなるし」

木内先輩はぽっこりとした腹に視線を移して笑った。

「それは具合悪くなりそうだな」

「もう少し落ち着いたら入るから」

だからさっさと部屋から出ていけと言おうとしたが、ベッドに腰掛けられた。

「あれしか食ってないのに満腹か?」

「あれでも食った方だ」

「お前いつも何食って生きてんの?霞?」

「馬鹿か。それ人間じゃねえし」

「ちゃんと一人分食わないからそんな細いままなんだぞ。顔色もいつも青白いし」

「うるさいな。夏は食欲落ちるんだよ」

「ここにいる間で少しは太れよ」

つんつんと腹を指で刺され、急いで手を振り払う。ちょっかい出されたら本当に吐くからなと抗議しながら。

「じゃあ好きなときに風呂入って、あがったらそのまま俺の部屋に来いよ」

無言で睨んだ。夏休み一日目からとか、勘弁してほしい。

「運動もしなきゃだろ」

「…くそ」

口元で悪態をつくがどうせ逆らえない。
だけど素直に頷くのも気に障る。
少しでも時間を稼ごうと思ったが、どうせいつかは木内先輩の部屋へ行かなければいけない。
それならば早く終わらせてしまいたい。そして深い眠りについて一時の天国に逃げる。
ベッドからのろのろと起き上がり、先輩の横を通り過ぎて風呂へ向った。
風呂も充分な広さがあり、湯船の他にガラス張りのシャワールームが完備されている。
湯船にお湯が張られているので、全身を洗った後ゆったりとした温かいお湯に浸かった。
大浴場は行かないし、部屋についている風呂は狭く滅多にお湯も張らないので、久しぶりに足を伸ばしながら湯に入れた。
自然と幸福の溜息が零れる。一日でどっと疲れた身体を十分に休ませた。

脱衣所に用意されていた綿のパジャマはサイズがぴったりで、この家は魔法のように何でも出てくるのだなと感心した。
着替えを済ませてそのまま木内先輩の部屋へと向かう。
いつになったらこんな生活が終わるのだろう。早く飽きて他の玩具を見つけてくれないだろうか。そんなことを考えながら。
窮屈な鳥籠に閉じ込めらえて空を飛ぶための羽根をもぎ取られた鳥のようだ。

扉の前で立ち竦みノックをするのをためらった。
逃げられないけど、どうしても行きたくない。
頭では理解しても身体が拒否反応を起こす。
駄々を捏ねても仕方がない。
意を決して短くノックをし、扉が開くのを待った。

「ちゃんと来たな」

木内先輩は満足そうに頷き、自分は無言で勝手に部屋へ入った。
用意された客間よりずっと広い空間で、他の部屋と同じように落ち着いたダークブラウンや、くすんだ白で整えられていた。
家を空けている時間の方が多いから、不在の間は佳代さんが毎日掃除をしてくれているそうだ。

「なに、この絵」

壁に掛けられたモノクロの絵画を指差した。
アートなどよくわからないけれど、それにしてもこれは何を描いているのか、どんな意味がそこにあるのかさっぱりわからない。
滅茶苦茶に絵の具を混ぜて目隠しをして描いたように見える。

「さあ。親父が勝手に置いてった」

「…ふうん。そういえば親は?」

「今日は帰って来ない。仕事で泊まりも多い。そんなことより…」

背後に先輩の気配がしたと思えばぎゅっと抱きしめられる。

「風呂上りっていいな」

耳元で囁きそのまま耳朶を甘噛みしながら舐められ、次に首筋。

もう少し休んでからとか、せめて髪を乾かしたいとか、不満はたくさんあるけれど、どうせ止めてくれないとわかっているからされるがままを選んだ。

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