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流れる景色を楽しむ余裕もなく、ふと隣にいる先輩を見ると左手で頭を支えながら眠っていた。
よく考えたら寝顔を見るのは初めてだ。いつも眉間に皺を寄せて難しい顔をしているので、あどけない寝顔に多少緊張が解れた。
ズボンをぎゅっと握り、ただ俯く。挨拶はきちんとしなければとか、迷惑をかけないようにすぐ帰れるよう先輩を説得しようとか、ぐるぐると考えていると頭痛が酷くなる。

「…お車に酔いましたか?」

ふと運転席から声が響き弾かれたように顔を上げる。バックミラー越しに視線がぶつかり首を横に振った。

「いえ…大丈夫です…」

「そうですか。もしお身体が優れないときは遠慮なくおっしゃって下さい」

こんなみすぼらしい高校生にも優しく、丁寧に対応する姿にプロは違うと軽く感動する。

小さく深呼吸をして瞳を閉じた。
考えるのに疲れたし、自分は無理矢理連れて行かれる立場だ。
木内先輩の家族に特別気を遣う必要もない。文句を言われたら出ていけばいいだけの話し。
何度も言い聞かせやけになったように眠ろうとした。
結局目的地へ到着するまで眠れなかったけれど。
途中で起きた先輩と言葉を交わすこともなく、再び開けてもらった扉から外へ出る。

「…これは、また…」

大きな家だ。背の高い白い壁に囲まれているのでここからは二階部分しか見えないけれど。
車内から外をまったくみていなかったので、自分が今都内のどのあたりにいるのかわからない。
やっとのことで周囲を見渡せば同じように豪奢な家が並んでいる。
どの家も門や壁で外野から遮断するように作られている。
道路を挟んで家と緑が並んでいて、景観を損ねるような安っぽい看板や店もない。
きょろきょろと挙動不審になってしまう。自分には縁がなさすぎる世界でじんわりと嫌な汗を掻く。

「おい、行くぞ」

声を掛けられ急いで先輩へ近付いた。迷子の子供のような心細さが膨らむ。
壁に埋め込まれた機械に暗証番号を入力すれば柵が自動で開き、先輩が手招きする。
恐る恐る敷地内に入った。
足を止めて家を見上げた。モダンテイストで真っ白と墨色の箱が並んでいるような不思議な形だった。窓は細長いのが数個しかない。

「窓…」

「あ?」

「窓、細長いの何個かしかない」

「…ああ、表からだとそう見えるけど裏はガラス張りになってるとこもあるからちゃんと光りは入るんだ」

「…ガラス張り…」

「中庭が見えるようになってる。ほら、行くぞ」

そんな家は見たことも入ったこともない。
自分が暮らしていた築五十年以上は経過した古くて小さい平屋の借家を思い出す。
本当にこんな家に住んでいる人がいるのかとぽかんとする。
テレビの中でしか見たことがない。
実家周辺の地域にはこんな立派な家は一軒もないし、道路や軒先にはゴミが散らかっていて誰も掃除をしなかった。
電柱には怪しいチラシが張られていたし、野外で眠る人がいることも日常の風景だった。
なおも立ち止まって見上げる自分に焦れたのか、木内先輩に腕を引かれた。
玄関を開ければ暫くして今度は初老のおばさんがぱたぱたと小走りで寄って来る。

「お帰りなさいませ。お待ちしてましたよ」

エプロンで手を拭きながら目尻の皺を濃くしている。

「お友達ですか?」

「夏休みの間こいつもここにいるから、飯よろしく」

「そうですかそうですか。それは作り甲斐があります」

微笑みながら頭を下げられる。こんな扱いには慣れていないので、とても違和感がある。

「お世話になります…」

「来い」

スリッパを出されさっさと歩きだす先輩に着いて行く。軽く家の中を案内された。
中庭を囲むようにコの字型になっており、先輩が言ってた通り裏側は全面ガラス張りだ。
家具や壁は白とグレーとダークブラウンで綺麗に揃えられ、リビングダイニングは二階まで吹き抜けになっている。

「一階のトイレはここで、風呂はここ。二階にもあるから好きな方使え」

呆気にとられているので説明はあまり聞いていない。
二階へ上がる階段を上り一番奥の部屋へと通された。

「ここが客間。好きに使え」

どうやら先輩とは部屋が別のようで安心した。
四六時中一緒にいろと言われたら脱出でもしようかと考えていたところだった。

白いリネンで整えられたベッド。窓際には四角いロウテーブルを挟むように一人掛けソファが置いてある。完璧な配置と配色はまるでホテルのようだ。
荷物を置き、二階も軽く案内してもらって客間へ戻った。
ソファへ座り疲れを癒す。勿論このソファもふかふかで心地良い。
ただガラス張りが落ち着かない。
四角く区切られた窓ならまだしも、これでは外から丸見えだ。
見るとすれば先輩の家族だけだし、敷地外からは見えないように工夫されているけれど。
それでも中庭はとても綺麗だし、都心にも関わらず緑がたくさんでとても静かで異空間の中にいるようだ。
時間の流れが穏やかで外の景色を眺めるだけで飽きない。
暫くそのままぼうっと過ごしていると部屋をノックする音が聞こえた。
短く返事をし、扉を開けると見知らぬ男性が立っていた。
数回瞬きをしていると、どこかで会ったような気がしてくる。

「こんにちは」

「…こんにちは」

「君が仁のお友達?」

「…はあ」

この顔をどこかで見たような気がするのに思い出せない。

「中に入れてもらってもいい?」

にっこり微笑まれ訳がわからないうちに了承した。
その人は一人掛けソファに慣れたように座った。
きっと先輩の家族なのだろう。兄弟かもしれない。
呆然と突っ立っていると座ってよとまた微笑まれる。言われるままテーブルを挟んで反対側のソファに着いた。

「仁が友達を連れてきたって聞いてね。涼たちじゃないって聞いたから見に来たんだ。名前は?」

「真田ゆうきです」

「ゆうき君か。僕は氷室一です。一つ違いの仁の兄です。宜しくね」

「…はあ」

兄弟だと予想はしていたが、顔の造りも纏う雰囲気も似ていない。
どちらかと言えば須藤先輩と兄弟と言われた方がしっくりくる。

「…氷室…?」

苗字が違うことに遅れて気付きつい、口に出してしまった。
事情があるのだろうに、土足で踏み込んでしまったようで小さく謝って俯いた。

「はは、謝らなくてもいいよ。うちの両親は離婚していて、木内は母方の姓なんだ」

「…そうなんですか」

この数時間で木内先輩の新しい情報が次から次へと流れてきて処理しきれない。

「ゆうき君も東城だよね?」

「はい」

「そっか。一年生と三年生は校舎も寮も遠いからなかなか会う機会ないよね」

「じゃあ氷室さんも?」

「一応、生徒会長をしているんだけど…入学式の時に見なかったかな?」

言われて漸く思い出した。確かに入学式で祝辞を読んでいた。
まともに聞いていなかったし、半分は眠っていたので記憶は曖昧だけど。
生徒会とは無縁だし、木内先輩は一言も言ってくれないし、苗字も違うし、ああ、混乱してきた。

「すいません、忘れてました…」

「素直な子だね」

「何やってんだよ」

木内先輩の声が響いてそちらを見れば不機嫌そうに眉を寄せている。
いつの間に入ってきたのか、気付かなかった。

「仁のお友達が来たって聞いたから、挨拶をしに来たんだ。綺麗な子だね。こんな子が一年生にいるなんて、知らなかったな」

「ちょっかい出すなよ」

氷室さんは揶揄するように笑いながら、木内先輩へ近付いた。

「そんなに睨まなくても大丈夫だよ。綺麗なモノはガラスケースに入れて眺めたいタイプなんだ」

「どうだか?」

「相変わらず可愛くないなあ。じゃあね、ゆうき君」

「…はい」

ひらひらと手を振る氷室さんに頭を下げた。


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