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あれから数日経っても答えは出ない。ただ須藤先輩の言葉を繰り返しなぞった。
楓と一緒にいればいるほど八方塞になり考えることを放棄したいと思った。
楓を悲しませたくない。でも須藤先輩とも仲良くしたい。

強欲は身を滅ぼす。
幼い頃チョコレートとバニラのアイスを一本ずつ父親に購入してもらった。
どちらか選びなさいと言われたがどうしても決められずに泣き出し、仕方がないのでどちらも購入してもらった。
それがとても嬉しくて、両手にそれを持ってまずはバニラから食べた。
急いで食べると勿体無いからゆっくりと時間をかけていると、チョコレートアイスが溶け出した。
終いには棒からすべてが崩れ落ち、大泣きしている間にバニラのアイスも消えてしまった。
今の僕はその頃から何も進歩していない。
どちらも欲しいと強請るばかりだ。けれど、結局は自分の手に余りそのどちらも失う羽目になる。

須藤先輩と楓を天秤にかければ間違いなく楓の方が大切だ。それなのに須藤先輩に断りに行けないのはどうしてだろう。
頭ではわかっているが気持ちがついていかない。次須藤先輩に断ったなら、先輩はそれを了承するだろう。僕が望む通り他人でいてくれる。望んでいるはずなのに、それが酷く悲しい。
皆には心配を掛けないように無駄に明るく振る舞ったが、ぷつりと糸が切れるように自失する時間も増えた。

「最近元気ないな…何かあったか?」

いつもの昼休み、今日は天気がいいからと中庭でご飯を食べていると、ゆうきに聞かれた。
楓と景吾は早々にご飯を食べ終え、サッカーボールで遊んでいる。

「…ちょっと悩み事…」

「俺には話せないこと?」

ゆうきは無口で無表情だが皆をよく見ている。機微にも聡く、さりげなく助け舟を出そうとしてくれる。恩着せがましくはなく、無理にこじ開けるようなこともしない。僕たちの中で一番大人で、凪いだ海のように静かな雰囲気がとても安心する。
ゆうきに苦笑を向ければ瞳を覗きこまれた。

「無理に話す必要はない」

一人で延々と答えのでない問題を抱えるのも限界だった。思い切ってすべてを話した。

「…なるほど。そんなことがあったんだな。蓮は須藤先輩のこと、どう思ってる?」

「どうって、ただの先輩だよ?」

「ただの先輩なら、楓と天秤にかけるまでもないんじゃねえの?」

「それは…確かに先輩には憧れてるけど、好きとかそういうのはないよ。僕は楓が好きだから」

それは嘘偽りがない正直な気持ちだ。須藤先輩に向けられているのは憧憬で、好きなのは楓だけだ。

「そっか…俺は、別に須藤先輩と仲良くしてもいいと思うけど。蓮には蓮の人生があって、それはいくら恋人の楓でも、どうしていいって訳じゃない。楓には悪いけど、俺はそう思うよ。何があってもお前の味方だから、自分の思うようにしろ。な?」

くしゃりと僕の猫っ毛を撫でたゆうきは薄らと微笑んだ。
どうせまだ悩み続けるのだと、ゆうきには知られていると思う。それでも、第三者の立場から意見してもらえて、マーブル模様の心が多少軽くなった。
自分の気持ちや意志すらも突き通せないなんて、つくづく自分が嫌になる。

「……うん、ありがと」

自分の問題だ。自力で打開しなければならない。高校生にもなって泣いて喚いて助けてくれる人はいない。
こんなとき、楓が力になってくれた。どうにかなるからと励まし続けてくれた。
どれだけ楓に寄りかかっていたのか思い知らされる。
それも卒業しなければならない。痛みを伴うとしても自分の足で立たなければ。
楓に依存してばかりもいられないのだから。

その日の放課後、浅倉先生に頼まれ事をお願いされた。皆には先に帰るように言い、仕事を急いで終わらせて皆の後を追った。
とっくに寮へ帰っていると思ったのだが、寮の門付近に楓の姿があった。嬉しくなって、声を掛けようと近付くとその隣には香坂先輩もいた。
何故か声を掛けられなかった。
あんなに香坂先輩を嫌悪していたけど、今目の前にいる楓は悪態をつきながらもじゃれ合っているように見えた。
香坂先輩に妬いているわけではない。誰が相手でも、仲は悪いより良い方がいい。
でも何故か気持ちがさわさわする。この気持ちをなんと説明すればいいのか、言葉には変えられない。
色んな感情が急速に圧し掛かり眩暈がした。
じりじりと後退し、ついにはその場を離れた。

寮の前の坂道をとぼとぼと下る。何処にも行くあてもないし、田舎では行く場所も限られている。
漫画喫茶でもあれば一人になれるし時間も潰せたが生憎そういうものはない。
あるのは緑豊かな公園とコンビニくらいだ。
仕方がないので公園のベンチの上に腰を下ろす。
冷えてきた頭で何故逃げ出したのか考える。楓が香坂先輩に絡まれるのはいつものことで、何ら特別ではない。嫌がっているし、香坂先輩に嫉妬などしない。
それなら、僕は何が気に入らないのだろう。どうしてこんなに釈然としないのだろう。
ばらばらになったパズルのピースを探して型に嵌めようとしたが、パズルはなかなか完成しない。
それから何時間そうしていただろう。まだ日の入りが早い春先、あたりはもう暗闇に包まれていた。
漸く我に返り、それと同時にとても寒くなる。
とりあえず、そこのコンビニで温かい飲み物でも購入して、もう暫くしたら寮へ帰ろう。
楓は心配してあちこち探し回るかもしれない。
頭ではわかっているが、その場を離れる気分にはどうしてもならない。

「…夏目君?」

頭上から降ってきた声にのろのろと顔を上げた。
コンビニの袋をぶら下げた須藤先輩が怪訝な顔で覗き込んでいる。

「須藤、先輩…」

「制服のままで…ここで何してるの?」

「……いえ、何でもないんです…」

苦笑しながら視線を下に向けた。今の僕はとても酷い顔をしていると思う。

「…何でもなくはないだろう…」

須藤先輩が隣に座る気配がした。

「とりあえず、これどうぞ。温かいコーヒーだよ」

コンビニ袋をがさがさと漁り、膝の上で両手を組んでいたところにすっぽりとおさめた。

「…ありがとうございます…」

缶の温もりにじんわりと心も温まる。
一人きりになりたかったけど誰かに見つけてもらえれば安心する。
矛盾に心をかき回される。

「何か、あったのなら聞くけど…楓君と喧嘩でもしたかな?」

「いえ…喧嘩なんて」

喧嘩になりえる枝はすべて僕が摘んでいく。波風立てず、平和に平凡にゆるやかに楓と過ごしたい。今までずっとそうしてきた。思いもよらないことで楓の機嫌を損ねることはあったが、表面上を取り繕って口論を避けてきた。
根本は何も解決しないまま、嫌われたくない一心で自分の意見は簡単に捨てた。
楓に合わせていた方が楽だし、我慢できる範囲ならば言う通りにしていれば余計な問題も起こらない。
喧嘩をしてまで自分の意見を押し通すほど譲れないものなど一つもなかった。
今までの関係をちらほらと思い返すと、随分情けないと思った。
そもそもそんな風でつきあっていると言えるのだろうか。

「……とりあえず寮へ帰らない?随分身体も冷えていそうだし…」

ぴくりと肩を震わせる。まだ、楓の顔をまっすぐ見る自信がない。

「…よかったら僕の部屋へ来る?」

ありがたい提案に何も考えずに頷いた。

先輩と仲良くしない。楓が嫌がるから。
当然の思考がなんだかおかしく思えてきて、急激に頭が覚めていった。

「ここが僕の部屋だから。同室は涼。でも、あいつはあんまり部屋にいないから気にしないであがって」

「はい…」

先輩の部屋は綺麗に整理されていて、物自体が少ないように思えた。生活感があまりないように見える。
リビングを同室者と共同で使用し、それぞれに寝室もある。
中等部や一年生まではそんな贅沢はなく、集団行動を身体に叩きこまれる。
しかし高校二年にもなれば受験も近付くし、漸く個人の空間を与えられる。
先輩の個室にはいかず、どうせ涼は帰ってこないからとリビングのソファに着いた。

「…もしかして、この前僕が言ったことかな…?」

探るように問われ曖昧に笑う。
自分の問題の答えを須藤先輩が持っているわけはないし、本人に相談するわけにもいかない。誰に縋っても仕方がない。
ただ今は説明できない激情を治めたいだけだ。

「言って楽になるなら、僕で良ければ聞くよ」

呆然と先輩の笑顔を見詰めた。楽になるのだろうか。説明するのも難しい気持ちを他人に告げる方法が見当たらない。どう言葉に変えればいいのかわからない。

「あの……じゃあ、聞いてもらってもいいですか…?」

どちらにせよ、このまま楓を避けるわけにもいかないし、藁にもすがる思いで先ほどの光景とその場から逃げ出したこと、全てを告げた。
上手く説明ができずに困惑させたかもしれないが。

「…それは、嫉妬じゃないの?」

「いえ、嫉妬ではないと思います。あの二人が仲良くするのはいいことだと思うし…」

「でも、涼は楓君にキスまでした相手だよ?今だって、楓君に迫ってる。その二人が一緒にいて嫉妬しないの?」

「はい、二人が一緒にいても嫌だと思わないんです。でも、何て言ったらいいのかわからないんですけど…」

空を見詰め適切な答えを探した。嫉妬ではないのに、何故苛立ったのだろう。

「……ただ、楓が羨ましかったのかもしれません…」

「羨ましい?」

「はい…自由でいられて」

「…君はそんなに不自由なの?」

先輩に言われてはっとした。
あの二人が仲良くなるのは良いことだと思う。けれど、何だか理不尽な気がして、自分は何の為に悩んでいたのかと馬鹿馬鹿しくなった。
不自由を選択したのは自分で、楓に落ち度など一つもないのに理不尽だと喚くのは勝手だ。
表面ばかりを取り繕って、嫌な問題から顔を背け続けたツケが回ってきただけだ。
すとんと答えが降ってきた。

「先輩ってすごいですね…なんか、わかった気がします」

「いや、僕は何もアドバイスしてないよ」

「いえ、先輩に話しを聞いてもらえてよかったです」

「そう。役に立てたならよかったよ…」

最後にまた温かい紅茶を淹れてもらい、先輩の部屋を後にした。
再度お礼を言えば、行き詰ったときはまた来るといいと微笑んでくれた。
とても、救われた気がした。
これで楓と顔を合わせられる。結局何事もなかったかのように過ごすのだろうけど。
楓が世界の中心であることに疑問を持たなかった。それが当然だと思っていた。
けど、それではいけないような気がする。
僕の意思や僕の感情がどっと胸に溢れた。どこかに忘れていたそれらはじわじわと身体を蝕むだろう。
今までと同じように楓と過ごせなくなるかもしれない。
そんな予感がした。

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