6


意気消沈する自分とは正反対に、真琴は久しぶりの学校を楽しんでいるようだった。
もう誰の目を気にする必要もないという解放感が喜びを大きくしているのだと思う。
自分がもう少し口上手だったら、三上君が話を聞いてくれたかもしれない。
思いあぐねるが、過ぎたことは仕方がない。
三上君の件は諦めるとして、できる限りをしよう。
兎に角、早く元気になって欲しかった。

「蓮、早速だけど行こう」

授業をすべて終え、鞄に荷物を適当に詰め込みながら席を立った。

「何買うの?」

「うーん、やっぱり菓子折りとかかな?」

「お菓子かー…」

となると何処が良いだろうかと昇降口に歩きながら考える。
あまり好んで外出するタイプではないため、美味しいお店や流行にも疎い。
よく外出する楓や景吾に聞いてみようかと思ったが、景吾はまだしも楓は甘党ではないし、菓子の店はわからないだろう。
景吾も質より量だと豪語するくらいで、安く大量に食べられる物を好む。
秀吉やゆうきもそういった類の店は無関心だろう。
女の子の友人でもいればこういう時にとても心強いのだが、男子校で生活していると、女性と触れ合う機会などなく、友達を作る余裕すらない。

「美味しいお店とか何処だろうね。あんまりお菓子買わないからわからないな」

隣の真琴を見れば右に同じくいう返事。
誰か相談に乗ってくれる適任者はいないだろうか。
頭の中に友達から知り合いまで順に顔を浮かべてみる。

「…あ!神谷先輩がいた」

「…神谷、先輩…?」

「うん、神谷先輩に聞いてみよう。お茶とかお菓子とかよく食べてるし、なんかそういうの知ってそうじゃない?」

早速鞄から携帯を取り出し、神谷先輩の番号は知らないため秀吉に電話をかけた。
何コール目かでつながったそれに、美味しいお菓子屋さんを教えて欲しいと話せば丁度神谷先輩と一緒にいたようで電話を代わってくれた。
神谷先輩にも同じ説明をすれば、遠くてもよければ、とお勧めを教えてくれた。
住所をメールしてくれると言う言葉に何度もお礼を言い、電話を切る。

「和菓子のお店教えてもらったよ」

「和菓子?意外だね。神谷先輩も食べるんだ」

「ああ見えて日本人だしね…」

「ワイン以外飲みませんから。みたいな見た目だけどね」

想像すると笑えてくる。そんな高飛車な人ではないが、確かに見た目だけなら。

「遠いらしいけど大丈夫?」

「大丈夫だよ。こういう機会じゃないとあまり出掛けないしさ」

「僕も。じゃあ行こうか」

電車に乗り、他愛ない話をしながら何度か乗り換えをする。
住所や地図を見ながら四苦八苦してどうにか店に辿り着き、迷う真琴にアドバイスをしながら買い物を済ませて同じルートで寮へ戻る。
寮に着いた頃には九時を回っており、ファストフードで夕飯を済ませてよかったねと安堵して笑った。

「部屋に帰らないでそのまま渡しに行きたいんだけどいい?」

「いいよ。誰に渡すの」

「須藤先輩と、甲斐田君」

「じゃあ拓海から渡そうか」

「うん。蓮と一緒じゃないと須藤先輩には渡す勇気ないし…」

「怖い人じゃないよ?」

「それはなんとなくわかるけど、先輩だし緊張するじゃん…」

真琴は自分以上に人見知りらしい。先輩など交流をまったく持たないので委縮するとぼやいた。自分も始めの頃は拓海が怖かった記憶があるので、その気持ちはわかる。
優しげな雰囲気と笑顔ではあったが、緊張したし慣れるまで大変な思いをした。

「じゃあ一緒に行こうか」

真琴を拓海の部屋に案内し、緊張の面持ちを見せる真琴に大丈夫だよと微笑む。
こんこん。二回ノックをして返事を待ったがなかなか扉は開かない。

「…いないのかな」

いつもならノックをすればすぐに顔を出してくれるけど。

「もしかしてお風呂とかかもしれないね」

「ああ、そっか。連絡しておけばよかったね。念のためもう一回」

今度は先ほどよりも大きめにノックした。
すると、扉の向こうからはいと返事があったものの、遠くから聞こえるそれに何かあったのかと疑問に思う。

「拓海ー?」

勝手に開けるのも気が引け名前を呼んだ。

「蓮?ごめん、勝手に入って来て」

何か手が放せない状況なのかもしれない。
勝手にという言葉に甘え、少し扉を開く。すると、水音のような物が聞こえ、やはり風呂に入っていたのかと、悪いタイミングで来てしまったと申し訳なく思った。
しかし風呂の水音とはまた違う様子に首を捻った。

「とりあえず入ろっか」

真琴を手招きして、リビングをひょっこりと覗けば、ズボンの裾を捲った拓海がシンクの扉を開けて何やら作業をしている。

「拓海、何やって…」

そちらに一歩近付こうと足を踏み出せば、水溜りのようなものに足を突っ込んでしまった。
部屋の中に水溜りがあるなんて変だ。足元を見ると簡易キッチンの方からリビングに水が流れてきている。

「拓海!水!水!」

どういう状況なのか理解できずに狼狽する。
真琴も後ろであたふたと行ったり来たりしている。

「ごめん、なんか配管壊れたみたいで水漏れ中なんだよ。いや、参った」

「み、水漏れって…。誰かに連絡した方がいいんじゃ…」

「管理人さんに電話したら業者を寄越してくれるって言ってたんだけど、その前に少しでもおさえたくて」

「カーペットとか水浸しですよ…!」

「うーん。まあしょうがないね」

呑気に笑う拓海に本当に大丈夫なのかとこちらがはらはらする。
家電は高いところへ避難させているが、大きめの家具や備え付けのものはどうしようもない。
次々と溢れる水が浸食していくのを眺めるしかないらしい。

「こういうのやったことないし、どうにかしようと思ったけど全然わからないや。もうお手上げだし、業者さんが来るまで放っておこう」

呑気に笑って匙を投げた。
それでいいのか。確かにどうしようもないけれど…。今も水はどんどん部屋を浸食している。

「で、なにか用だった?」

「え、あ、はい…」

拓海は流れる水を完全無視するようにばしゃばしゃと音を立てながらこちらに近付いた。
こんな妙な状況でお礼、なんて場違いの気がするが折角買ってきたのだし、渡さないわけにもいかないだろう。

「あれ、泉君もいたんだ。身体はよくなった?」

「は、はい!あの、本当にありがとうございました!」

腰を九十度に折り曲げる真琴を見て、拓海は苦笑した。

「いや、僕は何もしてないよ。少しでもおかしいと思ったら言ってね。病院を紹介するから。立ち話もなんだし、座りたいところだけどこんな状況じゃあね。ごめんね」

ソファの脚もすっかり水にさらされている。
無常にも流れ続ける水に、三人でがっくりと肩を下ろした。
一番困り果てているのは拓海だろうが。
その時扉が叩かれ、業者さんと思われる方が顔を出した。

「来てくれた…」

その人を見た瞬間に安堵し、何も死活問題でもないのに強張っていた身体からすっと力が抜けた。
業者さんに早速見てもらい、流れ出る水を止めることはできたが、話によると階下に漏れているかもしれないため、そちらも点検するという。
今日はとりあえず水を止めたが、後日きちんと点検した方がいいかもしれないと言われた。
慌ただしく去って行った業者さんを見送り、水は止まったものの水溜りだらけになった部屋を呆然と眺めた。

「…とりあえず水止まってよかったよ。下の人にも迷惑かかっちゃったかな」

「でも、仕方がないですよ…」

「あとは学校側に任せるとして、とりあえず水をどうにかしないとね」

「僕手伝います」

「僕も」

この作業を一人で地道にやっていたら朝が来てしまうと思い言ったが、拓海は首を振った。

「そんなことはいいから、二人は部屋に戻って休みな」

「だめですよ。ね、真琴」

「これくらいやります。お礼だと思って下さい」

頑として譲らない自分たちに、拓海はついに折れた。
困ったときはお互い様だ。相手が誰であっても頼まれれば手伝うし、親しい人なら頼まれる前に手伝う。こんな状況じゃしょうがない。

ありったけの雑巾とモップを管理人さんから借りて、洗面器やバケツに水を吸っては絞りを繰り返すがこの量の水だ。そんな簡単な作業ではない。
それ自体は単純作業なのだが、やってもやってもきりがなく、終わりが見えない。
痺れを切らした拓海は今度は大量のバスタオルを持参し、それでも足りないので香坂先輩や木内先輩の部屋からもバスタオルを持って来てひたすら水を吸わせた。
一気に外に出せればどんなに楽かと思ったが、ベランダなどないし、こうして地道に作業をするしかない。

作業開始から一時間以上は経っただろうか。
漸く少しずつではあるが水が引き、乾拭きすればどうにかフローリングは元に戻った状態になったと思う。

「フローリングはいいけど、ラグとか家具とか…。これじゃ生活できないですね…」

「そうだね。まあ、数日くらい誰かの部屋に居候させてもらうよ」

「…香坂先輩とか?」

「涼…はちょっと嫌だな。翔あたりにでも頼もうかな」

「秀吉が泣くかも」

想像してくすくす笑った。神谷先輩ひどいじゃないですかー。俺というものがありながら。とわんわんと縋るのだ。

「はは。確かに」

「あの、須藤先輩僕たちの部屋に来ればいいのでは…」

真琴が遠慮がちに提案した。
その選択肢はなかった。今一番身体も心も大事にしなければいけない真琴に気苦労をかけたくなかったから。
どこからも危険が迫ってこない、安全な巣の中で健やかに過ごしてほしかった。

「でも」

待てをかけようとしたが、それを言わせまいと真琴が言葉を重ねた。

「僕が誰かの部屋に行きますから。先輩の部屋が元に戻るまでどうぞ使って下さい」

邪気のない笑顔で言うが、それでは真琴が休まらない。
友人の部屋でも自分たちの部屋でも作りは同じだが、自分の空間で精神的にも身体的にもゼロになりたい瞬間はある。

「そんな気遣わないで。僕ならどうにでもなるから」

「そうだよ真琴。真琴が大変だよそんなの」

「大丈夫。学のところに行くから」

「でも――」

「蓮は僕につきっきりだったし、僕も治ったんだからさ。だから須藤先輩。部屋にいらしてください」

そんな理由納得できるかと首を振ろうとしたが、拓海がそれよりも早くお言葉に甘えようかなと言い出した。
なんてことを言うのだと彼の服を思い切り引っ張ったが、拓海も真琴も僕の意見は聞いてない。

「じゃあ、必要最低限のものだけ持ってお邪魔しようかな。ありがとう泉君」

「いえ。ほら、蓮も早く。そろそろ脱出しよう」

「…うん」

真琴はまた無理をしているのではないだろうか。
人のことばかり考えて、自分を後回しにする不器用な性格だ。それが行き過ぎだと感じることもある。善行にも適度というものがあって、溢れれば誰かの心にひびが入る。
人見知りする真琴が景吾と一緒では息が詰まるかもしれない。
景吾は明るいし、意地悪など絶対しない。麻生君も真琴の性格は誰よりも理解しているだろうし、上手く振る舞ってくれるだろう。
それでも、二人に丸投げして自分はぬくぬくと過ごしていいのか。
部屋に着くまでずっとそんなことを考えた。
部屋に入ると真琴は漸く落ち着いて拓海にお菓子を渡すことができ、早速軽く荷造りをした。

「パジャマと下着と歯ブラシと…。普通の鞄で足りそう」

「…真琴、やっぱり…」

「いいから蓮。僕がそうしたいんだ。そうだ、三上の部屋にでも行こうかな!事情を説明すればきっと三上も泊めてくれるよ。僕も三上と一緒にいたいし」

「……真琴…」

真琴はそんな風に言うが三上君が泊めてくれるだろうか。
昼間の三上君を思い出すと、とてもそうとは思えない。
だからなに、と冷徹に言い放ち、別の部屋へ行けと放り出しそうだ。
そうなったとしても真琴は戻っては来ないだろう。
麻生君のところへ行くか、潤の元へ行くか…。

「じゃあ僕行くね。先輩、それ蓮と食べて下さい」

「ありがとう泉君」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

拓海に軽く頭を下げ、僕には小さく手を振り、真琴は部屋を出て行った。
二人きりになった部屋でしばらく扉をぼうっと眺めた。

「蓮」

「…あ、すみません。気遣わせて申し訳ないなって思って…」

「うん。でも時には相手の好意を素直に受け取る作業も必要だよ。遠慮してばかりじゃますます泉君が気を遣ってしまう。わかる?」

「…よく、わかりません」

「泉君も蓮も優しい性格だけど、我儘も必要ってことだよ。お互いに気を遣ってばかりは嫌なんだろ。蓮が遠慮すればするほどに、泉君も気を遣う羽目になるってこと」

「…そう、でしょうか」

「うん。そういうわけで、僕は暫く蓮との同棲生活を楽しみます」

ぽんと頭を撫でてくれた拓海の手に酷く安心した。
この手の大きさも温かさも久方ぶりだった。
真琴が心配だと思いながらも、拓海に触れられればやはり嬉しくて、現金な性格をしている自分にほとほと呆れた。

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