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秀吉と電話で話し、急いで拓海の部屋へ向かった。
走るのは得意ではないが縺れそうになる足を引き摺りながら、拓海の部屋の扉を力一杯叩いた。
どうか部屋にいてくれと願いを込めて。

「…蓮、どうしたのそんな急いで…」

「あの、拓海っ…」

「なにかあった?」

肩で息をして、すぐにでも事情を話したいのに息が上がっているせいで言葉が詰まってしまう。

「とにかく落ち着いて…。おいで」

部屋へ招き入れようとする彼の服を掴み廊下へ引っ張った。

「こっち…」

「どこか行くの?」

「秀吉の、部屋に…」

「秀吉君の部屋…?」

「真琴が、怪我したって…。気失ったって…」

言うと拓海の眼鏡の奥の瞳がすっと冷気を帯びた。

「早く行こう」

未だ息が整わない僕を気遣いながら、彼は僕の腕を掴み秀吉の部屋まで大股で歩き出した。

秀吉から真琴が倒れたと聞いた瞬間頭の中が真っ白になった。
何も言えずにいると秀吉にしては珍しく声を荒げた。
しっかりしろ、須藤先輩を連れて来いと指示してくれたおかげで、今どうにか正気を保っていられる。
そうでなければ自失したままただ狼狽していただろう。

気を失なう程の怪我など想像しただけで痛々しい。もしかしたら今すぐ病院へ行った方がいいのではと言いたかったが、冷静な秀吉がそれをよしとしなかったのだから、なにか事情があるのかもしれない。
何故真琴が秀吉の部屋にいるのかという点は然程気にならなかった。
そんなこと気にしている余裕がない。
真琴に会いたい。この目で見て早く安心したい。
事情は秀吉から簡単に説明を受けたが、真琴を傷つけた人たちを心の底から憎いと思った。
どんな経緯があったか知らないが、ひどい暴力を受けていい理由などない。
今まで感じたことのないような怒りの炎が身体中を駆け巡る。
喧嘩なんてしたことないし、力に自信があるわけでもない。暴力は好きではないし、できれば穏便に話し合いで解決したいといつもなら願うが、今回ばかりはそんな平和的解決などクソ喰らえだ。
僕が割って入る問題ではないが、一発殴らなければ気が治まらない。
今は真琴の無事を確認するのが第一だが、怒りと悔しさで心が千々に乱れて呼吸をするのも困難だ。

秀吉の部屋の前に着くと、拓海はこちらを振り返り、僕の頭をくしゃりと撫でた。

「大丈夫だよ、きっと。だからそんな顔しないで」

「…はい…」

「もし大変な怪我でもうちの病院でしっかり治療させるから。怒った蓮は珍しいから泉君もびっくりしちゃうよ」

「…すみません」

「いーえ」

拓海は僕の眉間の皺を指でつついてふわりと微笑むと部屋の扉をノックした。
努めて平常でいようと、両手で頬を二度叩いた。

招き入れられ、ベッドに横たわる真琴を見た瞬間、安堵と恐怖がこみ上げた。
細い身体に浮かびあがる痣は赤黒く、とても痛々しい。
首には絞められたような跡があり、頬も腫れ上がって瞼が腫れたせいで目が半分しか見えない。
じわりと涙が浮かんだ。泣きたいのは真琴本人なのに。
怒りと悲しみと、負の感情が台風のように一気に押し寄せて、意味もわからない涙が零れそうになって一瞬俯いた。。
毅然とした態度をとらなければ。自分が泣いたりしたら余計な心配をされるだけだ。
大丈夫だからねと自分が言ってやらなければ。
涙など流してたまるかと必至に堪えるが、そんな僕を見て真琴は苦笑した。
大丈夫かと訊ねれば、何度も大丈夫だと返答してくれるが建前だと理解している。
代われるのならば代わってあげたい。身体の痛みも、心の痛みも。
心配するしかできないのが一番もどかしい。何の役にも立てない。

真琴が落ち着いたのを見計らい、真琴に肩を貸して秀吉の部屋を出た。
秀吉に小声でお礼を言えば、ぽんと頭を叩かれる。
後日礼をするとして、今は真琴を休ませてあげよう。
時折辛そうに顔を歪める姿を見て、もう少しだから頑張ろうと声をかける。
拓海とは一旦階段で別れた。もしかしたら殴られたせいで熱が出るかもしれないから、後で薬と必要なものを持ってきてくれる。
自室の扉を開け、ソファに凭れさせる。
今は身体を一番に休ませることが先決で、無駄な詮索はしないと決めていた。
真琴も話したくないことがあるだろう。逆の立場なら情けなくて何も言えないかもしれない。
友人だからといって、何でも話さなければいけないわけではないし、友達だからこそ話せないことも山ほどある。男のプライドというものも承知しているし、今はそっとしておこうと思う。
身体が癒えなければ何も始まらない。

しかし真琴は息をするのも辛いのに、ましてや話すだけで痛むのに、それでも自分に何度も謝った。
事の原因も聞き、何も気付かなかった自分の鈍さに呆れる。
人の機微に疎いから、いつだって誰かを知らぬ内に傷つけ、そしてすぐさま手を差し伸べられない。
自分が酷く価値のない人間のような気になる。
もっと早く真琴の異変に気付き、そして迷惑に思われたとしてもなにがあったのか詰問すればよかった。
人の機嫌ばかりを窺い、本当の心の在り処を考えてあげなかった。
これからも変わらず友達でいようと言えば真琴は酷く嬉しそうに、そして少し悲しそうに笑った。

体力的にも精神的にも余程疲れていたのだろう。
真琴は涙を流しながらソファの上で瞳を閉じた。
真琴が眠りにつくそのときまでずっと傍にいて、溢れる涙を拭ってやった。
気付いたときには僕も真琴の隣で眠っていた。



「えー…。今日休まなきゃいけないの」

「あたりまえだよ!傷だってまだ目立つし、彼らがどんな態度に出るかわからないし…。三日は休むこと!先生には僕が言っておくから」

「つまんない…」

「つまらなくてもダメ!」

目を覚ませば真琴は既に起きていて、制服を纏っていた。
呑気な顔でおはようと笑う彼に何を考えているのだと朝から叱り、寝室へ連れて行った。
制服を脱いで横になるように言いつけ今に至る。

「そんな大した怪我でもないのに…。蓮は過保護だなー」

「大した怪我なの。まだ痛いくせに」

「おまけに頑固だ…」

漸く僕の性格を理解したらしい真琴は唇を尖らせながらも大人しくすると約束してくれた。
ベット脇の本棚から漫画本を適当に取り出し、ベッド脇に置く。

「帰り景吾から漫画とか借りてくるから」

残念ながら自分はあまり漫画というものを読まないし、ゲームもよくわからないので、暇潰しになるような物は持っていない。

「うん、そうしてくれるとありがたい」

「絶対部屋から出ちゃだめだよ!学食もね!昼は部屋にあるの食べて。夜はなにか買ってくるから」

「はいはい。行ってらっしゃい」

念を押して、本当に大丈夫だろうかと首を捻りながら部屋を出た。
服に隠れる部分はいいが、首や手首の痕は人に見せてはいけない。
教師に見つかれば問題になるかもしれないし、素直に暴行されかけた、など真琴も言いたくないだろう。ただの暴行とは訳が違う。
本当は病院でしっかりお医者様に診てもらった方がいいのでは、と思ったが、真琴が嫌がった。
学校にも親にも心配や迷惑をかけたくないし、今のところ平気だからと。もし身体に痛みや不調が出るようならばその時はきちんと行くから、今は様子を見させて欲しいと。
納得できない部分もあるが、彼の意思を尊重しようと思った。

「おはよう」

部屋の扉を開ければ秀吉が壁を背凭れにして微笑んだ。

「…おはよう。珍しいね、秀吉がこんな時間に」

「待ってた」

「連絡くれればもっと早く出たのに」

「いや、泉君の看病してんとちゃうかなーって思ったから。学食行こか」

「うん」

秀吉は優しいから真琴が心配で来てくれたのかもしれない。
真琴は知らない人に委縮するので、あまり精神的負担をかけぬよう、部屋には入らなかったようだ。気遣いが人一倍できる秀吉らしい。

「泉様子どう?」

焼き魚を頬張りながら秀吉が言った。
真琴がどういう経緯で秀吉の部屋にいたかはまだ聞いていないが、助けてくれたので秀吉で本当によかった。

「やっぱり痛みはあるみたいだけど夜も寝てくれたし。病院行こうって言ったんだけど、嫌だっていうから様子見ることにした。三日くらいは学校休めって言って…」

「そっか。早くよくなるとええな」

「そうだね…。ありがとう秀吉。助けてくれたのが秀吉で本当よかった…。秀吉がいなかったらもっと酷いことになってたかもしれないしね」

「いや…」

秀吉が言葉を濁したのでお茶碗を持ちながら首を傾げる。

「助けたのは俺やない。あんま言うなて口止めされとるんやけど…」

「そう言われると気になるじゃん」

「三上…」

「三上君!?」

三上君と言えば秀吉の同室者であり、そして真琴の想い人だ。
そういうわけで秀吉の部屋に担ぎ込まれたのかと納得した。
真琴を毛嫌いしているようだったが、やはり目の前で困っている人を無視する程冷徹なわけではないらしい。
見た目と雰囲気が独特なので苦手意識があるが。

「そっか、三上君か…。真琴も嬉しいだろうね」

「…うーん。迷惑かけたって気にしとったけど。三上も心配してるくせに意地っ張りやから

「ああ、だから代わりに来てくれたの?」

「そういうこと」

三上君のわかりにくい優しさは小さなものかもしれないが、真琴にとっては天にも昇る出来事だろう。
好きな人が自分を気にかけてくれるのがどれ程嬉しいかよくわかる。

「泉には三上が心配しとるって内緒な」

「なんで。教えてあげようと思ったのに」

「余計なこと言うなて俺がどつかれるから」

「…じゃあもったいないけど秘密にするよ」

本当はものすごく教えてあげたいけど。
三上君の態度を見ていると、真琴の恋はそう容易いものではないと思う。
でも真琴は三上君を支えに今まで頑張ってきたと思うから、ほんの小さな優しさでもいいから与えてあげてほしい。特に今は。
彼が見まいに来る可能性は低い。それでも僅かな望みに縋りたい。
誰の励ましよりも、三上君から与えられるものが真琴の心に響くから。

「また泉になんかあったら言ってな」

「うん。ありがとう」

秀吉は本当に頼りになる男だ。
最適な方法を素早く考え、決断力も行動力もある。何より心が温かい。
秀吉を頼れば必ず力になってくれる。
無駄に首を突っ込もうとはしないが、相談をすれば時間も気にせず聞いてくれるし、適格なアドバイスもくれる。楓の時もそうだった。
頼りすぎてはいけないと思うのだが、つい、泣き言を言いたくなってしまう。
皆口ではなんだかんだと秀吉をからかうが、誰よりも一番頼りにしている。



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