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握ったペンを持ったまま、ノートから視線を逸らした。
窓の外を見れば夕と夜の丁度半分で、夕日と夜の帳が綺麗に重なっている。
「…蓮?」
ぼうっと自失していると対峙する拓海に声をかけられた。
今日は拓海の部屋で勉強を見てもらっていたのだ。
二年になった途端に進路調査や定期試験などがあるものだから、今までよりも勉強を頑張らなければいけない。
元々勉強は嫌いではなかったし、自分一人でやるのも苦ではないのだが、二年になると範囲も増え、内容もより一層深いものになってしまった。
これでは今まで通りの成績はとれないかもしれないと、拓海の力を借りることにした。
優秀な恋人はとてもありがたい。
「疲れた?ちょっと休憩しようか…」
「すみません」
「いいよ、温かいお茶でも飲もうか」
拓海はそう言い残して簡易キッチンへ向かった。
貴重な時間を使って、折角勉強を見てもらっているというのに、いまいち集中できずにいた。
自失しているときも、勉強中も、真琴のことを考えてしまう。
最近の真琴はちょっとおかしい。
最初はとても仲良くしてくれて、部屋へすぐに帰宅して他愛ないおしゃべりをした。
しかし最近は僕を避けるような態度で、部屋に帰宅するのも僕が眠りにつく頃だ。
嫌われるようなことをしただろうかと最初はとても不安に思ったが、思い当たる節はなく、何故、どうしてあんな態度をとるのか疑問だった。
嫌った風な態度でもないが、なんとなくぎこちなくて、色んな誘いも断られてしまう。
楓達にも紹介したかったし、自分ももっと真琴と仲良くしたかった。
疑問は疑念を生み、何かあったのかと問いかけても、真琴はいつもの笑みで何もないの一点張りだ。
「蓮は何に悩んでいるのかな」
温かい緑茶を差し出されながら言われた。
「心ここにあらず、って感じだね」
「…すみません。折角勉強教えてもらっているのに」
「いや、それはいつでもしてあげるからいいんだけど、悩み事があるなら相談に乗るよ?」
拓海に相談したら何か答えが返ってくるだろうか。
彼は真琴ではないのだから、真実が明かされるわけない。わかっているが、心にもやもやと渦巻く気持ち悪さと違和感を解消したかった。
「…真琴のことなんですけど…」
「どうかした?」
「なんというか…。最近ちょっとよそよそしくて。避けられてるんです。何かした記憶もないけど、僕が忘れているだけって可能性もあるし」
「この前まで仲良くしてるって言ってたのに急だね」
「はい。言った言葉とか態度とか思い出したんですけどやっぱりわからないし。友達になれたと思ってたんですけど…」
そう思っていたのは自分一人だったのだろうか。
一人で舞い上がっていただけで、真琴は僕のことを鬱陶しいと感じていたのかも。
しかし最初はとても楽しそうにしてくれた。
お菓子を食べながらお喋りをして、夜更かしをする日だって多かった。
蓮といると安心すると笑ってくれていた。
それなのに、最近は顔を合わせると強張った表情になって、教室の中でもそわそわと落ち着きがない。
学食で見ることもないし、真琴の顔は日が経つにつれてくまが酷くなり、疲労が蓄積されているように思うのだ。
心配で心配で、何かあるのならば言って欲しいと何度も言ったが大丈夫だと儚く笑うだけなのだ。
「そっか…。うーん。泉君にも悩みとかあるのかもね」
「悩み?」
「うん」
「それなら言ってくれても…」
「うーん。悩みは表に出すタイプの人間と奥深くに隠す人間がいるから。泉君は隠す方なのかもよ?蓮が嫌だから言わないんじゃなくて、誰に対しても」
「…僕が、頼りないからかも」
「そんなことないよ。蓮は頼りになるよ。楓君やゆうき君もいつも頼ってるし」
あれは頼るとはまた違う気がする。
お母さーん。なんて冗談で言いながら甘えているだけだ。
膝の上で作った拳をぎゅっと握った。
真琴を見ているととても歯痒い。なにもできない自分は価値のない人間の気がする。
友達だから助けたいと思うし、苦しんでいるなら一緒に悩みたい。
人にはそれぞれの考え方があるし、真琴に同じようにしろとは言えない。
でも見ているだけなんて器用なことができない。
「蓮と泉君はとても仲が良いように見えたよ。嫌われてなんてないと思うよ」
「…そうでしょうか…」
やけくそのように言い捨てた。真琴がわからない。わかったつもりでいたのに、どんどん遠くに行ってしまう。手を伸ばせば届く距離なのに薄く透明な壁で仕切られているようで、姿は見えるのに届かない。ひどくもどかしい。
「大丈夫。きっと泉君は理由もなく人を嫌いになったりしないよ」
「じゃあ、もしかしたら傷つけたりしたのかも」
「うーん。ないとは言い切れないけど、蓮に限ると可能性は低いと思うな。楓君たちがそんな風に言ってるのは聞いたことないし、僕だって傷つけられる言葉なんて言われたことがない」
「それは…。自分には些細なことでも真琴には大きな衝撃だったり…」
「まあね。知らずに傷つけることもあるけど…」
人見知りで臆病でそんな自分に苛立ち、面倒だと思われたかもしれない。
話せば話すほど不安な気持ちが強くなる。
一年間という短い間の同室者だが、友人ができたと浮き足立ったのにその足をぱっと離され地面にぶつかったような衝撃だ。
僕のどこがいけなかったのか。言ってくれれば直すように努力するし、以前のように仲良くしていたい。
「…泉君の幼馴染って景吾君と同室だったよね?その人に聞いてみたら?」
言われてから初めて気付いた。すっかり失念していて、だから自分は抜けている、鈍くさいと揶揄されるのだと思い知る。
「僕、聞きに行ってきます!」
「今?」
「はい、すぐにでも」
「じゃあ、何かあったらまたおいで」
「すいません、勉強みてくれていたのに勝手で。ありがとうございます」
ばたばたと道具を片付けて鞄を背負った。
部屋を出る寸前にもう一度お礼を言うと、大きな手で猫っ毛な髪を優しく撫でて頑張れと言ってくれた。
穏やかな笑みに見送られ、景吾の部屋へ急ぐ。
真琴の幼馴染、確か麻生君という人だ。彼なら何か聞いているかもしれない。
日に日に衰弱していく様子の真琴を見るのは辛いし、自分に問題があるとしたら、解決に繋がる何かが発見できるかもしれない。
自分のせいで真琴に辛い想いを強いているなど許せない。
景吾の部屋の前で息を整える。走ってきたから、髪も変な癖がついている。
身形を整え、一息つき、扉をノックするとすぐに麻生君が顔を出してくれた。
「…僕、夏目蓮と申します…。あの…」
「景吾に用事?」
麻生君は微笑みながら言ってくれた。
「景吾、今いないんだ…」
「いえ、麻生君に聞きたいことがありまして…」
「俺に…?」
麻生君は驚いた様子で瞳を僅かに大きくして、扉を全開にした。
「扉での立ち話もなんだし、どうぞ」
綺麗に整頓された部屋へと招かれる。
景吾のことだから、散らかしているのではないかと思ったのに意外だ。
ソファへ座るように促され、緊張しながら着いた。
相変わらず人見知りで、初対面の相手と上手く話す自信はない。
「で、何かあった?俺に用事って」
「あの、僕真琴と同室なんですけど…」
「ああ、真琴に聞いたよ。夏目と仲良くなれたって嬉しそうに話してた」
その言葉を聞いてまた新しい疑問が生まれる。
どうやら嫌われているわけではなさそうだ。
嫌ならわざわざ話題にも出さないだろうし、むしろ愚痴を零すだろう。
「真琴は昔から友達が多い方じゃないから、俺も仲良くしてもらってるって聞いてほっとしてたんだ。ありがとう」
「いえ。真琴はいい人だし…」
「うん、いい奴だよ」
穏やかに話す麻生君に違和感が生まれる。
「…真琴から何も聞いてませんか?」
「何も、って…?」
「…例えば僕の愚痴とか…」
「愚痴?いや、友達が増えたって嬉しそうにしてたけど…」
それが本当なら原因は自分ではないのだろうか。
自分の知らないところで何かがあったのかもしれない。でも、それなら何故僕を避けるのか。僕に関係しているからこそ顔を合わせたくないのだと思っていた。
「…真琴は友達を大事にする奴だから、愚痴なんてないと思うけどな」
「…そう、ですか。変なこと聞いてすみません」
それじゃあ、と席を立とうとしたが、腕を引かれて引き留められた。
「待って。もしかして真琴が最近変なことと関係ある?」
「え…?」
「なんとなく、あいつの元気がない気がする」
やはり麻生君も感じていたのか。だとしたら自分の勘違いではない。幼馴染が言うのだから。
「僕もそれが気になって。避けられてる気がするので僕がなにかしたんじゃないかと思って…」
「…そっか。真琴に何かあったら俺にも言ってくれるとありがたいんだけど。真琴は変なところ強情で辛いことがあっても話さないから」
「…はい」
麻生君にすら話せないなら自分に頼らないのも納得できる。
拓海の言葉を思い出す。深くに隠そうとする人間がいる。
真琴はその通りだと思う。表面は普段通りに振る舞っているが裏を覗くと歪な形の苦しさが隠れていて、隠すことに必死で心を削られている。
今度こそ麻生君の部屋を出て、自分の部屋に向かった。
靴の先をぼんやりと見ながらどうしよう、どうしようと心が焦るのに頭は回転しない。
それでも諦めたくない。もう真琴なんて知らないと投げ出したくない。
真琴を苦しめている塊は、一体何なのだろう。
友人だからといって零から百まですべてを話す必要はない。
寄り掛かるだけが友情じゃない。そんなことわかってる。友人は全員それぞれ自分たちが決めた付き合い方で僕といてくれる。
でも真琴のそれはとても危うい。不格好に積み重なった積み木のように、少しの風でばらばらと散らばりそうだ。
真琴が壊れてしまうのではないか。それが一番怖い。
なにも知らない。彼の悩みも彼自身も。だけどなんとなくわかる。
わかるからこそ焦りばかりが先走る。
扉のノブに手をかけて、この先に真琴がいてお帰りと笑ってくれたらいいのに。そんな期待をした。
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