Episode7:芽吹き
寮の部屋割り発表から数日かけ、荷物をすべて段ボールへ入れ替えた。
元々狭い部屋に置ける分しかないし、一年生が入学するまでは好きに取に戻れる。
ふう、と額に滲んだ汗を腕で乱暴に拭いた。
次は新しい部屋にこの荷物を運ばなければならない。
だけど身体が動かない。少しだけ、と言い訳をしてベッドに大の字になった。
中学からずっと楓と一緒だった。
それはこれからも変わらないと思っていた。何故か、永遠に楓と暮らすのが当然と思っていた。
心の中に気泡が生まれてぱちんと弾ける。
寂しいし不安だ。
小さな泡はそう言っていた。
別に、一生の別れではないし、いつでも会えるのに馬鹿みたいだ。
楓との生活に慣れ親しんだ分、新しい同室者と上手くできるか怖い。
慣れるまでとてつもない心労を強いられるだろう。それは相手も同じことで、徐々に擦り合わせていかなければ。
どうせ三年になったら個人部屋になるのだから、あと一年くらい楓と一緒にしてくれてもいいのに。
部屋割りを考えた香坂先輩と木内先輩に小さく拗ねた。
どうせ、楓と自分の仲がいいのが気に喰わないとか、子どもの嫉妬のような理由で引き剥がしたのだろう。
楓は知っているのか。香坂先輩は実は子どもっぽくて、独占欲と嫉妬の塊で、こと楓に関しては余裕がないということを。
新しい同室者である泉真琴という人物は、いつも考査の順位表で近くにいて、だから名前も覚えているけれが、見たことはないし、話したこともない。
楓には部屋に遊びにおいでよと誘ったが、もしかしたら自分の方が楓の部屋に入り浸ることになるかもしれない。
兎にも角にも、気が合いそうなら平和な日々だが、どこか癖のある人だったらどうしようかと、そんな不安ばかりだ。
自分の周囲にいる人間はどれもこれも一癖も二癖もあるので、それに比べれば赤子の手を捻るようなものかもしれないけど。
こっちはゆうきも手懐けられたのだから、どんな人がきても大丈夫だ。そう思わないとやってられない。
「…よし」
意を決して数個の段ボールを持ち上げ部屋を出た。
楓は香坂先輩に呼ばれ、部屋にはいない。
廊下は部屋替えに伴い、自分と同じように段ボールや鞄に詰めた荷物を持って往復する人たちで溢れていた。
擦れ違う人にぶつからないように、細心の注意を払って荷物を運んだ。
新しい部屋の前につき、段ボールを一度床に置いてから一応ノックをした。もしかしたら、泉君が既に部屋を使用しているかもしれないと思ったから。
暫くして、中から扉が開いた。先に搬入作業をしていたらしい。
目が合い、彼を初めて見た率直な意見は、"よかった"だった。雰囲気に刺々しいものはなく、自分と同じ、普通だった。
「夏目蓮です。同じ部屋になる…」
「ど、どうも。泉真琴です。よろしく…」
ぺこりと頭を下げられ、こちらも急いで身体を九十度に折った。
よかった。いい人そうだ。
いつまでも入り口で頭の下げあいをするわけにもいかず、段ボールをもう一度持ち上げ、室内へ足を踏み入れた。そこには泉君の私物が並べられており、まだ作業を始めたばかりなだろう、散乱していた。
「まだ始めたばかりで。散らかしてしまって…」
苦笑しながら言われ、大丈夫だという意味を込めて笑った。
「…寝室どちらを使いますか?僕はどちらでもいいんですけど…」
「僕も、どちらでも…」
これでは話が進まない。
泉君と話した感想は、自分と少し似ているかもしれないということだった。
人見知りのきらいがあるのか、あまり視線を合わせずに、どこかおどおどとしている。
「じゃあジャンケンで決めませんか?勝ったら奥の部屋で、負けたら入り口近くの方ってことで」
提案すると、泉君がほっとした表情を見せた。
「あ、いいですね。じゃあ…」
最初はグーで始まって、ジャンケンをすれば僕が勝利し、奥の部屋を使用することに決まった。
私物は殆どそちらへ運んでしまおうと思っていたし、リビングは共同スペースになるわけだから、色々と相談しながら片付けるしかない。
簡易キッチンも、バス・トイレも勿論泉君と共同だから、好き勝手にはできないのだ。
その都度話し合いをして、決定していかなければいけないのだが、自分たちの場合それがなかなか進みそうにない。
とりあえず私物を寝室へ運ぼうと、新しい部屋と以前の部屋を往復する。
すべて運び終わるまでに一時間もかからなかったが、体力をごっそりと削がれた。
寮塔も違うし、重い荷物を持っての往復はきついものがあった。普段の運動不足がたたった。
それは泉君も同じようで、息を切らしながらも運んでいた。
寝室の片付けが済んだのは夕刻。一気に片付けなくとも少しずつでいいかと、とりあえず洋服の類をクローゼットにしまい、勉強道具を備え付けの机に並べていく。
肩が凝ったし腕の感覚も麻痺している。
これは翌日は確実に筋肉痛だ。
気分転換に、談話室に備えられている自販機で自分の分と泉君へのお茶を購入した。
部屋へ戻ると泉君もリビングのソファに座って、肩をぐるぐると回しているところだった。
その気持ちわかるよ。心の中でうんうん、と頷く。
「よかったらどうぞ。ちょっと休憩がてら…」
下手な笑みを見せながらそれを手渡せば、慌てたように俯いた泉君からありがとうの言葉が返ってきた。
折角一年同じ部屋で過ごすのだから、できれば仲良くしたい。
寝室はそれぞれに与えられるし、干渉し合わない生活も勿論できるが、それでは味気ない気がして。
馬が合わない相手ならば諦めたが、泉君とは仲良くできそうな予感がする。
始めが肝心なのだと自分に言い聞かせ、ペットボトルのキャップを捻りながら泉君へ視線を走らせた。
すると、ばっちり視線が絡み合い、あの、と声を発したのは二人同時だった。
「あ、どうぞ…」
「いえ、泉君からどうぞ…」
まるでお見合いをしているかのような掛け合いに、自分で言いながらも苦笑が零れた。
すると泉君は口を開き、こう言ったのだ。
「一年間、よろしくお願いします」
「こちらこそ…」
そして再び頭の下げあいだ。
やはり、自分と少し似ている気がする。
周りの機微に敏感で、自分が他人を不快にしてはいないだろうかと気に掛ける。
だからこそお互いの気持ちも多少なりともわかる。
「泉君のことは、名前はよく順位表でみてたから知ってたんですけど、どんな人かわからなかったから緊張しました」
「僕もです…」
「けど、なんだか泉君となら上手くやっていけそうな気がします」
「…ありがとうございます」
面映そうに俯いた彼に笑みが零れた。
もしかしたらあまり会話が得意ではないのかもしれない。自分は今まで楓たちに囲まれていたから、当たり障りのない会話くらいはできるつもりだ。
けれど、彼は僕の言葉一つ一つに敏感に反応している。
「あ、敬語やめませんか?同い年だし…」
言えば、彼もそうですよねと苦笑する。
「名前も、皆に蓮って呼ばれてるんで、蓮でいいです」
「じゃあ、僕も真琴で…」
敬語をやめよう、名前で呼び合おう、たった今そう約束したのに、言いだしっぺの僕が敬語をやめられない。仕方がない徐々に慣れるしかない。
そういえば中学の頃、楓と初めて同室になったときも同じような感覚だった。ふわりとした郷愁に駆られる。
あの時はもっと人見知りで、もっと他人に怯えていた。そんな自分に、何遠慮してんだよと、笑ってくれたのが楓だったから今の自分がいる。
「あの、蓮君前は誰と同じ部屋だったの…?」
「あー、月島楓。中学からずっと一緒で。知ってる?」
「知ってる!名前聞いたことがあるし、見たことがあるよ。カッコイー人だよね」
「カッコイー…か?なんか、ずっと一緒だったし顔も見慣れてるからよくわからないな」
確かに一番最初は楓にそんな印象を持ったかもしれないが、普段のだらしない生活態度を見ていると、そんな思いもどこかへ飛んでいった。
「カッコイー人だと思う。よく廊下とか校庭で遊んでるよね。サッカーしたり、追い駆けっこしてたり」
「楓は騒がしいから目立つよね。しかし、カッコイーだろうか…」
独り言のように呟いた。傍から見ればイケメンの部類に入るのだろうか。よくわからない。締まりのない顔ばかりしているから。でも、決めるときはばしっと決める部分は確かに格好いいかもしれない。普段がだらしない分余計にそう思う。
「真琴君は?誰と一緒だったの?」
「…三上、陽介っていう人…」
「ああ、あの三上君」
三上といえば硬い鎧で周囲を覆っているかのような独特の空気を持っていて、素行も悪いと評判だ。
そんな人と一年同じ部屋で、この気の弱そうな彼は平気だったのだろうか。
いじめられたりしていなかったか。
三上君のことはよく知らないのでかなり失礼に疑ってしまった。
「僕の友達が今度三上君と同じ部屋って言ってたな」
言った瞬間、彼の表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ、その友達に会いに部屋に行くとき、僕も一緒に行っていいかな?三上に会いたいんだ」
「うん、いいけど…」
去年同室だったなら、わざわざ自分を口実にして部屋へ行かずとも、普通に遊びにいけばいいのにと疑問に思った。
「ありがとう!なんていうか、僕あんまり三上に好かれてなくて。何か口実とかあれば部屋に行けるけど」
「え、逆じゃなくて?」
彼のどこが気に入らなかったのだろう。
三上君は変わり者と噂されるだけあって、思考も普通ではないのかもしれない。
「うん。僕は好きだけど、嫌われてるんだよね」
寂しそうに笑ったので、取り繕うように大丈夫と言った。
「三上君と同室は秀吉だから、いつでも喜んで部屋に入れてくれるよ。秀吉人懐っこいし」
「うん。ありがとう」
彼は嬉しそうに微笑んだ。
「友達と部屋は離れた?」
「そんなに離れてないかな。潤も皇矢も近いし…」
彼の口からその二人の名前が出て瞠目した。
生徒数が多いとはいえ、やはり世間は狭い。その二人ならば自分も知っている。柳君に至っては、メールアドレスも交換したし、会えば話したりもする。
「柳君と友達だったんだ。僕もメアド交換したよ。柴田君は楓と同じ部屋だし…」
「そうなの?世間は狭いね」
同じことを考えていたのがおかしくて笑った。
柳君と友情を結べるのなら、誰とでも仲良くなれそうだ。
柳君はいい意味でも悪い意味でも一癖ある性格だから。あの飾らない正直な性格は裏がなくて好きだが。文句もはっきりと口にするから。
「まあ、楓は柴田君と犬猿の仲みたいだからちょっと心配だけど」
「はは。皇矢に悪気はなさそうだけどね」
「そうそう。突っかかって楓の反応見て遊んでる感じ。楓も毎回それに乗るから…」
はあ。呆れた溜め息を吐く。
「結構いいコンビなんじゃないかな」
「かもねー」
ころころと笑う彼からは、硬質な空気が徐々に抜けている。
「真田君とも仲いいよね?」
思い出したように言われ頷いた。
手懐けるのに苦労したなあ、なんて思いながら。
「遠くからしか見たことないけど、すごいよね。最初見たときかなりビックリしたなあ」
その時を思い出しているのか、空を見詰めて微笑んでいる。
すごい、の意味はわかる。あれはすごい。誰が見てもすごいという感想に辿り着く。
「ゆうきは毎日顔見てもいつも思うよ。綺麗だなって。ふとした瞬間が絵になるというか…」
「わかる。ただ立ってるだけとか、歩いてるだけでも絵になるよね。あの顔がすごく羨ましいもんな」
うんうん、と同調した。
あの顔を持って生まれたら人生勝ち組。なんて大袈裟だが思う。
女性にも苦労しないし、同性ですら見惚れるのでいくらでも手駒にできそうだ。
幸か不幸かゆうきはそういうタイプではなく、こんな顔嫌いだと言うが。全男子、特に俺に謝れとよく楓に怒られている。
「夏目君は友達が沢山いるんだね」
「んー…。でも、人見知りするから、あんまり友達作るのは上手じゃないんだ」
今友人でいてくれる彼らは自分たちからぐいぐいと距離と縮めてきて、僕が不安や恐怖を感じる暇もなくすべてを掻っ攫っていった。
「僕も人見知りするし、前のクラスでは一人も友達ができなくて」
その言葉に一瞬息を呑んだ。
もしかしたらいじめとか、そんなことがあったのかと余計な想像までした。
「…じゃあ、もしクラスも一緒になったら仲良くしようね」
「…いいの?」
不安と期待が入れ混じる瞳で見られた。
「何が?」
「えっと…。仲良くしてもいいのかなって」
「勿論だよ」
「…あ、ありがとう」
満面の笑みに自分も微笑み返した。
折角の学園生活なのだから、たくさん友人を作って、たくさん遊んで、いい思い出にしたいではないか。
今までずっと、楓たちとばかり関わってきたので、新しい友人が珍しくて高揚する気持ちがとめられなかった。
それは彼も同じようで、終始笑い合いながら二時間も話し込んでしまった。
折角だから、夕飯も一緒にと学食へ誘い、その日はお互い疲労がたまっていたようで、早めに寝室へと別れた。
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