2



夕方に近付くと、俄かに階下が騒がしくなったので、様子を見に行った方がいいのではないかと言った。

「どうせ、弘海兄さんが騒いでるだけだと思うよ」

そんな風に拓海は言うが、無理に腕を引いた。
二人揃って螺旋階段を下りると、広い玄関に拓海のお父さんと、長身の男性が並んで立っていた。
拓海の父親に会うのはこれが二回目だが、いかにも優男でとてもスマートにもてなしてくれる。

「やあ、蓮君久しぶりだね」

こちらに気付いたおじさんは軽く手を上げた。
それに応えるように深々と頭を下げる。

「あれ、帰ってきたの?」

「拓海が戻ってきたんだし、仕事ばかりじゃ医者のくせに自分がまいってしまうよ」

「お、なんだ。親父と兄貴帰ってきたんだ」

弘海さんもリビングから顔を出し、そしてその言葉に驚いた。
拓海の家には何度か来たことはあるが長男を見たのはこれが初めてだ。
凛とした空気を纏い、その表情は硬い。
一瞬視線が交わったのでぺこりと頭を下げる。お兄さんはそれには特に応えず、靴を脱いでジャケットをばさっと脱いでいる。

「丁度お夕飯なの。皆で食べましょうね」

微笑んだおばさんに苦笑で返した。
家族団欒に自分のような他人が参加していいのだろうか。果てしなく邪魔な気がする。
おじさんとおばさんは早速ダイニングに向かい、一番上のお兄さんの腕にじゃれついた弘海さんたちもそちらへ向かった。

「僕たちも行こうか」

「あの、僕がいてもいいのでしょうか?」

「なんで?」

「邪魔じゃないかなーって…」

「そんなことないよ。母も喜んでるんだ。君に会えてね」

「…そうでしょうか」

拓海の家は由緒正しい立派なお家だ。
一般市民の自分が住む世界とは少し距離がある。
作法や礼儀を母は厳しく躾けたが、それが今になって役立つとは思わなかった。
無知で失礼な振る舞いをすれば、拓海は友人関係ですらもやめなさいと言われていたかもしれない。

夕飯となればテーブルマナーが必要だと、教えられた最大限の知識を思い出す。頭はフル回転だ。
緊張しつつも六人での夕飯は意外と楽しいものだった。
夕食を食べ終えるとエスプレッソを差し出され、角砂糖を三つ入れた。

「私はこれで失礼します」

長男の望海さんがおじさんに向かって頭を下げると、おじさんはゆっくり休むようにと微笑んだ。

「兄貴もう寝んのかよ」

「夜勤続きで疲れてるんだ」

「ふーん。じゃ、俺も上に行くわ」

望海さんと弘海さんは揃ってダイニングを去った。
まるで主人とそれに仕える忠犬のようだと思ったのは内緒だ。

「では、私も風呂に入って休もうかな。蓮君、あまり話せなくて残念だよ。今度、ゆっくり話そう」

「はい。ご馳走様でした」

椅子を立ちおじさんに向かって頭を下げれば、礼儀正しい子だねと嬉しい返事が返ってきた。

「拓海ー!ちょっと来いよー」

廊下の向こう側から弘海さんの声が響いた。
拓海の耳にも届いているはずだが、彼は席を立とうとしない。

「おーい!拓海ー!」

「…呼んでますよ…?」

「行きたくない。どうせ碌なことにならない」

「けど…」

痺れを切らしたのか、弘海さんはダイニングの扉を開け拓海の腕を引いた。
思い切り眉根を寄せた拓海だが、兄には敵わないらしい。
残るはおばさんと自分二人だけだ。
このままダイニングにいた方がいいのか、それとも部屋に戻った方がいいのか、決めかねていると、おばさんはお手伝いさんに何か耳打ちをしてこちらを振り返った。

「蓮ちゃん、ちょっと私に付き合ってくれない?」

「…はあ」

「とっても素敵な場所があるの。エスプレッソもいいけれど、紅茶で一息つきましょうよ」

ね?と微笑んだおばさんに負け、ぎこちなく頷いた。

「そうと決まったら行きましょう!」

腕を引かれ玄関まで引きずられるように歩いた。
靴をはいてと言われたので外へ行くらしい。もうすっかり夜なのに。
まさかこのまま締め出されたらどうしようと、ありもしない想像をする。
なんらかの理由で拓海との関係がばれて、いい加減にしろと叱られたら立ち直れない。
なんてあるわけがないのに。
万が一そうなったとしても、もう少し人道的な方法で諦めろと言ってくるだろう。

「あのね、私のとっておきの場所なの!」

「…はあ」

庭園を抜け、おばさんの足は迷いなく進んでいくが、一人では迷ってしまいそうだ。
敷地も広いがその庭もまるで迷路のようなのだ。
しかも今は二月の真冬だ。何も羽織っていないためとても寒い。

「ついた」

「ここは…」

「温室なの。お花が綺麗に咲いてるわ。テーブルと椅子もあるのよ。退屈なときはここでお茶を飲むのが好きなの」

いかにも少女趣味なおばさんらしい。
この温室もおじさんがプレゼントしてくれたのかも。
温室の中は当然ながら温かかった。
真冬だと忘れるほどに、春の陽気で満ち足りている。確かにここは癖になる。特に、厳しい冬の間は。

「今ね、アフタヌーンティーセット持ってきてくれるから」

「アフタヌーン、ですか…」

今は夜分で、アフタヌーンというには相応しくない。
おばさんの頭の中は宇宙と同じくらいに果てしなくて謎が多い。
彼女がそうだと言うならば、そうなのだ。
暫くするとお手伝いさんがティーセットを持ってきてくれた。
注いでくれたそれに頂きますと頭を下げ、一口飲んだ。
エスプレッソも美味しいものだったが、自分には珈琲よりも紅茶の方がお似合いかもしれない。

「美味しい?」

「とても美味しいです」

「そう、よかった。蓮ちゃんとこうしてお茶飲みたかったの」

それはとても嬉しいのだが…。
今更だが、ちゃん付けはどうかと思う。男なのに。否定はしていないから好きに呼ばせているけど、やはり君の方が嬉しい。

「ねえ、蓮ちゃんは拓海とお付き合いしているの?」

ティーカップをソーサーに置いたおばさんはこちらに向かい合って言った。
それに狼狽し自分も慌ててカップをソーサーに置く。

「お付き合いだなんて…。先輩ですから…」

「あらあ。そうなの?残念だわ」

「だって、男同士ですし…」

当然のことだと主張した。嘘をつくのは心が痛むが仕方がない。由緒正しい須藤家。三男といえども、同性愛などが認められるわけがない。おばさんが天然でも。
おばさんは目を丸くしたままこちらを凝視し、それ以上何も言葉を発しない。

「……男の子?」

「…はい。僕、東城の後輩ですから…」

初対面のときに確かに拓海は自分をそう紹介した。東城の後輩なのだと。
まさか、忘れていたのだろうか。

「…やだ、私ったら蓮ちゃんはずっと女の子だと思ってたわ。ボーイッシュで素敵だなあって」

「……すいません、男です…」

なるほど、だからちゃん付けだったのか。呼び方には合点が言ったが他はクエスチョンマークが飛び交う。どこをどう見たら女に見えるのか。これは確かに極度の天然だ。
母は宇宙人だとはっきりと言い切る拓海の気持ちが少しだけわかった。

「ごめんなさいね、私ったら…。初めて蓮ちゃんが来たときね、拓海さんに彼女でも連れてきたらどうって言ったの。そしたら蓮ちゃんを連れてきたから、私はてっきり…」

「いえ、いいんです…」

時たま、こんな風に間違われることがある。ボーイッシュな女の子かと思った、と。
身長はあまり高くない。顔は狸に似ていると言われる。しかし、女性特有の華奢さはないし、声だって男のものだ。
間違う人は相当に視力が悪いらしい。それとも、自分には男らしさというものが足りないのだろうか。黙っていても漂うどっしりと重厚な空気が。

「本当に残念だわ。蓮ちゃんとは仲良くできると思って。だから拓海のお嫁さんになってくれればすごく嬉しいなって、そんな風に思ってたの」

「…すいません」

「蓮ちゃんが謝ることじゃないのよ。私の早とちりね。でも、本当に残念…」

しょんぼりと肩をなでおろしたおばさんに、心の底から申し訳ないと思った。失望させてしまっただろうか。
今までもそう思っていたからこそ、自分にこんなにも優しくしてくれたのだ。

「ねえ、蓮ちゃんから見て拓海はどうかしら」

「…どう?えっと…。すごく素敵な先輩です。優しいですし…」

「蓮ちゃんは拓海が好き?」

「……そうですね」

その好きは先輩としてではなく恋愛感情で好きなのだが。
薄らとした膜のような嘘でコーティングして本心を隠す。

「そう!なら、ほら、性転換とかしちゃったら?」

「…は?」

「性転換!女の子になったら拓海と結婚できるじゃない?」

「…えーっと…」

「最近流行ってるんでしょ?私、テレビで見たことがあるわ!」

「…いえ、流行ってるわけではないかと…」

「そしたら、須藤蓮になれるわねー。あ、うん、なかなかいい響きだわ。須藤蓮…」

確かにこれは…。
凡人には理解し難い思考の持ち主かもしれない。
性転換など普通は思いつきもしない。
そもそも恋愛感情で好きだと言った覚えはない。しかし、おばさんの中で自分は立派に花嫁になっている。

「…須藤先輩はちゃんとした女性と結婚して、子供とかつくらないと…」

苦笑しながら諭すように言った。
随分年上の女性だが子どもをあやしている気分になる。

「それは望海さんすらちゃんとしてくれればいいのよ」

そういう問題だろうか。
いい加減自分も楓たちと共にいて、ボケに突っ込む姿を何度も見てきている。
拓海の母親でなければ思い切り突っ込みたいところだ。

「けどね、望海さんももうすぐ三十になるっていうのに、仕事が忙しくて彼女どころじゃないって言うの。弘海さんも彼女はいても家に連れてきてくれたことがないのよ?私、とても心配だわ」

だからといって性転換を勧めるのは如何なものかと。

「でも、彼女ができなかったら望海さんはお見合い結婚になるだろうし、きっと大丈夫よね。私もパパとはお見合い結婚なの」

「そうなんですか」

とても仲が良さそうにみえたのでてっきり恋愛結婚だと思っていた。

「そう。お見合いっていっても、もう結婚が決まった状態だった。けどね、パパは優しいし、パパと結婚してよかったなーって思ってるの」

今時そんな話しもあるのだなあとぼんやりと思った。
一昔前ならば相手の気持ちや都合はお構いなしに周囲に結婚を決められる場合も多かっただろうが、今は二十一世紀だ。
自分が暮らす世界の価値観では理解が追いつかない。

「でもね、私実は好きな人がいたの。だから少しだけ悲しかったわ。望海さんにはそんな思いさせたくないし、好きな子がいるならその子と結婚して欲しいんだけど…」

何もない空を見詰めるおばさんはそこに過去の記憶を映し出しているようだ。

「勿論、弘海さんも拓海さんも、全員好きな子と結婚して欲しい」

「そうですね…」

「あらやだ。私ったら愚痴っぽくなっちゃった」

彼女が微笑んだので自分も笑みをつくった。
けれど、ちゃんと作れていただろうか。

好きな人と結婚して欲しい。須藤家の血は絶対に絶やすことを許さない。
それが拓海の運命だ。
それが自分たちの運命だ。

きゅっと胸が締め付けられる。
医療関係に進めばずっと一緒にいられるかな、なんて一瞬でも思った自分を恥じる。
拓海は可愛いお嫁さんをもらい、幸せで温かい家庭を作る義務がある。
そこに自分という存在は邪魔だ。須藤家全員に疎まれてしまう存在だ。

[ 23/32 ]

[*prev] [next#]
>


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -