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『蓮?』

すると、聞こえてきたのは母親の声だった。

「あ…。なに?」

両親に後ろめたい行為をしていた後に、母からの電話とは居心地が悪い。
まさかそんなことをしていたと知られているはずはないが、なんとなく罰が悪い。

『あなた、今何時だと思ってるの?』

「え…?」

室内の時計を見れば、夜の八時を回ったところだ。

「八、時だけど…」

『だけどじゃないでしょ!こんな遅くまでどこにいるの!』

耳を突き通るかと思うようなヒステリックな声で叫ばれた。
それに耐えかね、微かに携帯を耳から離す。

『今どこにいるの?早く帰ってらっしゃい!』

「今、友達と…」

『そんなこと言って、女の子じゃないの?彼女がいるのはいいけど、こんな遅くまで余所様の大事な娘さんを連れまわすなんて…』

「ち、違うよ!」

母の声はきっと拓海にも聞こえているだろう。ちらりと見れば苦笑している。

『そうかしら。今日はクリスマスですし?』

「ほんとに違うってば!」

「蓮、貸して」

僕が言っても信用しないと判断したのか、拓海がこちらへ手を差し出した。
それに黙って従うと、彼が携帯を耳に近付けた。
電話口からは、未だに文句を重ねる母親の声が漏れている。

「夜分にすいません、夏目君の友人の須藤です…。はい、申し訳ありません。ええ、すぐに帰しますので。…はい」

彼の言葉に胸が痛んだ。
今日は泊まろうと思っていたのだ。母には明日こっぴどく叱られるだろうが、拓海と離れたくない。
携帯を再び渡されると、早く帰ってきなさいの一言で電話は切られてしまった。
なんて恥ずかしい。拓海に何を言ったのかと思うと。
折角幸せな気分だったのに。それなのに。

「…ごめんなさい。母が…」

「いや、蓮は大切にされているんだね」

「そんなんじゃないです。人一倍厳しいだけで…。変なこと言いませんでした?」

「いや、なにも」

そんな風に言うが母親のことだ。息子を連れ回すのはやめて欲しいとかなんとか、言ったに決まってる。
今日は拓海を不快にしてばかりだ。拓海にとって最悪のクリスマスになっているのではないだろうか。

「残念だけど帰ろうか。送るよ」

「…やです」

「蓮?」

「嫌です!今日は帰りません!」

「…僕も一緒にいたいよ。けど、親を心配させちゃいけない」

「でも!」

「今日は帰ろう?」

「…嫌です…」

こんなことなら母に泊まってくるといえばよかった。
クリスマスパーティーをするから、友人の家に泊まると。
それならば渋々でも了承してくれたかもしれない。
母への怒りが込み上げてじわりと瞳に雫が滲んだ。
離れたくない。久しぶりに会えてとても幸せで、このまま一緒に眠りたかった。
母親なんかに邪魔されたくない。
我儘だとわかってはいるが、今以上に母を疎ましく思ったことはない。

「…それはまた今度にしよう?」

「だ、だって。今日が終わったらお正月に入って…。拓海は忙しくてきっと冬休みまで会えなくて…」

お正月が終わればすぐに三学期が始まってしまう。今日しかチャンスはない。

「僕もできることなら帰したくない。けど、僕たちはまだ高校生だ。親の言うことは守らなきゃ。お母さんだって、意地悪で言ってるわけじゃないんだよ?」

「わかるけど…」

優等生はこんなときまで優等生だ。正論で、言い返す余地はない。
誠実で真面目なところが魅力だと思っていたが、拓海の言葉に歯噛みしそうになる。
玩具が欲しいと大の字になって騒ぐ子どもと同じだ。
みっともなくて、うんざりする。
だとしても譲れない。
母への反抗心で意地になっている部分もあるが、自分にとって拓海と離れていた空白を埋められないのは死活問題だ。

「僕は、今日蓮が無理に外泊して怒られるのが嫌なんだ」

「そんなの大丈夫です。怒られるのは慣れてるし。こんな風に離れる方が嫌です」

「…そんな可愛い我儘言われちゃうとなあ…。本当は帰さなきゃいけないんだけど…。仕方がない、奥の手を使おうか」

「奥の手…?」

「そう。自宅の電話番号教えて」

何をするのかはわからなかったが、自宅の電話番号を携帯で見せた。

「ちょっと待っててね」

すると拓海は誰かに電話を掛け始めた。
まさか自宅に電話したのかと危惧した。
母が拓海に何か失礼なことを言ったら今度こそ我慢できない。
母は自分が逆らうなど夢にも思っていないだろうが、思い切りキレそうだ。

「あ、綾さん?僕だよ。…うん、元気だよ」

しかし、拓海が電話をかけたのは自宅ではなく別の誰かのようだ。綾、と名前を呼んでいるから女性なのは確かだが。

「実はさ、今可愛い子と一緒なんだけど、その子が帰りたくないって言うんだ。だから、ここは一つ」

可愛い子って。言われているこちらは相当恥ずかしい。

「あはは、今度絶対お礼するから。うん、ありがと。さすが綾さん頼りになる。はは、そんなことないよ。うん、番号はねー…」

どんな会話が繰り広げられているのかはわからないが、彼は随分楽しそうだ。

「そう、お願い。夏目蓮って子の家だから。うん、わかった。じゃあお願いね」

「…拓海?」

何をするのか不安になり、拓海の服をくいっと引っ張った。

「蓮の家に、蓮は預かりますって、僕の母親の代わりに言ってもらうんだ」

「…拓海の、お母さんの代わり…?」

「そう、こういう問題は親同士の方が話しが早い。綾さんっていうのは涼のお母さん」

「香坂先輩の…」

「そう。綾さんは柔軟だしこっちの気持ちも理解してくれるから。大丈夫、綾さん口が上手いから蓮のお母さんも丸め込めると思うよ」

拓海は強かに微笑んだが、こちらは首を捻った。
あの母がそう簡単に了承するとは思えないし、今度は香坂先輩のお母さんが嫌味を言われるかもしれない。
なんだか周りの人に迷惑をかけてばかりで、こんなことなら黙って帰宅した方がよかったかと後悔した。
だから子どもは嫌なのだ。誰かに迷惑をかけないとやりたいこともできない。繋がれた鎖は頑丈で、先は親が握っている。早く大人になりたいと切々と思った。

暫くすれば、再び拓海の電話が鳴った。

「もしもしー。はは、うん…。ほんと?さすが綾さん、伊達に涼の母親やってないね。あはは、うん。了解、今度どこでもつきあうから。ほんとにありがと」

会話の内容からするとどうやら上手くいったようだ。
あの母を丸め込むとは、香坂先輩のお母さん、恐るべし。

「…すごいです。うちの母親が納得するなんて」

「まあ、綾さん涼に似てるしね」

「性格ですか?」

「性格も似てるし、見た目も似てるよ」

「じゃあ香坂先輩のお母さんは綺麗な人なんですね」

「うん。綺麗な人だよ」

「それは僕も見てみたいなあ」

「綾さんに惚れちゃだめだよ?」

「まさか」

きちんと感謝しなければ。拓海が今度礼をすると言っていたが、自分もこっそり礼をしたい気分だ。
あからさまにすれば相手が自分だと知られるのでできないが。

気持ちを切り替え、俯いていた顔を上げれば拓海は柔らかい笑顔を浮かべていた。

「蓮とっずっと一緒にいられるの、嬉しいな」

「…なんか、勢いですごい我儘言ってすいません」

「いや、嬉しかったよ。普段もあれくらい我儘でいい」

「普段からあんなに我儘だったら嫌になりますよ」

「そうかな。蓮の我儘は可愛いから、いつでも大歓迎なんだけど」

「…なんか、我儘とか慣れなくて」

「そっか。じゃあ少しずつ僕で練習しな?」

しかし、誰にでも我儘でいいわけがない。
我儘が通るのは拓海に対してだけで、それを笑顔で受け入れてくれるのも彼しかいない。
甘やかされれば嬉しいけれど、嫌われたくないから言いたいことも言えない。
よくないと思いつつも、まだ本音でぶつかるほど、自分たちの距離は近付いていない。
拓海だって、僕に本音を話しているのか怪しいところだ。
いつもいつも、とびきり優しくて、紳士な振る舞いをするけれど、それが拓海の本性なのだろうか。
もしかしたら無理をさせているのではないだろうか。
自分に対しては飾らないでいて欲しい。
かと言って、急いで距離を縮める必要もないと思う。少しずつ、少しずつでいい。
僕たちには僕たちのペースがあるのだから。
本音を言えば素直に自分を曝け出す楓と香坂先輩や、何も言葉を発せずとも繋がっているようなゆうきと木内先輩に憧れないわけではない。
絶対の安心感があって、自分たちも早くそうなれればいいと思うけれど、このくすぐったい距離を保つ時間も楽しいのだ。

「あ、そうだ。もう一つプレゼントがあるんだ」

「…もう一つですか?」

「そう。もう一つ僕の我儘聞いてくれる?」

「勿論です」

「よかった。はい、これあげる。着てみて」

拓海は新たな包みを取り出して、それを僕の胸に押し込んだ。
首を捻ると今日一番楽しそうに微笑んでいる。
着てみて、と言われたことを考えればまた洋服だろうか。
今度はどんな服だろうと、わくわくしながら包みを開けた。
まず、最初に目に飛び込んできたのは、鮮やかな赤。
そして、触り心地のよさそうな真っ白なファー。

「…サンタ…」

なんとなく衣装の全貌がわかり、げっそりしながら広げた。
予想通りサンタの衣装だ。
フードの周りは白いファーで飾られ、大きな白い釦もファー素材だ。
ボトムは膝丈くらいの半ズボンで、やはり縁にはファーがついている。

「蓮に似合うと思って」

「…わざわざ買ったんですか?」

困惑しながら聞いた。こんなコスプレ紛いな物を真剣に買う拓海なんて想像できない。

「うん、可愛いだろ?」

「可愛いと言えば可愛いですけど…」

こういうものは女性が着るからこそ可愛くて、価値があるのであって、自分が来ても気持ちが悪いだけだ。

「着てみて?」

「ぼ、僕がですか…?」

「蓮以外のサンタ姿なんて興味ないよ」

「いや…。似合わないですよ…」

「似合うって。保証する。ね、お願い」

似合ってたまるか。それなりに身長もある男が似合ってたまるか。
逆に似合ったとしたらへこんで浮上できない。
やはり却下と言おうとしたが、きらきらと輝く瞳を向けられれば無碍にもできない。
わざわざ購入した意味もなくなってしまう。
拓海のお願いには非常に弱い。
普段色々してもらっている恩もあるし、彼が望むなら叶えたいのだが、これはさすがに断るべきともう一人の自分が囁く。
もう一度拓海に視線を向ける。やはりきらきらと期待を孕んだ瞳をしている。

「…これを僕が着たらなにか楽しいんですか?」

「楽しいに決まってる」

そんな力説をされてもただただ気持ちが悪いだけだ。

「僕しか見てないから大丈夫だよ」

一番見られたくないのが拓海なのだが。
まだ友人たちの方がましだ。大笑いされて、自分も笑い飛ばして終われるから。だけど彼は違うだろう。まじまじと見つめられ、羞恥で死にそうになるのだ。容易く想像できる。

「お願いだよ」

軽く首を傾げられ、小さく溜息を吐いた。

「…着替えてきます…」

「ありがとう!」

洋服を掴んでふらふらと洗面所へ向かった。
洗面台の前には大きな鏡があり、情けない自分の顔が映っている。

「…あー…」

意味もないもやもやした気持ちが口から吐き出た。
拓海はたまに、何を考えているのかよくわからないときがある。ごく稀にだが。

ゆっくりと着ていた洋服を脱ぎ、真っ赤なそれに袖を通した。
ファーは肌触りがとても心地よく、そして意外に温かい。室内ならばこれ一枚でも充分寒さを凌げる。
ボトムもはき、鏡に映った自分を見詰めた。

「うわー…」

なんとも言葉にし難い。
あまり派手な顔ではない分、原色の服を着ると顔が色に負けてしまうのだ。
今回もきっとそうだろうと予想したが、縁に施されたファーのお陰か、いつもよりかはましかもしれない。
だからといって、可愛いとか似合うなんてことは絶対になく、自分の姿にげんなりした。

「女の子が着たら可愛いんだろうなあ」

華奢な身体にこれを纏えば胸がぎゅっとなるほどに可愛いに違いない。彼女に着せたいと望む男の気持ちもよくわかる。半ズボンではなく短いスカートをはいて、ブーツもはいたらお人形のようだろう。
だが自分が着るのはない。微塵もときめかないし、どんなギャグだ。
鏡を見る度なんの罰ゲームだとか、お笑いでしかないとどんどん気が削がれていく。
この姿で拓海の前に出なければいけないのかと思うと、なかなか扉の向こうに行けなかった。
ドアノブに手を添えては離してを何度も繰り返し、そうして迷っている間に五分以上は経過した。

「…今度こそ出よう…」

笑われるならぱっと済ませてすぐに着替えよう。
意を決し、ゆっくりと扉を開ける。
リビングに拓海がいるであろうと思い、顔だけ出してそちらを見たのだが、彼の姿はそこにはなかった。
代わりに扉が向こうから強引に開けられ、腕を強く引かれた。

「うわっ――」

その犯人は拓海で、僕を腕の中におさめるとにっこりと微笑んだ。

「…あの…!」

「やっぱり想像以上に可愛い」

「いや、あの…」

どうにかしてこの姿を見られないようにと思うのだが、がっちりと背中に回った腕は解けそうにないし、彼の胸に顔を埋めて隠すしかない。

「恥ずかしい?」

「こんなの恥ずかしいに決まってます…」

「そう?よく似合ってるよ。恥ずかしがることなんてない」

「似合いたくないです。こんな変態みたいなこと…。すごく自分が悪いことしてるみたいです」

「そんなことないよ。人生は楽しまなきゃね」

大きく論点がずれている気がする。拓海は楽しいだろうが、僕は地獄にいる気分だ。

「よく見せて?」

「嫌です!」

「蓮がサンタだったら、そのまま帰さないで閉じ込めたくなるなー」

頭上から響く声がとても楽しそうだが、だからといってからかっている様子ではない。
彼はそんなことを本気で考えているのだろうか。だとしたら結構馬鹿だ。

「今日はずっとこの格好でいてね」

「ず、ずっとですか!?」

「うん、ずっと。それが僕へのプレゼントでいいよ」

「ちゃんと物にしましょう!」

「いや、それがいいな」

「いえ!こんなの楽しくないです!物にしましょう!」

「それ以外嫌だって言ったら?」

「…鬼ですか…」

諦めに似た言葉を吐き出すと、拓海は楽しそうにころころと笑った。
とんでもないクリスマスプレゼントだ。
やはりきちんと物を購入するべきだった。

「ルームサービスで夕食でも食べようか」

「………」

結局この日は眠る前までサンタの格好で過ごした。
服を脱がないままのセックスを求められ、こんな変態的な部分があるとは知らなかったと驚いた。
だからといって嫌いにはなれないし、たまにならば彼の趣味に付き合うのも自分の使命だと思うことにした。
本物の天使かサンタを捕まえたようだと彼は大層喜んだが、僕の気持ちが海より深く沈んだのは言うまでもない。

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