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他愛ないお喋りをしているうちに陽が沈んできた。随分長居をしてしまったらしい。
拓海が会計を済ませてくれたのでお礼を言いながら頭を下げた。
「ちょっと歩くけど、寒いしタクシーに乗る?」
「いえ、歩きましょう。折角ですし」
「そっか、そうだね。折角のデートだしね」
肩を並べて街を歩く。
なにも特別ではないごくごく平凡なことだが、寮から離れてデートをする機会は今まであまりなく、とても新鮮だ。
寮から出ても、映画を見に行くとか、ご飯を食べにいくとか、目的性を持っていて。
なんとなくぶらぶらと散歩をするというのも案外心地いいものだ。
けや木坂通りに近付くと流石に人が多かった。
「本当は手を繋ぎたいところだけど」
彼がこっそりと耳元で囁いた。
その願いは自分も同じだ。
しかし、自分たちが普通ではないと重々承知なので、感情に任せて馬鹿な真似はしない。
理性や理屈を常に頭の隅に置いて、不自然がないようにと気を付けている。
「綺麗だね」
「はい」
青くライトアップされたそこは、幻想的な世界だった。
雪でも降ったら尚更美しかったかもしれない。
「なんか、外国のクリスマスみたいですね」
「外国のクリスマス?」
「上手くいえないけど、外国はクリスマスが特別だから、きっと町中こんな風なのかなって。すごく綺麗で素敵なんだろうなって」
「ああ、そっか。いつか行ってみたいね」
「そうですね…」
叶わない願いだろう。でも彼が今そう思ってくれるなら充分だ。
「写真撮ります」
携帯を取り出し数枚写真を撮った。
画面一杯に広がる青い星はデジタルですら輝いている。
「もう少し見ていたけど、寒いから行こうか」
「どこにですか?」
「ついてくればわかるよ」
首を傾げながら彼についていくと、たどり着いたのは立派なホテルのロビーだった。
「夜景がすごく綺麗なんだ。蓮に見せたくて」
「夜景…」
またベタな…。と心の中で思ったが口には出さないでおこう。
ロビーで鍵を預かりエスカレーターに乗り込む。
ホテルなど縁がないので、自分がいていいのだろうかと冷汗を掻いてしまう。
どこかへ家族で旅行なんてしないし、都内に家があればホテルに泊まることもない。
拓海は違うようだが。
「どうぞ」
部屋の扉を開けると、リビングルームのような部屋があり、大きな窓の外はきらきらと輝いていた。
「ほんとに綺麗ですね」
ベタだなあと少し苦笑していたが、実際に見れば素直に美しいと思えた。
「でしょ?下から見るとあまりいいとは言えないけど、上から見ると全然違うよね」
「はい。電気の無駄使いのような気はしますけど…」
窓にへばりつきながら呟いた言葉に拓海が喉を鳴らして笑った。
「蓮ってさ、たまに主婦みたいなこと言うよね」
「しゅふ?」
「そう、奥さんみたい。いい奥さんになりそうだよね」
「男ですからなれません」
頬を膨らませれば、尚も彼は笑いながら悪びれもなく謝った。
「こんな広いホテル入るの初めてです」
旅行に来たかのようにはしゃいでしまう。
部屋を探検して、そしてまた拓海がいるリビングへ戻ってきた。
「蓮、ここ座って」
拓海が、自分の横をぽんと手で示した。
ベージュのソファにおずおずと腰を下ろす。
今日一日、とても楽しかったけれど、恋人らしい距離を保っていなかった。
いつもよりも少し離れて、自分たちは普通の友人同士なんだと装った。
だから余計に緊張してしまう。
こんな風に空間に二人きりというのも久しぶりで。
「はい。クリスマスプレゼント」
拓海はソファの横から大きな紙袋を持ち上げ手渡した。
「あ、ありがとうございます」
それを受け取りながら思い出した。自分がまだプレゼントを購入していないこと。
「開けてみて」
「…はい…」
やはり拓海は用意していた。
できることなら、そうでなければいいと願ったが、まめな彼のことだから有り得ない。
紙袋を開けば、中から薄く柔らかな素材に包まれたものがいくつも出てきた。
「…服?」
「そう。この前コートのボタンがとれたって言ってただろ?」
「…はい。けど、たくさんありますね」
苦笑しながら言った。こんなにたくさんはいらないのに。一つで十分だ。
「最初はコートだけ買おうと思ったんだけど、似合いそうなの沢山あったからつい」
「けど、こんなにもらったら悪いです」
「いいんだ。僕が勝手にしたことだから」
「でも…」
「気に入らない?」
その問いに大袈裟に首を振った。
気に入らないなど有り得ないけれど、でも自分は何もないのに。
一つの包みを開ければネイビーのショートPコート。
「温かそうです」
「裏地が可愛いでしょ?」
「はい」
シンプルなデザインのそれだが、裏地は緑が基調のタータンチェックになっていた。
「着てみせて」
言われた通り、羽織っていたブルゾンを脱ぎPコートを羽織った。
「うん、ぴったり」
「ほんとだ」
「やっぱり似合う。僕の目に狂いはなかったかな」
「あの、すごく素敵です。大事にします…」
「うん。喜んでもらえたなら僕も嬉しいよ」
「他のはなんですか?」
「ああ、他のは、カットソーとか色々ね…。そのブランド、蓮のためにあるみたいにほんとに似合いそうなものばっかりだったんだよ」
にこにことご満悦な彼を覗き見て苦笑した。
プレゼントはもらうよりもあげる方が嬉しいというのはなんとなく理解できるが。
包みを一つ一つ開けながら丁寧に礼を言い、またきっちり畳んで袋に戻した。
貰ったコートを着たまま改めて彼に向き合った。
今度こそちゃんと言わなければ。
こんなに素敵なものをもらった後に言うのは、本当に申し訳ないが嘘はつけない。
「…あの」
とても目を見て言えなくて俯いた。膝の上で拳を作り力を込める。
「…どうしたの?具合でも悪い?」
「いえ、大丈夫です。言わなきゃいけないことが…」
「…なに?」
「あの…。僕、こんなに沢山素敵な物をもらっちゃったのに…」
ああ、何度も考えたのに言葉が上手く喉を通らない。
謝罪くらいはまともに言わなければ。
「どうしたの?」
「あの…。実は僕、拓海に何も買ってなく、て…。ごめんなさい…」
目を見て謝らなければいけないと思いつつも、幻滅された表情をされたらと思うと、怖くて顔は上げられなかった。
「本当にごめんなさい…」
「…なんだそんなこと。もっと重大な発表でもされるのかと思ったよ」
「…充分重大です」
「はは。そうかな」
両頬を拓海に包まれ無理矢理上を向かせられた。
「物なんていらないんだよ」
わかっている。そんなことはわかっている。
拓海は物に不自由しないし、欲しい物があれば自分で買えることも。
けれども、そうではなくて、気持ちを言葉にするのは難儀だから、物という形で表したかった。
それなのに何も購入していなければ、気持ちがないみたいではないか。
「蓮とデートできて、楽しそうな顔を見れて僕も楽しかった。だからいらないよ」
「…わかります。でも、拓海はプレゼント買ってくれたじゃないですか」
まるで子どもの我儘のようだ。
「楓君のことで頭が一杯だったんだろ?友達想いなところも好きだよ」
「違います。それとこれとは話しが別というか…」
「プレゼントくらいでそんな大袈裟に悩まないで。大丈夫だから」
際限なく優しい拓海は、こんなにマイナス思考でうじうじと情けない自分に根気よく付き合ってくれる。
面倒くさいの一言で済まさないところがとても好きだけれど、時にはその優しさが刃になることもある。
いっそのこと責められた方がましだ。贅沢な悩みだ。
「…はい。ありがとうございます」
「もしかしてずっとそれ考えてたの?」
「…昨日の夜、気付いて。それで今日早めに新宿行って探してみたんですけど、だめで…」
「…蓮がたまに悲しそうな顔するから、何かあったのかなってずっと気になってた」
「いえ、本当に楽しかったんです。ただ自分馬鹿だなあと思ってただけで」
「そっか。じゃあこうしよう。今度一緒に見に行こう」
「一緒に?」
「そう、一緒に選びに行こうよ。僕も何か考えておくから」
「でも、遅れちゃいますね」
「いいんだよ。一緒に見に行って、デートできて楽しいよきっと。今度は買い物デートだ。ね?だからもうこの話しは終わり。楽しいデートなんだから、そんな悲しそうな顔しないで」
「…う、はい…」
「よし」
ぽんと頭を撫でられ彼には敵わないと思い知らされる。自分には勿体無い。
こんなに根気よく向き合ってくれるのは彼しかいない。
愛されていると実感できるとは、なんて幸せなのだろう。その優しさに胸が熱くなる。
「あ、じゃあ一つ我儘言っていい?」
「はい!なんでも!」
それで彼の気が晴れるならなんでもする。
俯きがちだった顔をがばっと上げた。
「キスして欲しいな」
「…キス、ですか?」
「そう。蓮から」
彼の可愛らしい我儘に今度は耳が熱くなった。
そんな注文がくるとは想像しておらず目が泳ぐ。
「だめ?」
「だ、だめじゃないです…」
けれども、お詫びなのだから断れない。自分ができることならなんでも叶えてあげたい。
よし、と心の中で自分を鼓舞した。
「…あの、目は瞑ってください」
「えー。顔見えないじゃん」
「見なくていいですから!」
「ちぇー。じゃあそれはまた今度ね」
瞳を閉じた拓海の顔に、手を伸ばして眼鏡をそっと外した。
心臓が飛び出してしまうのではないかと思うほど鼓動が煩い。
キスをするのは初めてじゃないが、自分からするとなると、こんなにも難しかったのか。
いつもどうしているのか思い出せなくて戸惑ってしまう。
楓のときも、拓海といるときもいつだって受け身だった。それがこんなところであだになるとは。
「まだ?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
意を決して、ゆっくりと顔を近付ける。
いつも彼がしてくれる順序を思い出し、両頬を包み震える唇を微かに重ね合わせた。
触れたか触れなかったかわからない程度のそれだったが、すぐさま顔を離す。
「あれ、もう終わり?」
「終わりです」
「ちゃんとキスしてない」
「しました!」
「もう一回。今度はちゃんと」
「ちゃんとしたのに…」
「じゃあ僕からしようかな」
拓海は薄く微笑み、ソファの上に僕を押し倒した。
「っ、わっ――」
驚いたのも束の間、拓海に唇を強引に奪われ瞳をぎゅっと瞑った。
「…んんっ――」
段々と深くなるそれに息が上がる。唇を優しく舐められ、舌を絡める。
「た、くみっ…」
「黙って」
こんなに強引な彼は珍しい。けれども嫌いじゃない。
いつも気を遣ってくれるが、たまには欲望のままに欲しがってくれていい。
理性がきかないほどに欲しいのだと語ってくれたらそれは幸せで。
彼の首に自分の腕を回し、このまま抱かれるのだろうかとぼんやり考えていると、ポケットの中の携帯が鳴った。
お互いに無視するが、なかなか鳴り止まないそれに拓海が身体を離した。
「急用かも」
拓海は微笑むが、僕はあからさまに憮然とした。
こんなタイミングで一体誰だ。
不機嫌丸出しで携帯の通話ボタンを押し、耳元に寄せた。
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