Episode5:恋人たちの



短い冬休みが始まったのは、学園付近が冷たく透明な空気に浚われた頃。
楓と離れるのはとても辛く、心配で仕方がなかったが、彼も家族と一緒にいた方が気分が晴れるのだろうと笑顔で見送った。
お互い都内に住んでいるのだから、冬休み中も会える。
ただ、学園でも常に共にいるのだから長期休暇くらいは彼ものんびりしたいかもと思うと、なかなか会おうと誘えない。

景吾と楓と別れ、自宅へ向かうべく電車を乗り継いだ。
大きなボストンバックをきつく抱え、車窓から流れる景色を呆然と眺めていた。
先輩とも暫くは会えなくなってしまう。
先輩のご実家は、お正月はいつも以上に忙しそうで。
そんなときに自分がのこのことお邪魔できるわけがないし、挨拶回りに付き合わされるのだとぼやいていた先輩の言葉を思い出し、次に会えるのはいつになるのだろうと、酷く落ち込んだ。

目前にはクリスマスが迫っているが、楓の事件に夢中で、お互い約束もとりつけることなく、冬休みを迎えてしまった。
プレゼントも購入していないし、財布の中身も潤っているとは言い難い。
けれども、クリスマスには会えずとも、何か購入しておこうと計画を練っていた。
ふと、車内に最寄駅を告げるアナウンスが響いた。
荷物を抱えなおし、人の波をかき分けて扉からやっとの思いで抜け出した。
家族と会うのも久しぶりで、弟や妹は元気だろうかと想像するだけで胸が弾んでしまう。
歳が離れているせいもあり、可愛くて仕方がないのだが、弟は思春期に差し掛かる歳だし、もしかしたら僕や両親を鬱陶しいと感じているかもしれない。
自分も通ってきた道とはいえ、なんだか寂しいものだ。
自分も思春期真っ只中だが、一番ひどかったのは中等部の最初だけだった。
両親と離れて暮らしているし、母は厳しい人なので派手に反抗した記憶はないけれど。
何度も何度も重い荷物を抱えなおして改札を抜けると、聞き慣れた声が僕の名を呼んだ。

「お兄ちゃん!」

声の方に視線を移せば、妹がこちらに向かって大きく手を振っている。

「菫…」

小さく名を呼び返し、荷物の重さも気にすることなく駆け寄った。

「久しぶりだね」

ふにゃりと笑顔になる妹を見て自分も自然と表情が解れる。

「久しぶり。一人で来たの?」

「うん。迎えにきたの」

成る程。妹が何時にこちらに着くのかとしつこく聞いてきた理由がわかった。
可愛い出迎えをされれば寒さも一気に吹っ飛んでしまう。
可愛がりすぎだと言われればそれまでだが、素直に甘えてくれる存在は、どうしたって可愛いものだ。

「寒かっただろ?」

「ううん、大丈夫だよ」

「何か買ってあげようか。温かい飲み物」

「いいの?」

「いいよ、それくらい」

微笑み、妹の頭を優しく撫でてやれば、妹も満面の笑みで返してくれる。
これほどまでに癒される存在がいるだろうか。
できればこのままでいて欲しいと思うのは、僕の勝手なエゴだろうが、汚い世界など一切目に触れさせたくない。

「何がいい?」

自販機の前で聞けばココアと返事。注文通り、ココアを買い与えた。

「お兄ちゃんは?」

「僕はいいよ。寒くないから」

「じゃあ半分こしようね」

「…そうだね」

小さな手袋をはめ、鼻まで赤くしている妹に、自分が身に着けていたマフラーを巻いてやった。

「寒くないの?」

「お兄ちゃんは強いから大丈夫。菫も風邪ひいたら嫌だろ?」

「うん。けど、お兄ちゃんが風邪ひくのも嫌」

「大丈夫だよ」

自分よりも随分背の低い妹の頭をもう一度撫で、実家までの道を歩き出した。
とは言っても、駅から十分も歩けば実家のマンションに着いてしまうのだが。
学校はどう、とか、友達とは仲良くしているか、とか、久しぶりに会う妹に問いかけると、その都度笑って頷いてくれる。

僕と同じで、どうにも引っ込み思案なところがあり、いじめられてやしないかと心配だ。
とても優しい子なのだけれど、自分の意思をはっきりと口に出せない部分がある。
人のことは言えないほどに、自分もまったく同じなのだが。
楓のように、思ったことを堂々と口に出せたらどんなにいいかと何度思っただろう。
そんな強さがとても羨ましく、とても光って見えていた。

自宅の玄関の前で一度深呼吸をした。
我が家なのだから臆することなく入ればいいのに、長く帰らないともはや他人の家のように感じる。
そしてなによりも戸惑う理由は母親だ。
一般的な母親がどのようなものかは知らないが、うちの母親はかなり厳しい方だと思う。
こんな調子の自分の性格を思えば、母親も大層優しく、穏やかな人なのだろうと想像されがちだが、実際は正反対だ。
母親が人一倍気が強いからこそ、こんな自分になってしまったのかもしれない。それはきっと妹も同じだ。
妹が背伸びをし、インターフォンを鳴らす。
すると、扉の向こうから小刻みな足音が聞こえた。
出迎えてくれたのは弟だった。

「おかえり」

「ただいま。元気だった?」

「まあ…」

今年中学に進学する弟の身長は、少し見ないうちにまた大きくなり、声も僅かに男のそれに近付いていた。
弟は雰囲気からして活発な方ではない。所謂オタクというのだろうか。
友人と遊びに出掛けることもないし、部屋に篭ってゲームをしたり、漫画本を読んだりして、一人の時間を楽しんで過ごしている。
趣味はそれぞれなので構わないが、他人と関わるのも大事だと思うのだ。
余計なお世話だと一蹴されるし、母にうるさく言われているのだろうから自分はなにも言わないけれど。
卑屈な性格は、人と触れ合うことが少ないからか、益々酷くなっているようだ。
靴を揃えて並べ、リビングへと続く廊下を歩く。
そこに母親がいるのだろうかと緊張しながら扉を開けたが、その姿はない。

「…母さんは?」

「買い物」

「あ、そうか」

中学から東城に入学した自分に自宅で部屋があるわけもなく、帰省中は弟の部屋に荷物を置かせてもらっている。

「荷物、置いていいかな」

「いいよ」

テレビからこちらに視線を移すこともなく言った弟に苦笑が零れた。
隣で未だに僕の手を離さない妹と共に荷物を置き、再びリビングに戻った。
ソファに座り、なんとなくテレビを眺める。

このマンションは中学二年生のときに越してきたので、あまり自分の家だという実感もない。
何故かお客としてここにいるような気さえする。
自分の居場所がないから落ち着かないし、寮の自室の方が余程我が家と思える。
こんなこと、父や母には口が裂けても言えないが。

暫くすると、扉が開錠される音と共に買い物袋が擦れる音がした。
母親が帰ってきたようだ。
一瞬にして身構えた自分が情けない。
幼少の頃からの母の厳しい教育で、トラウマに近いものがある。
いくつになっても恐いと感じるのは変わらず、むしろ植えつけられた母親への劣等感は、そうそう直るものではないらしい。
リビングの扉を開けた母親を見て、ソファから立ち上がり遠慮がちに言った。

「ただいま…」

「おかえり。早かったのね」

「うん」

それだけ話すと母はカウンターキッチンへと向かい、食材を冷蔵庫へ入れ、夕飯の仕度を始めた。
久しぶりに対面したはずなのだが、これといった会話もなく、母親の毎日のタイムスケジュールは一寸も狂わず事務的に行われていく。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

僕の服をつまみながら語りかける妹に目線を合わせた。

「どうした?」

「あのね、冬休みの通信簿ね、前よりもよくなったんだよ」

「そうか。よかったね」

「うん。苦手な算数がね、3から4になったの」

「頑張ったんだね」

「うん…」

誉めたはずなのに、妹の顔は曇ってしまった。
怪訝に思い、顔を覗き込むと小さな声で言われた。

「けどね、お母さん誉めてくれなかったの」

「…どうして?」

「5じゃないから…」

母親の教育ママぶりは未だ健在だ。
その集中攻撃を受けるのは長男の自分だけでいいはずなのに、まだ幼い妹までもが標的にされているらしい。

「そっか。けど、菫は頑張ったんだからいいんだよ。偉いよ」

「そうかな…」

「そうだよ。次は5がとれるように頑張ろうね」

「うん!」

成績はいいにこしたことはないが、あまりにもそれを強要されると息が詰まる。
世間への見栄か、それとも自分のプライドなのか、母親の考えていることはいまいちよくわからない。
だがしかし、その母の息子として生まれたのだし、教育方針は彼女次第なので仕方がない。
どうにかできる問題ではないので、諦めた方が楽だといつしか悟った。
実際、東城への入学を勧めたのは母だ。
引っ込み思案な性格を直して欲しいとの願いだったのかもしれない。
厳しい中にも、きっと母なりに愛情を注いでくれていると信じたい。
そうでなければ、二度と家には帰りたくなくなる。

夕飯までの間、妹の冬休みの宿題を手伝ったり、談笑しながら過ごした。
弟は、こちらを気にする様子もなくテレビを見続けている。僕たちの存在すらも、なきものとしているかのように。
とても、楓の家族のように全員で団欒を楽しんだりできる雰囲気ではない。
纏まりもなく、冷めた空気を不快に感じる。
唯一の相談相手であり、優しい父も、去年から単身赴任のため愛知県にいる。
実際のところ、父はもしかしたらこの家から離れて安堵しているのかもしれない。
ヒステリックな母親の性格には、父も僕も愛想をつかしていたのだ。

「ご飯よ、いらっしゃい」

「はーい」

テレビのスイッチを消すように要求され、渋々弟がそれに応える。
ダイニングテーブルに座り、久しぶりに母の料理を味わった。
母の料理は好きなのだけれど、美味しいね、とか、どうやって作るの?とか、そんな会話はしたことがない。
どんな反応をされるか見当がつくからだ。
とにかく、その厳しい瞳で見詰められるのが嫌だった。だから、極力母とは目を合わせずに、害がないよういい子でいようと努める。
溜め息でもつきたくなるような夕食に、寮が恋しくなった。
いつもならば、皆でうるさいくらいにお喋りしながら、美味しく食べるのに。
空気が重ければ、食事も味気なくなってしまう気がする。

「あっ…」

突然、隣に座っていた妹が小さく声を上げた。

「どうした?」

「お箸、落としちゃった…」

「菫、何度言えばわかるの。お箸の使い方が悪いって教えたでしょ」

「ごめんなさい」

「洗ってきてあげるよ」

こうべを垂れ、落ち込む菫が可哀想で声をかけたが、それを母に制された。

「蓮、たまに帰ってきて菫を甘やかすのはやめてちょうだい。自分で洗いなさい」

「はい…」

母が特別菫に厳しいと感じるのは、将来を見据えてだろうか。
嫁ぎ先で恥じをかかぬようにと教育しているように見える。
まだ小学五年生なのに。
菫を守りたいけれど、母が見ていないところでこっそりと励ますのが精一杯だ。
長男としてもっと堂々と、母にも間違っていると言えたらいいのに。
こんな兄で申し訳ないと心の中で謝罪した。

窮屈な夕飯が終われば順に風呂に入り、妹や弟は九時には眠るようにと促される。
弟と同じ部屋である以上、睡眠の邪魔になるだろうから部屋にはいれないし、残る場所はリビングだけだ。
母親と同じ空間にいるだけでも息が詰まりそうになるので、この時間は地獄と言っても過言ではない。
ソファに座りながら裁縫をしている母をちらりと盗み見、小さくなってテレビを見るふりをした。
この無言の空気が一番辛い。

そのとき、天の助けか携帯電話が鳴った。
こちらを一瞥する母親に気を遣い、リビングを抜け廊下でこっそりと電話に出た。

「も、もしもし…」

『もしもし、蓮?僕だよ』

「拓海?」

『うん、ちゃんと家についた?』

「はい、結構早くついて」

『そっか、連絡ないから心配だったんだ』

「あ、すいません…」

久しぶりに帰ってきた家での空気に慣れようと必死になっていて、ついたらメールをと言った先輩の言葉を忘れていた。

『いや、久しぶりに家族と会えたんだし、話したりしてたんだろ?』

「…まあ」

実際は正反対だが、わざわざ恋人にあまり良好とはいえない家庭事情を話す必要もないだろう。

『折角実家に帰ったのに申し訳ないんだけど、クリスマス会えないかな?』

「クリスマス、ですか…?」

『ああ、できればでいいんだけど』

「大丈夫です!」

つい興奮して大きくなってしまった声に焦り、慌てて身を小さくした。

『そう、よかった。じゃあ、二十四日の十に時時に新宿で待ち合わせしようか』

「はい。楽しみにしてます!」

『うん、僕も楽しみにしてるよ。じゃあ、またメールするからね』

「はい、おやすみなさい…」

『おやすみ』

拓海が電話を切るまで携帯を耳から離せなかった。
本当はもっと話していたかったけれど。できることなら今すぐに顔を見たかったけれど。
少し離れただけで禁断症状が出るとは、自分も随分とどっぷり沼にはまったようだ。
バカップル、なんて、楓に揶揄されるわけはこれだ。
飽く迄も僕だけで、彼が自分をどう思っているかはわからないけれど。

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