Episode4:溺れる魚


文化祭が終わり、祭の後の寂しさとみんなで一つの大仕事をやり遂げたという達成感に包まれながら、毎日を過ごしていた。
またいつもの日常へ戻った。
少しだけ虚無感が襲ってくるが、よく考えてみればそんな余裕はない。
もうすぐ須藤先輩の誕生日だ。
つき合ってすぐの頃に先輩に誕生日はいつか訪ね、十一月二十二日だと答えた先輩に、ぞろ目みたいで覚えやすいし、なんだか縁起がいいですねと話した記憶が甦る。
あの頃は誕生日などまだまだ先のはなしで、それまで自分たちが恋人同士でいる確信もなかった。
けれど、毎日先輩と穏やかに過ごす日々は続き、密かに願った通り、そのときまで恋人でいられている。
文化祭の仕事や、毎日の雑事に追われ先輩の誕生日を考える余裕がなかった。
ふとした時に思い出してみても、深く考えもできなかった。
楓に香坂先輩の誕生日はどうしたらいいのかと相談されたときは、心が大事だよと率直に答えたが、いざ自分になると心だけでは足りないような気がして、自分のお小遣いと睨めっこ中だ。
お財布の中のお金、貯金箱の中のお金、通帳を床の上にばらまき、腕を組んで唸る。
ベットの上に寝転びながら雑誌を見てあれ欲しい、これ欲しいと独り言を言っていた楓も、不思議そうな視線を向けた。

「なに、どうした。欲しい物でもあんのか?」

「…欲しいものって言えば欲しいものだけど、その物が何かわからないし…」

「…意味わからん。馬鹿にもわかりやすく説明を」

「いや、先輩の誕生日何買おうか悩んでただけ」

「ああ、須藤先輩の…」

「そう。もうすぐなんだ。楓は結局何あげたの?」

香坂先輩の誕生日まで、楓は一生懸命考えてたし、きっと答えがみつかり素敵な品物を贈ったに違いない。

「…俺はケーキ」

「ケーキ…」

期待外れの言葉に一瞬ぽかんとした。
ケーキは基本中の基本で、それにプラスしてなにか贈らなければいけないと思いあぐねていたからだ。

「あとは香坂が欲しいっていうから、俺がずっとつけてたアンクレットあげた」

楓は言いながら右足をこちらに向けた。
言われて初めて気付いたが、楓がいつも身に着けていた銀色の鎖型のアクセサリーがなくなっている。
楓はそれをとても大事にし、それ以上に気に入っていた。
香坂先輩もそれを理解した上で、お金では買えない楓の分身のようなそれを欲したのかもしれない。
想像してみると、いつも不遜に笑っている香坂先輩が少しだけ可愛らしく思えた。

「香坂先輩嬉しかっただろうね」

「そうか?お古だぞ?」

「でも、楓が大事にしてた物じゃん。ずっとつけてたし、気に入ってたでしょ?それを貰えるって嬉しいよ」

「えー。俺なら絶対新品の方がいい」

「これだから楓は…」

わざとらしく溜息を吐くと、なんだよと頬を膨らませた楓がこちらに近付き、罰と言わんばかりに両手で髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
ふわふわの猫っ毛なので、一度絡まると解くのが大変なのだ。
わかっていて、こうしてたまに悪戯を仕掛けてくる。
プロレス技をかけられないだけましだけど。
景吾と楓はいつも教室の後ろでそんな遊びをしては、子どもだと秀吉に馬鹿にされている。

「で、お前は何あげんの?」

一通り髪を爆発させて満足したのか、楓は手を引っ込めた。
恨めしそうに楓を見ながら手櫛で絡まった髪を宥める。

「…全然決まらないから悩んでるんだよ」

「須藤先輩も欲しい物は自分で買うだろうしな。なんかさ、些細なものでも、お揃いとか好きそうじゃね?」

「お揃い?」

「そう。須藤先輩、蓮にベタベタだし、一昔前のラブラブカップル的なペアとか好きそうじゃん」

馬鹿にされたようで多少むっとする。
楓に悪意はないとわかっているが。

「そんなことないと思うけど」

「あるって。まあ、一番喜ぶのはお前が全身にリボンでも巻いて僕をあげる、だろうけど」

「楓こそ発想が古いし、須藤先輩は理性の塊ですから」

「古いとはなんだ!しかも俺が理性ないみたいじゃねえか!」

「事実だし」

お返しとばかりにつんと顔を背けると、再び髪をもみくちゃにされた。
あまりためにはならないアドバイスはすっぱり忘れるとして、悩みはどんどん深くなっていく。
全然わからない。須藤先輩の好みは薄らとしかわからないし、なにか欲しいという言葉も聞いたことがない。
実用的なものが好ましいが、的を絞り切れない。
有難迷惑なものにならないようにだけはしたい。
思い切って先輩に聞こうか。
一人で悩んでも答えは一生見つからない気がする。
優柔不断だから、悩むだけ悩んで結局何も買えない未来が容易く想像できる。
ぎりぎりになって青ざめて先輩に泣くつくくらいならば、早々に問題を解決しよう。
サプライズにはならないが、そもそもサプライズなど格好いい演出は自分には無理だ。
気合いを入れ、先輩の部屋に行く決意をした。
再びベットで横になる楓にちょっと出てくると断り自室を後にする。

先輩はなんと言うだろう。
何でもいいよ、なんて笑うだろうか。
気を遣ってなにをもらっても嬉しいから、と言うかもしれない。
それが少し苦しくもある。
もっと何でも言ってほしい。自分だって男だ。恋人の我儘も聞きたい。
先輩相手じゃ自分の方が子どもで、それは仕方のないことだけれど、少しでも頼られる存在になりたい。
楓と香坂先輩のように、お互いがお互いをしっかり支えて、喧嘩をしながらも何でも言い合える仲になりたいのだ。
須藤先輩は穏やかで、一緒にいるととても心が落ち着くけれど、薄いベールのような壁が自分たちの間にはあるような気がする。
そのベールを取っ払うのは難しく、一歩を踏み出す勇気がない。
お互いがそんな調子で、剥き出しの心でぶつかれない。

須藤先輩の部屋の前で一度深呼吸をした。
遠慮がちに扉を叩くと、気怠そうな声と共に香坂先輩が顔をだした。
僕を見て一瞬驚いたように瞳を丸くして、軽く首を傾げた。

「珍しいな、蓮から来るなんて」

「あの、須藤先輩は…」

「拓海なら仁のところ」

部屋にいるだろうと思い込んでいたので、肩をがっくりと落とした。

「そうですか…」

「用があんだろ?部屋入って待ってろよ。すぐ帰ってくると思うし」

香坂先輩は楓と話すときより少しだけ優しい声色で言った。
気を遣ってくれている。ぶっきら棒だが、優しい人だと思う。

「ほら、寒いだろ。入れよ」

強引な香坂先輩には逆らえず、言われるままにお邪魔した。
定位置のソファに座ると、香坂先輩も近くに腰を下ろす。
楽しくじゃれ合うような仲でもないので、何を話せばいいのかわからない。
沈黙は気詰まりするし、けれども口が達者ではないので混乱する。

「…もうすぐあいつの誕生日だな、何あげるか決まったか?」

香坂先輩が会話の糸口を探してくれて、ほっと息が零れる。

「それがまだ決まってなくて…」

「そうか…。あいつの欲しい物とか俺もわかんねえなあ…」

長く友人関係を続けている香坂先輩ですら検討がつかないなら、自分が悩むのも当然の気がしてきた。

「今まではどんな物あげてたんですか?」

「なんか適当に好きそうな服とか。あと、あいつ眼鏡かけてるだろ。伊達だけど。だからそんなんあげたりとか」

自分が候補にあげていた物は、過去に友人たちが贈ったらしい。
またもやがっくりと肩を落とす。

「拓海は物欲があんまりないし、お前からなら何でも喜ぶから。そんな不安そうな顔すんな」

香坂先輩はぽんぽんと頭を軽く叩きながら微笑んだ。

「…香坂先輩は楓に貰った物、嬉しかったですか?」

香坂先輩の足首で鈍く光る銀色を眺めながら言った。
すると、今まで見たことがないくらい優しい顔で控えめに笑った。
その表情だけで、言葉はなくとも伝わってくる。
楓は香坂先輩がわからないとか、どうせ浮気していると言うが、本人には見せないだけで想ってる深さは相当なものだろう。

「楓のこと、すごく大事なんですね」

率直に思ったことを言えば、香坂先輩は照れたように顔をすいと背けた。
完璧な香坂涼しか知らないけれど、随分子どもらしい面も持っている。
当事者同士が気付かないだけで、この二人は同じくらい子どもで、同じくらい真っ直ぐに相手を想っている。
微笑ましいことだ。

「…まあ、俺のはなしはともかく」

わざとらしい咳払いを加えながら香坂先輩は続けた。

「お前が悩んで選んだものに拓海は文句言ったりしねえよ」

「そうでしょうか」

「拓海は蓮中心に世界が回ってると思ってる馬鹿だからな」

「そんなことは…」

「いや、マジで」

思いきり顔を顰める香坂先輩がおかしくて小さく笑うと、香坂先輩も安心したように笑った。
須藤先輩はとてもいい人で、いい人の友達もいい人だ。

須藤先輩本人に何が欲しいか聞こうと思ったが、やめた。
自分で一生懸命悩んで、考えてプレゼント買おう。
彼を想って悩んだ時間の分だけ、須藤先輩は喜ぶ。そんな気がする。

「じゃあ僕そろそろ帰ります」

「拓海待ってなくていいのか?」

「はい。ありがとうございました」

ソファから腰をあげ、霧が晴れたようなスッキリした気持ちで香坂先輩に頭を下げた。
扉へ向かい、ドアレバーに手をかけようと思ったとき、反対側から扉が開いたから驚いた。

「…あ、れ?蓮、どうした?」

「…ビックリしました…」

「それはこっちのセリフ。僕に用だった?」

「はい。でも、もう大丈夫です」

笑いながら告げると、先輩はちょっと困ったような、怒ったような表情をした。

「…涼に変なことされなかった?」

「おーい、聞こえてんぞー」

香坂先輩はソファに座りながら首だけをこちらに捻った。

「聞こえるように言ったんだよ」

「うーわ。嫌味な奴。ないってわかっててそういうこと言うのな」

「涼のことだから、ないとは断言できないだろ?」

二人の喧嘩すれすれの応酬に小さく声を出して笑った。
本当に先輩たちは仲がいい。
決して群れるわけじゃないし、お互い素っ気ないと思う部分もあるが、心から信頼している友人なのだと思う。
もし須藤先輩に何かあったら香坂先輩も木内先輩も飛んでくだろうし、逆もまた然り。

「折角来たんだからもう少しいたら?」

「でも」

「涼とばっかり話して帰るなんて、妬けちゃうな」

髪をふんわりと撫でられて俯いた。

「そこのバカップル。俺の前でいちゃつくな」

「ああ、ごめん。視界に入らなくてね」

「…そうですか…」

須藤先輩は扉を閉め、僕の背中を優しく押してソファへ促した。
否定する理由もなく、また逆戻りだ。
香坂先輩を押しのけるようにソファから追い出し、隣に須藤先輩が腰かける。
香坂先輩はぶつぶつと文句を言いながらラグに直接座った。

「そういや楓は何してんだ?」

「楓なら部屋で雑誌見てました」

「まただらだらしてんのか。あいつも勉強しねえからな。だから頭悪いんだよ。蓮からも言っとけよ」

「勉強しようとは言うんですけど、なかなか…」

苦笑すれば、やれやれといった様子で香坂先輩は首を竦めた。

「で、二人で何話してたのかな?」

微笑みながら須藤先輩に問われ、ぐっと息を呑んだ。
言えない。口が裂けても言えない。
先程まではもう本人に聞いてやれと自棄っぱちになっていたが、まだその段階ではないと思い直したばかりだ。
黙って視線を泳がせていると、香坂先輩がすかさず助け船を出してくれた。

「それは内緒。な、蓮?」

それに遠慮がちに、はいと答えてしまったから大変だ。
そこからまた須藤先輩と香坂先輩の冷戦が始まってしまった。
本気で喧嘩してるわけじゃないし、これも二人なりのコミュニケーションのとり方なのだとわかっているが、聞いてるこっちははらはらする。
こんなことなら素直に頷くんじゃなかった。
終わりが見えない冷戦に、小さく吐息を零した。

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