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火曜日、朝の七時十分前。
朝は得意な方だがさすがに眠い。
昨日は深夜三時くらいに漸く眠れた。
「眠そうだね」
欠伸を噛み殺しているが、とろんと重くなる瞼が厄介だ。
ただでさえ垂れ目なのに、これではますます馬鹿にされる。
先輩は昨晩のことはなかったかのように普段通り、優しく接してくれる。
自分もなかったことにして自然に振る舞わなければいけないと思っているが、何処かぎこちなくなっている。
風紀点検の開始を告げる時刻になり、きょろきょろと辺りを見回した。
「生徒会の方が来てくれるんですよね?」
僕達だけでは大変なので、生徒会役員も一人応援に出すと聞いていたが、今校門の前にいるのは僕と先輩二人だけだ。
「そのはずなんだけどね…ああ、来たよ」
まだ人気のいない校門近く、一人の男がこちらに向かって歩いて来る。
眠い目を擦ってしゃきっとしなければと頬を軽く叩いた。
生徒会に迷惑をかけないよう、できるだけ仕事をきちんとしたい。
こちらに近付く人を凝視した。
生徒会なのだろうかと疑いたくなる風貌だ。
須藤先輩の方がよっぽど役員に見えるといったら失礼だけど、薄らと茶色く染められた髪に、片耳には三つピアスをつけている。軟骨部分には輪っかのピアスがあり、見ているほうが痛々しい。
赤い縁の眼鏡をかけていて、それが髪色と合っていて怜悧な顔立ちを一層惹き立てていた。
「おはようございます」
その人は欠伸をしながら、さもダルそうに僕達に挨拶をした。
「おはよう有馬。遅刻じゃないか」
「私低血圧なんです」
にこりともしない表情は恐ろしいが、ゆうきで見慣れているので多少の免疫がある。
「有馬、紹介するよ。夏目蓮君だ。いじめないでくれよ」
「はじめまして。二年の有馬玲二です。いじめたりなんかしないので安心して下さいね」
有馬先輩は口の端を上げながら握手を求めてくる。
おずおずとそれに応えれば、素直な一年生は可愛いといわれた。
有馬先輩と須藤先輩はどちらも長身で、顔のタイプは違うけれど二人並ぶと迫力がある。
やはり自分も背を伸ばすために頑張らなければ。
関係のないところで一人で決意を新たにする。
「有馬、蓮にはちょっかい出さないでくれよ?」
「安心して下さい。好奇心で男にちょっかい出す馬鹿じゃないんで」
「有馬は頭がよくて助かるよ」
笑いながら話してるが、内容はとても笑えたものじゃない。
表面上穏やかな二人にの裏には不穏なものが漂っていて、空気を読むのが下手な自分は黙るしかできない。
有馬先輩曰く、風紀点検なんてやっても無駄だから特に何もしないでいいらしい。
校門で立って、形だけ点検をしていると見せればいいと。
あとは遅刻者を取り締まるが、それは有馬先輩がやってくれるらしい。
登校してくる生徒がみんな好奇の目で僕たちを見る。
風紀点検は生徒会の仕事で、まさか風紀委員会が活動をしているなど思わないだろう。
委員会とは名ばかりの帰宅部というのは暗黙の了解だ。
「須藤先輩、おはようございます」
「おはよう」
先輩を特定して挨拶する人もちらほら。
須藤先輩は面倒見もいいし、雰囲気も柔らかいので後輩に慕われると思う。
木内先輩や香坂先輩には怖くて近付きたくないけれど、須藤先輩はあの二人とは違う。
頼れるお兄さんのような空気は後輩にはありがたいものだ。
先輩は誰にでも優しさを与えるし、そこが先輩のいいところだと思う。
でも、それがたまに辛かったりもする。
みんなに優しかったら僕だけが特別かなんてわからない。
子どもじみた不安だと、自分でも呆れるが止まらない。
須藤先輩を疑ったりしたくない。疑われる要素もないし、こちらが不安に思う前に対処をしてくれる。
それでも安心できないマイナス思考な自分が嫌になる。
「もう帰って頂いて構いませんよ。お疲れ様でした」
抑揚のない声で有馬先輩が解散を告げた。
「蓮、行こうか」
「はい…」
校舎まで歩きながらも、先輩の顔を真っ直ぐに見られない。
昨日の今日だからというのもあるし、汚い嫉妬をした自己嫌悪も要因だ。
「蓮、どうしたの?元気ないね。眠い?」
「いえ、大丈夫です…」
僕の変化に誰よりも早く気付いて、こうして声を掛けてくれるのは先輩なのに。
「何かあった?話してごらん。授業が始まるまではまだ時間があるし」
グラウンド近くにあるベンチに座らされ、促される。
なにを聞かれても絶対に答えられない。
正直に話していいことと、悪いことがある。今回は後者だ。
「本当に何でもないんです」
俯いていた顔を上げて無理矢理笑顔を作った。
「…本当に?」
「はい」
今うまく笑えているだろうか。
「蓮がそう言うなら…」
「須藤先輩は心配性ですね」
冗談を言いながらベンチを立ち、再び校舎へ歩き出した。
変に気遣わせてばかりだ。
こんなんじゃ愛想を尽かされる。もっとしっかりしなきゃ。
弱い部分は捨てて、もっと強くならなきゃ。
焦りばかりでちっとも前に進めていない気がする。
別れ道の階段で、昼食を一緒に摂ろうと誘われたがとてもそんな気分にはなれなかった。
先輩の前で無理に笑顔を作れる自信はないし、落ち込むと後を引いてしまう。
少しの間頭を整理する時間をもらって、放課後にはまた笑えるようにしなければ。
「…今日はみんなで食べる約束してて…ごめんなさい」
「…わかった。じゃあまた」
「はい…」
最後まで先輩の瞳を見れなかった。
先輩が優しくすればする程、自分が情けなくなる。
正面から向き合いたいと思うのに実行に移せない。
優しさや好意を寄せられる価値が自分にはあるのだろうか。自問自答しても仕方がないのにいつだってそう思う。
恋愛は疲れる。
楓のときには感じなかった焦慮感や、心の隙間が一気に押し寄せて、それをうまく処理できない。
恋愛初心者の僕には先輩はハードルが高すぎたような気さえしてくる。
ただ好きなのに。
好きな気持ちが増えれば、その分醜い感情も増えていってしまう。
気持ちだけではなにも片付かない。
こんな煩雑な感情なくなってしまえばいいのに。
深い溜め息を一つついて自分の席に着いた。
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