Episode3:ストップ

須藤先輩と交際を開始して暫くすると夏休みに入った。
それぞれ実家へ帰るので、あまり一緒にいられない寂しさをぐっと堪えた。
我儘を気軽にいえるほどお互いを知らないし、知っていたとしても自分本位にはなれないだろう。受動的な性格は一朝一夕で直るものではないらしい。

そんな僕の気持ちを察してか、須藤先輩が夏休み家に遊びに来るといいと言ってくれた。
先輩は両親と二人の兄がいると教えてくれ、会えるのを楽しみにしていたが、実際に会えたのは母親と二番目のお兄さんだけだった。
先輩の実家はいくつかの病院を経営していて、お父さんからお兄さんも全員医者だ。
病院が忙しく、泊りがけで何日も帰らないこともざらだと言う。
多少がっかりしたが、それでも楽しかった。
先輩の母親は想像通りにとても優しい人だし、お兄さんも明るく、茶目っ気があっていい人だった。
先輩の生まれ育った街を見て、家を見て、家族に会って。
まだ知らないことの方が多いが、ぐっと距離が近くなった気がした。
短い滞在を終えたあと自分の家へ帰ったが、毎日メールをくれたり、時間があるときは電話をしたり、距離に心が挫けないように気を遣ってくれた。



夏休みが終わって、二学期が始まった。
休み明けテストも終わりほっとしていたところに委員会の集会があり、初めて活動をすることになった。
休み明けで気が緩んだ生徒が多いので、朝から校門で服装検査をしてほしいというものだった。
いつもは生徒会役員が行っているが、人も時間も足りないので風紀委員にお願いすると言われたのだ。
本来ならば風紀委員がしなければならない仕事で、今までがおかしかっただけで。
気弱な自分が服装検査などできるのかと憂鬱になったが、須藤先輩と二人一組で行うことになり、そんな気持ちも霧散した。
たかが委員会の仕事でも、共にできるのならば一気に楽しみになってしまう。
現金な人間だと呆れるが、正直な気持ちだ。

当番は火曜日だ。明日はいつもより一時間くらい早起きをしなければならない。

「蓮の部屋に泊まるから、そのまま一緒に行こう?」

寮での別れ際、そんな提案をされ頷いた。
楓には毎回毎回申し訳ないが部屋を開けてもらい、今は先輩と二人きりだ。

「お腹いっぱいでしばらく動けなさそうです」

「今日はたくさん食べたもんね」

学食から部屋へ戻り、膨れ上がったお腹を擦る。
先輩が、細いからたくさん食べなさいと勧めるものだから、曖昧に笑いながらいつも以上に食べてしまった。

そのままテレビを見たり、話したりしているとあっという間に時間が過ぎ、吐き気すらもよおしそうだったお腹もだいぶ落ち着いてきた。
時計を見てそろそろ風呂に入り、早めに就寝しなければと思う。
そこで一つひらめいた。

「先輩はいつも部屋のお風呂に入ってるんですか?」

「そうだね、部屋で済ませることが多いかな。疲れたときは大浴場に行って湯船に入るけど」

「僕、大浴場まだ行った事ないんですけど、今日一緒に行きませんか?」

「…大浴場かい?」

須藤先輩は顎に指を持っていき、なにか考えている様子だった。
ゆうきや楓は面倒だと嫌がるし、景吾を誘おうと部屋を訪ねたときにはもう寝ていたり、なかなかタイミングがあわず仕舞いだった。

「だめ、ですか?」

「だめじゃないけど……僕以外の人間に蓮の肌を見せるのは嫌だなあ」

「な、なに言ってるんですか!」

耳朶まで顔を赤くして、無意味に両手を小さく振った。
だいたい、男の裸など誰も気に留めないし、女性ではないのだから隠す必要もない。

「蓮が行きたいなら行こうか。でも、これからも僕と一緒じゃないときは行っちゃだめだよ?」

「そんな…大丈夫ですよ」

過保護にせずとも同じ同性の身体だ。覗き見て楽しいと思う人間などいない。

「だめだめ。念には念を。石橋を叩いて渡るのが僕の性分だからね」

「…わかり、ました」

須藤先輩も楓に負けず劣らず頑固な部分がある。
どんなにお願いをしても聞き入れない。譲歩すらせず、はっきりと白黒つけられる。
大概のことは笑って許してくれるけれど。

パジャマと石鹸などを持って大浴場のある階へ向かう。
大浴場の扉を開けると広い脱衣所があり、その向こうに湯気ではっきりは見えないが、大きなお風呂があるらしい。

温泉のようで心が高揚する。
中等部の頃はよく大浴場を利用していたが、高等部にあがって初めてで、久しぶりに足を伸ばしてお風呂に入れると思うとはしゃいでしまうのも仕方がない。
急いで服を脱いぎ、まっすぐお風呂に行こうとしたが、先輩にタオルを腰に巻けと怒られた。
そういう決まりなのか尋ねると、決まってはいないがそうしてくれとお願いされる。
お風呂にタオルなんて慣れないし、同じ男なのだから平気だと言うが、だめだと一蹴された。
渋々タオルを身に着けて風呂へ続く扉を開けた。

「わあ…すごい」

中には大きな風呂とそれより二回りくらい小さい風呂があった。
先に身体を洗い、わくわくと胸を躍らせながら湯船に浸かる。

「やっぱり大浴場の方がいい?」

「はい。いつもシャワーだけだから、こうやってお風呂に入れるの嬉しいです。やっぱり大きいお風呂は気持ちいいですし」

「それはよかった」

微笑む須藤先輩を見て気付いた。眼鏡を外している姿を見たのは初めてかもしれない。
眠っているときは外しているけれど、いつも自分が先に寝てしまうので、じっくりと見る機会がなかった。
たかが眼鏡、されと眼鏡。一つのパーツがなくなっただけで随分と雰囲気が変わってみえる。
いつもの須藤先輩は理知的で優しそうで、文句なしの好青年だ。
けれど今は柔和な雰囲気の代わりに男らしさがぐっと強くなっている。

「どうしたの?」

「あ、いや、先輩が眼鏡外してるのちゃんと見たの初めてだなって」

「そう。蓮はどっちが好き?」

微笑まれて、うーん、と唸った。
どちらも須藤先輩なので、どちらがいいというのはない。
違った魅力があっていいと思う。
けれど、長い時間を共にしている自分ですら滅多に見れないということは、それなりに貴重だし、特別感がある。
自分に与えられた特権としてこの姿を見たいと思うのは、とても欲深なのだろうか。
須藤先輩は特に意識しているわけではないだろうけれど。

「僕といるときは外してもいいけど、皆の前ではかけてほしい…かな」

口にした後にとんでもないことを言っていると気付き、もごもごと語調を弱くした。
顔をが赤くなっているのを気取られないように俯いた。

「じゃあそうしようかな」

先輩はふっと笑い、僕の髪をかき上げた。

ますます顔が赤くなるのでやめてほしい。とはいえず、終始俯いたままだった。

他人の裸体には慣れている。見るのも、見られるのも気にしない。
けれど、裸の須藤先輩がこんなに近くにいるのだと思うと変に意識をしてしまい、大浴場へ来たのを後悔した。
そこまで考えが及ばなかった。
邪な想像をしていると知られないように、須藤先輩に背を向けた。

「あ、あんまり長く入っているとのぼせるので、僕先に出ますね!」

逃げるように風呂を後にし、寝間着に着替えた。
なにを考えているんだ自分は。頭を冷やせ。
ぐったりと項垂れながら何度も何度も戒める。
その内須藤先輩も出てきて、途中冷たいお茶を購入して部屋へ戻った。

「ちゃんと髪乾かしなよ」

困ったように言われ、大人しく従った。
ふんわりとした癖っ毛なので、ドライヤーで乾かしても乾かさなくても変わらないけれど。

「明日早いのでそろそろ寝ましょうか」

「そうだね」

電気を常夜灯にし自分のベッドへ潜る。
一年の部屋は二年生の部屋と違い一室だけなので、両側の壁際にベッドが二つ備えられている。
先輩は泊まるときはいつも楓のベッドで眠る。楓が使って下さいと言ったらしいのだ。
今日もすんなりと楓のベッドに入ってしまった。
それがたまに寂しい。
楓は付き合っていた頃はよく一緒に眠ってくれた。
眠る時間さえ離れているのが惜しいのだと言って。須藤先輩は自分にそんな深い気持ちになってくれないのかと思うとちくりと胸が痛む。
ぼんやりと薄暗い室内に目が慣れ、須藤先輩を見るように横になった。

「先輩、何でいつも楓のベッドで眠るんですか?」

「うーん…戦うため、かな?」

「誰と?」

「理性と」

「…理性、ですか…」

生身の男で、しかも高校生だ。付き合い始めたら身体が欲しいと思うのも当然で。
楓に求められたときはあまり深く考えずに応じたけれど、須藤先輩はそうではないらしい。
男同士で交際している時点で背徳感が生まれる。
身体を重ねればそれはもっともっと胸を一杯にするのだろうか。
自分と違い、思慮深い須藤先輩が考えていることはよくわからないけれど、背徳感や罪悪感で押し潰されるほど、いけないことなのだろうか。
好き合っている者同士が、単純に好きだから身体を求めるのは自然だと思っていたが、やはり男同士では自然な行為も不自然に変わるのだろうか。
ぐるぐると考えてみたがよくわからない。

「蓮?」

「…すいません、ぼうっとして…変なこと聞いてごめんなさい…」

尻すぼみになりながら言い、顔を隠すように鼻先まで布団を引き上げた。
すると、須藤先輩が起き上がり、僕のベッドの傍に腰を下ろした。
ふんわりと髪を撫でられ、視線だけ先輩に移した。

「蓮、僕は変な意味で言ったんじゃないんだよ?蓮と一緒にいたら抱きたくなっちゃうから、だから別々に眠るって意味だからね」

「だ、だきっ…」

あまりにもストレートな言葉に、先ほどまでの不安がふわふわと消えて、代わりに羞恥でいっぱいになる。
そういう対象に見てもらえるのは素直に嬉しいし、拒んでいるわけではない。
恥ずかしいし、須藤先輩は同性同士で付き合うのも初めてなので、いざそうなったときにやはりできませんでした、となるのではないかという不安もある。
どんなに頑張っても同じ身体で、ふくよかな胸はないし、身体もごつごつと固い。
同じ性器を見れば萎えるかもしれない。
セクシャリティの問題は、気持ちだけで乗り越えられない場合もあると思う。
こちらは初めてではないし、先輩が望むならどんなことにも応える覚悟はできてる。
けれど、先輩はそんな素振りを見せなかったので、葛藤や迷いがあるのだと思っていた。
男女の交際のようにすんなりと段階は踏めない。
ゆっくりゆっくり、自分の気持ちを振り返りながら先へ進まないと大誤算が待ち受けている。
だから先輩が気持ちを固めるまでいくらでも待とうと思っていた。
しかしそう思っていたのはお互い様で、余計な一方通行の気遣いをしていたようだ。

「ごめんね。困らせてしまったかな」

「そんなことないです。あの…」

なんと言えばいいのだろうか。
自分から誘うような言葉は吐けない。
こういう場合はどんな答えが正解なのか見当もつかない。

「いいんだ。蓮が許すまでいくらでも待つつもりだから。蓮を傷つけたいわけじゃないし」

そうじゃない。僕なら別に構わない。
貞操を守る女の子ではないのだし、望まれれば否とは言わない。
だからといって、そんな言葉を言えるわけもない。
須藤先輩の優しい勘違いを壊すのも憚られる。
もしかして、僕が清い身体だと思っているのだろうか。
間違った答えを口にすれば、淫乱と嫌われるかもしれない。
どれもこれも不正解な気がして口を噤み、頷くしかできなかった。
先輩は安心したように微笑み、おやすみのキスをひとつくれて、ベッドへ戻って行った。

とても複雑な気持ちだ。
したくないならしなくてもいい。
正直に言えば、高校生男子ではそれでは物足りないと思ってしまう。
それでも、須藤先輩が躊躇うならと我慢してきた。
かといって自分から切り出すのは絶対に無理だ。
須藤先輩が僕に対しどんな理想を抱いているのか知らないが、それを崩したくない。
嫌われるくらいならばこのままの方がよっぽどいい。
でもいつかは決着をつけなければ。
須藤先輩も生身の男なのだからいつまでも許さない恋人をじれったく思うだろう。

どうしよう。
誰かに相談するわけにもいかない。
明日は早起きしなければいけないのに、こんな風ではとても眠れない。

先輩のベッドをちらりと見れば、規則正しい寝息が聞こえた。
僕だけが混乱して、先輩は澄ました顔で眠っている。それが少しだけ、悔しかった。
先輩にとって恋愛は手慣れたもので、頭を悩ませる必要もないのだと思う。
けれど子供の自分には、恋愛の手順なんてわからない。
マニュアルはないし、人それぞれの方法がある。
楓と香坂先輩の付き合いを参考にすればいいというわけでもない。
だからこそ、自分で模索し解決しなければならないが、それがとても苦労するのだ。
こういう時はこうして下さい、そんな風に誰かが決めてくれたらいいのに。
恋愛経験豊富がだったら、こんなに悩まなかったのだろうか。
自分一人だけがぐるぐると寄り道をしているようだ。
須藤先輩は真っ直ぐ、決められた道を歩けるのだと思う。
先輩は今まで、どれだけの人と恋愛をしてきたのだろう。
ちりちりと胸が焦げるように痛くなり、馬鹿なことを考えないよう首を横に振った。
時計の秒針の音が凛とした空気の中で一定に鳴り続ける。
やけに耳に残るその音にとても嫌気がさした。

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