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「佐野ー」

「はい」

部長に呼ばれ席を立つ。部室の隅で窓の外を眺めていた部長に肩を組まれ大事な話しがあると囁かれた。

「大事な、話し…」

「そう。お前は真面目な部員だし、同席してもらうから」

「…はあ…」

写真部は半分以上が幽霊部員。部長副部長と適当に部活に顔を出すほどほどのメンバーで構成されている。
自分はまだカメラや写真について勉強不足ではあるがこれから一生懸命勉強しようと決め、できるだけ毎日部室に顔を出している。
一体なんの話しだろうと身構えると、部室をノックする音と共に二年の先輩が顔を出した。ネクタイの色から判断したのだが、写真部ではないし、学園内で見かけたこともない。

「よお泉、久しぶり」

「お久しぶりです」

「入って、入って」

狭い部室でパイプ椅子を引っ張り出し、泉、と呼ばれた先輩と対峙して座った。

「これ、約束の」

部長が真っ白い封筒を差し出し、泉先輩が中身を確認すると、彼も茶封筒を部長に差し出した。部長は中身を取り出し、一、二、と数えている。

「ぶ、部長、それお金…」

「まあまあ佐野。それはこれから説明しよう。こちらは泉君だ。たまに依頼をしてくれる」

「依頼…?」

「ある人物の写真を撮ってほしいという依頼だ。それと引き換えにお金を受け取る。非常に少ない部費の足しにこういう依頼をちょくちょく受けている」

「それ肖像権の侵害なんじゃ…」

「ふはは、日本の法律に肖像権というものはない!肖像権の侵害で罰せられることはないのだ!まあ、名誉棄損や迷惑防止条例にひっかかることはあるかもしれないが…」

「でも倫理的にどうなんでしょう…」

「勿論、危ない写真はダメだ。着替え中とか」

「着替え中じゃなくてもダメだと思いますけど」

「違う違う。普通に写真を撮ってたらたまたま写っちゃった体だから」

「体って言っちゃってるし…」

「誰彼構わず依頼を受けるわけじゃないぞ。悪用しない信頼できる者だけだ」

「…はあ」

軽蔑の篭った瞳で部長を見る。呆れたと言うと泣きそうになりながら肩を揺さぶられた。

「だって年々部費下げられるし!高杉も有馬も目立った成果なしって容赦なくばっさりいくし!でも機材高いし!存続すら危ない写真部を立て直すにはこれしかないんだよー!」

うわーん、と机に突っ伏して泣き真似をする部長に、泉先輩はそっと背中を擦り、頑張ってくださいと励ましてやっている。そんなことしなくてもいいのに。

「あの、こんな依頼をしてる時点で変質者だと思うかもしれないけど、僕はもらった写真を他人に見せたりネットに流したりしないし、誰にも見つからない場所で保管しているから…」

「…はあ」

「で、俺もそろそろ受験で忙しいのでお前にその任務を遂行してほしい」

「はあ?嫌ですよ!」

「さもなくば写真部廃部だぞ」

「くっ…」

「依頼を見極めるポイントはまたのちのち教えるとして、特に信頼できる泉君の担当をしてもらおうと思う」

ちらっと泉先輩に視線を向けた。よろしくお願いします、と礼儀正しく頭を下げられ、いえ、こちらこそ、とつい言ってしまった。

「よかったな泉。これで俺がいなくなっても大丈夫だな」

「はい。安心しました」

これは今更断れる雰囲気ではない気がする。なんせ、一応どちらも先輩だ。

「佐野、これはポートレートの練習にもなるぞ」

「俺ポートレート専門外なんですけど…」

「今から専門を決めるなんて生意気な!最初はなんでも撮ってみろ!新しい発見がるかもしれないぞ」

「…はあ」

で、誰を撮ればいいんですかと聞くと、泉先輩は先ほど受け取った写真をこちらに差し出した。
ずらりと並んだそれを見て、げ、と顔が歪んだ。三上、先輩。勘弁してくれと冷や汗が背中を伝う。

「二年の三上、知ってるか?」

部長に問われ、ぎこちなく頷く。
一年で知らない生徒がいるものか。あの人には近付かないようにともっぱらの噂だ。なんでも、目が合ったら殴られるとか、機嫌を損ねると骨を折られるとか。そんなまさかと思っていたが、いつだったか柴田先輩と胸倉を掴み合っている場面に遭遇し、びしっと身体が固まった。オタクが一番忌避する部類の人間だが、まあ、普通に生活していればオタクな自分と三上先輩の接点はないと安堵していた。

「泉は一年の頃から三上の写真をご所望なんだよなー?」

「はい」

何故三上先輩の写真を所望する?わけがわからず頭が混乱する。

「…あの、一体なぜ…」

「佐野、依頼者に詮索はしないこと。俺たちは言われたモノを撮ってお金を得る。それだけ」

いやしかし気にしない方が無理だ。
優しそうで、雰囲気も穏やかな泉先輩が鼻つまみ者の三上先輩の写真をほしがる理由。
もしかしてそれで三上先輩を揺すっているとか?実はボスは泉先輩の方で顎で使っているとか?だとしたら人間不信に陥る。
ぎぎぎ、と部長の方に首を回し、ふるふると首を振った。

「…無理です」

「なんで」

「三上先輩に写真撮ってることバレたら、俺殺されます」

「はは、大丈夫だ!三上は一度も気付いたことがない!」

「それは部長の腕がいいからじゃないですか?俺まだ素人だし…」

並んだ写真を見て、こんなときだがやっぱり部長は綺麗に撮るなあと思う。
制服姿にジャージ姿、食事を摂る姿に欠伸をしている顔、一枚だけ、意地悪そうに笑っている写真もある。一瞬、一瞬、ここだという場面を決して逃さないし、三上先輩の実情を知らなければイケメンだなあ、で済む写真だ。

「じゃあ次撮りに行くとき佐野も同行するといい」

「はあ」

「よろしくお願いします」

再び泉先輩は机に額がつくほど頭を下げたので、慌ててやめてくださいと顔を上げさせた。

「そろそろプールの授業があるので、お願いしていいですか?」

「そんな時期か。任せろ」

「ちょっと待った。さっき着替えの写真は撮らないって」

「着替えは撮らない。授業風景を撮ったらたまたま三上にピントがあっただけだ」

「屁理屈!」

「少しでも後輩にお金を残そうと苦心している俺の気持ちは無視か!」

それを言われると何も言い返せない。最低なやり方だとは思うが、確かに写真部は金がかかる。理事長は目立った成果がなくとも、人生を豊かにするための活動には予算を割くべきと言ってくれたが、会長様と副会長様はそんなに甘くない。その分他の部活に回すべきだと言って聞かなかった。それでも理事長がどうにかとりなし、最低限の部費を得られたらしいが、あの二人の目は鬼のそれだったと部長はかたかた肩を揺らしていた。

「…わかりましたよ」

「さすがだ佐野!」

「これも部活のため。自分個人で機材揃えるの無理だし、廃部になったら俺も困るし…」

「ありがとう佐野君。嬉しいよ」

「…いえ…」

ラスボスめ。俺はその笑顔には騙されないぞ。
三上先輩は歩く地雷原と決めつけていたが、今は少し同情する。もしかしたら色々あるのかもしれない。怖そうに見えるのは一部分で、泉先輩の前に平伏し、仰せのままにと仰々しく頭を垂れているのかもしれない。
そうして自分は三上先輩の写真を撮るためのストーキングを始めた。
部長が同行してくれたのは最初だけで、後はお前一人で頑張れと無責任に押し付けられた。
観察してわかったことは、常にやる気ゼロなこと。欠伸をして、だるそうに歩き、決まった人間としか口を効かない。
その中でも特に泉先輩といる場面をよく見かけた。泉先輩が仔犬のように回りをうろちょろし、三上先輩はうんざりした顔でそれを嗜める。それの繰り返しで、主従関係があるようには見えない。むしろ、泉先輩は純粋に三上先輩が好きなのだろう。その好きがどういう種類のものかはわからないが、そこは深く追求しない方がいいと思う。
カメラを首から下げながら校舎の壁に凭れ天を見上げた。
いい天気だなあ。なのになぜ自分はこんな場所で三上先輩が校舎から出て来るのを待っているのだろう。
部費のため、部費のためと言い聞かせ、それでも苦手な先輩に近付くのはストレスしかない。

「三上ー!」

名前が聞こえ、びくりと肩を揺らした。物陰に隠れ声の方を見ると、泉先輩が三上先輩の背中に突進し抱きついている。

「離れろ!」

「嫌だ」

「今すぐ離れないと一週間口利かない」

「ごめんなさい」

一週間だけでいいのかよ、と突っ込みを入れながらシャッターを切る。
三上以外の人間は入れないでほしいという注文なので、泉先輩であっても弾いて撮る。これがなかなか難しいが、三上先輩は身長が高いので、誰かが被るというミスはあまりおきない。たまに、柴田先輩と被ってしまうことがあるくらい。
寮から逆方向に行ったので適切な距離を保ちながら後をつけた。カメラは鞄に押し込んで。向かった先はコンビニで、アイスを購入し、駐車場で食べ始めた。物陰からその姿を撮り、今日はここまでにしようと立ち去る。
大丈夫かな。自分通報されないかな。悪いことをしているようでどきどきするし、罪悪感が半端ない。
泉先輩はプールの授業風景をご所望だったが、三上先輩はサボり続けなかなか撮れなかった。
痺れを切らした体育教師に放課後居残りで泳ぐように言われたらしく、柴田先輩と仲良くプールサイドに座りながら足だけ水につけている。

「三上ー!柴田ー!ちゃんと見えてるからなー!」

職員室のベランダから先生の怒号が飛び、二人は面倒そうに水中に身体を沈め、適当に泳ぎ出した。
ラッコのように背負泳ぎですいーと進んでみたり、飽きると顔を水につけてみたり。泳いでいるというよりも浮かんでいるといった方が正しい。
それでも自分はわかる。綺麗に水面に浮かべるということは泳ぎが上手なのだ。運動音痴な自分がやると身体の一部が沈み、そこからどんどん水中に身体を引き摺られていく。
二人は時たま喧嘩をしながら一時間かけて泳ぎ、勢いよくプールを上がり、混凝土の床に座った。

「くそダル」

「暑いからよかったんじゃね?」

「まあ…でも疲れて動けない。暫く休んでく」

「うーわ、相変わらずおじいちゃん。そんなんでセックスできんの?」

「俺が動かなくてもセックスはできるだろ?」

「最悪だよお前」

自分には縁のない下ネタに顔が赤くなる。そうですよね、先輩たちくらいイケメンならさぞ女性にモテますよね。自虐し、同じ人間なのにこの差よ、と泣きたくなる。

「てことは真琴が上に乗るのか…」

顎に手を添えながら言った柴田先輩の言葉を一度スルーし、待てよと考えた。マコト。泉先輩の名前もマコトだ。まさか。女性にもマコトさんはいるし、三上先輩の彼女がたまたま同じだっただけで…。

「いいねー、真面目な顔して娼婦ですか」

「泉がそんな器用なら苦労しねえなあ」

泉、いずみ、イズミ…。
呆然とし、肩に掛けていた鞄をどさりと落としてしまった。その瞬間、柴田先輩がこちらを振り返りばっちり視線が絡まった。やばい。早く逃げなきゃ。思うのに身体が動かない。柴田先輩は一瞬片方の口端を持ち上げるように笑い、すぐに顔を戻した。
助かったのだろうか。ぼんやりしている暇はない。慌ててカメラをしまい、ゆっくりその場から立ち去った。


泉先輩に写真を渡す日。寮の談話室で待ち合わせた。部室は他の依頼者が来るのでだめと言われ、泉先輩がこの場所を指定した。
談話室の椅子に座り、溜め息を吐く。柴田先輩が三上先輩に話したら、自分はボコボコにされるのかなと諦めて辞世の句を読もうと思っているのだが、あれから数日経ってもその気配はない。
あの角度からはカメラが見えず、ただ盗み聞きをしただけと判断したのだろうか。
どちらにせよ、このまま柴田先輩が忘れてくれるといいのだけれど。自分は特に目立たない生徒だし、印象に残るような顔でもない。生徒数が多い東城で見つけられる確率は低いだろう。
プラスに考え、大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。

「お待たせ」

泉先輩が談話室に入ってきたので、ぺこりと頭を下げる。

「…これ…」

「ありがとう。じゃあ僕も」

お互い封筒を交換し、泉先輩から受け取った茶封筒を鞄にしまう。
泉先輩は写真をとりだし、一枚一枚確認するとふっと笑った。
その顔を凝視し、あの日の先輩たちの会話を思い出す。マコトが上に乗るのか。イズミがそんな器用なら苦労しない。
会話の内容からすればこの目の前の先輩しか思い当たるふしはないが、奇跡的な確率で三上先輩の彼女の名前が同姓同名ということも。女性でも男性でも当てはまる名前だ。

「うん、佐野君も写真すごく上手だね。羨ましいよ」

「い、いえ、カメラがいいだけで、俺は…」

「そんなことないよ。気付かれないように綺麗に撮るのは難しいよね?変なこと頼んでごめんね」

「…いえ」

柴田先輩に気付かれたかもしれないと言うべきか否か。
しかし、万が一勘付かれたら今後撮影は難しくなる。一度期間をあけ、忘れた頃に撮り始めるのが一番いいと思う。
そろそろ夏休みに入るし、二学期になったら再開でいいかと聞くと、勿論と頷いてくれた。
写真を心底嬉しそうに眺める泉先輩は最初の印象と変わらず優しそうで、穏やかで、温かい。この人があの三上先輩とおつきあいをしている可能性を考え、あまつさえ上に乗るのだろうかと想像し、いやいやと首を左右に振った。
穢れを知らなさそうな無垢さは現代における貴重生物だ。

「…あの、先輩、三上先輩と仲いいですよ、ね…?」

「え?うーん、仲いい、かなあ?」

「なら、直接写真撮らせてくれって頼んだ方が早くないですか?」

当然の疑問だと思うのだが、泉先輩は目を丸くし、恥じらうように笑いながら視線を逸らした。

「それじゃあだめなんだ」

「だめ?」

「僕の目線で見る三上じゃだめなんだ。他の人の目線で映った三上じゃないと…」

そう言いながら俯き、写真を優しく撫でた指先は細く綺麗だった。
ふと、俯いた拍子に先輩の首の付け根が露わになり、襟の隙間から赤い痕が覗いているのを見つけた。

「先輩、ここ赤くなってます」

とんとん、とその場所に触れると、泉先輩はぱっと顔を上げ、あ、ありがとうとぎこちなく笑った。
その瞬間、大きな音を立てて談話室の扉が開き、二人揃って肩を揺らした。恐る恐るそちらに視線を向けると三上先輩が絶対零度の冷たい瞳でこちらを睥睨していた。
泉先輩はゆっくりと封筒を鞄に入れ、何事もなかったかのようにどうしたのと聞いた。
バレてませんように、バレてませんように、バレてませんように。
心の中で拝みながら神さま三上様とお願いする。
三上先輩は泉先輩の腕をとり、ぐっと自分の方へ引き寄せると背中を押して室内から追い出した。

「俺の部屋行ってろ」

「え、なぜ…」

「いいから行ってろ」

待ってくれ。二人きりにしないでくれ。嫌な汗がじんわり滲み、太腿の上で握っていた拳に力を込める。

「…じゃあ、佐野君またね」

「は、はい」

ああ、ついに辞世の句を読む瞬間がやってきたか。
三上先輩は扉を背凭れにし、腕を組んでこちらを見下ろした。なにか言ってくれ。お願いだから。

「…お前、一年か」

「は、はひ!A組です!」

「名前は」

「佐野、です…」

「佐野ね。覚えとくわ」

それだけ言うと三上先輩は談話室から去って行った。
止めていた息を大きく吐き出し、うるさい心臓を沈めるために服の上からぎゅっと握った。助かった。よくわからないけど助かった。
いや、待てよ。覚えておく、と三上先輩は言った。これ助かったのではなく、窮地に立たされたのでは?
オタクで地味な自分と三上先輩の接点なんてないし。お気楽に考えていた自分をぶっ飛ばしたい。まさか、こんな風に接点を持つはめになるなんて。
あー、と意味もない言葉を発し、頭を抱えた。
三上先輩の隠し撮りは辞退させてもらおう。顔も名前も憶えられたのだからこれ以上は無理だ。部長か、他の部員にバトンタッチ。危ない橋からは早々に降りるに限る。
しかしどうして三上先輩はわざわざ名前を聞いたのだろう。覚える価値など自分にないのに。
首を捻り、めちゃくちゃ怖かったけど、あの迫力は同じ男として羨ましいな、と思った。


END

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