麻生くんと三上くん
「うーわ」
嫌悪が混じった声が口をつき、また絡んでしまったことを後悔する。
机に突っ伏して眠っていた彼は半分だけ瞼を開けて露骨に嫌な顔をした。
こちらを無視するかのように再び腕を枕に顔を伏せたので、自分も持っていた本を所定の場所に収める。
図書室から借りていた本が今日返却だったことに寮に戻ってから気付き、慌てて制服に着替え直して戻ったのだが、こんなことなら真琴に頼めばよかった。
三上と顔を会わせるというのは、一日の締めくくりとして最悪な部類なので心中で舌打ちした。
いくら図書室が広くとも彼と二人きりというのは胸がもやもやする。
三上は憎むべき存在とインプットされたままアップデート作業が行われないので、自分は未だに彼が嫌いだ。
お互い様なので罪悪感もない。彼は彼で自分を疎ましく思っているだろう。
自分は真琴の端にちらちらと見切れる影。切っても切れない間柄。幼い頃からよく知っている唯一の男。しかも隙を作れば一瞬で奪ってやると態度で語る男が鬱陶しくないわけがない。
それくらいの存在がいて初めて三上は真琴に尽くすのではないかと思うのだが、彼らのパワーバランスは相変わらず三上に全振りされたままだ。
最後の一冊を本棚に押し込み息を吐いた。
余計なことを考えてないで早く帰ろう。踵を返した直後、扉の方からがちゃんと鍵を閉める音が響いた。
嘘だろ。駆け足でノブを回してみたが固く閉ざされたままだ。外からの鍵は二重になっており、内側からでは一方しか開けられない仕組みになっている。
特に警備を厳しくしたい職員室や理事長室、生徒会室と図書室に限られた作りだ。
短い髪にくしゃりと指を絡ませて眉間に皺を寄せた。誰かに連絡しようにも、すぐ戻るからと携帯を置いてきてしまったのだ。
背に腹は代えられないので三上の元へ行き肩を揺さぶった。
「…なんだよ」
「鍵、かけられた…」
「あ?」
「鍵かけられて出られないんだよ」
「誰かに連絡しろよ」
「スマホ部屋に置いてきた。お前持ってるよな」
否と言ってくれるなよと願いを込めたが、三上はさっと顔を青くした。
「まさか…」
「鞄教室だわ」
お互い絶句し時が止まったように一秒、二秒が過ぎていく。
なんで鞄を持ち歩かないのだ。喉まで出かかった小言を呑み込んだ。
三上が悪いわけでも自分が悪いわけでもない。ただ不運が重なっただけ。わかっているがこの責任を押し付けたくなる。
溜め息を吐きながら扉に戻り、重厚なそれを叩いた。
叩き続けていれば誰か気付いてくれるかもしれない。この時間、生徒会が残っていれば幸運な方。だが生徒会室は遠い。偶然に偶然が重なり、高杉先輩が本を取りにきてくれるという展開はないだろうか。希望的観測で想像して、ないな、とすぐに叩くのをやめた。
「もう少し頑張れ」
「お前がやれよ」
扉近くのカウンターに背中を預け、三上がげしげしと足で蹴る姿を眺めた。
一緒に閉じ込められたのが真琴だったらまあ、こういうこともあるよね、と思えるが三上となるとこの瞬間が地獄でしかない。
「意味ねえなこれ」
彼は早々に諦め再び椅子に座った。
「お前頭いいんだろ。なんか考えろ」
「じゃあ窓から飛び降りれば?」
「ここ三階ですけど」
「知ってる」
「じゃあお前から降りろよ。その上に着地するから」
ちくちくと棘の刺し合いのような会話に、お互いぴくぴくとこめかみが反応する。
三上はうんざりした顔で再び目を閉じた。こんな状況で眠ろうというのかこの男は。
「よく寝れるな」
「開かねえなら明日まで待つしかねえだろ」
「諦め早」
「ああ、お前諦め悪いもんな」
含みを持たせた言い方をされ無理に笑みを作る。三上の正面に座り、頬杖をついて眺めた。
「なんだよこっち来んな」
「むかついたからお前が嫌がることしようと思って」
「事実を言っただけだろ」
「本当のことでも言われる相手によってむかつくんだよ」
「小せえ男だな」
「自分は大きな器を持ってるとでも言いたいのかな?」
「お前よりはな。俺は惚れた相手が他の奴とつきあってもねちねち攻撃したりしねえし」
「はは、本気で人を好きになったこともないような奴がよく言う」
「泉には本気だけど」
咄嗟に言い返せずにいると、三上は勝ち誇ったように片方の口端を上げた。嘘でもそこを突けば黙るとわかって言っているのだ。
「…わかった」
三上を真っ直ぐ見た。
「三上が真琴と別れて誰かとつきあったら、その子を横取りするよ。それでも同じセリフが吐けたら認めてやる」
「お前びっくりするほど性格悪いのな」
「三上に対してだけだよ」
にっこり笑ってやると見下すように睥睨された。
ここで殴り合いの喧嘩になったら誰も止める人間はいないし、相手が死ぬまでやりそうだ。
「いつになったら俺に突っかかるのやめてくれるのやら」
「さあ、いつだろうね」
「しつこい男は嫌われるぞ」
「真琴はそんなことで嫌わないから大丈夫だよ。それに、こう見えて完璧に幼馴染を演じてるんだ」
「ああそう…」
鬱陶しそうに前髪をかき上げた姿を見て同情すると他人事のように思う。
自分だったらこんな奴が常に恋人の傍にいたら嫌だ。どうやって始末しようか一日中考えると思う。
三上は多分、喰えない男ではあるが根が悪い奴ではない。
真琴を選んだということは人を見る目があるし、真琴が虐められているときも助けてくれた。
いい加減三上をいじるのもやめてあげた方がいいのだろう。
「…じゃあ、三上が真琴を大事にしたら絡むのやめるよ」
妥協案と言いたげに提案した。自分は蚊帳の外で偉そうに言えるような権限はないのだけど。
「大事にしてんだろ」
「そんな風には見えないな。いつも邪険にあしらってるし」
「目に見えるものが全てじゃない」
彼の言う通りだ。二人きりの空間ではお互いにしか見せない顔があるだろう。
表には出さずとも、三上は三上なりに真琴を想っている。そんなことはわかっている。でもわかるのと納得するのは違う。
「じゃあどんな風に大事にしてるか教えてよ」
「言っていいのか?」
「いいよ」
「傷ついて二度と立ち直れないんじゃねえの?」
「傷つく?」
「お前の知らない泉真琴がいるってことだよ」
「へえ…」
三上に甘えて、恋人だけに見せる表情を出せるほど距離が近付いたなら喜ばしいことだ。だけど三上が言うように理屈抜きで腹が立つ。
自分は真琴を生んでないし、育てたわけでもないけど、溺愛していた娘をとられた父親の心境に近いものがある。恋愛感情抜きにしても真琴は誰よりも大切な他人だ。
ダメな男とつきあって、散々泣かされて、もうやめろとか、他にいい人がいるとか、家に戻って来いとか、不器用に一生懸命語る父親像と自分が重なる。
だとしてもここで負けてたまるか。
「ぜひご教示願おうかな。事細かく」
話せるくらいのエピソードがあるなら言ってみろという挑発だ。
案の定、三上は明後日の方を見て言葉を詰まらせた。
「はい、終了ー」
話しにならないとひらひらと手を振ると待てと制止された。
待ったはいいものの、腕を組んで悩む彼は一向に話そうとしない。
「俺の知らない真琴はいない、ということでよろしいですか。未だに手も出してないなんて聞いて呆れる」
「出したら出したできれるくせに…」
「きれるけど」
「クソ面倒くせえわ」
三上は大きく溜め息を吐き椅子に深く腰掛けた。むっつりと唇を引き結び窓の外を見ている。長い前髪が邪魔で表情は窺えない。相変わらず何を考えているのか察する材料がない男だ。
「俺があいつを大事にしたら、あいつはますます俺しか見えなくなるだろうな」
「…そうだろうね」
「なら、まだ奪い返すチャンスがあった方がいいんじゃねえの?」
「チャンスなんて永遠に回ってこないよ」
すっと窓の外に視線を移した。
万が一真琴と三上が別れたって自分の番は巡ってこない。それだけははっきりと言える。
「は、随分弱気だな」
「俺にそんなチャンスがあったら、真琴がお前に惚れる前にモノにしてる」
「ぐずぐずしてるからこういうことになるんだよ」
「偉そうに言ってるけど、三上だって余裕こいてると誰かにとられるかもよ」
「それこそ泉の幸せが一番なんじゃねえの?あいつが他の男がいいってんならそれでいいだろ」
「へーえ。ふーん…」
「なんだよ」
「いや?失って初めて真琴の存在の大きさに気付くんだろうなあと思って」
「気付いたらとり返す」
「そう簡単にいくと思ってるならおめでたいよ。真琴は一途だから他の誰かを好きになった瞬間いくら三上でももう二度と手に入らないぞ」
脅し半分で言った。これくらい強く釘を刺した方がいいだろう。
「そうじゃねえと困るんだよ」
「は?」
「それが泉真琴って男だしな」
「…そう、だけど…」
三上の思考がまったく理解できずに気持ち悪い。
余裕があるのか、ただの馬鹿なのか。判断できるほど彼を深くは知らない。
窓の外はいつの間にかとっぷりと濃紺色に変わり、外灯の僅かな明かりを頼りにしなければ三上の姿も確認できない。
「…そういえば、なんで櫻井先輩と知り合いなの」
沈黙が気詰まりで他愛ない世間話程度に言ったが、彼はのっそりと伏せていた顔を起こした。
「逆に聞きてえわ」
「俺はー…まあ、色々あって…」
「じゃあ俺も色々あって」
「じゃあってなんだよ。お前と先輩の間に色々あってたまるか」
自分で言って驚いた。
「なんだそれ。今度は櫻井先輩の保護者やってんの?」
「…別に、そういうわけじゃないけど」
混乱する頭を沈めるため一つ一つ紐解いて考えたいのだけど、深く考えない方がいいような気もする。ああ、嫌だなこの感覚。
「櫻井先輩は悪い人じゃないと思うけど」
「は?そんなことはわかってる」
「ならなにが心配なんだよ」
「なにがって…」
「泉に悪影響が出るとか心配してんじゃねえの?」
「なんで真琴が出てくんの」
「お前が気にするのは泉に関することだけだろ」
ぽかんと口を開けて三上を見詰めた。
そういえばそうだ。どうして忘れていたのだろう。真琴以外はどうでもよくて、真琴が幸せになるためなら他人の不幸は当然くらいに思っていた。
彼以外に興味はなくて、他のモノを詰め込む隙間も残っていなかったし、感情がぶれる理由も必ず真琴が絡んでいるときだけだ。どういうことだと自問して答えが靄の向こうで消えてなくなる。
「泉に男娼みてえな真似は無理だから心配することねえだろ」
欠伸をしながら適当に言われぴくりと眉が反応した。
「櫻井先輩のバイト知ってんの?」
「知ってるけど」
「学校に言ったり…」
「するわけねえだろ。俺には関係ないし」
ほっと安堵し、なぜそんなことを三上なんかが知っているのだと更にむかむかした。
別に先輩と二人の秘密だなんて思っちゃいないし、三上も人様のことをぺらぺら喋るタイプでもないから今まで接点がなさそうに見えたとしてもおかしくないけど、なんか腹立つ。
三上はいつもいつも、自分の視界に入れたモノの心を浚っていくのだ。
「…三上ってさあ、ほんとむかつくよなあ」
「は?お互い様だ」
冷えた目で三上が言ったと同時、かちゃかちゃと扉を開錠する音が聞こえた。
扉の方に視線をやると景吾と真琴、それからライトを照らす警備員さんの姿があった。
「いた!」
景吾は行儀悪くこちらを指差し、真琴と顔を見合わせて安堵したように息を吐いた。
「図書室行くって言ってから全然戻ってこないから心配したじゃん。どっか行ったのかと思ったら泉に三上も戻らないって聞いて探しに来てやったんだぞ!」
ばしっと背中を叩かれ、苦笑しながらごめんねと謝った。
「二人揃っていないから何処かで決闘でもしてるのかと…」
真琴が言い、決闘って…と呆れる。
「三上、鞄持ってきたよ」
真琴が差し出すと三上は礼も言わずに受け取った。
与えらえる好意を当然のように受け取る姿勢にまた苛立つ。
「てか、なんで電気点けてないの?電気点けてれば誰か来るじゃん」
「あ…」
二人同時に口にした。
恐らく、お互いの顔をなるべく見ないようにという本能が働いたのだ。そういうことにしておこう。決して頭に血が上っていたとか、そういうわけではなく。
「抜けてんなあ。早く帰ろう」
促されよっこらせと椅子から立ち上がる。
「真琴」
三上の一歩後ろにいた真琴がこちらを振り返った瞬間、腰を抱き寄せ充電するように抱き締めた。
ぱっと身体を離し、三上を見ると鬼のような形相になっていた。
くすりと笑い、景吾の腕をとって三上こわーい、と言いながら走り出した。
「麻生!」
背中に声を受けながら今日初めて溜飲が下ったのでにんまりと笑った。
END
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