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「泉」
牛乳のストローをちゅうちゅう吸っていると背後から声を掛けられた。
振り返ると学と櫻井先輩で、声の主は先輩だったと気付く。彼は大きく一歩踏み出し、右手を挙げながら薄く笑った。
こちらもしっかり腰を折り、なんだか久しぶりですねと破顔した。
「あのさ、急な話しなんだけど金曜の夜予定あるか」
「ないですけど…」
「知り合いが花見するらしくて、友だち連れて来いってうるさいんだ。もし暇なら…」
「行きます!」
先輩が言い終える前に喰い気味に即答した。
自分で言うのもなんだが、櫻井先輩にすっかり懐き、歳の近い兄のような感覚でつい甘えてしまう。そんな彼と花見なんて楽しいに決まっている。
今までぼっち人生を極めすぎてそういうイベントには無縁だったし、こんな風に誘われたらそりゃ嬉しい。
「よかった。泉の友だちも呼んでいいから。何人連れてきても構わないって言われたし」
「はい!」
何度も頷き、先輩の背後にいた学に視線を移した。
「学も行くんだよね?」
「いや?俺は誘われてませんけど?」
学は櫻井先輩を覗き込むように爽やかな笑みを浮かべ、でも目が笑っていない。
「麻生は…ちょっと…」
「なんでですか」
「…バイト絡みのあれだから…」
「なら尚更俺が行かなきゃ。真琴になにかあっても困るし」
二人の会話をぼんやり聞いた。
櫻井先輩はバイトをしているのか。バイトは校則で禁止されているはずだが、隠れてしている生徒は多いと聞く。今更驚かないけど学校にばれたら停学処分だ。
「…じゃあ、麻生も来ていいよ…」
「すげー嫌そうな顔してる」
学はくすりと笑い、それなら三上や皇矢も誘おうと言った。
「なんで?ていうか、三上絶対来ないよ?」
「絶対来るよ。俺が話しつけとく」
「まーた喧嘩になるじゃん」
「今回は大丈夫だって」
自信満々に頷かれたが到底信じられない。顔を合わせてはこそこそといがみ合っているのを知っている。
なぜそんなに馬が合わないのかと頭を抱えるが、これは当人同士の問題なので放っている。
学はともかく、三上は誰とでも仲良しというタイプではない。気難しいし、元々人を選り好みする性格だ。
「じゃあ、時間とかは後で連絡するから」
去っていく二人の後ろ姿を眺め、喧嘩になりませんようにと祈った。
そもそも三上は大人数で騒ぐようなイベントが大嫌いだ。煩いだの、鬱陶しいだの、文句をつけては拒絶する。
だから外でのデートは片手で数えられる程度だし、恋人らしいイベントへの参加も死ぬ気でお願いしないと頷いてくれない。
しかも学が話しをつけるとなったら意地でも行かないと言うに決まってる。
そちらは期待せず、こちらはこちらで蓮や潤を誘ってみようと決めた。
蓮と潤に経緯を話すと二つ返事でオッケーしてくれた。
この二人はアクティブなので参加するだろうと予想していたので計画通りだ。
楽しみだなあと鼻歌を歌いながら寮の廊下を歩いていると、後ろから背中を思い切り蹴られた。
「いった!」
床にべしゃりと膝をついて振り返ると眉間に皺を寄せた三上が不機嫌オーラ全開で立っていた。
「何回呼んだと思ってんだよ」
「す、すいませ…」
「お前、櫻井先輩と出掛けるのやめろ」
「はえ?な、なんで急に…」
「とにかくやめろ」
「そんなこと言われても…折角誘ってくれたし…」
「…先輩からなんて言われた」
「…知り合いが企画した花見だって」
「バイト先の、だろ」
「う、うん…」
「お前櫻井先輩のバイトなんだかわかってんのか」
「…知らないけど」
話しにならないといった様子で溜め息を吐かれ混乱した。
「とにかくやめろよ」
断定され、三上らしくない物言いに首を捻った。
彼は僕が何をしようが、誰と遊ぼうが一切口を挟まない。お前の好きなようにすれば。それが常套句だ。
恋人だからといって相手を制限するようなつきあいは嫌だと言うし、自分も自由にする分僕にも自由を与えようとする。
「で、でも、今更断るなんて失礼だし、櫻井先輩と出掛けてみたいし…」
「うるせえな。言う通りにしろ」
「そんな、横暴だよ」
「横暴?」
ぎろりと睨まれ一瞬怯んだが、ここは負けてはいけない場面だと勇気を振絞った。
「いつもは口出さないのに急にそんな風に言われてはい、そうですかって言えないよ」
「なんで今回に限って刃向うんだよ面倒くせえなあ…」
三上はぐしゃりと髪を掻き回し大きく溜め息を吐いた。
「亭主関白…」
ぼそりと呟いた言葉はしっかりと彼の耳に届いていたようで、あ?とすごまれた。
「なんかあっても俺は知らねえからな」
「なんかってなに。普通にお花見するだけだし」
「ああそう。じゃあ好きにしろ」
「好きにします!」
ふん、と顔を背けると、三上も大股で自分の部屋へ歩いて行った。
怒りで扉を力任せに閉め、麦茶を一杯一気に飲み、ソファに座ってやってしまったと顔を青くした。これは喧嘩のうちに入るのだろうか。
すぐに謝りに行こうか。でも三上の言う通りにはできないので謝ったところで同じ結果になるだろう。それならこのままでいいかもしれない。
大抵のことは三上に従ってきた。自分が我慢すればいいやとか、自分が苦労すればいいやとか。だけど今回は自分以外の第三者が関わっている。そちらを蔑ろにはできない。
なんだか櫻井先輩を悪く言われたようでいらっとしたのだ。櫻井先輩とは付き合うな、そんな風に聞こえた。
思い出したらまた胃のあたりがむかむかしてきて、クッションをソファに何度か叩きつけた。
先輩はこんな自分と親しくしてくれる数少ない貴重な存在だ。気負わず話せるし、彼が纏う透明で壊れてしまいそうな空気が大好きだ。人とのコミュニケーションが苦手だと言うだけあって言葉を選んで発するまでに時間がかかったり、気持ちを伝えるのが下手だけど、その分嘘はなく安心して一緒にいられる。
だから自分は先輩が好きだし、その彼に誘われたら熱があっても行くだろう。
自分は絶対に間違ってない。なんでもかんでも言う通りにすると思うなよ。今の自分を絵にするならばめらめらと炎を背負っていることだろう。
時間と集合場所の駅と駅まで迎えに行くからという先輩からのメールを再確認する。腕時計は十九時前を指しており、時間も大丈夫と安堵した。
自分は蓮と潤と三人で来たが、まだ学の姿は見当たらない。
週末の駅はこれから飲みに行くサラリーマンや大学生、学校帰りの高校生で溢れていた。
「花見楽しみだなー」
潤がご機嫌な様子で笑い、そうだねと頷いた。
「櫻井先輩って話したことないな」
「僕も知らないなあ」
「僕も親しくなったのは最近なんだけど、すごくいい先輩だよ。学と仲がよくて」
「あー、麻生と仲良いならいい人なんだろな」
「なにその基準」
「だって麻生って、ザ・優等生って感じじゃん?」
「学より僕の方が優等生だし!」
「えー…優等生は誰かさんのことストーカーしたりしないと思うけど」
三上の話題が出た瞬間、口をぎゅっと引き結んだ。今は彼の話しをしたくない。
結局あれから三上とは一度も口をきいていない。怒りの代わりに後悔の方が濃くなったが、ここで折れたら自分が許せないので頑固になると決めた。
「あ、皇矢ー」
潤の声にぱっと顔を上げた。皇矢と学、それから後方に三上もいる。
なぜ来たのだろう。散々文句を言ったくせに自分は参加するのかと思うと消えかけてた怒りが再熱した。
「先輩は?」
学に問われ、まだ、と短く返事をし、さり気なく三上とは逆方向に顔を背ける。
「まーこと」
皇矢に肩を抱かれ引き寄せられた。
「…三上とまだ喧嘩中?」
耳元で囁かれ、なぜ知っているのだと顔を上げた。
「あのとき俺と秀吉も近くにいたんだよ」
「マジか。大変お見苦しいところをお見せして…」
言うと、喧嘩する場所は選べよと笑われる。
「で、どうなの」
「…あれから一言も話してない…」
「そうか。まあ、俺はおもしろいからいいけど」
他人事だと思って、と皇矢の腕を拳で軽く殴ると、三上とばちっと視線が絡まった。咄嗟に逸らして、今のはあからさますぎたかなと申し訳なくなる。実際、背後から怒ってますオーラがぴりぴり伝わってきた。
「遅れて悪い!」
櫻井先輩が息を切らしてやってきて、彼を先頭にぞろぞろと移動を始める。
どこかの公園でシートを広げてやるのだろうと思っていたが、辿り着いたのは二階建てのカフェのような場所で、そこの二階を貸し切ってやるのだと教えてくれた。
広いテラスの向こうは川で、川沿いに植えられた桜が淡くライトアップされて綺麗なのだとか。
「夜桜なんて風流だね」
蓮に言われ、そうだねと頷く。
「気とか遣わないで適当に楽しんで。みんなそれぞれ飲んで騒いでるだけだから」
「はい」
気遣うような先輩の声に満面の笑みで頷いた。
夜遊びなんてしないからなんだか緊張する。知らない人もたくさんいるだろうから人見知りには辛いが、友人と一緒だからきっと大丈夫。みんなと思い出に残るようなことをできるのが嬉しい。三上と喧嘩中だとしても。
二階の扉を開けると、中から大きな笑い声や手を叩く音が聞こえた。大学生や若い社会人のような風貌の人ばかりで、女性は一人もいない。
「お、来たか!」
入口近くの椅子に腰をかけながらビールグラスを持っていた男性に櫻井先輩が短く頷いた。
「みんな注目ー。こっち未成年だから酒は勧めないようになー」
全員に向かって言うと、あちらこちらから真面目かとか、高校生に見えないのが何人かいるとか、笑い声交じりで飛んできた。
「好きに飲んで、好き物食べてな。食べ盛りなんだから遠慮すんなよ!」
ばしっと背中を叩かれ、呻きながらもへらっと笑い礼を言った。
ビュッフェスタイルのようで、中央に置かれた机上に料理や飲み物が並んでいる。
櫻井先輩に手招きされ皿を持つと、あちこちからこれも食べろ、これがうまかったと料理がどんどん乗せられた。
みんないい人なのだろうが、たまに会う親戚のおじさんに近いものを感じる。
「テラス席座るか。桜がよく見えるから」
「はい」
グラスと皿を持ち、四人掛けの席に座る。
後ろを振り返ると皇矢たちは親戚のおじさんもとい、先輩のバイト仲間に囲まれていた。
「あれ大丈夫ですかね?」
「あいつらなら平気だろ」
それもそうかと頷いた。皇矢はこういう場に慣れているし、学はコミュ力が高い。三上は相変わらずだが自分で対処できるだろう。
「ん、うまい!」
バジル入りのポテトサラダやパスタ、バゲットにチーズ、イタリアンがメインの料理はどれも美味しかった。
烏龍茶が入ったグラスを傾け、腹の上で手を組んで桜を眺めた。
「綺麗ですね」
「だな」
「毎年参加してるんですか?」
「花見は二回目。夏はバーベキューで、秋は紅葉狩りで、冬は鍋とか、そんな感じで参加させられる」
「へえ。楽しそう」
「そうか?じゃあまた来いよ」
「はい、是非」
「あ、僕も行きたい!」
潤が挙手すると、勿論と先輩が頷いた。ほら、先輩はこんなにいい人だ。さっき初めて顔を合わせた後輩にだって優しい。
「少年たち、食ってるかー?」
「うわっ」
背後から肩を組むようにされ、前掲姿勢になる。
「カズさん、酔って変な絡み方しないでくださいよ。おっさんうざーって言われますよ」
「酔ってませんー。まだまだ素面だしうざくないタイプのおっさんですー」
「うざい自覚ないんですね」
「なんだとこら。相変わらずお前は可愛くない。それに比べ、この少年たちの擦れてなさそうな感じ、素晴らしいねえ」
な?と至近距離で笑われ、ぎこちなく笑みを返した。
「しかし綺麗な子連れてきたなー」
カズさん、と呼ばれた男性は食べ続ける潤を見て感心したように言った。
「スカウトはやめてくださいね」
「残念。めちゃくちゃ需要ありそうなのに。まあ、こんだけ綺麗なら女にゃ困ってねえわな」
女、という単語に首を捻ったが、まあ、大人の世界があるのだろうと納得させた。
「でも、オーナーに見つかったら大変じゃねえの?」
「ですね。俺もこんな綺麗な子が来るとは思ってなくて」
「じゃあ全力で守ってやれよ」
「はい」
カズさんとやらはがはは、と笑いながらばしばし背中を叩いて退散した。
ちらっと先輩を見ると酔っ払いばかりで悪いなと苦笑している。
「いえ、全然。美味しい料理と桜が見れるだけでありがたいです」
「そうか」
ふわりと笑った先輩は夜桜がとても似合う。花弁に包まれ消えてしまいそうで、人ならざる者のような危うさがある。
それに、自分といるときよりも随分上手に話している。表情や雰囲気もぐっと大人っぽくなって、知らない人といるみたいだ。
色んな顔を持ってることに感心すると同時に少し寂しくもなる。
「てかさ、真琴今日三上と一言も話してなくね?」
行儀悪く、フォークでこちらを指しながら潤が言った。
「あー、そうだっけ?」
「そういえば最近三上君の部屋にも行ってないね」
「そう…かなあ…?」
「まさか別れた…?」
「え…多分違うと思うけど…」
「多分ってなんだよ」
「…ちょっと、喧嘩したというか…」
ぼそぼそ言うと潤が声を上げて笑った。
「喧嘩とかうける」
自分だって有馬先輩と年がら年中喧嘩しているくせに、という言葉は呑み込む。
「ぼ、僕の話しは別にいいよ!」
両手で空を切るようにし、この話しはお終いと手を叩いた。
「先輩」
学が櫻井先輩の肩に手を置き、耳元でなにか話している。
先輩はぱっと顔を上げ、くすりと笑ってから後ろを振り返った。視線を辿ると相変わらず数人に囲まれる皇矢と三上の姿がある。
「ていうか、酒飲んでね?」
手に持っているグラスを見てあーあ、と櫻井先輩がごちる。
「そろそろ助け舟出しに行くか」
先輩がデッキチェアから立ち上がり、学と連れだってそちらへ向かった。
自分もお手洗いに立ち、戻ると中年の男性が先ほどまで自分が座っていた場所におり、潤と蓮になにかを熱心に話していた。
どうしよう、と迷うと先輩が隣にやってきて小さく息を吐いた。
「オーナー、いつ来たんですか?」
声をかけられた男性が振り返ると、大人の色気で殴ってくるような完成された男性だった。
理事長といい勝負、と勝手に比べ、同じ男として自分もこんな風に歳をとりたいと思った。
「さっき来たばかりだよ。若者で楽しめるようにおじさんは遅れて来た方がいいかなと思って」
「どうせいつものとこ行ってたんでしょ」
「はは。それより、やっと友だちを連れてきてくれたんだね」
「やっと友だちができたんで」
「それは重畳」
先輩にくいっと腕を引かれ、友だち、とは自分を指しているのだとわかった。
唇を噛み締め感動に浸ると、オーナーと呼ばれた男性はこちらをぐるりと見渡して微笑んだ。
「君たちちょっとしたバイトに興味ない?」
三人で首を捻る。
「高校生はほしい物もたくさんあるだろ?給料は弾むよ」
「労働とか僕無理なんで」
潤がきっぱりと断り、蓮もバイトはちょっとと俯いた。
「君は?」
「お金はほしいけどバイトすると停学ですし…」
「大丈夫。バイトっていうより、ちょっとおじさんにつきあってくれるだけでいいから」
「つきあう?」
櫻井先輩は溜め息を吐き前髪をくしゃりとした。
「またいつものですか」
「だって、高校生と出逢う機会なんて滅多にないし…」
「だからって俺の後輩誑かさないでください」
「そんなー。社会奉仕と同じだよ。ちょっといじめてくれるだけでいいんだし」
「い、いじめ…!?」
何を言っているのかわからず目を丸くした。
「この人、少年にいじめられるのが好きな超がつくドMで変態だから」
「わお」
潤が揶揄するように言うと、オーナーはどうかな?と潤を振り返った。
「残念。僕そういう趣味ないんですよね」
「君が一番素質ありそうだけど」
「金にも困ってないんで」
ひらひらとかわす様を見て、さすがですと感服する。有馬先輩で鍛えているだけはある。
「じゃあそっちの君は?気が弱そうな子が一生懸命いじめる姿、好きなんだよね」
「えっと、僕もそういうのはちょっと…」
蓮は俯きがちに瞳を彷徨わせた。
「専属になってくれるなら月一本あげるよ」
「一本!?」
潤の目がぎらりと光った。さっきまで金に困ってないと言っていたではないか。
「オーナー、あんまりしつこいと奥さんに言いますよ」
「いいよ。お仕置きしてくれるから」
奥さんいるのかよと心の中で突っ込む。よくわからない世界だ。
「この人の奥さん、元売れっ子女王様」
櫻井先輩にぼそりと耳打ちされ、未知の世界すぎて頭がくらりとした。
「なにしてんの真琴」
皇矢に背後から首に腕を回され、その腕に手を当て振り返った。
「えーっと、大人の世界を勉強中…?」
「へー、楽しそうじゃん。俺も入れてくださいよ」
皇矢が口端を上げると、オーナーが上から下まで皇矢を値踏みするようにし、君は従業員にほしいタイプ、と言った。
「個人的な愛玩対象にはならないけど、いい仕事してくれそうだなあ。身長何センチ?彼女いる?」
「います」
彼氏ですけど。
「いなかったら頑張ったんですけどね」
「じゃあ卒業するときいなかったら是非うちで働いてほしいなあ。あっちの背の高い子も」
オーナーは三上と学を指差し、きらきらと目を輝かせた。
「はは、給料によりますかね」
「それは君がどれだけ売れるかによるなあ」
オーナーは指で顎を擦りながら挑発的に笑った。
「お、言ってくれますね」
「若造に丸め込まれるわけにはいかないからね」
二人に順に視線を移し、なんの話しをしているのかとぽかんとした。
皇矢はふっと笑い、その時は儲けさせてやりますよと言った。
「いいねー。そういう勝気な若者嫌いじゃないよ。これで顔が可愛かったらなあ」
オーナーは名残惜しそうに潤と蓮を見て重い溜め息を吐いた。
「しょうがないから紘輝でもいいや」
「死んでもごめんですよ」
「もー…おじさんは労わるものだよ?」
「何人も飼ってるでしょ。そっちで満足してくださいよ」
「まだ足りないな」
「どういう生き方したらそういうおっさんになるんですかね」
「知りたい?」
「あ、いいです。興味ないんで」
「紘輝は冷たいなー。そこがいいんだけど…」
ぽっと頬を染めた様を見て、櫻井先輩は思い切り顔を顰めた。ゴミを見るような目をしているが、その目は更に彼を喜ばせただけだった。
オーナーは、おじさんはふられたから退散しますと席を立ったので、デッキチェアに腰掛けようと思ったのだが、皇矢が離れず彼が椅子に座り、その上に横抱きされるように座るという妙な体勢になった。
「皇矢酔ってる?」
「全然」
「じゃあこの体勢は…」
「おもしろくてさ」
皇矢はちらりと背後を見てからくっと笑った。
「真琴、サラダ食べたい」
「食べなよ」
「お前支えなきゃいけないから手動かせない」
「もー…」
じゃあ下ろせよと思ったけれど、皇矢が甘えるのはいつものことなので箸でポテトサラダを摘んで口元に持っていってやった。
「もう一口」
「はいはい」
同じ作業を二回、三回と繰り返す。
そういえばと周りと見渡すと、櫻井先輩は学とデッキの柵に手をかけ、川の方を見ながら話しており、三上の姿がない。
「…三上帰った?」
「いやいるよ。めっちゃ俺見てる」
怖いのでそちらは振り返れなかった。
「潤、それくれ。それ」
「自分で動けよ」
「真琴がいるから動けん」
「お前が勝手に抱えてんだろ」
言い合いをしながらも、潤も箸で掴んだチキンを食べさせた。
「三上大丈夫?かなり飲んでない?」
「放っておけ」
「…ま、男しかいないし大丈夫か」
以前潤が言っていた言葉を思い出す。三上は酔うと女性を口説くらしいのだ。
別に今そうなっても怒ったりはしない。動画を撮って何度も見返すくらいはするだろうけど。
「早く仲直りできるといいな」
皇矢は咀嚼しながら言い、曖昧に頷いた。
「三上は言葉が足りねえからな」
「…僕には十分だよ」
苦笑すると、なんて健気なんだと抱きつかれた。
「ぐるじい…皇矢酔ってるでしょ」
「酔ってません」
「酔っ払いはだいたいそう言うんだって」
仕方がないなあと溜め息を吐きながら俯くと、手元に影が差し、見上げた先には三上がいた。
皇矢の背後から片手を伸ばし、彼の顎の付け根を思い切り挟んでいる。
「いでででで!」
自分もよくやられるのでその痛みを想像して肩を強張らせた。
「お前喧嘩売ってんのか」
三上がぼそりと言い、皇矢は顎を擦りながら嫌な笑みを作った。
「俺喧嘩になるようなことしてるか?」
「舐めたこと言いやがって」
「なんのことやら」
三上と皇矢の間にある空気がびりっと震えた。どうしよう。焦って二人の間でおろおろすると、潤が間に入るように身体を捻じ込んだ。
「はいはい、ゴリラたち、こんなところで暴れんなよ」
しかし潤など視界に入っていない様子で、三上は彼を突き飛ばし、僕を皇矢の上からどかせ、皇矢の胸倉を掴んで立ち上がらせた。そのまま壁際まで追い詰めると、室内から喧嘩だ、いいぞ、やれやれと囃し立てる声が響く。
「いやー、青春だねえ」
おもしろがってないで誰か止めてくれ。この二人は周りが目に入らないほど殴り合いそうだし、友情が拗れたら自分も悲しい。
潤はお手上げ状態と言わんばかりに冷めた目をし、自分は三上の背後をうろうろした。
「み、三上!」
止めようとして彼の服を背後から引っ張ったが思い切り振り払われ、その拍子に手が頬にぶつかった。
痛いと思う暇もなく学がやってきて、今度は三上の喉を腕で潰すようにしてこちらを指さし、いい加減にしろと地を這うような声を出した。
やっと三上と目が合い、彼は舌打ちして学を振り払った。
「帰るぞ」
手首を掴まれ、わけがわからず背後を振り返ったり、三上の背中を見たりする。
潤や蓮がばいばーいと呑気に手を振ったのでそれに応え、櫻井先輩にあとでメールすると叫んだ。
「じゃあな少年!喧嘩もほどほどにな!」
ぐっとサムアップされ、お世話になりましたと頭を下げながら人混みを避けるように歩いた。
店の外に出ても腕は離してくれず、一言も話さない。コンビニの前に来て漸く、待ってろと短く言ってから店内に入っていった。
ぽつんと一人残され、ぼんやりしていると戻った彼にまた腕を引かれて歩き出す。
三上は小さな公園に入り、ベンチに座らせると目の前にしゃがみ込み、袋から冷えピタをとりだし頬に貼ってくれた。
「…ありがとう」
「俺がやったんだから当たり前だろ」
「わざとじゃないし、ちょっとぶつかっただけだから」
「…痛むか」
「全然。それよりなんで皇矢と喧嘩したの?」
「その名前だすな。むかつく」
三上は吐き捨てるようにして首の後ろに手を当てた。
拗れそうな予感を察し苦笑する。二人の問題なので首は突っ込まないが、友情が壊れたら悲しい。
三上と冷戦中だったことも忘れ、どうしたものかと腕を組んで悩んだ。
「……今日お前の部屋泊まる」
「へ?」
「いいよな」
「…い、いいけど…」
皇矢と喧嘩し、精神が不安定なのだろうか。そんな軟で繊細な神経の持ち主じゃない。
酔ってるからちょっと甘やかしてくれてるのか。見た目も口調もいつも通りだけど。
三上の頭の中は謎だらけなので深追いはせず、じゃあ帰ろうかと立ち上がった。
一歩踏み出すと背後から腕を引かれ、振り返ると三上が口を開いてなにも言わずに閉じた。
「なに?」
「…いや、なんでもない。寮に戻ったらでいい」
「気になるなあ」
じっとりとした視線を向けると、彼は一瞬僕の手をぎゅっと握り、駅に向かって歩き出した。
ますます気になるけれどこんなところで問い詰めても貝になるだけとわかっているので、なにも言わず彼の少し後ろをついて歩いた。
そういえば自分たちも喧嘩中だった。今更蒸し返しても仕方がないので喧嘩両成敗ということにしてあげよう。
話し合って着地点を見つけないとまた同じ喧嘩を繰り返す。わかっているがそれはまた今度。今は珍しく甘えたがりな様子の彼との時間を大事にしたい。
END
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