窮鼠猫を噛む
「三上!」
空き教室の椅子に座って上半身を机にべったりつけて瞳を閉じた瞬間、扉を乱暴に開く音と名前を呼ぶ声が聞こえた。何事かとぱちりと瞳を開ける。
「お前なにしてんだよ!」
声の主は潤で、後ろには夏目の姿もある。
「なにってなんだよ。寝てんだよ」
見ればわかるだろと無視してまた瞳を閉じた。
先程四限終了の鐘が鳴ったので今は昼休みだ。どこで寝ようと文句を言われる筋合いはない。四限をサボったことを叱責されると何も言い返せないけど。
「じゃなくて!保健室行け!」
「なんだよ」
のろのろと上半身を起こした。
今日も潤はうるさい。そんなにでかい声を出さずともちゃんと聞こえてる。俺はじいちゃんか。
「真琴が」
その名前にぎくりとした。保健室と泉の相性は非常に悪い。嫌な記憶を揺り起こされる。
「保健室に運ばれた……」
泉を助けたあの日を思い出し、指先がすっと冷たくなった。
潤の背後に佇む夏目に視線を移す。夏目はこくりと頷いた。
「真琴が怪我を……」
言われた瞬間立ち上がった。
クソ。またか。あいつは何回同じ目に遭えば気が済む。
なんだってそういう連中を引き寄せる。わからなくはないが、だとしても不幸体質すぎるだろ。
保健室は一階で、自分がいたのは三階だ。
廊下を走る途中で教師に走るなと怒られたが無視した。
階段を下りるのも面倒で、数段降りたところで手すりを握り、勢いのまま踊り場まで飛んだ。
くっそ面倒くさい。
またあいつが殻に篭る前に会って頭を叩いてやらないと手遅れになる。
一度篭ってしまうと何度外側からノックをしても顔を出さずに引きこもる。
臆病な生き物は一度でも与えられた痛みを生涯忘れず、敏感に反応するのだ。
保健室の前で膝に手を当て呼吸を整える。息苦しくてネクタイを引き抜いた。
「光ちゃん」
扉を開けながらソファに座る養護教諭に言った。
「……三上くん。どうしたの慌てて」
室内をぐるりと見渡すとジャージ姿の泉がいた。光ちゃんと対峙するように座り、手当を受けている。
「三上も具合悪いの?」
呑気に聞かれ、まだ乱れる息を整えた。
「怪我、したって……?」
「……ああ、これ?」
光ちゃんが落ち着いた様子で泉の足を指差した。
「泉くんは少しぼんやりする癖があるね」
「す、すみません」
恥ずかしそうに謝罪する姿を見て、なんだか普通だぞと思う。
殻に篭った様子もないし、無理に笑顔を作る感じもない。
「三上くんが来てくれてよかった。泉君に肩貸してあげてね。はい、もう大丈夫。教室戻っていいよ」
「ありがとうございます」
ちょっと待ってくれ。それだけ?それで終わり?
もっとこう、思い切り顔を腫らしているとか、青痣だらけとか、そういうのは?
泉はひょこひょこと右足を引きずりながらこちらに近付き、はにかむようにした。
「僕歩けるし大丈夫だからね。三上も保健室に用があったんだよね。気にしないでどうぞ」
泉の両肩をがっちりと掴んだ。
「怪我の原因は」
「えっと……。まあ、ちょっとしたアクシデントで……。大したことないから」
何かを隠すように苦笑する顔をじっと見た。するとばつが悪そうにすっと視線を逸らされる。
なにかあったな。この顔は見覚えがある。泉は隠しごとをするとき、いつもこの顔をする。
もしかしたら服で隠れている部分がひどいことになっている可能性もある。
以前もそうだが、狡猾な連中は見える部分に傷をつけない。
教師にどやされるし、今のご時世そういう問題はかなり敏感に反応される。なのに手をあげるのをやめられない。理解し難い連中だ。
「……とりあえず行くぞ。肩、貸してやる」
「だーいじょうぶだって。大袈裟だなあ」
こうして自分を遠ざけるときは尚更なにかを隠している。本当にこいつは嘘が下手だ。
「泉くん、貸してもらいなさい。無理すると治り遅くなるよ」
「……はい」
光ちゃんに叱られ、泉はがっくりと肩を落とした。
保健室を出て、腕を差し出す。どこでもいいから掴まりやすいところに掴まれ。そう言うと二の腕あたりの制服をぎゅっと握られた。
掴まれと自分で言っておきながら、ひょこひょこと時間をかけて歩かれると段々苛々してきた。
のろのろしてると昼休みも終わる。こいつに尋問しなくてはいけないのに。面倒になって泉を抱えて肩に担いだ。
「ちょっと!三上!」
「うるせえ。大人しくしてろ」
「でも人に見られる!」
確かにそうだ。自分は構わないが、どんな状況?と好奇の視線が突き刺さるだろう。
ぴたりと足を止め、一階にある適当な空き教室に泉を放り投げた。
「いたー!こうみえて怪我人──」
尻餅をつきながら騒ぐ口を手で塞ぎ、Tシャツとジャージを捲った。
「え、え、まさか三上その気になった!?」
くねくねと身体を動かして頬を染めるこいつはとりあえず無視だ。
とくに痣らしきものは見当たらない。今度を身体を反転させ背中も同じように見たが、やはり綺麗なままだ。
一体どういうことだろう。
ぱっと手を放し、最初から順番に整理して考えようと思った。
「もう終わり?続きは?」
潤も夏目も深刻な表情だったので、これは絶対また泉がやらかしたと思ったのだけど。
潤は人をからかうこともしょっちゅうだが、夏目に限ってそれはないだろう。
「おーい、続きは?」
実際足を怪我していたわけだし、こいつの不幸の塊みたいな過去を思い返せばまたか、と推察するのは当然で。
「緊張しすぎて勃たない?」
こいつは明らかになにかを隠しているし、足を捻っただけなんてそんな馬鹿な話しがあるか。
だとしたら太腿あたりを蹴られたとか。あれはかなり痛い。自分にも覚えがある。
「それともやり方わからない?大丈夫、僕に任せて!」
だから、だから──。
「三上は上と下どっちがいい?僕はどっちでもいいよ」
「上に決まってんだろ」
つい反応してしまい、眉間を抓んだ。
「わかった。じゃあ順番にしようね」
「ふざけんな馬鹿」
頭を小突いたが、泉はへらっと締まりのない顔で笑うだけだ。そういえばこいつはドがつくMだった。
距離を縮めてしゃがみ、彼の顔を覗き込んだ。
「何で怪我した」
聞くとまた視線を逸らす。
「別にいいじゃんそんなこと」
「三秒以内に話さないとお前が隠し持ってる俺の写真全部燃やす」
「え、なんで知って──」
「はい、さーん」
「わー!言います!言うから燃やさないで下さい家宝なんですお願いします!」
うわあああ……。と泣き崩れる姿を見て溜め息を吐いた。
「さっさと言えストーカー」
「なんでバレたんだろう……」
泉はむくりと起き上がり、ちっと舌打ちをした。
早くしろと促すと泉は小さく溜め息を吐き顔を背けた。
「あの……」
ぼそぼそと煮え切らない泉の両頬を片手でぎゅっと握り潰す。
「燃やすぞ」
「わかったよ!た、体育の授業で」
「……体育?」
「そう。サッカーで。それで、怪我を……」
「はあ?」
自分にしては珍しく素っ頓狂な声が出た。
「試合中にシュートを背中でうけてよろけて……。立て直そうとしたら右足がぐぎって」
「……それだけ?」
「それだけ」
「なんで隠そうとしたんだよ」
「だってすごくダサいじゃん。皆に大笑いされたし……」
「……ふーん。へーえ」
じゃあなんですか。俺はまた潤にしてやられたわけですか。今回は夏目まで使って用意周到だ。
いかにも匂わす言い方をして俺が慌てる様を見て笑っていたと。ああそうですか。
潤は今頃愉快、愉快と高笑いをしているだろう。
「殺す!」
「なんで!?ちゃんと話したじゃん!」
「潤と夏目に腹パンきめてくる」
「潤?なんで?どういうこと?」
「お前は一人で戻れよじゃあな」
「あ!ちょっとさっきの続きは──」
うるさいストーカー。やるのもやられるのも御免だと何度言えばわかる。
泉は無視して大股で教室へ戻った。
昼食を食べ終え、呑気に夏目と談笑する潤の机を思い切り叩く。
あまりの音に教室はしんと静まり、誰もがこちらを注視した。
「てめえらやってくれたなおい」
「なんのことー?」
「しらばっくれんなよ」
「真琴が怪我したけど僕じゃ抱えるの無理だから行ってやれって言っただけだけど?」
「てめえ……」
相変わらずいい性格をしている。何故自分はこんな男と友達を続けているのだろう。
潤に言ってもきりがないので夏目に視線を移した。夏目は首をぐりんと不自然な速さで窓へ向けた。
「夏目……」
「まあまあ、三上。そんなに怒鳴らなくても」
後ろから肩を引かれた。声の主は皇矢だ。
皇矢は小さく肩を揺らし、笑いが抑えられないといった様子で眼前にスマホを差し出した。そこには潤たちとのやりとりが映された動画。
「お前ら……」
「真琴のことになるとこんなに俊敏に動けるんだね」
「なんだかんだ言って真琴を大事にしてるみたいで安心したよ」
「よ!香坂二号!」
「変なあだ名つけんな!」
はしゃぐ皇矢からスマホを取り返し、窓の外へ投げてやった。
「あー!」
「そんなことしてももう有馬先輩のパソコンに保存したよ」
にやりと悪魔的な笑みを浮かべる潤を殴りたい。五発くらい。綺麗な顔をぼこぼこにしたい。
もう、もう……。俺ってやつは……。
「お前らもうほんとやだ……」
しゃがみ込んで頭を抱えた。頭上で潤と夏目が笑っている。
「指の骨一本ずつゆっくり折って十回くらい海に沈めたい。それか身体だけ地面に埋めたい
とりあえず潤に思い切り肩パンした。
潤は椅子から転がり落ち、痛いと騒ぎながら床をごろごろ転がっている。
少しは気が晴れた。
もう寮に帰ろう。どうせ泉が戻ったら例の動画上映会が始まる。
有馬先輩のパソコンをぶっ壊すのは流石に怖いのでそれは諦めるとして、有馬先輩と取引の上動画の存在を隠してもらわなければ。
寮に戻って綿密で完璧な復讐計画をたてよう。
そして潤と夏目が忘れた頃に必ずやり返す。泣き叫んで土下座するまで謝らせてやる。
「有馬先輩と須藤先輩にチクってから帰る」
END
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