3


いつもこうだ。何度同じパターンを繰り返せば自分たちは進歩するのか。いや、違う。進歩していないのは自分だけだ。
細心の注意を払っているつもりなのに、詰めが甘くて彼の気分を害してしまう。
今日も失敗した。失敗しない日の方が珍しい。ぼやきながら部屋に入る。
蓮の姿はない。須藤先輩のところか、友人の部屋だろう。
自室で着替えを済ませて椅子に座った。ごろごろしていると余計なことばかり考える。
地中深くまで落ち込んで、自分の情けなさで自己嫌悪。ぐるぐる繰り返して暫く立ち直れなくなる。なにか無理にでも頭に入れようと教科書を開いた。
夏休み前に考査がある。親に心配をかけないよう、成績だけはキープしたい。
恋人がいるから、友人ができたから、怠慢な態度はとりたくない。

一心不乱にノートを捲っていると、扉が開く音で我に返った。

「真琴…?」

「…蓮。どうした?」

「勝手に入ってごめん。何回かノックしたんだけど」

「いいよそんなの」

「勉強中だったか。邪魔してごめんね。けど、学食閉まっちゃったよ」

「マジ?そんなに時間経ったんだ…」

一度集中すると数時間はそのままやり続けられる。利点だと言われたこともあるが、こんな風に時間の感覚がなくなるのでほどほどにしようといつも思う。

「コンビニでも行ってきな」

「えー…。面倒くさい…」

「なに言ってんだよ、すぐそこでしょ。ほら、ちゃんとご飯は食べる!」

「…はーい。蓮お母さん」

「お母さんじゃない」

さすが長男、面倒見がいいというか、お母さんっぽいというか。
お節介まではいかない感じが丁度よくて、存分に甘えてしまいそうになる。
シャツの上にパーカーを羽織る。夜になるとぐっと冷えるのだ。
財布を握り、リビングにいた蓮にいってきますと挨拶をして寮を出た。
こんなことならちゃんとタイマーでもかけて学食に行くんだった。
甲斐田君は三上を出不精のもやしっこと罵ったが、自分も変わらないと思う。
吹く風はひんやりとしていて、街頭もまばらな夜道は少し怖い。どこかでなんの鳥かもわからない鳴き声もする。
足早にコンビニに入り、適当にご飯を買って俯き加減で寮を目指した。
風なのか、小動物かのか、近くの叢でごそっと音がなると心臓が飛び跳ねる。
人の気配もない闇の中では小さな音にも敏感になるらしい。小学生じゃあるまいし、こんなことでと呆れた。
ふと、後ろから足音が聞こえて人の気配に安堵した。けれどもそれは段々と早くなり、何処かへ急いでいるのだろうかと首を捻る。意識していないのに、自分の歩調も速くなった。
女の子なら慌てて逃げる場面だが、自分は平凡な男なので襲われる心配はない。
しかし、もしかしたらカツアゲとか暴力的ななにかに遭遇する可能性はある。
なんといっても虐められっ子体質で、不遇な体験には事欠かない。普通に生きていたらそんなことある?と言われるような出来事も、自分ならば有り得るのだ。
例えば外に出たらバナナの皮が落ちていて、それに滑って転んで車に轢かれるなんてコンボもありえる。
こうしちゃいられないと袋をぎゅっと握って駆け足になった。
財布の中には少ない全財産が入っている。母親が汗水たらして必死の思いで稼いだ大事なお金だ。とられるわけにはいかない。でも捕まったら腕っぷしに自信がないので差し出すしかない。だから今日も筋トレをしようと誓う。

「…おい」

低く唸るような声が背後から聞こえ、ぎゃっと短い悲鳴を上げて走った。
自慢じゃないが、運動神経はとても悪い。百メートルなんて小学生にも負けるだろう。だけど逃げなきゃ。必死に足を前に、前にを出すけれど、それはとても重く、もう少しで寮の門というところでついに後ろ手を掴まれた。

「なんで逃げんだよ!」

聞えた声は三上のもので、硬くした身体から力が抜けた。

「……三上、か…。びっくりした…」

「なんだと思ったんだよ」

自分も呼吸を荒くしているが、三上の呼吸も荒い。普段運動しないのはお互い様だ。

「か、カツアゲとかされるのかと…」

「妄想が過ぎるだろ。ちゃんと声かけたじゃねえか」

「ごめん…」

それどころではなかった。どうやって切り抜けるかで頭はいっぱいで、三上の声も認識できないくらいに混乱していたらしい。

「……ちょっとこっち来い」

握られた腕はそのまま、寮の敷地内の中庭にある簡素なベンチに腰をかけた。
こんな夜更けに外にいる生徒は自分たちくらいで、あたりは闇に包まれている。頼りは月と星の光りだけで、そういえば今日は満月だとぼんやりと考えた。
三上は何も言おうとしない。きっと、怒り過ぎて悪かったとか思っているのだろう。
なんだかんだとフォローをしてくれるし、自分が悪いのだから怒られて当然だとしても、彼は彼なりに努力を重ねてくれる。
そんなことしなくてもいいのに。隣に置いてくれるだけで幸福なのに。無理をさせているのだろうと思う。
三上にとって苦痛が伴う作業で、だからいつも時間が止まったかのように言葉が音にならない。

「…飲む?」

コーヒーを差し出すと、三上は素直に受け取ってくれた。本当は蓮に買ったものだが、まあいい。
ストローを刺して一口飲んで、甘いと顔を顰めている。

「たまには甘いのもいいよ。糖分だって身体には必要らしいから」

「だって口に残る感じするだろ」

「まあね」

何気ない会話をしながら糸口を提供した。早く彼の用事を済ませてあげたい。
本当は謝らなくていい。悪いなんて思ってほしくない。すべて自分のせいにして、三上はいつだって逃げていい。いくらでもそうできる。なのにしない。変なところで真面目で不器用で、世渡りが下手だ。

「…さっき、ごめんね」

窺うようにゆっくりと下から覗き見た。一瞬視線が絡まり、彼はすぐに前を向いた。

「……いや」

「跡になった?」

「そりゃもうばっちりと」

「う…。本当にごめん」

「別にもう痛くねえから。誰かに何か言われたら飼い犬に噛まれたって言うからよ」

「犬じゃない!」

「突然噛み付くくせに?」

「それは…。それはー…」

ごにょごにょと尻すぼみになる。理由を説明したくない。でた、乙女思考とか馬鹿にされるに決まっている。
穏やかな空気とは裏腹に、なにもかもを見透かされているように居た堪れなくなる。
喧嘩した後の仲直りの瞬間だけは普通の恋人らしく過ごせるのに、どうして他ではだめなのだろう。
きっと、三上の態度が違うからだ。気遣うような優しい空気にこちらも肩の力が抜ける。冗談めかして好きだと迫らなくて済む。
いつもの三上はとても硬質で、無邪気で陽気で馬鹿な自分を装った鎧をつけないと太刀打ちできない。無防備な状態で接すれば、刃が身体を貫通して、今度こそ立ち上がれなくなりそうだ。

「…も、もう行こうか!寒いでしょ?」

三上から謝罪の言葉はないが、怒って後悔しているのはわかる。
こうして普通に会話をすれば、自分たちにとって仲直りの証だ。

「寒いか?」

「え…。僕は平気だけど。三上寒いの苦手じゃん」

「今は寒くねえよ。涼しい」

「そ、っか…」

立ち上がりかけて、再びきちんと腰を下ろした。
これ以上の会話はないと思うのだが、彼がそう言うなら従うまでだ。

「…お前さあ、俺が逃げるとすげえ追いかけるのに、俺から近付くと逃げるよな」

「に、逃げてないよ!」

「そうか?今もそうだけど、俺からお前のところに行くと、なんつーか、大人しいお前になるよな。いつもの感じじゃなくて」

「…普通だと思うけど…」

俯きながら呟いた。感覚で理解できる鋭さが憎い。こんなときは鈍感でいてほしいと思う。
なにも興味がないふりをして、三上は色んなところをしっかり見ている。目を逸らさず、きちんと。強い人だからこそできるのだと思う。

「お前は嘘が下手だよな」

「嘘じゃない…」

「顔にしっかり書いてんだから、下手な言い訳しないで素直に話せって言ってるだろ。別に俺だって変なことしなきゃ怒んねえよ」

「…はい」

首肯したものの、口を割ろうとしない自分を見て、三上は困ったように溜め息を吐いた。
なにをどうされても本音など話してたまるものか。大人しい自分?そんなの当たり前だ。三上から優しさを与えられるなら落ち着いてなにもかも記憶に焼き付けたい。いつものような、変なテンションで見逃すことがないように。

「潤に聞いたぞ」

その一言でぎくりと肩が揺れた。

「学食で会って、まあ、色々。お前の妙な行動の意味もわかった」

わかっていても知らぬ振りをしてくれればいいのに。女心が一寸も理解できない三上にそんな計らいは期待するだけ無駄だけど。だけれどこちらは顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
なにも言い返せずに赤くなる顔を隠すようにますます俯いた。

「耳真っ赤」

揶揄するような口調に、意識せずに身体中の熱がそこに集中してしまう。

「う、うるさい!」

「恥ずかしがるならあんなことしなきゃいいのに」

「意味がわかんなかったら恥ずかしくない!あー、もう、潤もなんで話すかな!」

「さあな。八つ当たりとか?」

「絶対有馬先輩となんかあったんだ!」

「かもな」

潤には明日文句を言おう。どうせあっけらかんと鼻で笑われて終わるのだろうが。

「手の甲は尊敬で、首は執着、だっけ?」

「あー!あー!もういい。その話しはいい!」

耳を両手で塞いで首を左右に振った。羞恥プレイか。それも捨てがたいが、ベッドの中だけでお願いしたい。普段の生活の中では恥ずかしさが突き抜けてまともに顔も見れない。
もう帰ろう。これ以上の辱めを受ける前に。
今度こそ立ち上がろうとして、ぐっと肩を寄せられた。抗わずにいると三上の肩に凭れるようになり、目をぱちくりとさせた。

「今度は噛むなよ」

頭上から降って来た言葉に、もう一度瞬きをする。
今度、今度…。今度があってもいいということだろうか。恐る恐る首筋に顔をよせ、触れるだけのキスをした。三上の香水は催淫剤のように頭を痺れさせる。とろりと陶酔しそうになって、必死でブレーキをかけた。身体をすっと離す。まだ顔に熱がこもっていて、処女のような反応にうんざりして背中を向けた。

「ごめん、ありがと…」

キスをさせてくれて、なんて恋人に対して妙なセリフだ。
ごしごしと頬を掌でさすって赤みが治まるように祈った。

「い、行こうか」

立ち上がってちらりと後ろを振り返った。
三上も立ち上がったのでほっとした。これ以上は一緒にいられない。
唇にキスができたらいいのに。想像して拗ねたが、唇以外の方が余程恥ずかしいと知った。
三上が歩き出したので半歩後ろをついていく。数歩歩くと三上がくるりとこちらを振り返った。

「…どうした?忘れ物?」

見上げると、いつもと同じ冷ややかな視線が自分を見下ろしている。
月の光りのように、それはまっすぐ濁ることなく、突き刺すように鋭くて、だけど呪縛されたように目が離せない。
彼は手を伸ばし、さらりと僕の髪から一束掬った。それを指先で遊ばせて、数秒間口付けた。
ぱっと手を離し、じゃあなと歩き出した彼を追う力はなかった。
心臓が煩い。痛い。苦しい。
三上との付き合いは楽しいばかりじゃなくて、甘酸っぱくもなくて、もうやめたいと心がぼっきり折れることの方が多くて。
なのに一瞬ですごい引力で彼に気持ちが向かってしまう。
抗う術はなく、気持ちはふくらみ、そしていつかはパンクする。

「あーあ。くっそカッコイーなおい」

どうしてキスをしたのが髪なのだろう。以前は手の甲だった。
確か潤に見せてもらったものの中に髪も入っていた。けれど意味が思い出せない。
大した理由ではないだろうが、明日潤に確認させてもらおうと思う。


END

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