悪いお手本




六限の途中、頬杖をついて窓の外を眺めた。
半分開けられた窓から湿気混じりの不快な風が教室に流れ込む。
皇矢は机に突っ伏して眠り、潤は腿の上で携帯をいじっている。こんなクソみたいなクラスでも授業をしないわけにはいかない教師に同情する。
終了のチャイムと共にむくりと起き上がった皇矢に呆れた視線を向けた。
自分も他人に説教できる立場ではないけれど。
HRが終わると潤がこちらに近付いた。

「今日真琴と帰る?」

「なんで俺が」

「あ、そ。じゃあ僕がもらうよ」

「どうぞお好きに」

ひらひら手を振ると、潤はぼそりと冷血漢と吐き捨て教室から出て行った。
ぐっと拳を作り有馬先輩よりはましだわ。という反論を呑み込む。

「お前は相変わらず容赦ないね」

皇矢が退屈そうに欠伸しながら言った。

「まあ、真琴はそんなことで文句言う面倒くさい女とは違うけど」

なにを勘違いしているのか知らないが、文句なら散々言われている。
一緒にご飯食べよう、一緒に帰ろう、一緒に寝よう、一緒に──。
思い出しただけで頭痛がする。ちらりと皇矢を見て疑問に思った。
なぜそんなお飯事に嫌な顔せずつきあっていたのだろう。

「お前さあ、女きれたことなかったじゃん。こんな面倒に巻き込まれ続けて嫌になんねえの?」

皇矢はきょとんとした顔でこちらを見て、ふっと笑った。

「なるよ。あー、面倒くせえって思った瞬間にさよなら」

「お前の方が容赦ない。俺はそこまで冷たくない」

「だって最初から好きじゃなかったし。好きな人なら話しは別。面倒なところもかわいいだろ?」

思い切り顔を顰めてやった。面倒がかわいい?なに寝惚けたことを言ってるのか。面倒は面倒なだけ。それ以下の感情は持ったとしてもプラスになりうる付加価値はない。

「わかんねえわ。俺そういうのむいてない」

「いやいやお前、真琴を選んだ時点で面倒な奴好きじゃん」

「殺すぞ」

片手で頬を挟んで思い切り力を込めた。皇矢は手を振りほどき頬を擦った。

「顎外れるかと思った」

「次馬鹿みたいなこと言ったら本気で外す」

こちらは真剣なのに、皇矢はくっと喉で笑った。

「お前は本当にどうしようもねえな。手前の気持ちもわかってない」

「馬鹿に言われると腹立つな」

「人間的には俺の方が成長できてる」

「へえ。お前が朝から高杉先輩に説教されてたの見たけど?」

遅刻者の取り締まりで風紀委員と生徒会がずらりと並んだ場で、ぎりぎり校門を潜った皇矢を高杉先輩が掴まえ、鬼のような形相で叱りつけていたのは今朝のはなし。

「それはそれ、これはこれ。俺は自分の気持ちは素直に受け止めるし、説教する茜もかわいいし」

乾いた笑いしか出ない。あれをかわいいと思えるなら眼科に行った方がいい。
高杉先輩とは一言、二言話した程度で為人はよく知らないが、真面目で堅物で潔癖という三重苦だ。触ろうものならぱしっと手を振り払われ、汚い手で触るなとか言いそうだ。

「お前マゾに目覚めたんだな」

「目覚めてねえわ」

皇矢に夢中だった女がこんなだらしない顔を見たら百年の恋も覚める。
皇矢にいいところなんて一つもないと思っていたが、今は現在進行形でマイナス要素が加わっている。高杉先輩もこの馬鹿にきちんと首輪をつけて躾直してくれないものか。いや、躾が完了したからこそ、こいつは従順な馬鹿になってしまったのか。
友人二人が誰とつきあおうが勝手にしろと思っていた。
自分には関係ないし、本人の幸せは本人が選択すべきで、他人がとやかく言う問題ではない。
でも一言言わせてもらえるなら、どちらも趣味が悪い。これに限る。
顔やスタイルや家柄、職業が人間のブランドならば、泉は大量生産された挙句ワゴンに入れられ半額シールを貼られる部類だ。
男に走ってまで選ぶ相手かと問われればわからないとしか言えない。でも一度好きだと自覚すれば後戻りはできず消すこともできない。厄介だ。
それでも、高杉先輩や有馬先輩に比べれば泉はかわいい部類に入るだろう。
纏わりつかれてうるさいが、叱ればぴたりと動きを止めるし、課題の代筆から荷物持ち、昼飯調達までたった一言で嬉々としてこなしてくれる。犬の訓練士になった気分だ。
ストーカーをやめさせ、普通に接することを教え込むまで苦労したな、と様々な思い出が走馬灯のように蘇る。
まだ躾は完璧ではなく、泉の心の奥の方に積もるトラウマや、自虐性や、自尊心の低さを肯定する問題が残っている。これがなかなか手強そうだが、ここを突破しないと続けられない。そこまで考えてこれを面倒というのではと気付いた。
ごんごん、と机に額を二度ぶつける。

「うわなに。怖えよ」

「ちょっと……。人生やりなおしたい……」

「三上先生の来世にご期待ください」

「来世……。もう人間には生まれたくねえな」

たわいない話しを続けていると一時間ほど経過していた。
腹減ったからコンビニ行こうと皇矢に言われ、鞄を持って立ち上がる。
一階まで階段を降りると、昇降口付近にある自販機の前で嫌な先輩を見つけた。
ぴたりと二人同時に足を止めたが目ざとく見つかり、香坂先輩におーいと手を振られる。見付かれば逃げる選択肢は選べない。逃げたら後がひどいから。溜め息を吐いてそちらに近付いた。
木内先輩、香坂先輩、有馬先輩。順に視線を移し今日は厄日かな?と首を捻る。

「もしかしてコンビニ行く?」

香坂先輩が問い、皇矢が馬鹿正直に頷いた。

「じゃあなんか適当に食えるやつ買って来い。お駄賃あげるから」

遠慮せず長い溜め息を吐くと、お駄賃奮発するからと肩を組まれた。
皇矢は木内先輩とにこやかに話しているし、有馬先輩はさきほどからこちらを凝視している。怖い。

「そういえば三上」

香坂先輩に耳元でこそこそと囁かれ、距離が近いのが不快で胸を押し返した。

「有馬に聞いたぞ。大人しそうな子に脅迫よろしく迫ったって?」

「は?」

有馬先輩に視線を移すとすいと目を逸らされた。この野郎。そのお綺麗な顔をぐちゃぐちゃにぶっ壊したい。
有馬先輩に目撃された時点でこうなるだろうとは思っていた。泉はおもしろおかしく吹聴するような人ではないと言ったが、身内でネタにされないわけがない。

「三上のそういうの全然想像できないわ。お前えぐいの見せても全然反応しないし、こいつさては性欲ゼロのEDだな?って心配してたんだよ。いやー、よかったよかった」

力強く背中を叩かれうっと呻いた。

「ああ、それな。俺も興味あるわ」

木内先輩が横から口を挟んだので眉を寄せた。

「三上を堕とすなんて百戦錬磨の手練れ?大人しい子がえろいとぐっとくるもんな」

下世話な話しは無視をした。反応するとおもしろがって更に突っ込まれるので、こういうときは平静を保った方が得策だ。

「三上、再現しろよ。おもしろいから」

片方の口角を僅かに上げながら木内先輩が言う。この人と喧嘩になったら自分もただではすまない。でもここは拳を振るう場面ではないだろうか。

「おい、有馬相手役やれよ」

「なぜ私が」

「三上より身長低いのお前しかいねえからだよ」

「まあ、構いませんけど」

有馬先輩が意外とのったので慌てて両肩をがっちり掴んだ。

「先輩、冗談きついっすよ」

「あなたのためですけど。動画も写真もありますけど、それを見せられるのとどっちがいいですか?」

ひそひそと言われ、肩を掴んでいた手に力を込めた。顔は殴れないが眼鏡くらいなら壊してもいいだろうか。彼の分身のようなものなので、思い切り踏みつけたい。

「盗撮は犯罪です」

「学校で不純同性交友も禁止です」

「有馬先輩にだけは言われたくないっす」

「私はどちらでも構いませんけど」

うっと喉を詰まらせた。皇矢助けろと目で訴えたが、彼はすまん、成仏してくれと言いたげに両手を合わせた。
どちらがましか。そんなの決まっている。動画の存在を香坂先輩と木内先輩に知られるわけにはいかない。腹を括ろう。
有馬先輩の胸倉を掴み、壁に押し付けて片足を壁につけた。

「……こんな感じですけど」

「あれあれー?さっき聞いた内容と違うなあー?」

にやけた面で香坂先輩に言われ、奥歯を噛み締めた。元凶は有馬先輩なので、ここまできたら彼の嫌がることをしてやろう。
額がつくくらいまで顔を近付けてやったが、有馬先輩は両腕を組んだまましらっとした顔を崩さず冷めた瞳でこちらを見るだけだ。渾身の嫌がらせは効かなかったらしい。

「いつまでメンチ切り合ってんだよっ」

嬉々としながら香坂先輩が言い、背中を思い切り押された。
寸前で軌道修正し、壁に額をぶつけたが、有馬先輩と事故を起こすよりはましだ。

「ち、外した」

怖ろしい呟きを聞き、そちらを振り返ろうと身体を起こすと、階段を下りた場所で潤と泉がぽかんとこちらを眺めていた。
あ、俺積んだわ。
泉はどうでもいいが潤の機嫌は一度損なうとそれはもう面倒くさい。

「お、浮気現場が潤に見つかったな有馬」

木内先輩が新しい玩具を手に入れた嬉しさで声を弾ませた。

「別に構いませんけど。木内や香坂のように尻に敷かれてませんので」

「はあ?俺のどこが尻に敷かれてんだよ!」

今度は香坂先輩と有馬先輩が言い合いを始め、その間に泉と潤がこちらに近付いた。
潤は呆れたように溜め息を吐きながら木内先輩と会話を始め、泉は俺の前で立ち止まった。

「み、三上」

またぴーぴー喚くのだろうかと身構えたが、泉は一度気恥ずかしそうに俯いた後、有馬先輩はやめた方がいいと思う、と忠告してきた。
面倒に喚かれるのは論外だが、簡単に受け入れられても困る。先輩たちのお遊びと理解しているからだろうが。

「でも客観的に三上の壁ドン見れてラッキー」

泉の思考回路は自分的七不思議のうちの一つだが、まったく意味がわからない。

「お前さあ……」

溜め息を吐くと、泉は手に持っていた携帯を大事そうに握りながら、写真撮っちゃったと笑った。

「消せ!今すぐ!」

「え、でも僕の宝物にしようと思って……」

「そんな宝はこの世になくていい!」

俺の言うことに絶対服従。そう躾けてきたし、彼もそれを喜んで受け入れてきた。なのに今回は携帯を鞄にしまい、嫌だと首を振った。

「泉」

低い声で唸り、上から見下ろすと、うろうろと視線を泳がせた挙句、絶対に嫌だー、と叫びながら下駄箱まで走った。

「泉!待て!」

手を伸ばしたが腕は掴めず、全方位への怒りが頂点に達し、もうどうでもいいやと脱力する。最終手段、有馬先輩と泉の携帯をぶっ壊す。

「三上……」

ぽん、と肩を叩かれ、皇矢はうんうんと頷いた。同情するふりをしているが、今回先輩たちの玩具の標的にならずに済んで内心ほっとしていることだろう。
その手を振り払い、先輩たちも無視をして一人靴を履きかえた。
とりあえず泉を追いかけなければいけない。今回はどんな手を遣って言うことを聞かせようか。


END

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