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兄は幼い頃から自分の役割というものをよく理解していた。
大喧嘩の毎日で、僕がどんなに憎まれ口を叩いても決して見捨てはしなかったし、窮地に立たされれば僕を背中に隠して自分が矢面に立つような人。
いつも適当で、やるべきことを放り投げて泥んこになりながら遊ぶ兄に対し、それでも周囲の評価は高かった。
愛嬌があり物おじせず素直にコミュニケーションがとれるおかげで、なにをしても憎みきれないといったポジションを確立するのが上手だ。
僕はそれをとても不満に感じた。
僕のほうがいい子なのに。勉強も家のお手伝いも大人の期待以上を熟しているのに正当な評価が下されていない、と。世の中の不平を知るにはまだ幼過ぎたのだ。
なのに最後に頼るのはいつも兄だったし、兄も何を捨てても一番に駆けつけてくれた。
結局憎みきれなかったのは自分も同じだったのだと、兄と離れて漸くわかった。
兄がいなければ、きっと今よりもっと人格が破綻していただろう。兄は僕にとって太陽であり、恵みの雨だ。
いつだって困難の先を照らしてくれるのは兄しかないのだ。
だから今回も当然兄を頼りにしたし、その結果楓ちゃんがフリーズしたまま数秒経過しているのは僕のせいじゃない。

「……今なんと?」

「だから僕に性教育を施してほしいなって」

楓ちゃんは持っていたペットボトルを勢いよくテーブルに置くと額に手を当て溜め息を吐いた。

「京を信じた俺が悪かったのか……。いや、あれでも香坂よりはましで……」

今度は両手で顔を覆いめそめそ泣く真似を始めた。

「あんなに小さかった薫が性教育……。おにいたん、おにいたんって後を追いかけていた薫が……」

「記憶捏造するのやめてくれる?そんなことした覚えないけど」

「いーやあるね!俺の心の中には!」

「それを捏造っていうんだけど……」

「だいたいなあ!つきあってどれくらいだ!まだ早い!」

面倒くさいお父さんみたいな口調に呆れた溜め息が漏れる。
自分は正式に交際する前から香坂さんとそういう関係だったのに、どの口がいうのだろう。

「じゃあ僕が正しい知識もないまま事に及んで怪我をしてもいいんだ」

「ならお前じゃなくて京に正しい性教育してやる」

「あれー?どっちがトップかもわからないのにー?」

「え、マジ?お前あれを抱こうとしてんの?」

「そのつもりだったけどよくよく考えたら抱かれる側のほうが優位に立てるなって気付いた」

「お前はそうやって全部損得勘定する。そんな理由でやるもんじゃねえぞ」

お説教スイッチが入った楓ちゃんは愛というものがなんたるかを切々と語り始めた。
そんな価値観人それぞれじゃん。と横から口を挟みたかったがやめた。
今兄の機嫌を損ねるのは不利益だ。
兄の説教を聞き終えたあともセックスを手段として使って何がいけないのかよくわからなかった。
香坂を落とすときですらあらゆる計略を巡らせたようなクズが今更改心するなんて期待やめてほしい。
感情だけで動いていたら綺麗な関係もあっという間に壊れてしまう。
打算や妥協と相互利益、駆け引きなしで他人との深い関係を維持しようなんて夢物語だ。
そういう夢を売る絵本の中だって容赦ない。シンデレラや白雪姫だって傾国の美女だから話しが成立した。
あれを現代人にわかりやすく説明するなら要は顔。その一言に集約されるではないか。
作り話ですら無慈悲なのに、現実を生きる僕たちに純粋な愛とか夢とか期待されても困る。

「で、教えてくれないの?」

「お前俺のはなし全然聞いてねえな。そもそも血の繋がった兄にそういう相談はどうだろう」

「じゃあ誰に聞けばいいの」

問うと、楓ちゃんは一点を見つめたまま何かを思い出すようにしたのち、俺が一番まともだと呟いた。

「作り物のAVを現実とリンクさせるような男にはなりたくないんでね」

「うーん……」

「じゃあ香坂さんに聞くね」

「待て!わかった!」

楓ちゃんはようやく観念し、前準備や最中の注意点などを教えてくれた。
そんな苦労をしなければ男同士では繋がれないのかという衝撃と、安易にボトムを引き受けたことを少しだけ後悔した。
香坂が望むなら多少の苦労は致し方ないし、その分彼は僕を大事に扱ってくれるだろうという予想もできる。まあ、プラマイプラスということで。

「一番大事なことだけど、お互いが同意しないときは絶対だめだぞ。トップボトム関係なく」

「じゃあ楓ちゃんが香坂さんにダメって言うけど結局するのはパフォーマンスってことだね」

「ちげえわ!」

「じゃあ香坂さんが無理矢理するようなクズってこと?」

「いや、それも違くて……」

「ふうん。結局するくせに建前で否定するのって面倒くさいよ」

「俺は本気でダメだと思って……!」

「はいはい」

ひらひらと手を振りながらスマホを確認した。
香坂からの連絡に心がぴんと反応する。すぐに返事をするため画面をスワイプしていると、兄にスマホを横からとられた。

「返してよ」

「薫にいいことを教えてやる」

若干楓ちゃんの笑顔が黒く染まっている気がする。そんなに気に障る発言だっただろうか。

「男が浮気するときってどんなときだと思う?」

「知らないよ。つきあってる人に飽きたとかじゃないの」

「安心したときだよ」

「……なにそれ。馬鹿じゃない。安心できる存在がいるなら大事にしたほうがいいに決まってる」

「そんなご立派な理屈をわかった上で浮気すんだよ。どうする京が浮気したら」

「っ、香坂は絶対にそんなことしない!」

「そうか?ゲイじゃないしモテるのに?」

「だ、だけど香坂は誠実だし……」

「誰だってつきあいたては真面目で誠実で優しいんだよ」

「香坂は違うもん。そんなことしない……」

「随分自信なさそうじゃん」

声に覇気がなくなったのは香坂を信用していないわけじゃなくて、恋人としての自分を客観視できるからだ。
男で、顔はそこそこレベルで、身体は貧相で、なにより性格が悪い。
喧嘩が多いということは互いの相性もあまりよくないのだろう。
受け取ることしかできなくて、香坂に与えられるものがない。
まあ、それはそれとして浮気が発覚したら怒涛の勢いで責めるだろうが。

「そんな薫に一つとてもためになるアドバイスをやろう」

「なに?」

「やらせるな」

「……は?」

「安心させるな。簡単に手に入ると思わせるな。お前とつきあいたいなら常にちょっとした努力が必要なんだと叩き込め」

「それが浮気防止策なの?」

ぽかんと口を開けると、楓ちゃんは満足気に頷いた。

「じゃあ楓ちゃんもそうしてるの?あんな猿のほうがましってレベルでやってるのに?」

「俺らのことはいいんだよ!」

「成功体験を伴わないアドバイスなんてなんの役に立つの?童貞がセックス教えるようなものだよ」

「相談乗ってんのに憎たらしい!じゃあ浮気のプロに判断してもらおうぜ。そしたら納得するだろ」

勢いよく立ち上がった楓ちゃんの後ろをついて歩き、ついた先は柴田さんの部屋だった。
去年まで楓ちゃんと同室だったので面識はある。
ノックもそこそこに鍵がかかっていない扉を勝手に開け、勝手に中に押し入る姿を見るたび、繊細さと礼儀に欠けるなあと呆れる。
ソファで寝転んでいた柴田さんは目線だけこちらによこし、面倒くさそうな顔をした。ついでにもう一つのソファには三上さんがいたが、ちらりともこちらを見ない。完全無視だ。

「紹介しよう。浮気のプロだ」

楓ちゃんは柴田さんの肩をぽんと叩き、えっへんと胸を張った。

「急になんだよ。変なあだ名つけんな」

兄が今までの経緯を掻い摘んで話し、最後に持論が正しいと後押しするよう柴田さんに迫った。

「そんなの人それぞれだろ。なにやったって浮気する奴はすんだよ」

「さすがプロは言うことが違えな」

「今はしてねえよ」

「でも一般的には俺の説間違ってないだろ?」

「……まあ、そういう奴もいるんじゃねえの」

「ほら!言った通りだろ!役に立たないと言ったことを詫びろ!」

よっぽど悔しかったのか、謝罪を要求されたが喧嘩を売る相手が間違っていると思う。なんせ僕は口から生まれたと言われるくらい口喧嘩では負けなしだ。

「そういう奴もいるってことはそうじゃない人もいるわけだよね。割合を示せないものを信じる気にはなれないな」

「じゃあ三上は!どっち派!?」

「……たけのこ派」

「全然話し聞いてねえ!」

「三上は浮気できるほどの経験がないんだ。察してやれ」

「うわ、意外と……なんかすまん」

「どうでもいいけどむかつくなお前ら」

「異議あり!」

すっと手を挙げた。

「三上さんはできる環境にいるけど一度も浮気をしたことがないし、相手がどんな風であれ今後もするつもりがない。そういう男がいる証明になったと思います!」

「三上を評価しすぎだろ。こいつ酔っ払うとすーぐ手出すぞ。そういう状況になったら浮気すると思いまーす」

「俺も思いまーす」

「でもお酒が原因なら女性がいる場では飲まないとか対策はできるし!」

「三上がそんな誠実さを持ち合わせてると思うか?」

「で、でも……。三上さんも何か言ってくださいよ!」

「……なるべく浮気しないように気をつけまーす」

「ほらな、この程度の男だよ三上は」

頭の中がぐるぐる渦を巻いているような感覚がする。
苦手分野で口喧嘩はさすがに勝てないか。

「僕は男だけど浮気しない!僕みたいな人間もいっぱいいるでしょ!」

「恋愛経験すら薄っぺらいのに浮気なんてできるわけねえだろ」

「う……」

「だからこのお兄様が言った方法を実践してみなさい。はい復唱」

「やらせるな、安心させるな、簡単に手に入ると思わせるな……」

「よくできました。指一本触らせんなよ」

「……でも」

「でもじゃない」

「じゃあいつまで待てばいいの」

「俺がいいって言うまでだよ」

「それはいつ?」

「さあ。一生かもな」

「楓ちゃんの馬鹿!それで別れることになったら一生恨むからね!」

「その程度で別れるような奴は最初からお呼びじゃねえんだよ!」

「自分のことは棚に上げてー!」

「俺はお前より情緒が育ってるからいいんだよ!」

「なんだよそれ!馬鹿のくせに!」

「おーい、喧嘩は他所でやれよ」

ぎりぎり奥歯を噛み締め、柴田さんにお世話になりましたと言ってから部屋を出た。
楓ちゃんは何もわかってない。
香坂は適当な人間じゃないし、僕を大事にしてくれるし、そういう裏切りが一番嫌いな奴なんだ。何も知らないくせに悪く言うなんて最悪だ。僕の大事な人なのに。大事な人……。
大股で歩いていた脚を止め、靴先に視線を固定させた。
今までは誰かのために怒るのは楓ちゃん絡みのときだけだった。
なのに今は楓ちゃんが侮辱されたときより悔しい。
まったくの他人のために怒りを覚えるなんて愚かしいと思っていたのに、その煩わしい感情を抱える愚か者になった。
だけどそれが全然嫌じゃない。
数少ない大事なものリストの一番上、楓ちゃんと同列の場所に香坂が鎮座して、彼だけが僕の感情をぐちゃぐちゃにさせる。
結局わかったのは自分で把握している以上に香坂が好きだということ。好きだからこそ、愚かしい悩みに真剣になってしまうということ。
なに一つ解決していないのに、気分は沈まない。好きな人がいるだけでハッピーなんてお花畑丸出しな思考はしないけど、まあ、少しだけ浮かれているのは事実だ。
それがわかっただけでも儲けもんと思い、楓ちゃんの発言には目を瞑ろう。
なんて寛容なんだろうと自画自賛していると、丁度廊下の先から香坂がこちらに歩いてきた。軽く手を挙げられたので小走りで近付く。

「お前の部屋行くとこだった」

「僕の?」

「スマホ見てねえの」

「……ああ、そうだった。楓ちゃんに邪魔されて返事できなかったんだ」

「また喧嘩?」

ふっと笑われ、そんなことないと言い返す。
とどのつまりは僕が他人との交流を極端に避けてきたせいで、誰かと感情を分かち合うとか察するとかそういう部分が大きく欠落しているのが問題だ。
だから普通は躓かない問題で足踏みしてしまう。立ち止まると誰かに助けを求めたくなる。相手は兄しかいない。意見が食い違って喧嘩になる。この無限ループ。
兄が唯一の友人である白石を大事にしろと言った気持ちも理解できる。
近すぎる兄弟では反発する意見も一歩離れた友人なら素直に聞けるかもしれない。
次は白石に相談してみようと決めながら部屋の鍵を開ける。

「今日はどんな用事?」

「別に。用事なんてないけど」

「勉強教えてほしいのかと思った」

「そんなわけねえだろ」

綾さんから勉強面も面倒をみてほしいと言われているので、僕的には家庭教師をする準備はできているが本人が乗り気でないなら意味がない。

「じゃあ僕が恋しくなったってこと?」

ふんと小馬鹿にしたように笑うと、香坂はそうだけど、と当たり前のように頷いた。

「やめてよ。前みたいに言い返してこないと調子狂う……」

「自分で言って照れるとか器用だな」

「うるさいな」

黒田くんがいつ帰ってくるかわからないので、リビングではなく個人部屋に押し込んだ。
自分は飲まないが香坂のためにストックしているコーラを持って戻る。
ベッドに座る彼の隣に着き、小さく溜め息を吐いた。

「そんな沈んだ顔して。楓さんにいじめられた?」

「そうだよ。こんなにかわいい弟がお兄ちゃん助けてって言ってるのに無駄な説教ばかりでなんの役にも立たない」

「説教してくれるだけありがたいかもよ」

「香坂はいつも楓ちゃんの味方だ」

「そんなつもりはないけど、自分の兄貴と比べるとましに見えてしょうがないから」

「……まあ、そうだね」

これが香坂さんだった場合、面白がって事態を悪化させるよう吹き込んでくるに違いない。そして自分はまんまと口車に乗せられ香坂と大喧嘩をするのだ。
自分の娯楽のために弟たちの恋路を破綻させようとするなんて、香坂さんは悪魔かもしれない。
だけど頼りになるのも事実だし、乗り越えられる程度の試練しか与えてこないのでつい許して同じことを繰り返すのだ。

「楓ちゃんは香坂とのことになるとすぐむきになって頑固親父みたいなこと言うし」

「とにかくお前が心配なんだよ。生まれたての赤ちゃんみたいなもんだ。危険はすべて排除して、安心できる安全な場所で少しずつ大きくなってほしいんだろ」

「僕十六だし。そんな過保護に育てられた覚えもないし」

「でも情緒が赤ちゃんじゃん。お友達の作り方すら知らない奴がいきなり恋人できました、しかも男ですって心配しないほうが無理だと思うけど」

「でも楓ちゃんは香坂のことも知ってるし、いい奴だってこともわかってるし、自分は香坂さんとふしだらな関係だったくせにさあ!」

思い出すとまた怒りがぶり返す。

「ふしだらて……。きっかけがそうだったとしても今は丸く収まってんだから」

「別に楓ちゃんが誰に股開こうがどうでもいいよ。でも自分を棚上げして僕には真面目な恋愛を押し付けてくるからむかつくんだよ!」

「お前すげえこと言うな……。まー、あれだ。楓さんがどうであれ、当事者はお前なんだからお前がしたいようにするのが正解ってことだ」

「僕がしたいように……」

それなら決まってる。
早く香坂が望む関係になりたい。もらってばかりは嫌だから与えられるものは身体でもなんでも与えたい。
彼がさっさとしたいというなら従うし、まだ時期じゃないというなら待つ。
わからないことは多いけど、経験豊富な香坂に任せればなんとかなるだろう。
最悪受け手はマグロ状態でも行為に問題はない。余興や娯楽という面で語るなら零点だけどそれは追々がんばるとして。
だから彼の上に跨って首に両腕を回した。

「へえ。こういうことがしたかったんだ」

「だったら悪い」

「大歓迎」

顔を寄せるとキスに応えてくれる。
晴れて攻守も決まったことだし、香坂が躊躇する理由もないだろう。
体格差や腕力の差を思えば無理矢理組み敷くこともできたのにそうしない香坂が好きだ。
恋人以前に人として尊重されていると実感できるし、対等な立場であると示してくれる。
彼を知るたび、香坂を振った元カノたちの愚かしさに高笑いしたくなる。
確かに香坂さんの顔面には暴力的なまでの魅力がある。流行りの若手俳優を見ても香坂さんを見慣れるとつまらなく感じる。
だけど目で見て楽しむものより、心の奥深くを満たしてくれる香坂のほうがよっぽど貴重な存在だ。
派手で綺麗なだけの宝石になんの価値がある。僕はそんなものより凍えたときに安心できる温かい毛布のほうが必要だと思うけど。
顔を離し、至近距離で彼を見つめ、頬を包んだ。

「なんだよ」

「別に。君って本当に見る目ないなと思っただけ」

「それは昔のこと?それともお前のこと?」

「どっちもかな」

「俺は見る目あると思うけど」

背中を支えられ、ベッドの上にそっと押し倒された。

「お前が実はかわいいって見抜いたのは俺だけだし、それって見る目あるだろ?」

「さあ。君の感性が変わってるだけかも」

「生意気で高飛車で高慢なくせにすぐに泣いて情緒不安定とか誰だってかわいいと思うだろ。だからみんなの前では優等生な月島薫か、ただ生意気で性悪な月島薫でいてくれよ」

「君ってつくずく変わり者──」

最後まで皮肉を言えなかったのは首筋に唇を落とされたから。
どこでそういう雰囲気に切り替わるのかはわからないが、彼の視線がこちらを捉えたとき、彼の手が身体をなぞるように動くたび、二人に纏わりつく空気が少しだけ湿ったものに変わった気がした。
セックスをするときはお互い頭を下げてよろしくお願いしますと言うわけではなく、こうやって自然と移行するものなんだ。
馬鹿みたいに考えているとなぜか楓ちゃんの言葉が再生された。

──簡単にやらせるな。安心すると浮気する。

咄嗟に香坂の胸を押し返した。
彼を疑ったりしないのに、なぜだか楓ちゃんの言葉が呪いのように繰り返される。

「どうした?」

「あ、いや、その……するの?」

「そういうこと確認する?」

「今日は準備、とかしてないから……」

「ああ、そうか。俺が考えなしだった。じゃあキスだけな」

「……うん」

荒っぽい、欲望を掻き立てるようなキスとは違う、優しく慈しむようなそれにほっと安堵した。
なにが怖いのか自分でもよくわからないが、切迫感が押し寄せる。
たあいない話しをして自分の部屋に戻った香坂を見送り、リビングのソファでぼんやり考えた。
友人と恋人の違いといえば性的な触れ合いが許されるか否かだと思う。
それを恋人のゴールと仮定すると、簡単にクリアできたらそのゲームはもう面白みがなくなるのではないか。
香坂は一度クリアしたゲームはやらないらしい。じゃあ僕も攻略したらそこで終わり?
彼はそんな人間じゃない。はっきり言えるけど、なにを根拠にと聞かれると答えに窮する。
僕は香坂をどれくらい知っているだろう。
ろくな恋愛経験もない人間が初めての恋に夢中になり盲目的になってるだけかも。
ただいまというはつらつとした声にはっとした。
どれくらいそうしていたかわからないが、室内はすっかり暗くなっていた。

「わ、月島どうしたの?頭痛い?」

僕が真っ暗な部屋であまりにも険しい顔をしていたせいだろう。黒田くんは額に手を当てながら困惑した表情を浮かべた。わかっていたが彼はいい人だ。

「ごめん、考え事してたらいつの間にか時間過ぎてて……」

「なんだ。それならよかった。電気つけるな」

ぱっと明るくなった部屋と同時に黒田くんの笑顔に心の奥にも光が差す。
ムードメーカーというのだろうか、彼がにこにこしてくれるおかげで他人との生活にも今のところ困ってない。

「……今日デートだったの?」

「そうだよー。軽くご飯食べただけだけど」

「そっか」

以前見せてもらった彼女を思い出す。かわいらしくて、ふわふわと柔らかそうな女の子。丸い雰囲気で僕みたいな棘はない。とてもお似合いだと思う。
黒田くんは彼女が大好きで、彼女のためなら全財産差し出しても惜しくないらしい。
その気持ちはよくわかる。
でも好きな分だけつきあい方に迷って、不安になって、些細な小石に躓きそうになる。
問題もヒントも公式もわからないのに答案は埋まるはずなくて、いつも答えを探している。そんな自分が情けないと思う。

「……黒田くん、プライベートなこと聞いてもいい?」

「なんだよそれー。なんでも聞いてよ」

「黒田くんは過去に彼女に飽きたり浮気したことってある?」

「あるねー」

あっけらかんと言われ逆に驚いた。
こんなにいい人なのに恋人を裏切ることがあるのか。あまりの衝撃に目をぱちくりさせてしまった。

「それはどうして……?」

「んー、これって理由はないけど、さーっと気持ちが冷めたり、そういうときにかわいい子に誘われてころっといったり?」

「理由がないの?それだとどんなにいい恋人でいてもある日突然別れがきたりするってこと?」

「いや、いい関係だったら別だと思う。ただお互いなんとなく相性が悪くて噛み合わなかったり、そういうことが続くともういいやってなる」

「そう、なんだ……」

どうしよう。楓ちゃんの説教が現実味を増してきてる気がする。
サンプルが少ないので黒田くんや柴田さんがマイノリティという可能性もあるが、まだ若いうちの恋愛は明日どうなるかもわからない程度には軽いものなのかも。
ならば尚更香坂にゴールテープを切らせてはいけない。
僕が獲物になって狩りをさせたら、それが明日を保証してくれるだろう。
逃げ足は適度に、あと少しで手に入るというぎりぎりの駆け引き、そういう手管が必要だ。
そんなこと僕にできるか?
疑問だからけだが、やるしかないのだ。


数日後、食堂で昼食を食べていると目の前に香坂が座った。
彼は食べ終えたあとなのか、パックの牛乳を啜りながらトレイを覗き込んだ。

「よしよし、ちゃんと飯食ってんな」

「最近ちゃんと食べないと頭回らなくなってきたから」

「月島のクラスそんなにレベル高えのか」

君のことを考えすぎて頭がおかしくなってるんだよ。
八つ当たりしそうになるのを堪え、まあねと適当に流す。

「今日部屋行っていい?」

一瞬、テーブルの上に置いていた手の甲をすりっと撫でられ背中にじわりと汗を掻いた。
ここで受け入れたらだめだ。
彼が望むならすべて応えてやりたいし、それくらいの甲斐性を見せたいけどでもだめだ。

「……今日は勉強しないと」

目を合わせられなくて俯くと、大きな手でわしわしと頭を撫でられた。

「そんな顔すんなよ。別に怒んねえよ」

「……うん」

友人のもとへ去って行く背中を見て、本当にこれでいいのだろうかと不安になる。
また不正解を選択しているのでは。
目隠しをしたまま前かどうかもわからないまま歩いている気分だ。だとしても止まったり、引き返したりはできない。


「月島ー!」

「ごめん!今急いでる!」

廊下で声を掛けられ逃げるように去ったのが一週間前。


"なんかまた変なこと考えてません?"
"別に"
ラインで適当に誤魔化したのが三日前。


「月島ー?京が来たよー」

個人部屋をノックされ、慌ててベッドに潜り狸寝入りしたのが昨日。


香坂との追いかけっこを続け、日を追うごとに精神が摩耗してきた。
もはや僕はどうして逃げているのかもわからない。でもここでやめたら今までの努力が報われない。これがコンコルド効果というやつか。まさか自分が経験するとは。
精神的な疲労に伴い、頬もやつれてきた気がする。
今日は早く帰って何も考えずに眠ろう。良質な睡眠をとれば明日からの活力になるはずだ。
ホームルームが終わると同時に席を立ち、真っ直ぐ下駄箱へ向かった。
他の生徒は教室内で談笑したり、部室へ向かったりで昇降口に人はまばらだ。
靴を取り出し溜め息を吐く。その瞬間、背後から顔の横に勢いよく手をつかれ通せんぼされた。

「薫くーん」

ぎぎぎ、と音がしそうなほど不自然に振り返りながら下手な笑みを浮かべる。
香坂の気配を察知できないほど気が緩んでいたらしい。しまったと思いながら本日分の言い訳を考える。

「久しぶり」

「どの口が言うか」

「なにが?」

しらをきりながらとりあえず靴を履き替える。
もう言い訳が底をつき始めている状況でこれはまずいのでは。
だって二人きりになってそういう雰囲気になったら拒みきれる自信がない。
香坂のことが好きだし、僕だって触りたいし、気持ちいいことに興味もある。
理性をぽいと放り投げると同時に知能指数まで底に落ちそうで怖い。
だめだ。これはもう逃げるしかない。
よし、と気合いを入れて足を踏ん張った。

「ごめん香坂、また今度」

大きく一歩を踏み出して走り出す。
このまま部屋まで一直線に逃げようと思ったのだが。

「月島ー!」

怒鳴られ背後を振り返ると、僕とは比べ物にならない速さで香坂が追いかけてきた。

「なんで追って来るんだよ!」

「お前が逃げるからだろ!」

「怖い!」

ぎゃーと叫びながら寮の門を抜けたと同時、腕を掴まれた。

「今日は逃がさねえぞ」

息を整えながらちらっと彼を見上げると、そうと一瞬でわかるほど怒りに包まれていた。
これは説教からの大喧嘩コースだなと予想する。
腕を引かれたまま香坂の部屋に放り投げられ、きつく握られ続けた腕をもう一方の手でさすった。

「いったいなあ」

「この状況でそんな生意気な態度とる?俺が聞きたいことわかってるよな。返答次第では怒るけど」

「もう怒ってるじゃん」

「さっさと吐け」

「別に、なにもないよ。本当に勉強したかっただけ──」

「月島、俺が短気だってことわかってるよな」

一歩近付かれ一歩後ずさる。もう一歩近付かれもう一歩下がる。
繰り返しているうちに壁と香坂に挟まれ、視線を床に固定した。

「……なんなんだよ。言いたいことがあるならはっきりしろよ!」

「そんなのない……」

「じゃなんだよその態度。冷めたならそう言え。別れたいならそれでいい。中途半端に拒絶すんなって言ってんだよ!」

「冷めっ──。そんなわけないだろ!僕が君を手に入れるためにどんな思いをしたか!」

「だったらなんだよ!月島前に言ったよな。喧嘩なんて平気、それより不安でぐちゃぐちゃになりたくないって。なのになんでお前が俺をそんな風にするんだよ」

ぱっと顔を上げた。
苦しそうに歪む香坂の表情に胸が圧し潰される。
僕は、あんな想いを香坂にさせていたのか。
香坂は僕のことをたいして好きじゃないからとか、経験豊富でつまらないことで不安になったりしないとか、勝手な想像を押し付けて香坂を無感情な機械のように扱っていた。
いつだって自分の気持ちが最優先で、そのせいで誰かが傷つくとか辛くなるなんて予想もしなかった。

「……僕のことそんなに気にしてるとは思わなくて」

「は、なにそれ。俺は都合のいい存在ってわけ。お前が必要なときだけ甘やかして、それ以外は放っておいてって?」

「違う!」

どうやって言葉にしたら正しく伝わるのかわからない。
人を傷つけることばかり得意になって、本音や好意はいつも沼の底で沈殿している。
泥をかき混ぜ浮上させてもばらばらの部品が転がるばかりで上手に組み立てられない。
あれも違う、これも違う。
一生懸命言葉を探して視線をさ迷わせると、香坂が諦めたように溜め息を吐いた。

「またこのパターンだ。そうやって避けられて最後には振られる。なんでいつもいつも俺は……」

小さく息を呑む音が聞こえ、俯く香坂を覗き見た。

「泣いてるの?」

「泣いてねえよ」

きつく拳を握りながら顔をしかめる香坂は手負いの猛獣みたいだ。
傷を隠そうと必死になって威嚇して、生き残るために牙を剥く。
申し訳ないことをしたと思う気持ちとは別に、彼が自分のせいでこんな顔をするんだという優越感もある。性格が悪い。

「香坂」

恋人を慰める方法一つわからず、とりあえず抱き締めた。
腕を突っ張って拒絶されそうになったが、それ以上の力でひっつく。

「お前とつきあうの疲れる。言葉と態度に一貫性がなさすぎて振り回されてばっかりだ」

「うん」

かちんときたが黙って頷くだけに留めた。
ここで言い返したら再び喧嘩が始まると予想できただけ進歩。

「俺に甘えて好きだって言うくせに急に避けたりする」

「うん」

「気分屋の性悪」

「……う、ん」

「大した人間じゃねえくせにプライドばっか高くて扱いにくい」

「ちょっと!」

「でも好きなんだよ。だめなとこなんて何個でも思い浮かぶのに」

「……うん。僕も同じ」

「じゃあなんで避けんの?」

ずいと顔を寄せられ、これ以上後退できないので身体を反らせた。
正直に言ったらまた傷つけると思う。君を信用できないと言っているようなものだから。
だけど言い訳が見つからないし、こういうとき香坂は正直に話してくれてだから安心して僕も気持ちを聞くことができた。
そうやって信頼関係というものは徐々に結ばれていくのだろう。
誰かに転ばされたとしても、立ち上がるのは誰かのせいでも誰かの役目でもない。自分の意志だ。
いい恋人でいたいと、捻くれた性格を変えようと、そう決めたんだ。

「……飽きたり、浮気されたくなかった」

「はい?」

ストレートな疑問符にたじたじになり、身体を小さく揺すりながら、だから……と続けた。

「セ、セックスしたらゴールだから……。しない内はよそ見とかしないと思った」

「……なんでそういう……」

特大の溜め息を吐かれ、出来の悪い教え子のような気分になる。
香坂的には百点満点のテストで十点しかとらない子ども、それが僕だ。

「だ、だって楓ちゃんが簡単にやらせると浮気されるって言ったし、黒田くんもそういう経験あるって言ってたし、世の中そういうものなのかと思って……」

「お前は勉強以外が馬鹿すぎる」

「それは言い過ぎだろ!」

「これでも足りねえよ。世の中がそういうもんなら誰も結婚しないし夫婦生活も続かねえだろ。お前の親もうちの親も未だに仲良くしてんだろ」

「それは恋愛と結婚は違うのかなとか、年齢的なものもあるし……」

「……飽きるとか浮気とか、セックスしないことで月島が安心できるならそれでもいい。けどそういう問題の原因はセックスじゃないからな」

「じゃあなに?」

「決まった理由や原因なんてない。人間だから飽きることもあるし魔が差すこともあるだろ」

「そんなの怖いじゃん。原因や理由がわかれば避けられるのに、はらはらしながら付き合うなんて嫌だよ」

「だから好きな奴は大事にすんだよ。なにがあるかわかんないけどああしとけば、こうしとけばって後悔を少なくするために」

「……だから香坂も僕を甘やかしてくれるの?」

「これが俺のつきあいかただから」

理解できるような、でも納得はできないような。
好きになって必死に足掻いて、ようやく恋人になれたとしても薄氷の上を歩くような気持ちを抱えながら日々を過ごすしかないなんて。
杓子定規が通用しない恋愛なんてするもんじゃないと思う。でも今更気持ちを白紙にすることはできない。
解決策なんてなかったと知り、憂鬱になって溜め息を吐く。
香坂はふっと笑いながら鼻をぎゅっとつまんだ。

「暗い顔すんなよ」

「君だってさっきまで暗い顔してた。僕に振られると思って」

「してませんけど。お前に振られたって全然平気で楽しく過ごしますけど」

「僕は楽しく過ごせない」

予想外の返答だったのか、香坂が言葉を詰まらせた。
彼の制服をぎゅっと掴み、伸びをするように距離を近付けた。

「すごく傷つくし、一生立ち直れないかもしれない。泣いて、苦しんで、人生がボロボロになるかも」

「プレッシャーかけようとしてるだろ」

「君にこの方法は有効だからね。でも君が大事にしようとする恋人でいたいとは思うよ」

恋愛においてはみんなが普通にできることが僕にはできないから、毎日が勉強でコツコツ経験を積むしかない。急いで平均的な人間になれるよう努力するから少しの間待っていてほしい。

「……今のままでいい。我満でも性格悪くてもかわいくてしゃーないんだし」

「変なの」

「変だから普通の女とはうまくいかないってことだ。よかったな。心配事が一つ減ったな」

「そんなことで減るかよ!」

くすりと笑われ子ども扱いされていることに気付く。
虚勢や見栄を張ってもすべて見透かされる気がして、脱力しながら凭れかかった。
香坂をさんざん振り回しておいてなんだが、無意味な追いかけっこやいらぬ妄想のせいで精神的な疲労が限界だ。

「一週間分甘える」

「一人で空回りしただけの一週間だったな」

「うるさいな。間違って気付くこともあるんだよ。それに香坂だって僕に手出しそうで避けてた」

「あれはお前を守るため。月島が無自覚で煽るから」

「それも作戦の内だったかもよ」

「だったら大成功だな」

香坂の鎖骨に額を寄せ、すうっと息を吸った。
香坂の匂いがする。大きな掌で背中や後頭部を撫でられ、力強い腕にすっぽり収まる。
この瞬間、いつも少しだけ棘が丸くなる。心地良くて、離れ難い。身体に馴染んだ毛布みたいだ。
だからこそ何度でも思う。一番近い距離はいつだって僕のものでなければいけない。外敵を排除し、安定と平和の中でいつまでも二人でこうしていたい。

「ずっと香坂といたい」

「……うん」

それだけの返事しかくれなかったので、彼の気持ちはわからない。
かき抱くようにされたので、嫌ではないのだろう。

「月島」

耳元で呼ばれた声は、迷子の子どものようだった。
どんなに憎まれ口を叩いても、香坂も怖かったのだろう。
僕が無意味に避けるから、嫌な記憶が蘇って古傷を自分でこじ開ける作業に苦しんだのだ。

「……君を傷つけてしまってごめんね」

「傷つけたなら治療もしろよ」

「どうしたらいいの」

「んー……。じゃあ休みの間俺のベッドから一歩も動くな」

「一歩も?ご飯は?お風呂は?」

「全部俺がやる」

「……それが治療になるなんてまったく理解できないよ」

「返事は」

「わかったよ……」

反省の意を込めて了承した。
一体それでどんな欲が満たされるというのか、理解はできないが望まれれば応えるしかない。

「じゃあ服着替えるか」

「今からスタートなの?一度部屋戻るとか……」

「必要な物は俺が全部とってくる」

ひょいと横抱きされ、ベッドの上に下ろされた。
シャツの釦を開けるのを見下ろしながら自分でやると言ったけど、なにもするなと釘を刺された。
どういうことかさっぱりわからない。人の世話をしてなにが楽しいのか。
お人形に徹すれば満足するだろうと思い、だらんと力を抜いたまま、制服から香坂の服に着替えた。
サイズの合わないトレーナーはしっくりこず、だぼつく袖は気分が悪い。
次は何をするのか視線を香坂に上げると、彼はふっと笑いながら指の背で頬を撫でた。

「一生こうならいいのにな」

なんのことかわからず首を傾げると、香坂が腰を折り軽く触れるだけのキスを寄越した。

「もっと」

「はいはい」

甘やかされるふりをして香坂を甘やかす。小さな我満を伴って僕から求めると彼は安心したような顔をするから。
そのまま両手を広げて抱っこしろと命令した。
ベッドヘッドに背中を預けた香坂に抱えられながらここ数日間を振り返る。

「僕、君と上手にしたかったから楓ちゃんに性教育してもらったんだけど」

言うと、彼は慌てて咳き込んだ。

「僕は色恋事が本当にだめな人間だと改めて思い知ったから、香坂に任せきりにならないようえっちなこともっと勉強するから」

だから愛想尽かさないでね。しがみ付く手に力を込める。

「わかってねえな。そういうのは俺が一から教えるから楽しいんだろ」

「そう、なんだ……」

「えろい子が好きだからお前もがんばれよ」

「わかった。がんばるよ」

頷くと、香坂は堪え切れずに噴き出してくっくと笑った。
またからかわれた。
悔しくて香坂のお腹を思い切り抓ってから彼に背を向けて寝転んだ。
わしわしと乱暴な手つきで頭を撫でられ拗ねる気持ちが薄れていく。
触れられると条件反射を叩きこまれた犬のように香坂に飛びつきたくなる。

「月島」

「……なに」

「言葉で言っても信じてもらえねえと思うけど、浮気だのなんだのくだらない理由でお前と終わらせるつもりないから」

「……うん。わかってる。君も僕もそういう男じゃない」

「理屈とは関係なく勝手に感情が大暴走しちゃうんだよな、薫ちゃんは」

「……君のことになるといつもこうだ。冷静に俯瞰できない。馬鹿みたいな選択をしてるのに後にならないと気付けない」

そういうところを直したい、と続けながら振り返ると、真面目に話している最中にも関わらず香坂は憎たらしく笑っていた。

「ちょっと、なに笑ってんの」

「嬉しくて」

「意味わかんない」

「かわいいな」

「もっと意味わかんない!」

かわいいを連呼されたが、それは子どもや動物に対するものと同列な気がしてあまり嬉しくなかった。
香坂からマウントをとれば安心できる気がするのに、常に彼が僕の手綱を握っている状態だ。
とり返す方法もわからないし、気持ちの差は少しも埋まらない。
こんなに好きにさせて、作り上げてきた月島薫をぐちゃぐちゃに壊した責任は重大だ。
そうだ、全部香坂がいけないんだ。

「お腹減った!お菓子食べたい!」

八つ当たりしてみたが、持って来るからいい子で待ってろとまた子ども扱いされた。
僕は彼の目にきちんと恋人として映っているのだろうか。
もう少ししゃんとして、余裕を持って、香坂を顎で使うくらいになりたい。
そういう自分を想像して、道のりは遠いぞと愕然とする。
だって今の自分たちは、スーパーの真ん中に立ち尽くす香坂の傍で床に這いながら嫌だ嫌だと泣き叫ぶ僕というイメージだ。
ああ、居た堪れない。もっとこう、色気のある男になりたいのだけど。
何年経っても立場が逆転しない気がして、別の悩みの種が生まれた。


END



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