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落ち込んだらその倍の早さで復活する。それが自分の長所だと思う。こと、三上に関しては。
三上の部屋の前で彼を待って、十分が経過した。
学校が終わってそのまま真っ直ぐここに来た。先に三上が部屋にいないのは珍しい。
どこかでサボって、そのまま過ごしているのか、部屋にいるが居留守を使われているのかのどちらかだ。
居留守だったらまた落ち込んでしまう。そうでないことを祈って彼を待つ。
さわさわと賑やかな廊下で、自分のつま先に視線を固定させる。
暫くすると、小さくげ、という声が聞こえた。
それは微かな声だったが、三上のものならなんでも取りこぼさないよう訓練された身体は敏感にキャッチした。
「三上…!」
嬉しくて嬉しくて、光りが当たったように笑顔になる。
隣には甲斐田君もいて、二人で仲良く下校したらしい。居留守ではなくて、本当によかった。
「泉久しぶりやね。まあ、あがってあがって」
甲斐田君が開錠して扉を開けてくれた。
ちらりと三上を見るとぎゅうぎゅうに眉間に皺が寄っている。
今日も今日とてご機嫌斜め。それが定着しているので、ハイテンションな三上は見たことがない。
「お邪魔します」
二人の後からおずおずと室内に入った。
三上は鞄を適当に放り投げ、ネクタイを緩めながらソファにどっさりと座った。
「あー…。暑い」
三上はエアコンを点けようとリモコンに手を伸ばすが、甲斐田君に咎められた。
「窓開けとけばすぐ涼しくなる。夜は寒いんやから」
「涼しくなったら消せばいいだろ」
「エアコンの贅沢使いはんたーい」
「お前ちょいちょいおかんみたいなこと言うよな」
「そらおおきに」
「誉めてねえよ…」
エアコンは諦めて、ネクタイを取って釦が二つ外れているシャツの襟元をばさばさと動かして風を集めている。
何気ない姿も男らしく、色っぽく見えるのは自分だけだろう。
誰も三上に対して欲情したりしない。なんせ、あの三上だ。学年では変わり者として有名だ。
「泉、そんなとこおらんとおいで」
甲斐田君に手招きされて慌ててソファに座った。三上に見惚れるなんて、自分は今日も絶好調に気持ちが悪い。
「今日暑かったなあ。俺は夏好きやけど、泉は?」
「僕は苦手かな。冬の方が得意」
「そうかあ。泉細っこいからちゃんと食べなあかんよ」
「だ、大丈夫だよ!細くないし…」
腕にぐっと力を入れて見せたが、甲斐田君はうーん…と微妙な反応をするだけだ。
「せや、夏になったら海行こか、海」
その言葉に思わず何度も首肯した。東京の片隅育ちなので海が珍しいのだ。
小学生の頃家族で行った記憶は微かにあるが、今になって家族に海行きたい、なんて言えない。高校生にもなって何を言っているのだと馬鹿にされる。かと言って共に行けるような友人もいなかった。
「泉は海好きかー」
「うん。珍しいから。あんまり行ったことない」
「俺もや。皆誘って、大勢で行こうな。キャンプするのもええな」
「キャンプいいね!わくわくするね!」
「せやな。よし、行こう。な、三上」
「は?俺はパス」
「うわあ。でた。もやしっこ発言」
甲斐田君が思い切り顔を顰めた。三上が出不精なのはもう直ることはないし、賑やかが嫌いな性格なのでしょうがないと思う。無理に付き合わせるのも悪い。
できることなら、もう少し思い出がほしいけれど。
「海はまだしもキャンプは無理。寝ずれえし虫刺されるし、なにが楽しくて野宿すんの?」
「なにが楽しくて部屋に引きこもっとるん?」
「…楽しいもんは楽しいんだよ」
「キャンプも理屈抜きで楽しいんや!」
「あ、そう。行ってらっしゃい」
ここから不毛な言い争いが始まった。甲斐田君と三上の意見は平行線で一瞬も交わらない。
どちらも頭が切れるので言い包められずに決着もつかない。
いつものことなので傍観した。この二人は仲が良いのか悪いのか、不思議な関係だ。
皇矢と三上よりも不思議だ。
結局、甲斐田君がもうええわ。と諦めて終結するのがいつものオチだが、今日も同じだった。
甲斐田君が疲れた様子で眉間の皺を摘み、溜め息を吐く姿を見て共感した。
三上はああ言えばこう言うし、絶対に折れないから言い合いをするだけ疲れる。
腹が立っても諦めた方が精神衛生上健やかでいられる。
「三上はその内根っこが生えて床と一体化するんや。なあ泉」
「それはそれでちょっといいかも。三上を監禁できるし。僕一生懸命お世話するよ!」
「しなくていい」
「泉もズレとるなあ。ほんまクズ男に引っかかるタイプやわ」
「おい、クズって俺のことか」
「お前以外におらんやろばーか。泉、引きこもりは放っておいて夏休み海行ってキャンプしよな」
「うん」
社交辞令かもしれないが、誘われただけでも嬉しくて、俯きながら笑った。
「ええ子やなー泉は。誰かさんと違って」
「いちいち嫌味言うなエセ関西人」
「誰がエセやねん!」
「そのベタな感じが逆に偽物っぽいよな泉」
「え…。ちょ、僕にふらないで…」
「ほんま性格悪いわあ…」
「お互いにな」
「腹立つ!神谷先輩んとこ行って癒されてくる!」
きー!と叫んで甲斐田君は三上の頭をぺしっと叩いた。
「いった!クソ関西人!」
「うっさいクソ関東人!」
小学生か…。騒ぐ二人の間で心の中でつっこんだ。
いや、小学生以下だ。小学生に申し訳ない。ばたばたと甲斐田君は部屋から出ていき、不機嫌オーラを醸し出す三上と自分だけが残された。
この状態で残されても。甲斐田君を大人っぽいと憧憬の気持ちすら持っていたが、最近それはぱらぱらと崩れ落ちている。知れば知るほど普通の高校生だ。
「相変わらず仲よしだね」
「どこが?」
「喧嘩するほどって言うじゃん。甲斐田君があんな風に振る舞うのって珍しいっていうか、三上が対等だからなんだなあって思う」
「…あいつはいつもあんな感じだろ」
「違うと思うなあ」
自分の前や蓮たちの前、神谷先輩といるときの彼とも少し違って見える。
三上といるときは、壁や線、誰かと自分を隔てるものを取っ払っているようだ。すべてオープンな状態で頭を真っ白にして付き合える。そんな関係だと思う。
だから甲斐田君は三上が気に入っているのかもしれない。
不思議だけど、どこか温かくてほっとする二人の良好な関係にほんわかと心が優しくなる。そういう友人ができただけ、三上の高校生活は十分だと思う。本人はいい迷惑だと言って聞かないだろうが。
「よかったね、三上!」
ぽんぽんと頭を撫でてやると素っ気なく振りほどかれる。これもいつものパターンだ。
「んで?」
「…んで?」
「なんかあったんじゃねえの」
ソファの背凭れに深く背を預け、横目で見られた。
いい。すごくいい。今すぐ押し倒したいくらいカッコいい。
下卑た欲望を隅っこに追いやって、なにもないよと笑顔を作った。
三上は遠慮していることをわかっている。毎日でも会いたい、声が聞きたい、簡素なメールでもいいからしたい。湧き出る恋しさに歯止めが効かず、だからこそ一度我慢をやめたなら将棋倒しのように決壊していく。
どこかで常にブレーキを握って、必要最低限で抑えようとしている。ちゃんと理解しているので、会いに来たときはなにか用件があるのだとわかっている。
「…あ、そ」
「うん。ねえ、三上。やっぱり三上も海行こうよ。プールでもいいよ!キャンプが嫌ならどこか泊まればいいよ!」
「やだって」
「三上がいないと寂しいじゃん」
「甲斐田がいるだろ。潤とか、夏目とか誘えよ」
「えー。潤や蓮の裸見てもなあ。僕は三上のが見たいんだけどな」
「絶対行かない。泳ぎを楽しめ。男の裸見たいからってすげえ不純な理由持ってくんな」
「違う違う。男のじゃなくて、三上のが見たいんだって」
真顔で言うと真顔で死ねと返された。ひどい。死ねはひどい。
「だいたい、上半身裸なんて海行かなくても見れんだろ」
「え、それって僕とセック――」
そこまで言って思い切り頭を叩かれた。本気だ。本気で叩いた。
「夏になったら普通に学校でも皆脱ぐだろ」
「…ああ…」
そういうことか。がっかりと肩を落とす。
確かに暑さがピークに達すると、男子校なだけあって皆無防備に上半身裸になる。
授業中は叱られるのでシャツを羽織るが、釦を全部開けている人もいる。
休み時間になるとまた脱いで、授業では着ての繰り返しだ。
けれど三上がそうしているのは見たことがない。もしかして自分は知らないだけで三上もその艶めかしい身体を…。
「他の人に裸見せたらだめだよ」
「は?」
「うっかり惚れる人がいるかもしれないじゃん」
「アホか。そんな奇特な奴お前だけで十分だ」
「それは、僕以外誰もいらないという――」
今度はグーで肩を殴られた。グーはやめろ。グーは。
本気で痛がるともやしと罵られた。
今に見ていろ。以前細いと言われたときからひっそりと筋トレをしているのだ。どういうわけか、蓮も一緒に。
むきむきな筋肉欲しいよね、をスローガンに日夜汗を流している。
その内三上なんて一ひねりなくらい力をつけて、襲ってやる。今まですみませんでしたと、あんなことやこんなことをしてやるのだ。
今の内に好きなだけ罵るがいい。屈辱を受けた分だけ返してやる。
悪の組織のボスのようなセリフを心の中で言いながら、妄想はタダだし、と納得させた。
「じゃあ海は諦めるから、夏休み中一日でもいいから会って下さいお願いします」
頭を下げると溜め息を吐かれた。
「気が向いたらな」
「やったー!」
気が向かなければ会えないが、一瞬で拒否されていた今までに比べれば十分な進歩だ。
もしかしたらそう言わないといつまでもうるさいと知っているので、上辺だけの約束かもしれない。
けれど僕は三上は嘘をつかないと知っている。小さな約束も反故にはしない。
そういう、真っ直ぐで男らしい不器用さが大好きだ。
好きなところを上げればきりがなくて、どれもこれも最高に素敵、最高にカッコイーと恋する心は浮き足立つ。
どうしてこんな男に?と思う瞬間は多いが、理屈が通じない不便なものが恋なのだ。
「三上、手貸して」
「手?なんで」
「いいから貸してよ」
渋々といった様子で差し出された左手をがっちりと掴んで、手の甲に唇を当てた。
ただ一瞬触れるだけのものだが。これくらいなら怒らないだろう。精一杯の愛情表現だ。ほんの僅かでも体温を感じてみたい。
「なんだよいきなり」
「三上だっていきなりしたことあったじゃん。別に理由はないよ。したいと思っただけ」
振り払われるかと思ったが、意外にも怒られなかった。
自分もしたことがあるからだろうか。それとも、彼も多少は自分に愛情を持ってくれているのだろうか。
受け入れてくれた嬉しさで気持ちの水位が急激に上昇する。
決壊しそうなほどぐんぐんとせり上がって、零れてしまうと思うのに、それはいつまでも零れずに恋慕という器がどんどん大きくなっていく。
もじもじと身体を揺らして、ふうん、と僕の言葉に興味なさげに視線を逸らした彼の肩をがっちりと掴んで身体を寄せた。
首元に鼻を近付けてくんくんと嗅ぐ。三上の香水の香りが大好きだ。
「おい!あっついからくっつくな!」
「十秒だけ!」
いやだと首を振ってがっちりしがみ付くと、引き剥がすのを諦めてくれた。
一度は拒んでも結局はこちらが我儘を言えば受け入れてくれる。そんなところも好きだ。
三上がなにを言っても、なにをしても、結局は好きという感情に結びつく。これはもう重症だ。頭は狂っていると思う。
「いい香り」
「嗅ぐな。おい、十秒たったぞ」
ぐっと両肩を押され、負けるかと服をぎゅっと握った。
「やだー!あと一分!」
「十秒って言っただろ!」
「もう少し!もう少しだけ!」
「贅沢は身を滅ぼすぞ!」
恋人に触れるのが贅沢というなんて、僕たちは本当に仮初めの関係だ。
じたばたとするが、三上が本気を出したら敵わない。
持てる力を振り絞って首にキスをしようと思った。そうしたら離れよう。意味は忘れたけど、手の甲が許されるならきっと怒られない。
「泉!ハウス!」
「三上のケチ!」
一瞬、彼の力が緩んだのを見過ごさず、思い切り首筋に飛びついた。
ただ唇を当てるだけ、と思っていたのに勢い余って思い切りがぶっと噛んでしまった。
「うわ、お前噛みやがったな」
「…ごめん、間違った…」
ぽかんとしながら首筋を見るときっちり歯型がついていた。
「痛かった…?」
「痛えに決まってんだろアホ!犬っぽいのと本物の犬は違えからな!」
「…ごめん…。勢い余っちゃって…」
力に負けてたまるものかと、そればかりを考えていたせいで制御ができなくなった。
人間ですらない行動に本気で申し訳なく思う。
怒らせたくない。好きになってほしい。なんでもするから。
頭の中ではいつもそう思う。なのに三上を前にするとなにもできないどころか暴走してしまう。
三上は溜め息を吐き、がしがしと頭を掻いた。
居た堪れなくてどうしようもない。奮起した気持ちはしわしわと萎んでいき心の中から姿を消した。
「本当にごめんなさい。なんでもします許して下さい」
土下座をする勢いで頭を下げた。
「なら出てけ」
ばっさりと切れ味のいい刃のような言葉に、心がずたずたに切り裂かれる。
「…はい」
頷くしなかない。嫌だと駄々をこねて、我儘も可愛いよ。そんなどろどろに甘い水飴のような関係ではない。
立ち上がってもう一度頭を下げて謝った。
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