問うに落ちず語るに落ちる




二年に進級し、休み明けテストも終わりひと段落した。
これでまた香坂との時間を確保できる。
恋愛ばかりに現を抜かせないので、香坂への些細な連絡すら断ち集中した。
おかげで手ごたえはそれなりにある。母からの説教は回避できるだろう。
明日は休みなので、彼の部屋を訪ねてもいいだろうか。
多少僕に好意があればあちらも会いたいと思うはず。ずっと我慢してたから禁断症状が現れ始めた。
算段を整えながら部屋の扉を開けると、リビングのソファに座る黒田くんがこちらを振り返った。

「おかえり」

「ただいま」

彼との生活はまだ完璧とはいえない。
どこかぎこちなさが残り、それはきっと彼にも伝わっている。
無理にこじ開けようとしてこないし、まあその内仲良くなれるでしょ、とお気楽なスタンスでいてくれるのが助かる。
ラグの上に鞄を置き、お茶をコップに注ぐ。一口飲み込んだ瞬間、小さな吐息が漏れた。
自分で思う以上に疲労がたまっている。
黒田くんは誰かと通話を始め、確認だけで切られたそれを耳にしながらコップをシンクに置いた。

「出かけるの?」

斜め向かいのソファに着きながら問うと、黒田くんは満面の笑みで頷いた。

「テスト終わったし、ぱーっとね!」

ああ、それならきっと香坂も一緒だろう。誘う前でよかった。

「実は今いい感じの子がいて、その子と遊ぶんだよねー」

黒田くんはるんるんと効果音が散らばりそうなほどの浮かれぶりだ。

「そっか。うまくいくといいね」

「うん!」

黒田くんが女の子と遊ぶなら香坂は予定なしだろうか。
やっぱり聞いてみようかな。鞄からスマホをとりだし文章を考えている間、黒田くんがふっと笑った。

「その子の友達は京狙いなんだ」

「は?」

つい低い声が出てしまった。だめだだめだ。まだ猫を被っている最中なのに。

「写真見る?結構かわいいんだよ」

SNSに載せられた写真を開いた状態でスマホを渡され、食い入るように見た。
黒髪ボブ、たぬき顔のかわいい系、低めの身長。
ふうん、と検分しながら心の隅が焦り出す。

「……うまくいきそうなの?」

「どうかなあ。京のほうが乗り気じゃない感じ」

ほっとし、なに安心してんだと自分を叱咤する。
安心できる材料なんて何一つない。
僕とこの子が同時に矢印を飛ばしている状態なんて、勝ち目がないではないか。
写真をもう一度見てから自分を俯瞰する。
男だし、かわいげないし、口も性格も悪い。困らせることばかり言うし、高圧的で謝罪もまともにできない。
ぱたりとソファに倒れたい衝動を抑える。

「こ、香坂ってモテる?」

「当たり前じゃーん」

へらっと笑う顔を時が止まったように眺めた。

「そう、だよね……」

「でも京は誰彼構わずってタイプじゃないから真面目にお付き合いできる子を探してる感じかな」

「見た目派手なくせにそういうとこ意外と真面目だよね……」

「そうなんだよなー。そのギャップがいいのかね?」

そうだよ、と言いたいのを堪えた。
見た目と相まり、粗暴な仕草や乱暴な言葉に嫌な奴というレッテルを貼りたくなるが、情に厚く面倒見がよくじんわりした優しさがあって、尚且つ恋人を大事にしてくれる。第一印象との落差と同じ分だけ急激に心を掴むのが香坂京という男。
仮だとしても恋人という席に着いた自分は、彼がどれだけ相手によくしてくれるか知ってる。
知ったら戻れないと思うのだけど、どういうわけか彼女には振られてばかりとぼやいていた。
僕ならないがしろにしないし、与えらえる以上の気持ちを与えてあげるのに。
だから選んでといいたいところだが、そんなもので決着がつくほど恋愛は単純じゃない。

「じゃあ行ってくるね。あ、月島も彼女ほしかったらいい子紹介するからねー」

黒田くんが去った瞬間、貼り付けていた笑顔を消した。
精神的に落ち込んで、身体にも力が入らなくなる。ソファの座面に頬をつけ、あーあ、とごちた。
約束の一ヵ月は目前に迫っているというのに、ここにきて刺客を送り込まれるとは。
邪魔者を排除しながら香坂の気持ちをこちらに向けさせるなんて、高難易度すぎてどうしたらいいかわからない。
初心者向けじゃない状況ではあるが、それでも打開策を見つけなければ。
その子と香坂の仲がどれほどか、どれくらいの頻度で連絡をとりあっているのか、わからないと対処のしようがない。
情報は最大の武器だ。戦略を練る上で情報は一番の要だし、より多くの情報を得たほうが勝利すると歴史が証明済みだ。
香坂との一ヵ月は恋愛の駆け引きというより、自分にとっては戦いだ。
手段を選んで遠慮などしないし、フェアプレーの精神は元々ない。
性別や性格、大きなハンデを抱えている分、香坂との距離は近いし、彼の動向もうかがえる。
探るしかないか。
スマホで連絡したのは香坂ではなく白石だ。
部屋に来てほしいと言うと、今丁度帰っている途中だからすぐに行くと返事が来た。

「月島から誘うの珍しいな」

本当にすぐ来た白石にお願いがあるんだけど、と前置きをする。

「香坂に気になってる子がいるとか、いい感じの子がいるとか、その子との仲はどんな感じとか、探ってほしい」

「……なんで自分で聞かないの?」

「僕相手じゃ話さないから」

「ふうん?まあ、聞くだけならいいけど。それよりテストがさー」

そこから始まった白石の泣き言に相槌を打ってやった。
いつもなら勉強しない自分が悪い、と一蹴する場面だが、お願いをしている手前下手に出ざるを得ない。
たまには友人を大事にしないと。白石は香坂の同室。これからも利用できる場面は山ほどある。大事な手駒のメンテナンスは重要だ。
こういう風に考えるから楓ちゃんに大目玉を喰らうわけだが、染みついた思考は急には矯正されない。
白石が去ってからぼんやり過ごした。
漠然とした不安を打ち消すため、できることはすべて実行しなければと思う。
打つ手なしな状況になればいい加減諦めもつくだろう。
恋をするのも初めてなら、諦めるのも勿論初めて。
きっと苦しいだろうと想像するが、誰しもが経験し、乗り越えているのだから自分だってできるはず。
そうやって後ろ向きに時間を潰していると、再び白石が現れた。

「聞いてきたー」

お土産のチョコレートを受け取りながら前のめりになる。
白石はお菓子の袋を開けながら頬を緩めた。

「香坂好きな子がいるんだって」

大きく跳ねた心臓部分にそうっと掌を当てる。
まだ僕以外と決まったわけじゃない。言い聞かせながら続きを待った。

「どんな感じなのって聞いたら、そろそろ告白しようかなって言ってたよ」

「あ……。そう……」

目の前が暗転した。
呆然としたまま固まってしまい、白石におーい、と手をひらひらされる。
告白する、ということはそれはもう香坂の想い人が僕ではないということだ。
だって僕たちは今お付き合いしている状態だし、告白もなにもない。
そろそろというのもこの関係が終わるのを待ち、そちらの子に言う算段を整えているのでは。
僕との約束を守り、きっちり一ヵ月恋人でいてくれるのが香坂らしい。
途中でもう無理と言えばいいのに、自分で吐いた言葉を反故にしない。
香坂の想い人は誰だろう。あの写真の子だろうか。それとも楓ちゃん?はたまた別の誰か。
ぱたり、とソファに倒れ込んだ。
もう無理。なにもしたくない。折れる寸前で何度も修復してきた心がぼっきりいった。

「どうした月島」

「……人生って辛いことの連続だ」

「辛いことあったの?俺の胸貸そうか?」

「それはいらない」

「じゃあ話し聞こうか?」

白石に聞いてもらって何になる。思ったが、彼のほうが恋愛においては長けてるだろう。過去に彼女がいたわけだし。
話して大丈夫だろうかと逡巡し、縁が切れたらそれまでとやけくそな気持ちで口を開いた。

「……僕、香坂が恋愛的な意味で好きなんだ」

「え!?そうなの!?うわ、俺ひどいこと言ったじゃん。そりゃ落ち込むよな。ごめんな?」

相変わらずソファに突っ伏している状態で、白石の大きな手が髪を撫でた。
その瞬間、感情の水位が上昇し、意味もなく泣きたくなった。
優しさに飢えすぎだろと自分に呆れながら堪える。
片目でちらりと白石を見ると、困ったように眉を八の字にしていた。
大型犬が反省しているみたいで、つい笑ってしまった。
脅迫に近い形で無理に一ヵ月付き合わせていること、香坂は真摯に、誠実に接してくれていること、そろそろ期限が迫っていることを話し、最初は自信があったんだけどなと苦笑した。

「せめて期限内は楽しみたいから一日落ち込んだら気持ち切り替えるよ」

「そっか……。香坂の好きな子が月島という可能性は?」

「ないよ」

万が一僕を好きなら、両想いは確実なのだからその場で言えば済む話しだ。
わざわざ時期を見定める必要はないし、タイミングなんていくらでもあった。
もしかしたら早く一ヵ月終わらないかなと思わせていたのかも。
浮かれるあまり彼の内側を察する努力を放棄した。
優しいから大丈夫と楽観的な判断で無理を強いた。
ああ、辛い。

「香坂と同室になった白石が羨ましかったけど、こうなると別の部屋でよかったなって思う。諦めたいのに毎日顔合わせたらもっと辛いもんな」

「月島ー……」

「みんなこんな気持ちになりながら誰かを好きになるんだね。辛すぎて感情捨てたいんだけど」

「……そうだよ。辛いときは機械になれたらいいのにって思うけど、幸せなときはロボットにならなくてよかったって思うんだよ。だから月島もいつか感情を捨てなくてよかったなって思うよ」

「……そうなんだ。早くそういう日が来ないかなあ」

「よしよし、大丈夫だからな。月島が笑えるまで俺が何回でも慰めるから」

「白石って本当にいい人だね。え、まさか僕のこと好き?」

「それはない」

ずばっと断言され、泣き真似をすると、白石はわーわー慌てながら慰めてくれた。
とりあえず飯を食べろと勧められ、無理に押し込み、風呂入れと背中を押されたのでシャワーを済ませ、手を引かれ布団に入った。
ベッド脇に座った白石は布団の上からリズムをつけて撫でてくれる。

「辛いときってなにもする気起きないけど、習慣だけは疎かにしちゃだめだぞ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝れば人間どうにかなるから」

「うん」

「俺は月島が好きだよ。捻くれたところも、冷静なところも、ツンデレなところも。だから自分を卑下したりいじめちゃだめだよ。月島はそのままで充分」

「……うん。なんていうか……あり、がとう……」

「はは、月島にお礼言われた」

「馬鹿にしてんのか」

「してない。嬉しいなと思って。寝るまでここにいるからな」

「うん」

大きな手で布団越しに触れられると妙な安心感に包まれる。
白石はどこもかしこもじんわり温かい。太陽の匂いがする毛布みたい。
手駒なんて思ってごめん。もう二度とそんな風に思わない。今日は白石に甘え、起きたら香坂に連絡しよう。
何も知らないふりをして彼と時間を共有する。今まで以上に時間を無駄にしないよう。だて終わりは決まっているのだから。
僕がこの手で香坂を幸せにしたかった。
誰よりも大事にする自信があった。
でも彼が幸せを与えたり、与えられたりしたいのは自分以外の誰かで。
こっちを向いてと強制しても心は手に入らないらしい。
これ以上無理強いするのは申し訳ないし、虚しくなるけどあと少しだけ、この我満につきあってほしい。
残り日数で気持ちを整理し、軌道修正して一ヵ月ありがとうと笑って良い別れ方をするのだ。
自分にできることはもうそれ以外残っていない。


午前中のうちに今日暇?とラインを送ったが返事がない。
机に向かいながらちらちらスマホを確認し、もうお昼になるのに、と拗ねた気持ちになる。
まだ眠っているのだろうか。
どこか遊びに行ったのかも。
考え出すと負の感情に手招きされ、ノートの上に片頬をつけた。

「あー……」

低く唸るような声を出す。
なにもかもうまくいかない。一度絡まった糸は簡単には解けないらしい。鋏で容赦なく切ったほうが楽になるのにいつまでもしがみ付きたくなる。
どうせあと数日で切り離されてしまうのだし、悩むだけ時間の無駄だ。
気合いを入れ、スマホを持って立ち上がった。
香坂の部屋をノックすると、身なりを整えた彼が対応してくれた。

「……起きてる」

「起きてるよ」

「連絡したけど返事なかったから寝てるのかと……」

「ああ、返事しようと思ってそのまま別のことしてて……」

「あ、そう。出かけるんだね」

「悪い」

「ううん。いいんだ別に。僕も勉強しなきゃだし。ただちょっと最近顔見てなかったからどうしてるかと思っただけで……」

視線を靴先に固定させる。
こんなところで虚勢を張っても無意味だが、君がいなくても大丈夫な僕というものを徐々に演じていかないと。なのにあと少しと思うほど好きな気持ちが膨れ上がる。
ちょっと待て。誰と出かけるの。もしかして意中の誰か?
いやいや、香坂はお付き合い中につまみ食いするような男じゃないはず。
でも恋人期間は終わりそうだし、ただ出かけるだけなら不貞にならない。
焦燥感で喉が絞められたように痛くなる。
まだ他に行かないでほしい。もう少しだけ僕を見てほしい。

「……よ、夜には帰ってくるだろ?泊まりに行ってもいいかな」

「あー……」

困ったような声色にますます視線を上げられない。

「何時になるかわからない。もしかしたら帰らないかも」

帰らないかも。香坂の声が頭の中で木霊する。
どういうことと問い詰めたい気持ちと、聞いたら立ち直れない予感に挟まれ、結局何も聞かないほうを選んだ。
重くて大きな石を背中に乗せられたような気分だ。

「……そう。じゃあまた今度」

また今度なんていえるほどの余裕はない。
手足をじたばたさせながら嫌だ、絶対泊まると駄々を捏ねたくなる。
でももう香坂を困らせないと決めた。
あっさり引かなければいけない。理性はきちんと働いてくれるのに感情が追い付かない。

「月島」

「なに」

「テスト終わったんだしおベンキョウばっかしてないで、たまには休めよ」

指の背で頬を撫でられ下唇を噛み締めた。
こっちの気も知らないで。

「わかってるよ。それじゃあ」

香坂の手を振り払うようにして背を向ける。
勢いをつけないと離れ難くなるから。
自室に戻り、枕を上下に振り回した。
一頻り暴れると今度は枕を胸に抱き横臥する。
ぽろりと涙が零れそうになり、情緒不安定すぎる自分に呆れた。
こうなってみて、改めて香坂はすごい男だと実感した。
楓ちゃんを諦めたとき、彼もこんな風にいき場のない感情を蓄積させながら平然とした顔を作っていたんだ。
顔を見るのも辛いのに、想い人が恋人といちゃいちゃする場面を目にしなきゃいけなくて、しかもそれは因縁の兄で。
僕より何倍も、何十倍も辛い状況でも汚泥を啜りながら楓ちゃんとの縁を切らなかった。
深く傷ついた彼を慰めたかったけど、その相手は僕じゃない。
惚れ薬って作れないのかな。似た作用のものでもいいのだけど。
性懲りもなく考えてしまい、すっぱり諦めるとか殊勝なことを言ったはずの自分が霞んでいく。
操れないからこその感情だ。
どうにもならないことは山ほどある。
一ヵ月夢を見れただけ楽しかった、幸福だと思わないと罰が当たる。
恋人期間のあれやこれを思い出し、やっぱり別れるなんて無理と叫び出しそうになった。
一体どこの誰だよ。僕のほうが絶対、絶対香坂のこと好きだし、幸せにするし、浮気とかしないし……。
だとしても、正しく女の子と恋愛できるならそのほうがいいに決まってる。
いやでも、僕だって幸せになる権利はあるし、何に変えても香坂が欲しい。別れたくない。一ヵ月楽しかったなんて笑えない。
さんざんごねたあと、その次にはやっぱりきちんと諦めようと納得させる。
それを何度も何度も繰り返し、疲れ果てて眠ってしまった。


目を擦りながら時計を見ると夕方近かった。
リビングから賑やかな声が聞こえ、しゃきっとしない顔のまま自室の扉を開けた。
ソファには三角座りをする黒田くんと、それからチームジャージを着た白石がいた。

「あ、やっと起きたー」

白石に手招きされぼんやりする頭のまま隣に着く。
彼は鞄の中から駄菓子を次々取り出し両手に乗せていった。

「飯食ってないんじゃないかと思って来たら案の定だった。駄菓子でもいいから食べな」

「……うん」

包みを開け、シンプルなミルクチョコレートを舌の上で転がす。
じんわりした甘さはいつも僕を救ってくれる。

「夕飯コンビニに買いに行く?」

顔を覗き込むようにされ、そうだねと短く答えた。
そこからは黒田くんと白石が談笑するのを聞いた。
コミュニケーション能力が高い人間同士は、あっという間に旧知の仲のようになる。
この才能は一生身につけられないものなので、単純に羨ましいなと思う。
オレンジ色の空を窓から眺め、今日いい天気だったもんな、お出かけ日和だったよな、香坂は楽しくやっているだろうかと想像した。
帰らないかもしれないなんて、そういうことだろ。
むしゃくしゃしたときはひたすら勉強して頭をいっぱいにしてきた。
なのに今は何もする気が起きない。
せめて事情を知っている白石の前ではしゃきっとしたい。
余計な心配はかけたくないし、超絶お人好しな彼は鬱陶しいほど気を揉むだろうから。
すっかり陽が暮れたあと三人で夕飯を食べ、早めに風呂に入った。
リビングで寛ぐ黒田くんにおやすみと言うと、まだ九時だよ!?とぎょっとされた。
眠れるはずもないのだけど、一人の空間で思い切り沈んだ顔をしたい。
ベッドに転がりながら然程興味がないSNSを開いたり、時事ニュースを見たり、そうしているとあっという間に二時間が経過した。
神経が昂って眠れない。温かい牛乳を飲もうかな。蜂蜜を多めに入れよう。今の自分を助けてくれるのは糖分だけだ。
上半身を起こした瞬間、そうっと扉が開けられた。

「なんだ、起きてんじゃん」

「香坂……」

常夜灯が灯る部屋の中、香坂がベッド端に座った。
その瞬間、ふんわり甘い、上品な香水の香りがした。
やっぱりデートだったのか。そうか。
心が痛むほど頭が垂れていく。
ほぼ項垂れるような状態で掛け布団をぎゅうっと握った。

「チョコのお土産買って来た。出かける前寂しそうにしてたからお詫び」

小ぶりの紙袋を手渡され、ぼんやり眺めた。
今の相手にも、これからの相手にも気を配れるとか、こいつは一夫多妻制の才能でもあるのか。

「無反応?寂しそうになんてしてない、とかいつもの毒舌はどこいった」

「……寂しくなんてない」

説明し難い感情が胸の中で渦を作る。
香坂に優しくされると嬉しい。もっと一緒にいたい。なのにどんなに焦がれても絶対に手に入らない。
一ヵ月が終わる間際までいい思い出ばかりを詰め込もうとする香坂は優しくて冷たい。
こんなはずじゃなかったのに。計画ではもっと上手くいくはずだった。
情に訴えかけ続ければ香坂は必ず後ろ髪を引かれると思った。
すべて見通しが甘かった。
やっぱり、恋愛初心者が香坂を懐柔させるなんて無謀な戦いだったのだ。
哀れで惨めで滑稽だ。

「元気ねえなあ。どうしたんだよ」

頭を抱えるように引き寄せられ、香坂の上着をきつく握った。
香水の香りが濃くなったが、この浮気者と詰る気力すらない。
香坂に想われてきたすべての人間が羨ましい。彼の心を掴むなにかがあったはずで、それが僕にはなかった。それだけのこと。なんて、割り切れるほど大人じゃない。
考えるごとに灰色と黒の渦巻く感情が勢力を拡大し身体中を駆け巡る。
胃が絞られるように痛くなり、肺は押しつぶされそうだ。
細い呼吸を続けながら耐えると、風船に針を刺すくらいの衝撃で爆発して散り散りになった。

「う、うえ……」

散った気持ちを上手に回収できず、代わりに涙が溢れだす。
堰を切ったように一気に流れ出したそれに、香坂はぎょっとしながら親指で拭った。

「なんだなんだ。嫌なことあったのか」

頭を左右に振って否定しながら、彼の洋服を掴んでいた手に力を込めた。

「ぼ、僕は性格がこんなだし、君の歴代彼女みたいに見た目がよくないし、楓ちゃんみたいに優しくないしっ」

またこうやって香坂を困らせる。なのに止まらない。

「だけど、ぼくだって、ぼくだって君に好かれたいのにー!」

うわー、と大きく口を開けて泣くと、香坂は困惑しながらもいつものように背中を摩ったり頭を撫でたりしながら慰めてくれた。

「他のひとのところいくなら僕との一ヵ月が終わってからにしてよー!」

「他になんていってないだろ?」

「黒田くんと白石から聞いたもん。黒髪ボブの子が君を好きで、君も好きな子がいて、甘い香水の匂いさせて帰ってきたら、いくら僕でもデート帰りってわかるもん!」

香坂は奇妙なものをみるかのように首を傾げ、暫く思案したあと、納得したようにああ、と呟いた。
彼はくしゃりと破顔し、僕の頬を両手で挟むようにした。

「デートなんてしてない。親父が戻ってきたから実家に帰っただけ。嘘だと思うなら兄貴もいたから聞けばいい。香水はー……多分綾だな。親父にもらったって嬉しそうにつけてたから」

「……で、でも、君は告白したい子がいるって。別に邪魔なんてしないけど、一応今は僕の彼氏なんだからそれが終わってからにしてほしいっていうか……」

ぼそぼそ尻すぼみになりながら話した。
香坂はなにがおかしいのか、肩を揺らしながら堪えるように笑った。

「なんだよ!別におかしいこと言ってないと思う!」

「月島、手出して」

言われるまま右手を出すと、もう一方の手も引っ張られた。
包むようにそうっと握られ、またぽろっと涙が零れた。

「好きな奴なんてお前以外いない」

「は……。え?」

「月島のことで手一杯なのに、他に構う暇なんてない。一緒にいるのにわかんねえのかなあ」

「え、だ、でも……」

「一ヵ月が終わる前にちゃんと言わなきゃと思ってた。でも俺を振り向かせようと必死なのがかわいくて、もう少しこのままでいたくなった」

包まれていた手を悪意を込めて思い切り握った。
こちらは死ぬ気でがんばって、ああでもない、こうでもないと泣いて悩んで苦しんだのにおもしろがっていたなんてひどい。

「やっぱり君なんて嫌いだ」

「俺は好きだよ」

からからに乾燥してひび割れた地面みたいだった心に、香坂の甘言がぽつぽつとしみ込んでいく。
ゆっくり時間をかけて中心部に届いたそれを自覚した瞬間、耳まで熱くなった。

「……それって、これからは正式な恋人になるってこと?」

「勿論」

「……じゃあ、用もないのに電話したり、部屋に行ってもいいってこと?」

「当たり前だろ。かわいいこと言うなよ」

「かわっ……いくはないけど……」

いつの間にか涙は引っ込んだ。
でも多分今の僕は目の周りが赤くて、腫れぼったくて、醜くて、とてもじゃないけど真っ直ぐ顔を上げられない。
なのに香坂は容赦なく真っ直ぐ見つめてくる。
蜘蛛の糸に縋ることができた罪人のような気分だ。
地獄から一気に天国。予想もしなかった幸福は、受け止めるのに時間がかかる。今もまったく現実味がない。
三日間くらい本当の恋人なんだよね?としつこく確認してしまう。

「もっと早く言えばよかったな。悩んでるなんて思わなくて。月島のことだからすました顔でそつなくこなすんだろうなあって思ってたけど……」

一度言葉を区切った香坂は思い出したように笑った。

「月島ってそういうとこあるよな」

「そういうとこ?」

「自分で出した答えを疑わないで思い込んだら一直線だろ?んで、しっかりダメージ喰らって大泣きするんだからしょうがねえよな」

「それは……!悪かったよ……」

言い返す言葉がございません。
兄と自分はどこもかしこも似てないが、この悪癖だけはそっくりだ。
悪い性格が完璧に直ることはないかもしれない。これからも同じような苦労をかけ、辟易とさせるかも。
だけど僕も香坂の悪い部分ごと受け止めるから、同じようにしてほしい。
確かな約束はできないが、一つだけ胸を張っていえることがある。

「僕はこういうことが初めてだし、こういう性格だから先行き不安だけど、でも香坂。君を一番好きなのは絶対に僕だから」

真摯に言うと、香坂は虚を突かれたような顔をした。

「そうだな。俺らこれからめちゃくちゃ喧嘩すると思うけど、最後はちゃんと仲直りしよう。喧嘩別れだけは絶対にしない。いいな?」

大きく一度頷くと、彼はよくできましたというように頭をくしゃりと撫でた。

「僕は香坂さんに心移りなんてしないからね」

何を信じられずともそれだけは信じてね。腫れぼったい目のまま見上げるように視線を合わせた。

「……そういえば結構前に兄貴にも言われた。次俺が好きになる奴は兄貴を好きにならない。だから安心しろって。なんか、見透かされてる感じがむかつくな」

「スタートが遅かった僕たちはいつまで経っても香坂さんと楓ちゃんには勝てないってことだよ」

「じゃあ兄貴たちより一秒でも長くお前といる。そしたら勝ちだ」

あまりにも幼稚な言葉に思わず吹き出した。

「なにその対抗心」

「俺らっぽくていいだろ?」

そうだねと頷きながら笑い合う。
香坂の双眸には僕しか映っていない。特別な言葉も、触れ合いもいならいほど、それだけで彼のすべてを手に入れたような気分だった。


END

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