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教科書を閉じ眉間を指で揉む。眼精疲労がひどいので少し休憩しよう。
椅子に深く腰掛け背凭れに後頭部を乗せた。ぼんやりと真っ白な天井を眺める。
ぽっかり空白の時間ができると香坂のことばかり考えてしまう。
もっと欲しがっていいと言われた。特別を与えたいと言われた。好きでもない奴にキスはしないと言われた。
気持ちの大きさに歴然たる差があろうとも、彼も自分に多少なりとも好意が生まれたということで。ふとした瞬間万歳三唱して大喜びしたいのを堪えている。
やはり香坂は押し掛け女房に弱い。
形から入るタイプというか、表面を先に作ってしまえば自動的にその形通りにおさまってくれるというか。
洗脳しやすい分少しだけ罪悪感も感じる。
だけどそれがどうした。
僕はなにがなんでもこの一ヵ月で彼を自分に惚れさせなければいけない。
一ヵ月粘ってだめだったらその時は潔く諦める。多分。恐らく。
人生の分岐点に立たされた状態で一か八かの大博打を打っているのだ。絶対失敗できない。
だから余計な駆け引きは抜きにして、もっと簡単に彼の心が手に入る方法を探している最中だ。
ベッドに腹這いになる同室者をちらりと横目で見た。

「……君がこの部屋で勉強しているの一度も見たことがない」

ぽつりと言うと、彼はゲーム機から目線だけこちらに寄越した。

「勉強嫌い」

そうはいっても多少なりともしないと。
将来にかかわってくるし、安定性を求めるならある程度の学歴や知識は必要だ。夢を追い駆けろとか、好きなように生きましょうなんて綺麗事は無責任な他人や、成功した人間だからいえることだ。言葉を鵜呑みにした結果、悲劇が繰り返されるかもしれないのに。
切り取られた成功者の輝かしい足元には敗残者が無数に積み重なっている。
彼の将来に口出しできる立場ではないし、そこら辺はご両親や兄弟の役割だろうけど。

「テストとかどうしてるの」

「ぎりぎり赤点免れる点数とってる」

逆に器用だ。
適当な勉強方法でそこまでの点数がとれるなら自頭は悪くないのだろう。宝の持ち腐れと思うけど、本人が嫌なら仕方がない。僕だって無理に運動させられたら発狂する。
椅子から降り、彼の隣に横たわる。

「僕は手堅く生きるから就職に困ったら養ってあげるね」

「そんな情けない真似しない」

「まあ、君は最終手段天下の氷室グループがあるしね」

「仁兄に迷惑かけることは絶対しない。足引っ張りたくないし」

「本当に木内先輩好きだね」

「好きだな」

咄嗟にむっと顔を顰めた。
無条件で木内先輩を慕い、彼が下す命令は絶対で、彼のためなら自分が傷つくことも厭わない。一昔前の任侠映画の世界だ。
長い年月の中でそうなるに至る理由や歴史があるのだろう。
木内先輩にあって自分にないものはなんだろう。そこまで慕われるにはどうすればいいのだろう。
単純な疑問でつい、どうしてそんなに好きなの?と聞いてしまった。聞いてから後悔した。出るは出るは、木内先輩の漢気エピソード。
一通り聞いたあと自分と先輩を比べて落ち込んだ。木内先輩をお手本にするのはやめよう。根本から違う人間だ。まだ楓ちゃんを手本にするほうがまし。かといって楓ちゃんのように破天荒にもなれないし。
小さく息を吐き、勉強に戻るため上半身を起こした。

「真面目な月島薫はお勉強に戻ります」

首をぐるっと回しながらベッドを降りようとすると、腕を掴まれ引き戻された。ベッドに腹這いになると彼が腰の上に跨る。

「その前にマッサージしてやる」

親指の腹で首や肩を指圧され、あー、と気の抜けた声が漏れた。

「お前の肩高校生の肩じゃない。綾と同じ硬さ」

「綾って誰だ!?」

「おかん」

「ああ、母親か。びっくりした」

背中から腰まで大きな掌でゆったり揉まれる。こんなサービスがあるなら勉強もがんばれるというもの。
香坂はいい夫になれる。胸を張っていい。やはり自分が養いたい。
終わりの合図でぽんぽんと背中を叩かれたので、身体を反転しありがとうの礼と一緒に彼の首に腕を回した。

「ついでにキスのサービスは?」

「勉強に集中できなくなるぞ」

「できる」

そっと軽く唇が重なり、ぺろりと下唇を舐められる。
肘をついて身体を浮かせ、もう一度と言いながら尻にそっと触れると彼の身体が強張った。
まだだめか。理解して笑みを浮かべた。大丈夫、僕はいつまでだって待てるよ。そんな意味を込めて。
香坂は一瞬ぽかんとしたあと同じように微笑んで、今度は頬にキスを落とした。

「ほら、勉強に戻れ」

ちっと舌打ちしたいのを堪え、言われた通りにした。
香坂の気持ちが固まるまで待てるけど、いつまでも子ども騙しのキスというのも情けない。
身体を重ねると情が湧くというし、手段として使えるなら使いたい。
勿論彼が嫌がることはしないし、無理矢理なんて倫理観の欠片もない行為はしない。
だけどもし、彼も同じ気持ちであったなら少し先に進んでもいいのではないか。なんせ一ヵ月しかない。できることは全部したい。あらゆる方法で彼の心を陥落させる。
めらっと闘志を燃やし、だけど知識はゼロに等しいので打開策としてスマホをとった。
ぽちぽちと文字を打ち、今度相談に乗ってほしいことがあるとラインをした。


夕食後、友人の部屋へ行くから遅かったら先に寝ろよと言葉を残して香坂は部屋を出た。
これ幸いと今から相談したいとラインを送る。ほどなくして香坂さんがお茶のお土産つきで部屋を訪ねて来た。

「楓ちゃんは連れてこなかったんですか?」

「わざわざ俺に相談ってことは楓には聞かれたくないんだろ?」

香坂さんは理解が早くて助かる。
こうして気軽に香坂さんと会えるのもあと数日。学校でも寮でも気軽に声を掛けてくれた存在がいなくなる。少しだけ寂しい。こんな自分をかわいがってくれる希少な人間だったのに。
香坂さんは弟の椅子に座り、自分はベッドに腰かけた。
時間は無駄にできないので世間話しは省き、手早く本題を説明した。香坂を抱きたいのだけどどうしたらいいか、と。
香坂さんは虚をつかれたような表情をし、そのあと声を出して笑った。

「普通京の兄貴の俺に相談するか?」

「頼れるのが香坂さんしかいないので仕方なく。楓ちゃんに聞いたところでまともな回答あるわけないし」

「確かに」

香坂さんは顎を指でさするようにしながら思案顔をし、ふっと笑った。

「あれを抱きたいのか。いい趣味してんな」

「だってすごくかわいいじゃないですか」

「それは見る人によると思うけど一般的にはかわいくないな」

「そうですか?僕はすごくかわいいと思うんです」

「惚れた欲目ってやつだな」

「香坂さんだって楓ちゃんをかわいいと思いますよね?でも楓ちゃんも一般的にかわいいには分類できません。どちらかというと格好いいのほうです」

「んー、そうか」

微妙に納得しかねる様子だったが香坂さんは一応頷き、それで?と先を促した。

「技術的なこと?」

「あ、それはスマホで調べられるのでいいです。どうすればその気にさせられるかなと思って」

「そんなの人それぞれで正解はないと思うけど」

「あの楓ちゃんを抱かれる側にした香坂さんの実体験が聞きたくて」

「お前の兄貴の話し聞いて楽しいか?」

「全然楽しくないけど、他人の話しだと思って聞くので大丈夫です」

感情部分には蓋をし、客観視しながら理性的に聞けるから大丈夫と胸を張る。
香坂さんは回顧するようにし、脅迫したなと呟いた。

「脅迫……」

「まあ、つきあうまで色々あったんだよ。四角関係くらい縺れて、俺が楓に協力する代わりにやらせろって迫った。それだけ」

「羨ましい!僕も弱味握って断れないようにしたい……!」

「いやー、その反応間違ってるな。僕の大事なお兄ちゃんにひどいことしたんですねって軽蔑する場面だぞ」

「使えるものは使わないと。正攻法じゃどうにもならない問題もありますし。香坂さんもそう思ったんでしょ」

「そうだけど、お前悪党だな」

「いえ、合理主義なだけです。一度抱かれる側に回ればあとはなし崩しってわけですね。うーん、僕はその一回目が難しいんだけどなあ」

「可能性があるとすれば情に訴える方法か。あいつそういうのに弱いから。薫が目うるうるさせてどうしてもだめ?って上目遣いすれば一発じゃね?」

「なるほど、勉強になります。他には」

「あとはそうだな――」

香坂さんは弟の思考パターンも熟知しているので、効果的であろう方法をいくつか提示してくれた。さすが頼れるお兄ちゃん。

「力じゃ京に勝てないだろうし、縛り方勉強しとく?」

「でも四肢拘束して無理矢理っていうのはちょっと。そこまで外道にはなれません」

「いつか役に立つかもよ」

「じゃあ勉強しておきます」

無駄な知識なんてものはない。覚えていれば意外な場面で役立つこともたくさんある。強盗を捕まえたときとか、気に入らない人間を一時拘束するときとか、香坂を軟禁するときとか。
ネクタイを掴んだ香坂さんを見て一瞬正気に戻りそうになったけど。

「ていうか、縛り方覚えてるってやばいですよ」

「若い頃は好奇心の塊だから。痛い思いはさせてないから安心しろ」

「はあ。楓ちゃんの頑丈な身体なら多少無茶しても大丈夫だと思うんで心配はしませんけど」

そこから香坂先生の緊縛講座が始まった。
両腕を背後に回し拘束する方法と、前方で縛る方法があるが、ネクタイの長さを考えると前方で縛ったほうがいいらしい。
自分の手首に巻かれる手順を目で追いながら頭の中ですぐに反芻する。
この程度なら一度で覚えられそうだ。それにしても香坂さんは本当に器用だ。
マジックの巧拙はよくわからないが、マジシャンの美しい指の動きだけで感心するのに似ている。

「こうすると緩まない」

「すごいですね。ちょっと楓ちゃんに同情します。好きになったのが弟のほうでよかったと心底ほっとしましたよ」

縛られた状態でじっとりした視線をぶつけた。
香坂さんは俺のほうが絶対巧いぞ、と挑発的な笑みを浮かべる。巧かろうがなんだろうがこんなてきぱき縛れる恋人なんて嫌だ。
とんと肩を押され、ベッドに背中をついた。

「動いてみろ」

言われた通り、腕を左右に振りながらもがいてみたが拘束が外れる気配はない。

「香坂さんのこの器用さ、まともなことに生かせたらいいのに……」

「まともだろうが」

呆れ交じりに苦笑すると、扉が開く音がした。
意外と早く帰って来たな、なんて呑気に考えながらおかえりと微笑んだ。
香坂はぴたりと動きを止め、僕と香坂さんを順番に見て、最後に腕に巻かれたネクタイを注視した。
ずんずんと大股でこちらに近付き、腕を持たれて上半身を起こされる。

「お前白石の次は兄貴か!」

言われている意味がわからず首を傾げる。

「この前こういうのはやめろって言ったよな!?」

「こういうの……?」

「なんでわかんねえんだよ本当に脳みそ入ってんのか」

自分より学力が劣る人間に言われるとさすがにむかつく。

「入ってますけど!?君より皺も多いね!」

「じゃあ勉強しかできない馬鹿だな」

「僕が、馬鹿……?」

大きなショックを受ける。
今まで白だと思っていたものが実は黒だったみたいな、信じていたものすべてが嘘だったみたいな、世界が崩れていくような感覚。
いかんいかん、こんな言葉を真に受けるな。
気を持ち直し下から思い切り睥睨した。負けるもんかと強い意思を持ったそれは、香坂の冷たい眼差しに簡単に萎れそうになる。
だけど脚の間に尻尾を巻き付けて降参を表す動物のようにはなりたくなくて、ちっぽけな反発心で心を支えた。

「得意の言い訳はどうした」

「は!?」

何故香坂はこう、的確に僕をかちんとさせる言葉を吐くのだろう。最初からそうだった。

「この状況の言い訳だよ。怒鳴る前に聞いてやる」

「言い訳なんてない!見たまんまだよ!」

そんなわけはないのだけど、売り言葉に買い言葉だ。
そもそも説明なんてできない。夜のあれこれを君のお兄さんに相談してました、なんて正直に言ったら未来永劫馬鹿にされるに決まってる。

「あ」

緊迫した空気の中香坂さんの呑気な声が響いた。

「楓からラインきたから俺帰るわ」

「ちょっと!普通この状況で帰ります!?香坂さんが説明してくださいよ!」

「喧嘩しながら絆を深めなさいよ。じゃあな」

ひらっと手を振る薄情者の背中を茫然と眺めた。
頼れるお兄ちゃんはどこにいった。なんて無責任。
無情にもぱたんと閉まった扉の音が喧嘩再開のゴングに変わった。
とりあえず腕の拘束をとりたい。この状態で喧嘩になっても上手に反撃できない。
無理に動かしてみたがやっぱり外れず、香坂涼許すまじと恨みを募らせた。
香坂はベッド下にしゃがみ、腕のネクタイに指をひっかけ小馬鹿にしたように鼻で嗤った。

「見たまま解釈していいなら兄貴に縛られて喜んでるクソビッチになるけど。俺のこと好きだ好きだって言うわりには随分気が多いんだな」

「そんなわけないだろ!」

「だからさっさと言い訳しろって言ってんだよ!」

憤怒の形相に一瞬たじろぐ。食って掛かろうと思うのに言葉が喉でつっかえる。
鋭い眼光に次はどんな風に怒られるのかと身構えたが、香坂は溜め息を吐きながら項垂れるようにしゃがみ込んだ。

「お願いだから違うって言ってくれよ」

懇願するような声色に、なんのことだと頭が混乱する。

「どいつもこいつも、兄貴のなにがそんなにいいんだか」

諦念を越え投げやりな素振りに合点がいった。

「違う!」

わかった瞬間叫んだ。

「僕は君しか好きじゃない!」

真偽を確かめるような瞳に真正面から対抗した。
そこだけは疑わないでくれ。僕はそんな簡単に心変わりするような覚悟で好きを認めたわけじゃない。
他の連中は知らないけど、面倒で手に余る自分のような人間を許してくれる君を手放したりしない。そんな勿体ないことできるはずがない。
だけど冷静に考えるとこの状況はトラウマを抱える香坂にとって非常によくなかった。
君にもっと好きになってほしかっただけなのに、どうして空回ってしまうのだろう。
隠し事や、背伸びは事態を余計に拗らせ、僅かな不信感はいつか大きな拒絶になって返ってくる。そんな気がする。
そうなる前に適切に対処しなければ取り返しのつかないことになる。
もうプライドを守るだの、格好悪いだの言ってる場合じゃない。意を決して口を開いた。

「香坂さんに君とのつきあいについて相談してただけで……」

「相談事がなんでこんなことになってんの?」

縛られた腕をきつく握られ眉根を寄せる。

「それは……。い、いつか君ともっと深い仲になったときのためにと……」

「は?」

「力では君に勝てないから教えてやるって言われて……」

ごにょごにょと尻すぼみになる。
それでも意図を察してくれたらしい香坂は怒り混じりの溜め息を吐いた。

「勘弁しろよ。俺がどんな気持ちだったかわかるか?」

「……正直よくわからない。僕は香坂さんになんの感情もないし……」

「ああそう。じゃあ俺が楓さんと同じ状況だったらどう思う」

じっくり咀嚼するように想像すると、現実じゃないのに胃が捻じれたように苦しくなった。

「すごく嫌だ。やめて。そんなことしないで」

泣きつく形になってしまったが、それでも香坂の冷たい瞳は変わらない。
呆れて二の句が継げないのだろうか。
もう手遅れ?愛想が尽きた?
折角少しだけ好意を寄せてくれたのに、一瞬ですっからかんになってたらどうしよう。
不貞は働いてないし、浮気心なんて少しも持ったことはない。
だけどそれが全て彼に伝わるはずもなく、僕の恋心がそのまま目に見えるわけでもない。
不確かな言葉じゃ相手の心を縛る拘束力には限界がある。
どうしよう、どんな風に伝えれば彼は僕を見切らずにいてくれるだろう。
どうしたらすっからかんになった好意をもう一度同じ箱に収めてくれるだろう。
焦燥は考える力を奪う。
思考を手放した自分は無様でちっぽけな何も持たない子どもだ。
それでもどうにかしなくちゃ。
彼のシャツを不自由な手で掴む。
香坂はなにも言ってくれない。
なにかを吟味するように、答えを出し渋るようにただじっとこちらを見るだけだ。

「一ヵ月しかないのにこんなんじゃ全然だめだと思ったんだ!もっと好きになってもらいたかった!楓ちゃんに勝つにはどうしたらいいのか考えて、それで……」

下唇を噛み締める。ぷつんと切れた音がして、それが僕と香坂の心まで引き裂いた気がした。
お願いだからなにか言ってと懇願したくなり、だけどそんなの自分が楽になりたいだけで、ずるい方法だとわかっている。
謝罪はするし、罰っせられればなんでもする。だからもうここで終わりなんて言わないでほしい。
ゆっくり視線を合わせ数秒経過した頃、香坂は観念したように天井を見上げた。

「今回こそは最後まできっちり謝罪させようと思ったのに、俺やっぱだめだわ」

香坂は自嘲気味な笑みを浮かべながら拘束を外してくれた。
ひりひりする手首を摩ると、両手をとられ手の甲に口付けられた。

「甘やかすとつけあがるってわかってんのになあ……」

心の水位がせり上がり、自由になった手を広げて彼に抱きついた。

「ごめん」

つけあがったりしない。
彼が寛大なこと、許す強さを持っていること、きちんとわかってる。
やっぱり僕は君じゃないとだめだ。絶対、絶対手放せない。
なのに僕は怒らせたり、呆れさせたり、ろくでもない感情ばかりを与えてる。
欠陥人間極まれりという具合に情けなくなる。好きな人を笑わせることもできないのだから。

「……ごめん」

ぎゅっとしがみ付くと背中をぽんと叩かれた。

「前も言ったけど誤解されるようなことはやめろ。俺は心が狭いし、お前は隙だらけだから心配になる」

「うん、うん」

喧嘩をしても悪態をついてもいつも最終的に許してくれるが、こいつこんなに優しくて大丈夫か。
変な女に捕まったら大変だ。放っておけない。やはり僕を好きになってもらわなくては困る。執念深い僕ならずっと想い続けることができるし、なるべく幸せにできるように努力するから。

「……僕は君じゃないとだめだ」

ぽつりと呟くときつく抱きしめ返してくれた。

「お前は本当に俺を操るの上手いね」

「あ、操ってなんかない!思ったことを言ってるだけで……」

「そうか?人心掌握術得意だろ?」

「君にはそんなの使ってる余裕ないよ。いつも君の前では馬鹿になる」

「だからかわいいんだよ」

身体を放し、彼の顔を覗き込んだ。

「かわいい?僕が?」

「そう」

「かわいいのは僕じゃなくて君だよ?」

「うわ、寒気した」

「君はとてもかわいいよ。自信持っていい」

「やめろ」

顔を顰めてもかわいい。
喧嘩して、仲直りして、仲が深まって、これはいい雰囲気なのでは?
香坂さんに伝授された秘策を披露するのは今このときだ。
ぱちぱちと瞬きし、下から彼の目をじっと見上げた。

「だから、そろそろキスより先に進んでもいい?痛くしないよ」

「お前それ兄貴に教わったんだろ」

見透かされ、誤魔化すために口を尖らせながら明後日の方向を見た。

「さーてお風呂にでも入ろうかなー」

一旦逃げようとすると両腕を掴まれベッドに押し倒された。

「いいよ。先に進んでも」

「本当に?」

だけどちょっとこの体勢はよろしくない。
できれば交換して、香坂に気持ちいいことだけしてあげたい。
腕に力を込めてみたが、やっぱりびくともしない。こういうときのために香坂さんは緊縛術を伝授してくれたのに。
何かいい方法はないだろうかと思っているうちにゆっくり口付けられた。
キスは大好きなので嬉しくて目を閉じる。その瞬間にゅるっと生温かいものを口内に感じ、驚いて目を見開いた。
これが噂に聞くディープキスかあ。呑気に享受する。
香坂の舌が好き勝手動くたび腰の辺りがぞわぞわした。
長く続けたらよくないことになりそうで顔を背けると、顎の付け根を挟まれ無理に引き戻された。
片方の手が自由になったので香坂の服を掴むけど力が入らない。
だらしなく開いた口から唾液が零れる感覚が気持ち悪い。なのに舌でなぞられると気持ちいいしか考えられない。
頭の中が説明しがたい靄で充満する。
ぼんやりと、酩酊感に似た心地良さで意味もなく涙がせり上がる。
わざと音を立てて舌を吸われ、鼻にかかった声が漏れた。
下品な甘さを含んだこれは自分が出した声なのか?
呆気にとられる間もなく、断続的に快楽を与え続けられる。
やられっ放しじゃいけないと思うのに、息つく間もなく攻め立てられ何も考えられなくなる。
もうだめだ。全身から力が抜けていく。
香坂の服を掴んでいた手をぱたりと落とすと漸く顔を離してくれた。
香坂が下唇を舐める様を眺めながら荒くなった息を整える。

「その調子じゃキスより先は無理かもな」

「……ち、ちがう。だいじょうぶ。僕はちゃんとできる」

「うん。じゃあそれはまた今度な」

前髪をめくられ幼子をあやすように額に口付けられる。
じわじわと羞恥がせり上がる。経験不足はわかっていたつもりだけど、こんなに差があるとは思わなかった。情けなくて、恥ずかしくて、爆発しそうだ。

「うー……」

文句が言葉にならず唸り声をあげる。香坂はその様子を見てけたけた笑った。

「お前本当にかわいいな」

今度はよしよしと頭を撫でられる。
滅茶苦茶馬鹿にされてる。
悔しいけど実力差を今すぐ埋める魔法はない。

「つ、次はちゃんとするからな!絶対に」

「はいはい」

本当だぞ、嘘じゃないと何度言っても香坂は楽しみだと笑うばかり。
心がぼっきり折れそうだ。


END

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