Metamorphosis





数秒前までベッド上にあぐらをかき、壁を背もたれにゲームをしていた。
今は至近距離にある月島の顔をぼんやり眺めている。
とりあえずゲームを一時停止し、顔横の壁につけられた月島の腕にちらりと視線をやる。
壁ドンの流行りは去ったと聞いたのだが、月島の中では流行真っ只中なのだろうか。若者らしさの欠片もない、世俗に疎い奴だから流行が周回遅れでやってくるとか。

「どう」

「……どう、とは」

「どきっとする?」

「別に」

「あっそ!」

月島は頬を膨らませそっぽを向いた。
一ヵ月限定の恋人になってと提案を受けた日から数日、月島の奇行はとどまることを知らない。
どんな思惑があって自分なんかに壁ドンをしたのだろう。
以前からなにを考えているのか掴めない奴だったが、一応恋人という形におさまった今は更にわからなくなった。
問と解の間を端折るものだから頭の悪い自分は理解するのに随分時間がかかる。理由や説明をしてくれたらもっと楽なのに、頭のできがいい人間は余計な手間を省こうとする。
勉強ならそれで事足りたかもしれないが、人間関係においては最大の悪手だ。
コミュ障な月島はそれをまったくわかってない。一から教えようと思うのだけど、スパルタ教育で口煩く言ったらプライドの高い月島のことだ、臍を曲げて聞く耳を持たないだろう。だからゆっくり、少しずつと思ったのだが、自分のほうが先に耐えられなくなりそうだ。

「……ドキっとしてほしかった?」

後ろからシャツを引っ張ると、眉間に皺を寄せたまま思い切り睨まれた。
関係性が変わっても生意気な表情は昔と変わらない。
難しいお姫様の機嫌を損ねると代償が大きい。傷が浅いうちに機嫌をとる必要がある。
腕を握って位置を交換した。
月島にされたように壁ドンして顔を覗き込む。

「ほら、こんなことされてもドキドキしないだろ?」

「………よ」

「なに?」

「するよ!」

月島は逃げるようにベッドから降り拳をぎゅっと握った。
ああ、ご機嫌窺いが失敗した。なにがいけなかったのだろう。わからん。

「どうせ経験値が低いって馬鹿にするんだろ」

「そんなこと言わないって」

「僕ばっかりじゃないか。悔しい……」

地団駄を踏む勢いだが、月島がなにを言いたいのかわからず上手に反応できない。
性格が真逆すぎて感情を慮るとか、察するとか、そういうレベルにすら到達できない。
一年同室を続けたけれど、極力接点を持たないようにしてきたし、お友達を通り越していきなり恋人で、段階が圧倒的に足りない。
ぽかんとしている間に月島はポケットに鍵とスマホを突っ込んだ。

「どっか行くのか?」

「頭冷やしてくる!」

そんな怒りマックスの状態で頭冷やすと言われても。
そもそもなぜ怒る。
――僕っばかりじゃないか。
なにが。
――悔しい。
なにが。
もう頭の中これの無限ループだ。
月島に恋愛経験がないのは事実だし、それをわかった上で彼氏になると言った。それなのに馬鹿にするわけがないだろう。
よしんばする奴がいたとして、そんな最低な男はすぐにでも切ったほうがいいし、そんな男と同レベルと思われたなら心外だ。
だけど以前の自分たちの口喧嘩を思い出すと月島がそう思い込むのも納得できる。
ただの同室者として接していた自分と、恋人として構える自分は少し違う。
わかれというほうが無理なはなしで、月島の中の香坂京は憎たらしい好敵手のまま。
言葉足らずと彼を攻めるより先に、自分の言動や行動で信じてもらわなければ。
気難しい月島は好きだと言った次の瞬間、やっぱり嫌いと言い兼ねない。
一ヵ月を待たずして恋人失格という烙印をおされるかもしれない。
そうしたらそのあとはどんな関係になるのだろう。
お友達になりましょうなんて月島には無理だ。
つきあうのが初めてなら別れるのも初めてで、その後の気持ちの切り替えなんて上手にできるはずがない。
残された道は一つ。赤の他人に戻りましょう。
ゲーム機を持つ手に力がこもる。
そうなりたくないから月島の提案に乗った。
月島を恋愛として好きなのか、ただの庇護欲なのか、はっきり決着がついてない。ついてないけど離せないと思った。
一ヵ月かけて恋人らしく過ごしたらきっと答えも自然に出るものと楽観的に思ったりして。それが月島を追い詰める結果になるかもしれないのに。
小さく溜め息を吐き、ゲーム機を放り投げた。
一人で考えても仕方がない。二人の問題なら二人で話し合うべき。そもそも小難しく考えるのは苦手だ。
ベッドから立ち上がり、廊下を歩きながら楓さんに電話をかける。
数コールで繋がったそれに挨拶もそこそこに弟そっちにいる?と聞いた。

『俺香坂の部屋にいるからなあ。スマホにも連絡きてないし、どっか別のとこじゃねえかな』

「そっか」

『喧嘩?』

「喧嘩っつーか……」

『わかる。薫のことだからきーきー言って飛び出したんだろ』

さすがお兄ちゃんと言いそうになって寸でで止めた。

『我儘で悪いな』

「まあ、それでこそ月島って感じだしな」

『お前の心が広くて助かったよ』

「だろ。もっと褒めてもいいよ」

『今度京の好きな料理作ってやる!』

「そりゃ楽しみだ」

『……薫のこと、頼むな』

ワントーン低い声にふっと笑った。
本当、楓さんはなんだかんだと文句を言いつつ弟のことが大好きでしょうがないらしい。
そりゃあ月島も立派なブラコンに育つわけだ。

「わかってるよ。大丈夫」

電話を切ったあと、残る選択肢は一つだなと目星をつけて白石の部屋に向かった。
月島の交友関係が狭くて助かった。彼が頼れるのは楓さんか白石の二択だ。
扉をノックすると名前も知らない男が応対してくれた。

「あー、月島来た?」

「来たよ。中にいるからどうぞ」

「どうも」

男は出かけるらしく、ひらりと横を素通りした。
簡易キッチンやトイレと部屋を仕切る扉のレバーに手をかけ、この場合もう一度ノックしたほうがいいのだろうかと首を捻る。
初めて訪ねる部屋だし、白石とは然程親しくない。
まあいいかと無遠慮に扉を開けると、開けてすぐの壁際で、今度は白石が月島に壁ドンをかましていた。
再流行でもしてんの?と思ったのは置いておいて。
壁ドンされる側である月島は腕を胸の前で組み、冷ややかな瞳で白石を見上げており、所謂ときめき空間は一切感じられない。追い詰められる側にしてはあまりにも不遜すぎて笑いそうになる。

「香坂じゃん。遊びに来てくれたのか。遠慮せず入って入って」

その状態でそんなことを言われても反応に困る。

「おい、まだ実験終わってないだろ」

月島はこちらを無視したまま白石の腕を引っ張った。

「あー、もう、なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだろう」

「つべこべ言うなよ。一年分課題見せてもらった礼にしては安いだろ」

「はいはい。感謝してます」

白石は諦めた様子で月島の顎を掴み、ゆっくりと顔を近付けた。
ちょっと待て。
思った瞬間には身体が動いた。
彼らの間に身体を捻じ込み、白石の胸を押し返した。

「えー、っと……。あ、別に無理矢理なにかしようとかじゃないよ?月島から頼まれて……」

「頼んだ?」

背後を振り返るとそれがなにか?と言わんばかりの顔をした月島がいた。
こいつ、堂々と浮気か。その上開き直りか。
やはり秀才の考えることは理解できない。

「お前っ――」

怒鳴りそうになるのを堪えた。

「帰るぞ!」

「え、ちょっと待ってよ。僕まだ……」

「まだ、なに」

痛いくらいに腕を握り、上から見下ろすと月島は気まずそうに視線を逸らした。

「……なんでもない」

「白石悪かったな。こいつ回収するから」

「逆に助かった。また暇なとき遊びに来てなー」

人当たりのいい笑顔に毒気を抜かれつつ、腕をぎっちり握ったまま自室に戻った。
扉を締めた瞬間、月島は腕を振り払うようにし、握られた場所をもう片方の手でさすっている。

「お前さあ」

責めの気配を察したのだろう。月島の肩が強張ったのが視界の端に映る。
月島は殻に籠ると思ってもない言葉の数々で自分を守ろうとする癖がある。それは本人も重々承知で、悪癖だということも。
怒鳴り散らしてやりたいけれど、それじゃあ以前と同じだ。
彼にわかってもらうため、最初に自分が変わらなければ。
一度大きく深呼吸し、月島の手をひいてベッドに並んで座った。
顔を覗き込むとふいと逸らされる。
負けじと頬を挟んで視線を合わせるようにしたが、今度は限界まで黒目を逸らされた。
こういう素振りが子供染みていると楓さんに散々怒られているのに。

「こっち見ろ。怒らないから」

「嘘だ。怒ってる。君が怒ってるときだけはわかる」

「怒ってたら怒鳴ってる」

「そうだけど、気配がもう怒ってる」

「じゃあなんで怒ってるかわかるか」

「それは、ぼ、僕が急に飛び出して……。こんな経験不足じゃ楽しくないし、面倒くさいんでしょ」

なにを根拠にしてそういう答えに辿り着いたのだろう。
頭がいいならこういう方面にも秀才ぶりを発揮してほしい。

「違う。お前が堂々と浮気しようとするから」

「浮気!?僕をそこら辺のビッチと一緒にしないでよ!心外だ!」

「白石とのあれ見たら普通そう思うだろ」

「あ、あれは列記とした実験で、浮気などでは……」

ごにょごにょと言い訳が始まったが、あれが実験であるものか。
それなら世の中の不貞行為すべて実験ですと言い逃げできてしまう。

「浮気が実験ねえ……」

「だから浮気じゃないって!」

「壁ドンして?キスしようとしてたのに?」

「だからそれは、本気でしようと思ってたわけじゃないし、白石相手でもドキドキするのかなあと思って……」

頭が痛くなってきた。
検証したがる性分なのかもしれないが、そんなもの実験しなくてもわかってほしい。
好きでもない奴に至近距離で迫られても気持ち悪い以外の感想はないし、ゼロ距離を許せる相手は案外少ない。
最たるものが恋人で、つまり自分以外には許してほしくないし興味本位や立証のためでもあんな真似はしないでほしい。
額に手を添え長い溜め息を吐いた。

「……で、白石としてみた感想は?」

「すごく気持ち悪かった」

「だろうな」

「ああいうシチュエーションに緊張したわけじゃなくて君が相手だから不整脈を起こしたってことがわかった」

「よかったな。もう二度とすんなよ」

「全然よくない」

月島は唇を噛み締め、苦しそうに眉を寄せた。

「わかってしまったらもっと嫌な気持ちになった」

「……お前の話し方わかりにくい。馬鹿にもわかるように細部まで説明してくれ」

「説明なんてしたくない。もっと惨めになるだけだ」

泣きそうな顔を見てられなくて、こめかみに触れるだけのキスをした。

「恋愛ってのは一人でするもんじゃねえぞ。どんな感情でも相手にぶつけてなんぼだろ。どんな状況でも片方だけが悪いなんてないんだから」

「でも、感情をぶちまけて嫌われたら?」

「その程度なんですねって振ってやれ」

「……僕はそんな簡単な人間じゃないんだよ」

「じゃあ自分の気持ち無視して相手の顔色ばっか窺うのかよ。そんな関係楽しいか?」

「楽しくはないけど……」

「どうせなら俺は楽しくつきあいたいけど」

「そ、そりゃあ僕だって……」

「じゃあ話せよ」

大丈夫だから。
耳元で言ってから後頭部を包みつむじにキスをする。
こうして幼子のようにあやし続ければ月島の頑なな心が解れると学習した。
月島は少しの間迷い、意を決したように拳に力を込めた。

「……ぼ、僕は君にドキドキするよ。今だって。でも君は僕じゃドキドキしないんだろ。僕が白石になにも感じなかったのと同じ。だから僕に恋愛感情はないんだとわかってしまった。それがすごく惨めで悲しい……」

月島が瞳を伏せた瞬間、わけもわからずきつく抱きしめた。
違う。違うけど上手に言葉にできない。
傷つけたくない。泣かないでほしい。
月島の柔らかい部分を大事に大事に包んでやりたいと思うのに、じゃあどうすれば相手に伝わるのか方法がわからない。
偉そうなことなんて言えやしない。過去にどれだけの恋愛をしたってそんなものなんの指標にもならない。
だってこんな人間は初めてだ。
面倒くさくて、気難しくて、高飛車で高圧的な毒舌家。
なのに隙を見せた瞬間はとてもかわいくて、今時珍しいほど初心で、むかつくと思った次にはかわいいくみえて、とにかくこちらの情緒を不安定にさせる。

「君は優しい。仮の恋人なのにきちんと向き合ってくれる。普通はそれで満足しなきゃいけないんだろ」

「そんなことない。欲しがっていい」

「僕が欲しがったらきっと君はうんざりするよ」

「へえ。そんな男だと思ってんだ」

「そうだね、今のところは」

ぐさっと胸を抉られた。
こういうところはばっさり言うのが月島薫だ。
嘘がなくて安心するが、人を攻撃するときだけ饒舌というのもいかがなものか。
苦笑しながらぽんと彼の頭を叩いた。

「前の俺と今の俺は違うと思う」

「違う?」

「恋人は甘やかして大事にしたい。まあ、そこら辺にいる普通の男と同じだけど、それ相応の態度とか、他との区別とかつけたい。それに俺振り回されるの嫌いじゃない」

「ああ、ドMなんだもんね。楓ちゃんが言ってた。僕を相手にできる時点で相当だって」

「かもな。だから遠慮すんな」

「……じゃあ、ちゃんとキスしていい?」

甘えた素振りを見せる月島薫は世界一かわいい。普段があんな風だから余計に。
月島に心臓をきつく握られている気がして、それを誤魔化すために瞳を閉じさせた。
ゆっくりと啄むようなキスをして、綺麗な白い頬を包む。

「俺は好きでもない奴とキスはしない」

「……その言葉、いいようにとるからね」

「どうぞ」

月島は首筋にすりっと額を摺り寄せ、小さく笑った。

「浮気、だって」

くすくすと笑うものだから、段々自分の発言が恥ずかしくなる。そんなにおかしなことを言っただろうか。

「僕がほかの人とキスしたら嫌なんだ?」

「そりゃあ、今つきあってるのは俺だし、浮気はよくないだろ……」

「ふうん?仮の恋人なのに?」

「関係ない」

「君って嫉妬深いほう?」

痛いところを突かれ首を絞められたようになる。誤魔化すためになにか言い返したいけどどれも音にならない。
過去、束縛が激しい、うんざりすると何度言われたことだろう。
だって不安だった。彼女たちは美しく、余裕があり、いつも掌で転がされていたのは自分で。
目に見える首輪をつけないと不安で苦しくて、その結果束縛という最悪な形で気持ちを表してしまう。だめだとわかっているのに抜けられない無限ループは自分も彼女も辟易とさせた。
だから彼女たちが兄に惹かれた理由も本当はわかってる。
自分みたいに切羽詰まってないし、鷹揚と構え指先一つで人の感情を操れる。自分とは正反対。
きっと月島のことを本当に好きになったら同じことを繰り返す。だからできれば今くらいの気持ちで向き合っていたい。お互いのために。
昏い過去の映像が勝手に再生され、どうにかしなきゃと焦っていると、月島はふふんと自慢げに笑った。

「僕は嫉妬深いほうだと思う。でもそれって当たり前だと思うんだよね。独占欲は人間の本能だよ。だから理解のある恋人なんて求めないでね」

さらりと持論を展開され、ぽかんとしたあとくっくと笑った。
普通、そういう醜いといわれる感情は後手に隠そうとするのに、月島ときたら本能だと胸を張った上諦めろと自己中に言い捨てる。
さすが、と感心したあとこういう世間とのズレがかわいく映る。

「無理に背伸びしなくていい。俺もそういうのやめるから」

「うん」

胸に生まれた小さな期待に頭の端がじくじくした。
月島となら自然体でつきあえるかもしれない。
今までは装備を頑丈にして本質以上のものを提案しなければ彼女と向き合えなかったが、きっと月島はそういう誤魔化しや張りぼてを無意味だと嘲笑う。
怒りっぽくて、子どもっぽくて、機知に富んだ会話もできない。そういう自分を散々見てきた上で好きだと言ってくれたのだから。
格好つけたがるのは仕方がないとしても、自分を大きく見せる真似はしたくない。

「じゃあデートでも行きますか?甘いものとか食いに」

「どこに?」

「ファミレス」

「いいね」

そうと決まればすぐに行こうと微笑みながら腕を引かれた。
少し試す思惑で言ったのだけど、月島はファミレス?馬鹿にしてんの、なんてやっぱり言わない。
素直に受け入れられると今度は試した罪悪感が沸き上がる。

「悪い。ちゃんと美味しいケーキ売ってるとこに行こう」

「なんで?ファミレスいいじゃん。色々あって。あの味をあのコストで提供するってすごい企業努力だよね。今度研究したいな」

「あ、はい…」

やはりこいつは大幅にずれている。
助かるけど、気合入れて特別を与えても大袈裟に喜ばず、その他同様に普通に感謝されて終わる予感がするので、それはそれで辛い。

「もしかして区別とか、特別とかそういうの気にしてるの?僕は場所なんてどこでもいいよ。誰と行くかが大事でしょ」

そんな当たり前のこともわからないのかという口調に面食らう。今までそんな風に言われたことがなかったから知らなかった。

「……そういうものか?」

「そうだよ。香坂さんと行く高級フレンチと僕と行くファミレスどっちがいい?」

「お前と行くファミレス」

「でしょ。わかったら行くよ」

薄手のアウターを羽織る姿をぼんやり眺めた。

「早く」

「……うん」

上手く説明できないけど、月島はなんてことない会話や態度で少し心を軽くしてくれる。
こびりついた先入観や強迫観念を一枚一枚剥がしていって、誰かに強く想われる心地よさに酔いそうになる。
同じだけ想ってやれたらいいのにと頭の中で残りの日数を数えた。


END

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