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「三上……。三上…」

耳元で囁く声にうるさいと眉を寄せた。この声はたぶん泉だ。

「起きて。ねえ、起きてよ」

いつもはどんなに起こされても二度寝を決め込むが、今日に限って一気に覚醒した。
大きく目を見開くと視界一杯に泉の顔があり、あまりの近さに驚いた。

「眠るなんてひどいよ」

微かに首を傾げながら言う泉の瞳は、薄らと涙の膜が張り潤んでいた。
泉が身体を引いてくれたので、どんな状況か確かめるためにぐるりと目線を動かした。
自分の部屋でベッドヘッドに背中を預け、腹の上には泉が馬乗りになっている。
後ずさろうと腕を動かそうとしたが動かない。背後を振り返るとネクタイで両腕を縛られていた。
わけがわからず恐慌状態に陥る。別の冷静な部分では、ああ、ついに泉がぶちギレて襲いに来たかと落胆した。
いつかこうなる予感はしていた。泉にしては我慢した方かもしれない。
いざとなれば腕など使えずとも足だけで制圧できる。そう思うと心に余裕ができ、馬乗りの泉に視線を戻した。

「お前、なんつー格好してんの?」

「え?何が?」

泉はサイズが合わないシャツ一枚しか着ておらず、ご丁寧にシャツガーターを装着しているので下着を履いているかもわからない。
所謂萌え袖を口元に寄せ、そこに刺繍されたイニシャルを見て自分のシャツだと理解した。

「それ、俺の」

「ああ、やっと気付いた?こっそり一枚拝借して、新品と交換したんだ」

「あ?」

「三上のシャツが一番三上の匂い濃いでしょ?これと一緒に寝るとすごく幸せだから」

両腕の袖を口元に持っていく姿を見ながらああ、ストーカーもここまできたかと呆れた。普通恋人の私物を盗むか。

「でもやっぱり本物が一番好き」

泉は腹に両手つき、こちらに顔を寄せ、首元ですんと匂いをかいだ。

「……ねえ、これから本番だったのに途中で寝るなんてひどいよ」

「本番?」

そこでやっと気付いたが、自分もブレザーとネクタイを外した制服姿で、シャツの釦はすべて外れていた。狼狽える暇もなく、泉は両頬を包みゆっくりと顔を近付けた。
制止する前に唇が触れる。腕や脚もぴくりとも動かないどころか、彼の口付けをさも当然かのように受け止めていた。

「三上いつも一回しかしてくれないけど、今日は僕が満足するまでつきあってね」

泉の言葉に違和感を覚えた。いつもってなんだ。自分はそんなことしないし、そもそも泉はこういうキャラじゃない。
こちらが少し色を匂わせただけで、恥ずかしいだのやめろだの心の準備だのと処女のような反応を見せる。

「いいよね三上」

首筋を指先でなぞられ、そのまま鎖骨を撫でられる。
何も言葉が出ず、呆然と泉を見詰めると視線が絡まり気恥ずかしそうに微笑まれた。
この笑顔は見覚えがある。表情も顔も身体も泉だ。だけど纏う空気が甘く、重く、息苦しい。
ああ、そうか、これは夢だ。
こういうのを明晰夢というのだろう。自覚した瞬間、夢の中の自分と思考が切り離された。
自分だけど自分じゃない。泉だけど泉じゃない。
夢の自分は馬乗りになる泉を素直に受け入れているし、泉もとんだビッチのように仕草や視線でこちらを誘惑する。
泉は色気のいの字もないと吐き捨てたが、夢の彼はどこで身に着けたと聞きたくなるほどこちらのツボを心得ている。
泉は軽く音を立てながら鎖骨の下を吸い、片手で器用に制服のボトムのチャックを下げた。
まずい、止めなければ。いや、このままでいいのか。
夢の自分と思考がぐちゃぐちゃに混ざり、わけがわからなくなる。

「三上口でされるの好きだよね?僕も三上の舐めるの大好きだよ」

布の上から撫でられ眉を寄せた。
泉は迷わず舌を這わせ、吐息を零し、ときたま苦しそうに眉を寄せながら一生懸命奉仕する。
頭上からそんな姿を眺め、夢でも現実でも気持ちいいという感覚は変わらないんだなあとぼんやりと考えた。

「三上、三上……」

えずき、瞳に涙をためても放そうとしない姿が可哀想で、なのにもっと喉の奥まで突っ込んでやりたくなる。自分にそんな趣味はなかったはずなのに。

「三上、気持ちいい?」

上目遣いに問われ、素直にああ、と返事をする。泉は機嫌よくしたのか動きを早めた。

「泉」

「……なに?」

言いたいことはわかっているだろうにあっさり顔を放され、彼は口元の唾液を手の甲で拭った。

「本当は飲みたいけど、そうすると三上キスしてくれないもんね?」

伸びをする猫のようにするりと上半身に凭れ、顔を近付けながら小首を傾げられる。

「僕三上とキスするの大好きだよ。三上はキスが上手だから」

くすくすと笑われ、これは現実で過去誰かに言われた言葉だったと思い出す。
この夢は過去に見たAVや本や実体験をつぎはぎしながら泉を作り出しているのだろう。だからこちらのツボを心得ているのだ。
泉は胸に手をついて唇を重ね、くすぐるように舌を差し込んだ。
今まで一度も泉とキスしたことはないのに、夢の中では彼がどんな風にされるのが好きか、相手がどう舌を動かして、自分がどう動くべきか、すべてわかっていた。

「み、かみ、みかみぃ……」

泉の声で婀娜っぽく名前を呼ばれるたび、脳が痺れたように思考を止めようとする。

「もっと……」

首に腕を回され、息もできないほど求められ、すべて奪われそうになるほど深く、深く口付け、漸く顔が放れた頃には泉の瞳がとろんと溶けそうになっていた。
口端から呑み込みきれない唾液を垂らしたまま、浅く口を開けながら小さく短い呼吸を繰り返す姿にくらりと眩暈がした。

「これ、外せ」

後ろ手に縛られた腕を揺すったが、泉はだめだと首を振った。

「今日は僕が全部やるから、三上は気持ち良くなるだけでいいんだよ」

その言葉は妙に現実味があった。泉なら言いそうだ。三上は何もしなくていい。全部自分がやるからただ寝ていろと。
同じ彼ではないとわかっている。わかっているが頭にきた。
少しずつ緩めていたネクタイを外し、跨っている彼の腰を片手で引き寄せた。

「っ、縛り方、足りなかった?」

「今度は手錠でも用意しとけ」

言いながら泉の鎖骨に噛み付いた。彼は背中を反らせひゅっと息を吸う。

「三上」

呼ばれ、泉を見上げると彼は満足そうに微笑んだ。

「その目、大好き。余裕がなくなったときに見せるその目」

「お前は随分余裕そうだな」

言いながら泉をベッドに乱暴に押し倒したところではっと目を覚ました。
常夜灯が照らす薄暗い室内をぐるりと見渡し上半身を起こした。
汗が滲む額に手を当て、なんという夢を見たのだと自己嫌悪に陥る。長い溜め息を吐き寝る前におかしな本を読むんじゃなかったと後悔した。
それよりもっと居た堪れないのは下肢が反応していることだ。夢精しなかったのがせめてもの救い。
早くおさまれと頭を抱え、心の中で泉、すまんと謝罪する。
現実の泉は大胆に迫るくせに、核心に触れようとするとぴゅっと巣に逃げる小動物のようだ。
なのに、夢の中でありえないくらいのビッチに作り上げ、あんなことまでさせてしまった。しかもそれに満足してた様子の自分が一番許せない。
もしも、万が一現実でもあんな風になったらどうしよう。枯れてる、おじいちゃんと散々言われるが、思春期男子なんてふとした刺激でその気になれるものだ。
口では散々嫌だと言いながら、あんな風に迫られたら簡単に堕ちそうで怖い。
しばらく泉には会えない。罪悪感に押しつぶされる。
とりあえず原因は秀吉にあると思うので、明日思い切り報復しよう。
少し頭を冷やしたくてリビングの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した。一気に飲み込み、また溜め息を吐く。
ふっと思考が空になると夢の泉を思い出してしまい、ぶんぶんと頭を振った。その時、控えめにとんとんと扉が叩かれた。
時計に視線を向けると夜中の二時。こんな時間に訪ねて来る人間はいないだろうからきっと聞き間違いだ。
ペットボトルを持って寝室に戻ろうとしたが、もう一度微かに扉を叩く音がした。
潤が有馬先輩と喧嘩して愚痴を言いに来たか。ちっと舌打ちをしながら勢いよく扉を開けると、しょんぼりと立っていたのはパジャマにカーディガンを羽織った泉だった。
その姿を見た瞬間、ぎくりと肩を揺らす。まさかまだ夢の中にいるのだろうか。

「あ、よかった。まだ起きてた」

「泉……」

苦笑しながら首を傾げる姿がまた夢の彼と重なり、今すぐ壁に頭を打ちつけたくなる。遂に三上が狂ったと騒がれるのでできないけど。

「よ、夜中にごめんね」

泉は俯きながらもじもじとカーディガンの袖を引っ張った。

「なんかあったか」

「いや、特になにもないんだけど、ちょっと変な夢見ちゃって」

「待て、俺が悪かった」

責められたわけじゃないし、自分の見た夢の内容を彼が知っているわけがないのに反射的に謝ってしまった。

「な、なにが?」

「……なんでもない」

「三上どうしたの?なんか変だよ?」

常に変態な泉に言われるなんて余程テンパってるのだろう。
あんな夢を見たあとに本人がやってきて生々しい夢と彼を重ねてしまって、もう頭の中がごちゃごちゃだ。

「ナンデモ、ナイデス」

「そうかな。なにかあったなら聞くよ?」

「大丈夫っす……」

夢の内容を覗くことができたら変態と罵られるか、顔を真っ赤にして泣かれるか、どちらだろう。とにかく、冷静にならなければ。

「あの、夜中に来ただけでも非常識だと思うんだけど、できれば一緒に寝たいんだけど……」

ゆらゆらと視線を泳がせる様を見て、相当嫌な夢を見たのだろうと察した。クソ野郎にいじめられていたときの夢がぶり返したか。
だけど何故このタイミングなのだろう。もう少しまともなときなら渋々了承しただろう。だが今は辛い。夢と現実を区別できず手を出したら土下座じゃ済まされないのでは?

「……ごめん、無理なお願いした」

泉は取り繕うように無理な笑顔を見せ、もう一度ごめんと謝った。
彼が切実な我儘を言うのは珍しい。デートしようとか、ラブラブしようとか、軽口を叩くことは多々あれど、本当に求める言葉や態度は絶対に口にしない。
冗談で済ませてお互いの傷を深く抉らぬようにしているのだ。
ここで拒めば二度と同じ願いは口にしない。
帰ろうとする泉の腕を掴み、自分のほうに引き寄せた。

「来い」

寝室の扉を開け、泉の背中をとんと押す。

「あ、ありがとう」

嬉しさを我慢するように軽く下唇を噛み締めながら笑われ、自分の判断は間違っていないと確信する。
泉はいそいそとベッドに潜り壁際に背中をつけて半分スペースを開けた。
数は多くないが一緒に眠るときはいつもこうだ。泉が壁側で自分は隣で狭いベッドにでかい身体を捻じ込む。
泉は今日も同じ手順を踏んだだけ。わかってる。わかってるが頭が痛くなる。今すぐ夢を忘れたい。
こめかみに手を添え、変なことするなよと自分を戒めた。

「……三上はまだ寝ない?」

「いや、寝る」

大丈夫。夢の泉と違い、目の前のこいつはいつものぼんやりしたお花畑野郎だ。
巨乳のお姉ちゃんじゃない、ただの泉と一緒に寝るだけ。大丈夫、大丈夫。言い聞かせながら隣に仰向けになった。本当は背中を向けたかったが、そんな態度をとれば気に病みそうでできない。

「本当になにもない?悩みとかあるんじゃない?」

「ない」

「そう?」

「……お前は怖い夢みたのか?」

「あー、うん。ある意味怖い夢だった」

「ある意味?」

「……話しても摘み出さないでね」

泉はぼそぼそと前置きをし、枕に半分顔を埋めながら夢の内容を話し始めた。

「……三上とえっちしようとしたら、やっぱ男じゃ無理だわって振られた夢」

なんてタイムリーな夢なんだ。自分と泉は見えない電波のようなもので繋がっているのではないか。
むしろ自分はのりのりでお前とやってる夢だったけどな。とは口が裂けても言えないが。

「夢だよ?夢だからね!?」

「わかってる」

二つの夢、どちらが現実的かと考えると泉の方だろう。
そんな冷たい振り方はしないが、まさしく秀吉に男相手は無理だと相談もしていた。あんな夢を見なければその考えも変わらなかっただろう。
秀吉には一度想像してみたらどうか、なんて適当なアドバイスをもらったが、想像どころか妙にリアルな夢を見たせいで嫌でも意識してしまう。
ガキなんてこんなもんだ。好きだと言われれば興味がない相手も気になるし、夢に見れば意識する。
泉に多少の好意は持ってるし、そうなると夢が現実になるのか試してみようかという冒険心が生まれる。やっぱ無理、勃たない。となったら最悪なので実行はしないけど。

「そんな夢かよ、って呆れた?」

「別に」

「怒った?」

「怒ってねえよ」

「ほんと?」

「しつこい」

べちんと額を叩くと、じゃあ何故こっちを見てくれないのかと言われた。
やましい気持ちがあるからだが、泉は嫌われたと勘違いしているのだろう。
小さく舌打ちをし、自棄のように泉の首の下に腕を差し込み腰を抱いた。

「大丈夫だから。早く寝ろ」

「……うん」

泉は腕に頭をこてんと預けて瞳を閉じた。
暫くすると小さな寝息が聞こえたので、流れる前髪を払いながら額にキスをした。

「うわあ……」

一連の行動が自分でも信じられず、うんざりした声が出た。これは余程夢に当てられたのだと気付く。
おかしな行動が加速しないよう、無理にでも眠ろうと瞳を閉じた。


END

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