二番目の恋



三上が嫌いだ。
大事に大事に守り慈しんできた真琴をぞんざいに扱うから。
部外者が口を挟める問題ではないし、彼らはそうやって上手くいっているのも理解している。
だから最近は真琴が幸せならそれでいいというところまで感情を落ち着かせ、これで醜いやっかみを抱えなくなくて済むと思った。
なのに今度は櫻井先輩と妙に親しそうな素振りを見せて神経を揺さぶってくる。
以前はそうではなかったと思う。
彼らが知り合いと聞いて驚いた程度には関係が薄かったはず。それがここにきて顔を合わせれば立ち止まって話したり、談話室や学食で肩を並べたり。
真琴と櫻井先輩が懇意にしているせいだと思った。一応恋人の友人とは仲良くしようという殊勝な心掛けだと。
しかしその予想は恐らく外れで。
三上は真琴の周辺環境に興味はないし、誰とつきあい、誰と喧嘩をしても所詮他人事。一緒に問題を抱えようとしない。
それに先輩との距離が近くないか?と眉を顰めると彼は大層愉しそうに笑うのだ。
今まで真琴にわざとちょっかいを出してきた仕返しだと気付いた頃にはもう遅い。
三上の姦計を理解したからといってむかつくものはむかつくし、気に入らないものは気に入らない。
三上は自分が大事にしているものを横取りする。
ただの先輩後輩関係では口出しできる立場になく、一言文句を言いたいのを堪えるばかり。いつもそんな役回りだ。理由もわからないまま我慢し、気持ちを押し殺す。
軽いジャブでも喰らい続けていると大きなダメージになる。
頭の隅が常にちりちり燃えている感覚が嫌で、なのにいい人でいられない。
知らないふり、無関心なふり、無感情なふり。そうしているうちに問題の本質から逸れ、どうして自分は必死に感情を抑え込んでいるのだろうと頭を抱える。
同じ環の上をぐるぐる回る作業はいい加減疲れた。
櫻井先輩はなにも悪くないのに無意味な八つ当たりをしようとしてしまう。そんな自分にも疲れた。
暫く距離をとったほうがいい。
それが最適解。
わかっているのにそうできない。
ソファの背に片腕を垂らしながら長い溜め息を漏らした。
膝の上に乗せたタブレットは同じページのまま止まっている。

「…漫画面白くない?」

隣にいた景吾に問われ、そんなことないよと口角を上げる。

「学が溜め息なんて珍しいからさ。疲れてんの?それとも心配事?」

「大丈夫だよ」

「学の大丈夫は嘘くさいからなあ」

景吾は呆れたように肩を竦めた。
ひどい言われようだが"大丈夫"は口癖のようなもので、とりあえずこう言っておけば詮索されないだろうという本心を目ざとく見透かされている気分だ。

「そうだ、俺のとっておきのおやつを分けてやろう!ありがたく思いたまえよ」

「ありがとうございます」

深々と頭を下げると景吾は苦しゅうないとふんぞり返ってひらりとソファから下りた。

「確かここの棚にー……」

キッチンの戸棚をごそごそかき混ぜながら、探すというより散らかしている。
これはあとで自分が整頓し直さなければいけない。こっそり嘆息を漏らす。

「あれー?半分とっておいた気がするんだけどな……」

「景吾のことだから知らない間に食ったんだろ」

「食べ物のことだからこそちゃんと覚えてんだよ」

「なるほど…」

「わかった!楓だ!昨日来たとき勝手に食ったんだ!」

「こらこら、勝手に決めつけて疑っちゃだめだろ」

「そうだけど楓以外いないもん」

むっつり口を引き結ぶ様子に苦笑が浮かぶ。
こんな調子で二人はよく喧嘩をするらしい。また喧嘩に発展して大事になったら面倒だ。

「月島にお裾分けできたと思えばいいだろ?また改めて買えばいいんだし」

「学はわかってないなー。食べ物の恨みは根深いんだよ。俺は特に」

存じております。
だから景吾のお菓子を一つくらいいいだろなんて気軽に食べないし、食べたいときは必ず了承をとる。
彼は独り占めしたいわけではなく、勝手に食べられる行為が嫌いらしいのだ。
どんなに気に入ったお菓子でも食べていい?と聞けば勿論と頷いてくれる。

「よし、じゃあこれから一緒に買いに行くか。デートだデート」

「コンビニまでがデート?学そんなんじゃ女の子にふられるよー?」

「そう。だから俺モテないんだよ」

「そう言いながら本当はちゃんとしてるって知ってますよ」

腕を組みながらうんうんと頷かれ、そんな覚えまったくないのだが、なにを勘違いしているのだろうと思う。

「晃に聞いたよ。学モテるんだってね。愛が重いタイプの女の子に」

「……はは」

乾いた笑いを浮かべ嫌な記憶を端に寄せた。
特別扱いせず誰にでも平等に接しているつもりなのに優しそうだとか、受け入れてくれそうだとか、勝手なイメージを持たれた挙句困ったアプローチを受けることがたまにある。
五分置きにラインが届いたり、電話に出ないと延々かかってきたり。
着信拒否やブロックをするのも心が痛むが正当防衛と言い聞かせている。
そもそも連絡先を教えた覚えはないのにどこから入手したのだろう。
校内や寮内には乗り込めないのがせめてもの救い。
東城の敷地内から出なければ彼女たちに会う心配もない。
だからそういう場は嫌なのに友人は幹事係としてかり出そうとする。

「行こう学」

「はいはい」

財布と携帯を尻ポケットに突っ込みうきうきと肩を揺らす景吾と並んで歩く。
雨が続いているくせに一瞬晴れた空は真っ赤に燃えていた。
湿気が纏わりつき、然程気温は高くないのに急激に喉が渇く。
何を買おうかなと楽しそうにする景吾は天気の良し悪しなど関係ない、はつらつよした笑顔を浮かべる。
あれだけ食べてよく太らないものだと思うけど、景吾は食べても食べても摂取カロリーが追いつかない程度には動いている。
じっと一か所に留まるのをよしとせず、流れ続ける雲のようだ。
落ち着けと苦言を呈することも多いが、そういう天真爛漫さが気に入っている。

「学さ、副会長になったら授業中のおやつ解禁にしてよ」

「そんな権限あると思うか」

「えー。水分摂取がいいならお菓子もいいじゃん。空腹が気になって勉強なんてできないよ」

「満腹でもしないだろ」

ぷっくり頬を膨らませた景吾の頬を片手で挟んだ。
高身長で一般的な男なのにこういう子どもっぽい表情が似合うのが景吾という感じだ。
くすりと笑うと、彼がぴたりと歩みを止めた。
視線の先を追うと、公園の前で櫻井先輩が誰かと親し気に話していた。
どこかで見たことあるような。少し考え、自分たちが一年の頃生徒会に所属していた先輩だったと思い出す。
確か梶本先輩。いつも氷室先輩の隣には彼がいた。
櫻井先輩に向けてふんわり笑い、先輩もそれに応えるように控えめに笑みを浮かべる。
また自分の知らなかった交友関係を発見した。
友達がいないという割に顔見知り程度の人間は多いらしい。
あんな風に肩の力を抜いた自然体の先輩は珍しい。余程仲が良かったのだろう。
櫻井先輩と知り合ったのは二年になってからで、それ以前の彼のことはなにも知らない。知らなくて当然なのに、把握できないことに苛立つ。
先輩が自分のことを話そうとしないせいだ。聞いてもはぐらかされることのほうが多く、知ってほしと言ったくせにと彼の矛盾を責めたくなる。
いかんいかん。
感情の振れ幅を少なくする癖をつけなければ。
眉間に寄った皺を抓み、かちっと固まった景吾を覗き込む。

「どうした」

「いや、なんでも…」

「顔青いぞ」

「…本当になんでもない」

景吾は俺の大丈夫が嘘くさいと言ったけど、景吾のなんでもないも大概だ。
後ろにも前にも進めず、どうしようと困惑しているとこちらに気付いた梶本先輩がひらっと手を振った。

「景吾ー」

呼ばれた瞬間景吾はいつもの笑みを貼り付け控えめに手を振り返した。

「知り合いだったんだ」

「まあ……」

これはなにかあるぞと思ったが詮索はしないでおいた。言いたくないことを無理に暴く必要はない。
彼らはこちらに近寄り、あと一歩というところで梶本先輩は飛ぶように景吾に抱きついた。
スキンシップ過多なところと軽薄なイメージはぴったり合致する。

「景吾ー。久しぶり。会いたかった」

「はは、先週会ったじゃないですか」

「足りないよ」

随分仲がいいんだなと目を丸くした。
卒業してからも定期的に遊ぶなんて珍しい。
大概新しい環境でできた友人を優先するものだが、彼らの仲はそれとは別に確立されているらしい。
景吾は梶本先輩の背中をぽんぽんと叩きながら苦笑し、櫻井先輩にちらりと視線をやった。
何かを気にした様子でいつも以上にそわそわしている。

「あの、俺コンビニ行こうと思ってて…」

「じゃあ買ってあげるから一緒に行こう」

「でも…」

ちらりと視線を投げられ、俺のことは気にしないでと軽く背中を押してやる。

「もしかして同室者の学君?」

梶本先輩は上から下まで検分して言った。
はあ、と頷くと君が噂の!とにっこり笑う。

「メンヘラに好かれるいい人な学君!」

「景吾ー?」

何を吹聴しているのかと恨めしい視線をやる。

「えへへ」

えへへ、で騙されないぞ。
なんてことを言うんだと思うが全くの嘘でもないから困った。

「じゃあ俺はもう戻るから」

櫻井先輩は白っとした表情で踵を返した。
手を伸ばそうとして寸前で止めた。引き留めてどうするつもりなのか。
彼に関することは行動に理由が伴わないことが多く、こういうときストレスを感じる。
梶本先輩においでと手招きされ、あまり断るのも失礼かなと後をついて歩いた。
景吾はカゴに遠慮なく食料を放り投げ、自分もコーヒーをご馳走してもらった。
先に帰るからと言い添え一人で寮に戻る。
先輩の部屋に行こうかなと考え、次にはどうしてと思う。
どうしてもなにも退屈な時に友人を訪ねるのはなにも特別なことじゃない。
特別じゃないけどもっと気心の知れた友人は他にもいるのに、ふとしたとき頭に浮かぶのは彼だ。
また嵐が通過したような部屋になってるかも、洗濯をサボってるかも、食事を蔑ろにしているかも。
わざわざ構う理由を見つけて安心する。
こんなのおかしいとわかっている。だけど気持ちを真正面から見たくない。
わからないふりをしているうちに答えがあやふやになってくれると信じている。
やっぱり自室に戻ろうと決め、途中だった漫画の続きを読むためタブレットを起動させた。
景吾が戻ってきたのは一時間後。
ひどく落ち込んだ様子で、戻るなりソファの座面に深く腰かけ甘えるように肩に頭を乗せた。

「どうしたの」

「いやー、俺って結構細かいこと気にする嫌な奴だよなと思って」

「細かいこと?景吾が?」

何事においても大雑把でざっくばらん。まあどうにかなるでしょと笑う景吾が?
景吾はぼんやりと宙を見ながらぼそぼそと続けた。

「梶本先輩と櫻井先輩さ……」

そこで言葉を区切り、はっとしたように正気に戻るとなんでもないと無理に笑った。

「そこまで言われると気になるじゃん」

「いや、他人のことぺらぺら話すのよくないから。学は櫻井先輩と仲いいでしょ?なら尚更勝手に言えないし」

「……なるほど、言い難いことがあったんだな。あの二人に」

「え!いや、そうじゃなくて……!」

景吾は無意味に両手を上下に動かしながら瞳を左右に揺らした。
相変わらず嘘や誤魔化しが下手だ。

「さ、櫻井先輩の名誉のために勝手に決めつけないでね?」

「なら言ってよ」

「言えない……」

「じゃあ本人に聞くからいいよ」

「だめだってば!」

景吾は必死に先輩を庇い、そうされると余計に嫌な方向に思考が流れる。
頭の端のほうで警告音が鳴る。
あまり立ち入るな、お前には関係ない、これ以上突っ込んだら色んなものが崩れてしまうと。
今まではそこで引き返してきた。危ない橋は渡らないし、躓くとわかっている場所は避けた。なのにそんなのどうでもいいと投げやりな気持ちになる。

「景吾」

腕を掴んで促すと彼は渋い顔で迷い、俺もはっきりは知らないんだけど、と前置きをした。

「なんていうか、その…」

「つきあってた?」

ぶんぶんと首を左右に振られる。

「じゃあセフレ?」

彼はますます顔を顰め、かもしれないと言った。
掴んでいた手を放し立ち上がると慌てて景吾に止められた。

「どこ行くの?櫻井先輩にひどいこと言ったり責めたりしないよね!?」

「しないよ。先輩がどんな人とつきあってもどんな風に人と接しても関係ないんだし」

「……じゃあなんでそんな怖い顔してるの」

「怖い顔?」

そっと頬に手を添えた。
自分は今どんな顔をしているのだろう。
無理に口角を上げると景吾はますます項垂れた。

「大丈夫。なにも言わないよ」

「……本当?俺のせいで櫻井先輩と友達やめるとかない?」

「あるわけない」

「信じるよ?」

笑顔を保ったまま景吾の頭をくしゃっと撫でた。
部屋を訪ねる理由、顔を見たいと思う理由、そんなものどうでもいい。
今すぐ会わないと気がすまない。
ひどい切迫感で大股で彼の部屋を訪ねた。
ノックをすると風呂から上がった直後なのだろう。首からタオルを下げた先輩が出迎え、何か用事?と相変わらずぼんやりした表情で言った。

「入っていい?」

「いいけど…」

先輩の背後の部屋はいつも通りひどい有様だ。
床に散らばる物をかき分けるように歩き、ソファにこんもり山盛りになっていた衣服を端に寄せた。
並んで座った瞬間、彼の腕を握る。

「…なんだよ」

「梶本先輩」

名前を出すと彼の肩が微かに揺れたのを見逃さなかった。

「仲いいなんて知らなかったです」

「…別に、仲がいいわけじゃ」

「どんな関係だったの?」

真っ直ぐ目を見るとふっと逸らされた。
正直な彼らしくない。少なくとも自分の前では余計な虚勢も嘘もなかったはず。

「…どんな関係でもない」

「嘘つかないでね」

「嘘じゃない」

「寝るのになんの関係もないの?」

かまをかけたが言葉を詰まらせたところを見ると景吾の言葉は当たっていたらしい。

「…男を好きになったのは俺が初めてって言ってたから女の人しか相手にしないのかと思ってました」

「……本当に麻生が初めてだ」

「じゃあ好きでもないのに寝たの?」

責めるような言葉をわざと選んでいる自覚はあるし、どんな立場でこんなことを言っているのかと呆れる。
ただどうしようもなくむしゃくしゃする。
詰ってごめんなさいと言わせたってなんの慰めにもならないし、一時心が晴れても次第に後悔のほうが大きくなる。
自分は彼をどうしたいのだろう。わからない。

「…俺がそういう人間だって知ってるだろ」

「それは仕事でしょ?お金が必要な理由も話してくれたし、不本意だけど他に道がないならしょうがないですよね。でも金銭が発生しなくても誰かを抱くなんて思わなかったよ」

「な、に言ってんだよ。俺が先輩を抱くなんてありえない」

「じゃあ抱かれるほう?」

「いい加減にしろ!」

悲痛な叫び声に鋏で切ったように我に返った。
ぎっちり掴んでいた彼の腕を放し、ごめんと小さく呟く。
両手で顔を覆うように項垂れる彼の背中にそっと触れると身体が強張った。

「…ごめん。傷つけるつもりじゃ…」

「じゃあどんなつもりだよ」

「それは……」

言い淀むと櫻井先輩は鼻先で笑うようにした。

「梶本先輩のために言うけど、先輩とは寝てない。真似事をしたことはあるけど、セックスのためにそうしたわけじゃない。あの人も俺と同じような人間で、お互い寂しいときに呼び出して傍にいた。なんの感情もない。ただ利害が一致した、それだけの関係。これで満足か」

じっとり重苦しい視線を投げられ自分がどれだけ馬鹿なことをしたか気付いた。
髪に指をさしこみ頭を支える。
ごめんね、無神経だったと思うのにむしゃくしゃした気持ちは晴れない。
多方面に我儘を振りかざしているし、先輩にどっぷり甘えてる。
先輩の好意を盾に何を言っても大丈夫、なにをしても受け入れてくれる、そうやって心を握りつぶして。
最低だ。
わかっているのに自制できない自分にうんざりする。

「…ごめんね先輩」

「…なんでわざわざ好きな奴にこんなこと話さなきゃいけないんだよ」

諦めたように片方の口端を上げた笑い方は傷ついた証拠。
優しくいい人と言われ続けてきたのに、彼のことは傷つけてばかりだ。

「本当にごめん」

「……もういいよ」

もういいって何が。自分たちの関係を清算したりしないよね。
意地悪ばかり言うと嫌いにならないでほしい。
どうにかしなきゃと焦り、肩を引き寄せ両腕でしっかり抱き締めた。
腕の中にいる櫻井先輩はだらんと身体から力を抜いたままで抱き締め返してはくれない。
それが余計に怖ろしくて、何度もごめんと謝った。

「……麻生はずっとそうなんだろうな」

「え…?」

「いや、なんでもない。俺こそ悪かった。そりゃあ友達の恋人のことだし気になるよな。でも俺は梶本先輩になんの感情もないし、今日も偶然会っただけで…」

「……友達の、恋人…?誰の話し?」

「梶本先輩と麻生と同室の……名前なんだっけ」

「相良景吾」

「ああ、そうだ。梶本先輩が嬉しそうに景吾、景吾って自慢話するから」

「……そういう関係なの?」

きょとんとすると、櫻井先輩は一瞬ぴたりと動きを止めた。

「……聞かなかったことにしてくれ」

先輩は胸に手を突っ張って身体を離し額に手を添えた。
景吾も先輩も迂闊すぎるだろと思うが、事実を知ったところで興味はないし景吾への接し方も変わらない。

「大丈夫、知らないふりするよ」

「…俺はてっきり梶本先輩を横取りする危険因子として相良の代わりに責めてるのかと…」

「そんなことしないよ。もし櫻井先輩が泥棒猫でもそれは景吾の問題で俺が首突っ込むことじゃないし」

「じゃあなんであんなにキレたんだよ」

「それはー……」

自分でもこの気持ちを上手く言葉にできない。
説明できないものを抱えている気持ち悪さは相当なストレスだ。盲点など作りたくない。すべて把握し、適切にコントロールしたい。
考えだすと負のループに陥るので、そうなる前に思考を切り替えた。
にっこり笑い、それより、と話しの腰を折る。

「そういう人は他にもいたの?」

「そういう人?」

「寂しいときに慰め合う人。三上は違うよね」

首を傾げ、顔を覗き込むと彼はむっと眉を寄せた。

「そんなわけない」

「じゃあ柴田は?」

「なんでだよ。梶本先輩だけ」

それはそれでむかつく。
まるで梶本先輩が特別みたいだ。
きっと特別だったのだろう。誰にも言えない、触れられない、触れさせない傷を互いになら見せられるような。
愛情や恋情がなくとも傷は舐め合える。
余計な感情が間に挟まれないからこそ、心をオープンにできることもある。

「セックスの真似事ってどこまでしたの?」

「言わない」

「気になるな」

「…ほとんどなにもしてない。いつもただ抱き締めるだけ」

「ふうん」

櫻井先輩を抱き締める人はたくさんいる。仕事相手の柔らかく、可憐な女性たち。
それはしょうがないと納得できているし、飽く迄も金という垣根があってのことだ。
対価として先輩の身体に触れるのは当然で、それは彼が生きるために選択したこと。
なのに男の、しかも金銭を抜きにして寂しいと泣けば優しく抱きしめてあげるような人がいたなんて。
燻る火種は小さくなったり、大きくなったり、形を変えるだけで鎮火してくれない。

「今度から寂しいときは俺が抱き締めるから他にそういう人作らないでくださいね」

「麻生はだめ」

「なんでですか」

「特別な感情があるから」

「あるとだめなんですか」

「だめんだよ。こういうのは。お互いなにも感じないか、逆に感じ合ってるか、そうじゃないと面倒なことになる」

「……じゃあそういう人探すんですか?」

「…さあ、どうだろうな」

嫌だ。
どうして。
俺ならいつでもそうしてあげるのにどうして選んでくれないんだ。
喉まで出かかった言葉を呑み込み、寂しいと感じる暇を作らぬようにしようと決めた。
どんなに手を伸ばしてもするりと抜け出し、それじゃあと綺麗に笑うばかりな気がするけれど。
色事に関しては彼のほうが上手だ。
初めて人を好きになった、感情がよくわからないと泣き出しそうになっていたけれど、色を売っているのだし、頭で理解せずとも皮膚感覚でわかっていることは山ほどあるはず。
だからいつも地団駄を踏みたくなる。
無垢で無知なふりをして、こちらを振り回して遊んでいるのではないかと責任転換したくなって。自分が勝手に振り回されてるだけにも関わらず。
ただの友人だから口出しできない、そんな立場にない。
そうやって誤魔化してきたのに、これはもう一般的なそういう関係を越えていると思う。
どんなに言い聞かせたって結局怒りで彼を責めてしまうのに。
頭が痛い。胸が苦しい。喉になにかを突っ込まれたようだ。窒息寸前で息ができない。
脱力するようにソファに深く凭れると、よしよしと言いながら頭を撫でられた。
離れたいのに離れられない。
意地になって進んでも強大な磁力で引き戻される感覚。
何重にも重なった感情が邪魔で、一番大事なものが見えない。
小さく息をつき、彼の頬を包み瞼を親指の腹で撫でるようにした。

「……三上」

「三上?」

「三上のせいだ」

「なにが」

「なにもかも」

先輩は不思議そうに首を傾げた。
あいつが神経をちくちく刺激してくるから些細なことで大爆発しそうになるんだ。
責任の所在を見つけないと落ち着けない。

「……ああ、三上と泉がいちゃいちゃしてるの見たのか?だから機嫌が悪かったんだな。可哀想に」

違う。
真琴は関係ないんだ。
関係ないことにはっとした。
いままで感情が振れるとき、真琴が関係なかったことがない。
いつだって中心には真琴がいて、へこませるのも喜ばせるのも彼だった。
それがいつの間にか真琴から先輩にすり替わっている。
深い眩暈がしそうになり、ずるずると先輩の膝に頭を乗せた。

「よしよし、いつか泉のことを忘れさせてくれる人がきっと現れる。それまでもう少しの辛抱だ」

「……はい」

もう見つかったかもしれません。
心の中で言い、瞼を落とした。
勘違いかもしれないし、恋とは別の庇護欲や独占欲かもしれない。
誰かに好かれている事が嬉しくて、少しでもそっぽを向かれるとこちらに振り向かせたくなる、そういう身勝手な狩猟本能なのかも。
人間、禁じられたり取り上げられたりした途端魅力を感じるようになるらしい。
だからこの気持ちも心理的な錯覚かもしれない。
どんな根拠があれば自信を持って好きといえるのかわからない。
気付いたときには真琴が好きで、どんな瞬間にどんなきっかけで恋をしたのか、もう思い出せない。
わからないことだらけで、こんなんじゃ櫻井先輩をどうしようもない人と笑うこともできないと苦笑が浮かんだ。
初恋の影が大きすぎて今でも自分の足首をがっちり掴んで離さない。
どこにも行けず、行こうとするとその選択は本当に間違いないのか?と嘯いて心を雁字搦めにする。
どうしたら確かめられるのだろう。
ぼんやり瞳をあけ、下から先輩を見上げた。
細く、黒い髪をさらさら指で遊ばせるとくすぐったそうに片目を瞑るのがかわいい。

「……ねえ先輩、キスしていいですか?」

「…はい?」

「キス、してみてもいいですか?」

「…なんで」

「確かめるため」

「なにを」

「それは秘密」

先輩は酷く困った顔をして、それから眉を下げて笑った。

「そういうのは大事にしたほうがいいんじゃないか?」

「男なのに?」

「関係ないよ」

「…どうしてもだめですか?」

「……困った後輩だな」

背中に手を差し込まれ、そのまま起き上がった。
むぎゅっと口を掌で塞がれ、その上から彼の唇が重なった。
一瞬の出来事で、ぽかんとしている間に彼のさっぱりした綺麗な顔が離れていく。

「…確かめられたか?」

「……そんな気がします。今度は手どけてちゃんとしてください」

「調子乗んな」

ぽかっと胸を叩かれ、残念と肩を竦めた。
何事においても無理に答えを出す必要はないと思って生きてきた。
曖昧で、どっちつかず、それもまたいいではないかと。
だけど彼のことはどうしてもはっきりさせたい。中途半端なままでは息の仕方も忘れてしまう。
迷子の心がふわふわ漂い、だけど彼の目を見ていると出口まであと僅かと根拠不明でも強く思えた。



END

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