Scream



コーヒーカップを片手に持ち、ついていたテレビ番組をなんとなく眺めていた。
時計はもうすぐ日付が変わるが、明日は休みなので同室者も時間など気にせず向かいのソファに座りご機嫌な様子で流行の歌を口ずさんでいる。
同室者は開いていた冊子をぱたんと閉じるとおかしそうにそういえば、と話し出した。

「今日の帰り泉に会ったで。今日も三上に逃げられたって泣きそうになっとった」

「ああ、そう」

「一緒に帰るくらいしてやったらええのに」

「疲れる。早く光学迷彩の服とかできねえかな」

「卒業するまでにはできひんやろなあ」

「お前作れよ。お前の頭ならちょちょいとできんだろ」

「できるわけないやろ。俺よりうーんと頭ええ人たちが研究しても難しいんやから」

そうだろうか。こいつと有馬先輩あたりが手を組み数年部屋に篭ればできそうな気がする。その頃には卒業し、気配を消して泉から逃げずとも晴れて自由の身だろうが。
同室者は思い出したようにくすくす笑いながら話し続けた。

「泉はほんまおもろいよな。神谷先輩は色気がすごいけど、どうしたらその色気はでるようになりますかって聞いとったわ」

「何聞いてんだあいつ……」

「神谷先輩もおもしろいって笑っとったけど」

「神谷先輩もずれてるよなあ」

ずれているからこそ、秀吉なんかと関係を続けていられるのだ。
自分が万が一女で秀吉と付き合ったら三日で音を上げる。
とにかく鬱陶しい。四六時中追いかけまわし、監視されているようで気持ちが悪い。そこで気付いた。自分はそういう人間と今まさにつきあっているではないか。
自分も大概ずれていると思い知らされ自棄のようにカップに残っていたコーヒーを飲み干した。

「泉があんなに悩んどるってことは、まだ手出してないんやな」

「まだってなんだよ。一生出さねえよ」

「お前性欲あるん?ほんまは見た目だけ高校生のおじいちゃんとかじゃないよな?」

「ぴちぴちの十七歳ですー」

「全然ぴちぴちしてへんけど?俺の性欲分けよか?」

「もう有り余ってるから大丈夫」

「からっからやん」

皇矢にも潤にも似たようなことを言われるが、こちらは逆にお前らが不思議だよと言ってやりたい。
うさぎは万年発情期なんて言われるが、人間の、特に思春期男子の発情ぶりといったら目に余るものがある。
そんなことばかりしてるとますます馬鹿になるぞと冷めた言葉を発する度、こちらが異質だと言われるけれど。

「触りたくならんの?」

「全然」

おかしいなあと腕組みをしながら悩む同室者を横目に、そもそもそういう対象で好きかどうかもわからないと、もう何度目かの問いを自分にする。
秀吉や皇矢は気持ちの切り替えが上手にできたのだろう。好きだと自覚し、素直になんの迷いもなくその腕に抱いた。
でも自分は違う。好きかもしれない、と曖昧な気持ちを持て余し、自分の気持ちに確信が持てない。
ましてや泉は男で、同じ身体に欲情するなど申し訳ないが想像できない。
それを補うだけの色気や愛情があればまだしも、泉の無垢な態度は色気のいの字もない。

「一回試してみたら?習うより慣れろって言うやろ」

「無理無理」

「そんなん泉可哀想やん」

「馬鹿言うな。試してまったく反応しない方が可哀想だろ」

「……ほんまや!」

秀吉は浅知恵だったと呟きながら、何度も頷いている。

「ちゃーんと泉のこと考えとるんやなあ」

妙に感動している様子が鬱陶しくて無視をした。
泉は自分が同性愛者であることを恥じ、自分は失敗作なのだと泣き叫びたいのを我慢している。ゲイだろうがストレートだろうが、違うのは恋をする対象だけで、それは病気でも異端でもないのだといつか気付いてくれたらいいと思っている。
なのにいざベッドの中でやっぱり無理でしたとなったら、あいつはますます自尊心を損なう。
何度もごめんねと謝り、女だったらよかったと自分を責め、最後は別れを切り出す。
そうじゃないんだ。男とか女とか、そういう括りで関係を築いたわけじゃないんだと説明しても、欲情できなければなんの説得力もない。
今はそうなる未来しか見えないからこそ、泉には触れない。
どんなに大切に想ったとしても、セクシャリティはそうそう簡単に覆るものではなく、愛情と欲情はイコールではないと思っている。
だけど泉には体のいい誤魔化しにしか聞えないだろうし、あいつの心に深い傷を作った挙句、トラウマになって今後の人生で誰とも愛し合えなくなったらさすがの自分も土下座で謝るしかない。
泉は俺の性癖を捻じ曲げてしまったという罪悪感と、一緒にいたい欲求の狭間で揺れ、ときたま落ち込み過ぎては自分を苛め抜く。
面倒な人間だと思うが、それは自分にも言えることで、あちらに寄り道、こちらにふらふらしながら泉との関係をぎりぎりのところで保っている。
今のままではいけないとわかっている。いつまでもこんな関係の平行線上にいたのでは足元が大きくぐらついて取り返しのつかない間違いを犯すのではないかと。それこそ、彼が立ち直れなくなるような傷をつけてしまうかもしれない。
だけどどうしたらいいのかわからない。方法を間違えて関係が捻じれたら自分たちは修復できず粉々に砕けてしまうだろう。
ならば答えを見つけるまではもう暫く今のまま、つかず離れずの距離感が最適解だ。

「三上の考えはわかったけど、泉はどうなんやろな」

「大丈夫だろ。あいつ馬鹿だし。子どもはコウノトリが運んでくると思ってそうじゃん」

「なわけないやろ。泉も男やし、あんまり焦らすと爆発するで」

「それお前だけだろ」

「俺は爆発しないもんねー。神谷先輩がおるから」

じゃあその神谷先輩に振られたら爆発するんですねああそうですか。
同室者の惚気話は慣れたものだが、毎日毎日よくも飽きずに話すものだ。

「一回想像してみ?」

「なにを」

「泉とできるかどうか」

「色気もないあれと?」

「お前ほんまひどいわ……」

「はいはい、クズです」

「あ、そうや。俺ええもん持ってたわ」

秀吉はぱんと両手を合わせてから自室へ消えた。戻った彼は数冊の本をこちらに差し出した。
何の本かも確認せずに受け取り、表紙を見て大きな溜め息とうんざりした視線を彼に向けた。

「お前さあ……」

「待て!香坂先輩たちに貰ったんや!」

派手なピンク色の前で筋骨隆々な男性二人が半裸で際どい部分に手を差し込んだイラストにもう一度溜め息が零れた。

「その下のは少女漫画みたいで綺麗やったよ」

焦ってフォローするがまったくフォローになってないし、むしろばっちり読みましたと言ってるじゃないか。
一冊目の兄貴たちの本はソファの端に置き、二冊目の表紙を見た。
確かにこちらの方が少女漫画のようで抵抗はない。実家に帰省中、暇を持て余したときは妹が集めている少女漫画を読むので慣れたものだ。

「これを、俺にどうしろと……?」

「知らないものって怖いやろ?ある程度知れば抵抗感も薄れるし怖くないと思って」

「知識はある」

「知識と視覚でとらえるのはちゃうやん?」

そんなもんかねえ、と呟きながらぺらぺらとページを捲った。
匂わせる程度なのかと思いきや、思い切り行為のシーンが描かれておりぎょっとする。

「……痛そう」

もうそれしか感想がない。
泉がどちら側をやりたいのか知らないが、自分は絶対、絶対に受け手にはならない。なにがあっても、どんなに大金を積まれても無理だ。
痛そうだし苦しそうだし辛そうだし、こんなの楽しいのだろうか。楽しくないならセックスの意味がない。苦しいのにするなんてとんでもないマゾヒストだ。
トップなら男女どちらが相手でも然程変わらないだろうが、受け手の負担を考えるとやはりプラトニックな関係が一番なのではないかと思う。

「俺はようわからんけど、たぶん辛いんやろな。今度潤に聞いてみたら?」

「有馬先輩じゃどんな薬使ってるかわかったもんじゃねえぞ。普通にやると思うか?あの人が」

「せやな。参考にならんな。まあ、ちらっと読んでみたらええよ。漫画はフィクションやけど、なんとなーく想像はしやすくなるやろ」

「いやなんで俺がそんなことしなきゃいけないの。今のままでいいって言ってんじゃん」

「三上がよくても泉がなあ。この世の終わりみたいな顔で神谷先輩に弟子入り申し込みそうな勢いやったし」

秀吉は苦笑しながらテーブルの上に置いていたカップをシンクへ運び、そろそろ寝ると言った。

「こんなん読まなくてもやる側は女も男もたいして変わんねえだろ」

ぼそりと言うと秀吉はふん、と鼻で笑い、自分の横を通り過ぎる瞬間ぽんと肩に手を置いて耳に顔を近付けた。

「全然ちゃう。天国やぞ」

ほな、おやすみー。と間延びした声に苛つく。
相思相愛なら天国だろう。心と身体は比例しないと自分が一番よくわかっている。
好きでなくともその気になれるし、快感も覚える。だけど恐らく心と身体が合致すればもっと幸福な行為になるのだろう。
だが自分は女で済むなら女の方がいい。面倒がないし避妊さえすれば問題も起こらない。
だからといって浮気をしたいと思うほど性欲もない。
ぺらぺらとページを捲り終え、また振出に戻る。今度はちゃんとセリフを読み、気付いたら一冊丸々普通に読み終わってしまった。読後はなかなか深い、おもしろい漫画だったとすら思う。少女漫画に慣れているせいか、絵が綺麗だからか、嫌悪感もなく普通に読めた。妹の漫画と違うのは行為が生々しく数ページに渡って描かれているくらいで、それ以外はなんてことはない。
本をぽんとローテーブルに放り投げ、一つ欠伸をして寝室へ向かう。
なんのために漫画を読んだのかも忘れ、布団に包まり瞳を閉じた。

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