可惜夜
ソファの背もたれに頭を預けた後輩は、あー、と声を上げながらクーラーの風を受け気持ちよさそうに瞳を閉じた。
シャツの釦を二つあけ、放り投げた手で解いたネクタイを握っている。
彼のだらけた姿は貴重なので、小言は慎みくすりと笑った。
「なに?」
後輩は笑った意味を問うように頭を起こした。
「いや、別に。疲れてんなあと思っただけ」
「疲れてはないけど……。ちょっとこっち来てください」
腕を引っ張られラグからソファに移動すると、彼はこちらの肩に凭れるようにし瞳を閉じた。
「……夏休み、先輩家に帰るの?」
「…まあ、一応。補習だなんだって言い訳してもお盆期間は帰って来なさいって言われたし」
「大丈夫?」
そっと窺うような視線に微苦笑を返した。
こちらの複雑な家庭環境を知った上での気遣いだろうが、そんな心配には及ばない。
数日くらい聞き分けのいい息子でいられる。
どうせ父は不在だろうし、義母は仕事に明け暮れる。
帰って来いとせっつく割には放っておかれるので、義母がなにをしたいのかわからない。
食事はほとんど別々だし、別荘にでも行こうかと誘われても首を横に振るとわかってからは一度もどこかへ行こうと誘われなくなった。
同じ家にいても顔を合わせることはほとんどなく、おはようとおかえりの挨拶をたまに交わす程度。
それで帰る意味ある?といつも疑問だが、義母は必ず長期休みの前に電話を寄越し釘を刺す。
不倫相手が産んだ子の顔なんて見たくないだろうに。
一応、保護者としての最低限の義務を果たそうとしているのだろうか。
鉄面皮の彼女の内側はまったく推し量れない。
「もしかして海外旅行とか行くんですか?お金持ちなんだよね?」
「行かないよ。帰っても一人で過ごすだけ。部屋で退屈だなーってだらだらしてるとお盆が終わる。バイトもできないし踏んだり蹴ったりだ。小さい頃は夏休みが嬉しかったはずなんだけど」
「俺は今でも嬉しいよ。寝坊できるから」
「確かに」
「小さい頃は楽しいことたくさんしてました?」
「どうだろ。母さんと暮らしてた頃は裕福じゃなかったからどこにも行かなかったかな。楽しみといえば小学校のプールくらい?それでもなんか、楽しかった記憶がある」
回顧するようにしながら小さく笑うと、麻生が膝の上にごろんと転がった。
「…例えばどこに行きたかった?」
「……さあ。母さんと出かけるのが楽しかったから、行先はスーパーでも、コンビニでも、公園でも、どこでも嬉しかった気がする」
「そっか…」
麻生は髪を一束すくい、指先で遊ばせるようにしながら微笑んだ。
彼の穏やかな笑みを見るとなぜか自動的に母を思い出す。
似ても似つかないのにどうしてだろう。
麻生といられるのは嬉しい。毎日好きが積もって、見上げても天辺がどこにあるのかわからないくらい気持ちが膨らんだ。だから同時に苦しい。
無邪気に甘える年下の後輩に翻弄され、些細なスキンシップにどぎまぎして情けなくなる。
仕事だと流れるように嘘をつけるし、完璧なエスコートもできるのに。
たかが膝枕くらいで緊張して、麻生が手を伸ばすたびびくついている。
まるで初恋の乙女だなと呆れるが、初恋には変わりないのでしょうがない。男でこれってどうなんだろうと疑問だけど。
「あ、じゃあお祭り一緒に行く?」
「……お祭り?」
「そう。学園の近くの神社であるじゃん」
「そうだったか?」
「そうだよ。小さい頃できなかったこと俺としようよ」
片頬を包まれ、優しく笑う顔に見惚れそうになる。
気持ちにぎゅっとブレーキを踏み愛想笑いを返した。
同情してくれているのだろう。彼はとても優しい人だ。
麻生をよく知る泉は誰にでも優しいわけじゃないと言うけれど、自分が見た限り誰にでも分け隔てなく優しいと思う。
その中に自分も入っているだけで過度な期待はしない。
麻生は泉が好き。
幼い頃からずっと見守り、泉が三上と関係を結んだあとも実らなかった恋をそっと抱えて過ごしている。
行き場のない恋心の苦しみはよくわかる。
投げても投げても受け取ってもらえない辛さ、一人で抱えるには重すぎて、荷を下ろしたいのに下ろせない苦しさ。
回転扉のように恋しいと憎いを繰り返し、どこにも行けず立ち尽くすしかない。
麻生の髪をそっと撫で、いつか彼が心から愛し合える人と出会えたらいいなと思った。
投げたらちゃんと受け取って、同じだけの気持ちをぶつけてくれる人。
できれば麻生と同じくらい優しくて、泉のように無邪気な笑顔が似合って、三上のように強い人。
こんなにいい男なんだ。女性のほうが放っておかないさと楽観的になり、だけど男子校の出会いの少なさを考えると安心もできない。
このままでは泉への気持ちを燻らせ、煮詰まったそれがこびり付いて何処にも行けなくなってしまう。
そうなる前に羽根をつけてくれる人が現れたらいいのに。
瞼を落とし、気持ちよさそうに口角を上げる彼の髪をさらり、さらりと撫で続けた。
「せーんぱーい」
扉を叩く音ではっと目を覚ました。
咄嗟に涎が垂れていないか確認し、ソファから起き上がる。
テレビを見ていたはずなのに、いつの間にか眠っていたようだ。
慌てて鍵のかかっていない扉を開けると麻生がにっこり笑っていた。
「……どうした」
「約束、忘れました?」
「約束?」
「ひどいなあ」
芝居かかった様子で肩を竦められ、なんだっけと記憶を巻き戻しながら焦る。
「あ、ご、ごめん。なんか約束してたっけ」
「お祭り、一緒に行こうって言ったじゃないですか」
「……あー…あれ本気だったのか?」
「当たり前です。ほら、準備してください」
「は、はい」
咄嗟に返事をしながら準備と言われても、と困惑した。
財布と携帯を持ったら準備は済んでしまう。
Tシャツとハーフパンツはさすがにないかと思いクローゼットを開け適当に服を引っ張り出す。
そういえば私服の麻生は貴重だなと思う。
寮内で過ごすためのラフな姿は何度も見たが、外出用の格好は初めてかもしれない。
リビングのソファに座る彼を扉から盗み見た。
どの程度きっちりした服を着ればいいのかわからなかったから。
Tシャツにズボンにキャップ。近所を歩く程度でいいんだなと確認し、麻混じりのシャツに袖を通す。
「お待たせ…」
ぱっと顔を上げた麻生はそういえば私服って新鮮ですねとにっこり笑った。
同じ気持ちなのが嬉しいのと、検分されるような居心地の悪さに俯き、早く行こうとサコッシュをひったくるようにした。
寮を出てからお祭りってどこで?と問うと、神社って言ったじゃないですかと呆れたように言われ、そもそも神社なんてあったかと思う。
「わかりません?階段が長くて、お社まで行くのが大変なとこ」
「さあ。行ったことない」
「人のこと言える立場じゃないけど、先輩って青春を棒に振ってますよね」
「余計なお世話だ」
軽く二の腕を叩き、笑顔を見せる麻生につられて笑う。
恋愛感情を抜きにしても同じ学校の人間とこんな風に出かけられるのが嬉しい。
まともな友人もいないまま、毎日ぼんやり過ごすかバイトに明け暮れるかで、麻生が言う通り学生らしい生活とは程遠い。
「ほら、あそこ光ってるでしょ?」
「……ああ、あそこか」
屋台を照らすライトが反射しているのが見える。
子ども連れの家族や若いカップル、東城の生徒などが光りに吸い寄せられる虫のように一斉にそちらに歩いていく。
通路を挟んで屋台が並び、長い階段の上、境内に続く石畳の脇にも屋台がぽつぽつ出店していた。
「なにから攻めます?」
「……うーん…」
お祭りなんて初めてで、そもそも何があるのかわからない。
漠然としたイメージでカキ氷とか綿飴とか金魚すくいとか、そういったものを思い浮かべるが、残念ながら金魚すくいの看板は見当たらない。
「……なんか、知らない看板がたくさんある」
カラフルに装飾されたバナナとか、タピオカドリンクとか、トルネードポテトとか。
お祭りの的屋も時代と共に変化するんだなあと馬鹿みたいに考えると、こっちと腕を引かれた。
「暑かったからカキ氷にしましょう」
「…じゃあ苺がいい」
「苺好きだね。俺はレモンかなあ…」
悩みながら注文を終え、渡されたカップにこんもり盛った氷をすくって口に含んだ。
「冷たい」
「氷だからね」
おかしそうに笑われ、食べるのは初めてかもしれないと気付く。
こんな味なのか。シロップの押し付けるような甘味が舌の上に残り、だけど全然不快じゃなかった。
「知ってます?カキ氷のシロップって色と香りが違うだけで味は一緒らしいですよ」
「えー…じゃあこれは苺味じゃないし、それもレモン味じゃないってこと?」
「そういうことになりますね」
「なんか騙された気分」
「視覚と嗅覚で味を感じられるんだからお得じゃないですか」
「ポジティブだな」
言いながら麻生に自分が持っていたカップを差し出した。
麻生は赤い氷をすくい、口に含んで苺の味がするんだけどなあと首を捻った。
同じようにカップを差し出されたので少しだけもらうと、やっぱりレモンの味がした。
「麻生、舌出して」
べっと出された舌は微かにレモン色で、やっぱり着色されるのかとくすくす笑う。
「先輩も舌真っ赤」
そっと顎に指をかけられ、外ということも忘れてぽうっと呆けた瞬間、櫻井せんぱーいと元気な声を背中に受け慌てて後ろを振り返った。
少し離れた場所から泉が大きく手を振っており、こちららも振り返す。
泉の後ろには眠たそうに欠伸を繰り返す三上の姿がある。
泉は両腕に抱えた綿飴やたこ焼きを落とさぬよう慎重にこちらに駆け寄った。
「先輩たちも来てたんですね。言ってくれれば一緒に回れたのに」
「デートの邪魔しちゃ悪いと思って」
麻生が揶揄するように言うと、このデートを漕ぎつけるのも苦労したよと泉が項垂れた。
「学、ラムネ買って」
「真琴はおねだりするときばっかり俺に頼る」
「そんなことないって。僕のたこ焼きあげるから。ほらほら」
泉は麻生の腕を引き、ラムネを売ってる屋台へ歩き出した。
二人の背中を微笑ましく眺めると隣に三上が立ち、欠伸を噛み殺しながら暑いっすねと言った。
「…食べるか?」
カキ氷が入ったカップを押し付けるようにすると、三上がカップに顔を寄せながら口を開いたので、スプーンですくって放り込んでやった。
「…うーん、甘い」
「甘いの苦手?」
「まあ、ほどほどに。でもカキ氷は嫌いじゃないですよ」
「じゃあもっと食べろ」
さあさあと飴をポケットに突っ込む親戚のおばちゃん並みに勧めるたび、三上が口を開けるので餌付けするようにせっせとカキ氷を運んだ。
「ん、頭きーんとする」
「俺もなった」
蟀谷を抑えて眉を寄せるのが面白くて、待ってと言うのも無視して口に突っ込んでやる。
「……お祭り行こうって泉に押し切られたのか?」
顔を斜めにして覗き込むようにすると、三上は溜め息を吐きながら頷いた。
渋々だとしても願いを叶えようと努力する。
三上の愛情は捻くれて、非常にわかりにくいが、確かに泉を大事にしているのだと節々に感じる。
「泉こういうの好きそうだもんな」
「先輩は麻生に誘われたんですか」
「…まあ。こういうところ馴染みないから連れ出してくれたんだと思う」
「ふーん?」
含みを持たせた言い方に、なんだよと問うも三上は別にーと答えをはぐらかした。
「頭痛いの治った」
言いながらカキ氷に視線を移すので、しょうがないと短く嘆息を零しながらもう一度口元に差し出す。
「いちゃいちゃ禁止ー!」
割って入るように泉が身体をねじ込んだので、おかしくて笑ってしまった。
「カキ氷食べたいなら僕が買ってあーんしてあげるから!」
「もういらない」
「櫻井先輩ずるいです。僕もしたかった…」
泉ががっくり項垂れたので、ごめんな?と謝りながら頭を撫でた。
「ほら、これあげるから。残り物で悪いけど三上に好きだなけあーんしてやれ」
「わー、ありがとうございます!じゃあ僕もお返しになにか買ってきます」
そんなのいいからと言う前に泉は駆け出し、まるで周りが見えていない子どもだなとくすりと笑う。
非日常の空間にテンションが上がったのだろう。
ラムネを傾ける麻生は人にぶつかりそうになる泉をはらはらした様子で眺め、三上は興味なさそうに境内のほうへ視線をやった。
個々それぞれ、泉に向ける感情は違うけど、確かなことは彼がきちんと愛されているということ。勿論その中に自分も入る。
麻生が泉を好きだからといって、彼を憎く思ったりしない。
為人を知るほど、そりゃ惚れるわ。と納得する部分のほうが大きい。
自分の知らない時間を彼らは過ごしてきた。
たくさんのことを一緒に乗り越え、笑顔を共有し、確かな絆を結んできたのだろう。
今更割って入ろうなんて思わないし、自分は部外者ということも充分に理解している。
一見すると四人で歪な相関図を描いているが、内情は拍子抜けするほどあっさりしたもんだ。
そりゃあ最初は男の泉を好きになったならもしかしたら自分も、と期待しなかったわけでもないが、男だとか、女だとか、そういうものをすっ飛ばして泉真琴に心奪われたのだと理解してからは対抗する気もなくなった。
人混みをかき分けるように戻ってきた泉を視線で追うと、アイスの上に鈴カステラが乗ったカップをこちらに差し出した。
「はい。先輩にあげます」
「…ありがとう」
泉は満足げに頷き、焼きそばだ、ポテトだ、クレープだと次々買い込みながらひらひら的屋を渡り歩いた。
「境内のほう行きましょう」
上を指さされ、全員で顔を顰める。
「階段登るのだるい」
「食べた分カロリー消費しないとね」
「カロリー摂取してんのお前だけだろ」
「三上もたまには運動しないと早い段階で寝たきりになるよ」
泉は三上の背中を無理矢理押しながら階段を登らせ、自分たちも渋々あとに続いた。
途中で何度も休憩しながら登り切った先は人もまばらだった。
足が限界で、階段に腰かけると麻生にラムネを手渡されたのでありがたく頂戴した。横一列になるように座り、震える脚を摩る。
泉はさっそく買い込んだ食糧を膝の上に置き、三上にあーんと差し出してはいらないと首を振られ、なんでだよと頬を膨らませている。
微笑ましいやりとりにこっそり笑い気付いたが、麻生にとってこの状況はあまりよろしくないのでは。
片想いの相手と恋敵。
仲睦まじい姿を見るのは傷に塩を塗り込むようなものだ。
どうしてもっと早く気付いてやれなかったのだろう。細かな気配りができないからだめなんだ。
申し訳なさに眉を寄せながら隣をちらりと眺めると、クレープを見下ろしながら口を引き結ぶ顔があった。
「これすごい甘い。びっくりするくらい甘い」
ずいと差し出され、あれ、と首を捻る。
もっと落胆したり、そうと気取られぬよう無理に笑ったり、どこか力を入れていると思ったのにいたっていつも通りだ。
「ちょっと食べてみてください」
「あ、ああ……」
生クリームを避けるように齧る。それでも生地の甘さが口内に広がり、自然と顔を顰めてしまった。
「ね、甘いでしょ?」
「砂糖の分量間違ったんじゃないか」
「これが普通なのかも。普段クレープなんて食べないから」
穏やかな瞳が弧を描く。
今彼の目に映っているのは自分だろうか、泉だろうか。
対抗心なんて持つだけ無駄と切り捨てたはずなのに、ふとしたときにぶり返してしまう。
諦めきれてない心をまざまざと見せつけられ、自嘲気味に笑った。
「……お祭り、楽しかったですか?」
「…そうだな。普段食べられない物食べたり、賑やかな雰囲気とか、楽しそうな泉とか見れたし」
「よかった」
ほっとしたような笑顔を見せた横顔に胸がきりきり痛んだ。
自分のことを案じたり、気にかけてくれたり、そういう人はもういないと思っていた。
友人もおらず、血の繋がった肉親は息子に興味のない父だけ。
人が溢れるほど自分は孤独なのだと思い知らされ、世界と自分が切り離された感覚だった。
そちらに行きたくとも誰も手招いてくれないので、いつも輪の外側から眺めるばかり。
なのにいつの間にか麻生が腕を掴んでくれた。
無理に引っ張るのではなく、気が向いたらこっちに来てよと軽い調子で扉を開けてくれる。
恋だ愛だを差し引いても麻生と出会えてよかった。
たった数ヵ月のつきあいだとしても、自分が死ぬ間際まで彼を忘れない。
「……麻生」
「はい」
「ありがとう」
「…うん。もっと色んなところ行きましょう」
「…そうだな」
小さく笑うと目元を親指の腹ですりっと撫でられた。
思わず顔をそちらに向けたが、隣からぎゃーぎゃー騒がしい声が聞こえそれどころじゃなくなった。
「それ僕が残してたやつ!」
「食わないからいないのかと思って」
「大事にとっておいたのに…」
「早い者勝ち」
「三上の馬鹿…」
「あ?」
「なんでもありません……」
しょんぼり頭を垂らす泉の頭に手を置き、あとで買ってやるからと言うと途端に笑顔になった。
血の繋がらない弟のような感覚。
しっかりしているはずなのにどこか抜けていて、なんだか放っておけない。不思議な魅力が彼にはある。
「櫻井先輩は本当に優しいなあー」
泉がちら、ちらっと三上に視線をやるが、本人は完全無視で再び大きな欠伸をした。
もっと構ってよと泉が腕に纏わりつき、三上はうんざりした様子で溜め息を吐く。そんな二人を眺めているだけで楽しい。
できれがもう少し、わかりやすい形で泉に好意を示したらいいのでは?と余計なお世話ながら思うけど、器用に振る舞えないのが三上ということもわかっている。
「三上、ああ見えて結構妬くんです」
麻生が耳元で囁き、信じられないと目を丸くするとくすりと悪戯っこのように笑った。
「だからついちょっかい出しちゃって。まあ、真琴は全然気づいてませんけど」
「…あんまり引っ掻き回すなよ?」
「愉しいからつい。でも今日は三上にやり返されたのでこれからはほどほどにしておきます」
「…ふうん?」
やはりこの状況が辛いということなのだろうか。
泉と三上は特にスキンシップ過多ではないけれど。
恋人、友人、顔見知り、人は色んな形で縁を繋ぐが、三上と麻生の関係はそれのどれにも当てはまらない。強いて言うなら好敵手。
そういう繋がりもあるんだなあと考え、だけど揶揄される三上には同情した。
そろそろ帰ろうかと口を開いたのは麻生で、愚図る泉を促すように階段を下りる。
寮に戻ると腕や足、露出していた部分が虫に刺されたようでひどく痒かった。
我慢できずに乱暴にかくとダメだよと手をとられ、薬あげるから部屋においでと誘われた。
途中で泉たちと別れ麻生の部屋にお邪魔する。
同室者は不在らしく、少し残念に思う。あの子も秘かに気に入っているのだけど。
ソファに座り、ぽけっとすると腕をとられて薬を塗られ、ぴりっとした痛みに声にならない悲鳴が漏れる。
「いっ――」
「だからかいたらダメなんですよ?」
「……だって、かゆいから」
「子どもみたいなこと言って」
「子どもですし」
「俺より年上じゃないですか」
「そうだっけ?」
「もー」
赤く腫れた部分すべてに薬を塗り終わり、そっと立ち上がるともう帰るの?と腕をとられた。
「汗かいたから風呂入りたいし」
「ここで入ったらいい」
「着替えないし」
「俺の貸しますよ」
「でも…」
言い訳をかき集め、俯きながら視線を泳がせた。
嬉しいけれど、これ以上は苦しいのほうが勝ってしまう。
「ね、もう少しだけ」
おねだりのときばかりかわいい顔して卑怯だ。
抗えないと知った上なら性質が悪い。
わかったよと頷いてしまう自分が愚かなのだけど。
それからも、そろそろ帰ると言うたびにもう少しとねだられ、頷き、繰り返しているうちに瞼が重くなった。
先に風呂を借り、じゃあ俺もと麻生が風呂に消えた瞬間睡魔が限界までにじり寄る。
ソファに伸び、戻った彼にさらりと髪を撫でられ瞳をあけようと頑張ったが無理だった。
「…寝ちゃいました?」
寝てない。かろうじて起きてる。
言葉にしたいのに意識が定まらない。
頑張らなきゃ。自分の部屋に戻らなきゃ。
抗えない睡魔と戦うと、ふわりと身体が宙に浮いた感覚があった。
「……麻生」
「いいよ。そのまま眠って」
甘えるわけにはいかない。踏ん張りたいのに身体はいうことをきかず、麻生のベッドにそっと下ろされた時には意識を手放し、充実感を覚えながら深い眠りに落ちていった。
END
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