3




「電話じゃだめだったのかよ」

「だめ」

対峙した兄弟の間に流れる空気は一触即発。
香坂はずびっと鼻を啜るこちらを見て目を丸くした。

「え、泣いてんの?」

「泣いてない!」

どこからどう見ても泣き腫らしたあとなのだけど、反射的に虚勢を張るのはもう癖だ。

「京、お前なんで合コン行った」

「はあ?なんだよ急に。人数足りないって頼まれたから」

「薫がいるのに?」

「……はい?」

質問の意味がまったくわからんと顔に書いてある。
これ以上聞いたら折れる寸前だった心がぼっきりいってしまう。
地に投げ出され、そのまま微風に乗ってどこかへ飛ばされ、二度と戻ってこれない。そんな予感がする。

「こいつがいるからなんだってんだよ」

香坂が言った瞬間、楓ちゃんが立ち上がった。

「どういう意味だそれ!薫の気持ちを知った上で言ってんなら殴るぞ」

「気持ちってなんだよ。意味わかんねえ」

香坂さんがそっと楓ちゃんを座らせ左右に首を振った。

「つきあってんだろ?」

「誰と、誰が」

「お前と、薫」

一秒、二秒――空気がしんと停止したまま沈黙が流れる。
香坂はぽかんと口を開け、ぎこちなく首を傾げた。

「……ちょっと待て。なにがどうなってんだよ。俺は誰ともつきあってねえぞ」

楓ちゃんは混乱し、香坂さんはやっぱりというように肩を竦め、自分は現実を受け入れられずぼんやり香坂を見上げた。
誰ともつきあってない。
それは勿論、僕ともつきあってないということで。
ことりとカップをテーブルに置き、頭の中のフローチャートを辿る。
最終的な答えは僕の一方的な勘違い。
自覚した瞬間顔から火が出るほど羞恥でいっぱいになった。
まるで公開処刑。
処刑のほうがまだまし。誰に蔑まれても、冷えた目で見られても、プライドが折れても死ねばそこで終わり。でも僕は生きている。
明日から春休みなのがせめてもの救いだが、これが原因で関係がぎくしゃくし、クラスも部屋も分かれろくに口もきけないまま卒業してさようなら。
想像し、なんてことをしてしまったのかと頭を抱えたくなる。
こんな最悪な形で恋情を知られるなんて、もう目も合わせらえない。
しかも勘違いして浮かれまくって彼の迷惑も考えず恥ずかしいことをたくさん言った気がする。
今すぐ土に埋まりたい。
誰の目にも留まらない場所でひっそり静かに自分を責めて暮らしたい。

「……実家に帰る」

ぽつりと言うと待てと楓ちゃんに腕を握られた。

「はっきりさせたほうがいい」

「はっきりしたもん。僕の勘違いだった」

「どっかで誤解があったんだろ?ちゃんと話せば――」

「もういい!これ以上恥かきたくない!」

楓ちゃんの腕を振り払い部屋を飛び出した。
勝手に頼り、勝手に大騒ぎして、勝手に逃げる。
なんて自分勝手なのだろうと思うが、今はどうしても一人になりたかった。
可哀そうで惨めな子と憐憫の瞳を向けられたら立ち直れない。
自室に戻り、旅行鞄に衣服を突っ込んだ。
本当は明日か明後日に帰る予定だったので、急な変更に母は呆れ、父はおかえりと微笑んでくれるだろう。
楓ちゃんはぎりぎりまで香坂さんといるだろうし、楓は遊ぶのに忙しいんだからと文句を言う母を宥めなければ。
どうでもいいことで頭をいっぱいにし、次々に必要なものを詰め込んでいく。
当面の洋服、課題、それから携帯の充電器など身の回りの物。
勢い任せで鞄のチャックを閉め、まだ制服だったことに気付く。
もういい。このまま帰ろう。
鞄の柄をぎゅうっと握り立ち上がった瞬間、香坂が息を荒くし部屋に入ってきた。
一歩遅かった。
慌てて俯き、彼の横を通り過ぎようとするときつく腕を握られた。

「待て。このままいなくなるのか」

「……君には悪いことしたと思ってる。僕のことはいいから合コン戻りなよ」

「そんなのどうでもいいんだよ」

「よくないでしょ」

力なく笑うとちゃんと話そうと顔を覗き込まれた。
もう目も合わせられなくて更に頭を垂れる。
掴んだ腕に力を込められ、慌てて振り払おうとしたが力で彼に敵うわけがない。

「嫌だ!帰る!」

「話してからだ」

「話すことなんてない!君が言う通り僕が馬鹿だっただけ!」

「落ち着け!」

両肩を掴まれどうして、と思う。
なんで放っておいてくれないんだ。これ以上僕を惨めにさせないでくれ。
一人で勘違いをし、一人で浮かれ、一人で空回って、滑稽すぎて笑えない。
それとも香坂からすると腹を抱えて笑う場面なのだろうか。
大嫌いな僕が実は傾倒していた挙句、接触を強請るようなことを言って、気持ち悪く甘えたりして。
もう嫌だ。
力なくぺたりと座り込む。

「…好きなだけ謝るし、罵倒していいよ。気が済んだら僕は帰るから」

「そんなことしない。話したいだけだ」

「話すことなんてないじゃん。気持ち悪く甘えてごめん。途中で言ってくれればよかったのに、君がなにも言わないから僕ずっと勘違いして……」

いや、違う。香坂のせいじゃない。
彼は不安定な僕を気遣い手を差し伸べてくれただけ。友人として。
認識が違うだけでピースがばらばらに崩れていく。

「俺がなにか勘違いさせること言ったなら謝る」

「そうじゃない。僕がはっきり言わなかったから……。水族館に行った日、君に告白して綺麗さっぱり忘れようと思った。でも告白なんてしたことなかったから上手くできなくて、そしたら君が僕の気持ちはわかってる、そうしたいならいいよって言ったから伝わったんだ、同じ気持ちなんだと思って…」

言うと、香坂は逡巡するようにし、長い溜め息を吐いた。

「……俺が悪かった」

「だから、君は悪くない」

「いや、俺が悪い。お前の気持ちを勝手に想像して勝手に言葉を遮った」

謝罪されたところで丸く収まるわけもなし、惨めな気持ちはまったく晴れない。
ごめんね、いいよ。そんな風に終わらせられる喧嘩ならどんなによかったか。
どうしたって香坂の気持ちは得られないし、僕の気持ちは知られてしまったし、それで友人を続けましょうなんて土台無理な話しだ。
こんな風に初恋が終わるなんて思いもしなかった。
ただ振られたほうがましだ。
一時見てしまった夢が幸福だった分馬鹿みたいな自分を赦せそうにない。
やっぱり僕は恋とか愛とか、きらきらした美しいものに向いてない。

「……じゃあ、僕帰るから」

「待て。このまま帰せない」

「もういいじゃん。少しの齟齬が大きな誤解を生んだだけで誰も悪くない。お互い様ってことで忘れよう」

「それで俺とはもう二度と口ききませんって?」

見透かされ、言葉を呑み込んだ。

「…君だって嫌でしょ。ひっそり同室者からそういう目で見られて気持ち悪いじゃん」

「そんなことない」

「あるよ!君に散々きついこと言って、喧嘩して、それでも実は好きでしたなんて今時少女漫画でも流行らないくらいお粗末だよ!」

「そんな風に言うなよ」

「じゃあどんな風にしたらいいの!君を責めればいい?僕を馬鹿にして、最低だって言えば気が済む?そんなこと思ってないし、馬鹿なのは僕一人だし」

言葉にするたび神経が尖り、涙がじんわり浮かんだ。
ここで泣いたら香坂はますます僕を放っておけなくなる。彼を悪役に仕立てるつもりもない。
泣くもんかと唇を噛み締め、眉間に皺を寄せる。
きつく握っていた手を上から包むようにされ、びくりと肩が跳ねた。

「俺だけが悪いんだ。どうしたら償える?」

懇願するような弱々しい声色に香坂を真正面から見た。

「……じゃあ、もう二度と話しかけないで」

「それはやだ」

「なんで。それが一番お互いのためじゃん」

「嫌だ」

「だからなんで!」

「お前の気持ちが嬉しいから。俺を忘れてほしくない」

「はあ!?」

馬鹿かよ。
出かかった言葉を呑み込む代わりに思い切り睥睨した。

「気に入らない奴が屈した優越感?それともちやほやされたい承認欲求?」

「そんなんじゃない」

香坂は苛立った様子で髪をかきまわした。
なんで僕が怒られなきゃいけないんだ。
どう考えたっておかしいのは香坂だ。
鋏で切ったように他人になりましょう。それが一番互いを傷つけずにすむ。
元々大して仲がよかったわけじゃない。僕一人が視界から消えたって香坂が失うものなどないはずだ。

「……自分でも上手く説明できない。でもお前の気持ちを知って離れるなんて絶対嫌だ。俺お前のこと好きなのかな?」

ぽかんと口を開け間抜けな顔を晒した。わけがわからない。

「……普通本人に聞く?」

「悪い。頭がごちゃごちゃしてて……」

途方に暮れたような表情にふっと笑みが浮かんだ。
香坂はたくさん恋をして、酸いも甘いも知っている。そう思っていたけど、何度経験しても翻弄されるのが恋というものらしい。
香坂の気持ちは推し量れない。
なにを考え、どういう回路で僕を手放したくないと思っているのか。
楓ちゃんへの恋心を容姿が似た自分に重ねているだけかもしれないし、今まで散々甘やかして保護者のような感覚が芽生えたのかもしれない。
香坂も自分が好きなんて夢は二度と見ない。期待するたび急ブレーキをきちんと踏む。
わかった上で口を開いた。

「……君償いたいって言ったよね」

「うん」

「じゃあ一ヵ月。一ヵ月だけ僕の恋人になって」

「……そのあとは?」

「さあ?お友達に戻るとか?」

香坂は目を左右に揺らし、わかったと頷いた。

「……お前が望むなら」

「ちゃんと彼氏として僕をいい気分にさせてよ?」

「わかってるよ」

後頭部を包むように髪を撫でられじくりと痛む胸は見ないふりをした。
期待なんてしない。可能性なんて信じない。わかってる。でも提案した一ヵ月できっと香坂は変わる。
彼は情に厚く絆されやすい。押し掛け女房が居着いてそのまま結婚とか、そういうパターンに陥るタイプ。
恋愛感情でなくていい。どんな形の情でもいい。僕の気持ちを知れば知るほど彼は一ヵ月後の別れを渋るだろう。
香坂がまったくの無感情ならこんな提案はしなかった。
どんな理由であれ香坂に少しでも好意があるなら、今引いたら後悔する。
我ながら狡猾だと呆れるが、恋は戦争とよく言うだろう。
始まりがどんなに歪でも、真っ向勝負でなくとも、反則技を多用しても勝ったほうが正義なのだ。ヒール上等。
なんだか妙にすとんと納得した。
僕はきらきら美しい感情に向いてないと思っていた。
恋は優しく、ふんわり、春の日差しのようなもので、そういったもの以外はぶつけるべきじゃなくて、それができない自分は最低の人間だと。
だけど反則してでも勝てばいいと思うと遠かった恋が急に身近に感じた。
頭でするものではないとわかっているし、すべてが計算通りにならないだろうが、香坂を繋ぎ止めるためなら常に頭をフル回転させ持てるものすべてを使ってやる。
だって無理なんだ。
一度知った旨味は簡単に手放せない。
なんでもするから傍にいてと縋りたくなる。
もたもたしている間に香坂に彼女ができましたなんて今以上に笑えない。
誰にも渡したくない。僕だけの彼でいてほしい。
もしかしたら他に香坂に想いを寄せる女性がいるかもしれない。
よーい、どんで一斉にスタートなんてしない。抜け駆けするし、悔しそうにする奴らを見下ろしオホホ、一足お先にと高笑いしてやる。

「で、やっぱり帰んの?」

片手でそうっと頬を包まれ首をやんわり振った。

「君の彼氏力を試したいから帰らない」

「ハードル高いな」

「せいぜいがっかりしたって言われないようにがんばりなよ」

「はいはい、薫様」

「それいいね。これからは薫様って呼んでもいいよ?」

「お前が名前で呼んでくれるなら」

ふんぞり返った気持ちがしおしお萎んでいく。
早くも香坂に手綱を握られている。

「……京、くん」

「なんでくん付けなんだよ」

くっくと笑われ赤くなる目元をごしごし擦った。

「かわいいな」

さらりと髪を耳にかけながら言われ、今度は耳までじんじん痛む。

「本当にかわいい」

そのままやんわり抱き締められ、恐る恐る背中に手を回した。
姦計も、下卑た思惑もすべてすっ飛ばし、理屈抜きにやっぱり彼がほしいと思う。
見てないようで見てくれる。
そっとほしいものを渡してくれる。
どんなに喚いて泣き叫んでも面倒だと切り捨てず最後まで一緒にいてくれる。
その優しさや笑顔が他の人に向けられるなんて耐えられない。
お願いだから僕を好きになって。
何重にも猫を被って、被って、被り続けてみせるから。
言葉にできない痛みと切なさの代わりに彼のシャツをぎゅうっと掴んだ。

「…なあ、告白のやり直ししてくれよ」

腕を解かれながら言われ、そんなの必要ないと言おうとして口を噤んだ。
はっきり言わないと伝わらないし、好きだと囁き続ければ香坂に情が移るかもしれない。

「…き、君が好き」

ぼそぼそと、やっぱり格好のつかない告白をするとそっと手を握られた。

「うん、それで?」

「……僕の恋人になってほしい」

「喜んで」

握られた手の甲にそっと口付けられ、ぴしっと身体が固まった。
あまりにも無反応だったせいか、香坂がおーい、と手を眼前でひらひら振る。

「…お前本当に慣れてないんだな」

「う、うるさい!今はそういう男も少なくない!」

「まあ、そうだけど……。じゃあゆっくりいきますか」

たった一ヵ月しかないのにもたもたしていたら進展せずに終わってしまう。
焦りから彼のセーターをぎゅうっと掴んだ。

「ゆっくりなんてしなくていい!」

眉を寄せながら言うと、彼はくすりと笑い、大丈夫だからと宥めるようにした。
全然大丈夫じゃない。もどかしくて押し倒したくなるが、力勝負では勝算がない上に経験不足があだとなる。

「これからデートでも行く?」

「行かない。部屋でゆっくりする。君と離れたくない」

「甘えただもんな」

「そうだよ。末っ子の特徴を凝縮したみたいな面倒な男だよ僕は。嫌でも一ヵ月はつきあってもらうからね」

「嫌じゃない。おいで」

香坂の膝の間に身体を滑り込むようにし、後ろからやんわり抱き締められた。
一ヵ月しかないのに、どんなことをすれば彼の情を引き出せるのか皆目見当もつかない。
少女漫画でも読んで勉強しようかな。
教材がないと真っ白な知識では彼に太刀打ちできない。
今自分ができることといえば――。

「香坂」

「なんでしょう」

「憎たらしいことばっか言ってたけど、本当に君が好きなんだ」

「…うん」

「信じてる?」

「信じてるよ」

「じゃあ今日も一緒に寝てくれる?」

「今日も明日もずっと一緒に寝てやるから」

「……うん」

そのずっとは一ヵ月?それともこれから一生?
一ヵ月が過ぎて、罪滅ぼしは済んだよなと彼に言われたら今以上に苦しくなるとわかっている。浅慮で馬鹿な真似をしたと更に自分を傷つけるだろう。
勝負は一か八か。
リスクは背負うし、覚悟も持つ。
代償のない幸福なんて嘘臭くて性に合わない。
じりじり迫る時間を気にして首を絞められ呼吸ができなくなっても、それでも香坂がこうして手を差し伸べてくれるなら掛け値なしの愛情を注げると思った。



END

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