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残り少ない同室期間を最大限に楽しむため、部屋では香坂の傍を離れなかった。
彼は何度も怪訝な顔をし、一体どうしたんだと聞いてきたが、これが普通と疑わないので質問の意味がわからなかった。
だって恋人だし。一緒にいるものだし。くっついていたいし。
稚拙でたどたどしい感情は上手に言葉にできず、別に、と顔をつんと反らす。
香坂は短く溜め息を吐き、それでも好きにさせてくれるので遠慮なくぴたりと寄り添った。
眠るときも枕持参で入れてと言う。
最初は渋った香坂も、一週間もすれば慣れたもので最初からスペースを空けてくれるようになった。
狭いベッドで成長期の男子が二人。
身体をぎゅうぎゅうに押し込んで、それでも気を抜くと身体の一部がベッドから落ちそうになる。
慌てて香坂にしがみ付くようにすると背中に腕を回され引き寄せられる。
香坂はつきあった日から今まで性的な匂わせや雰囲気を出さない。
案外慎重派らしい。でもキスくらいしてもいいのでは。
海外では挨拶の一種だし、そんなことで恥じらうような乙女ではない。なにより僕がしたい。

「…香坂」

「んー」

微睡み初めている香坂を見上げた。

「キスしないの?」

問うと、とろんと重たかった瞼がぱちっとあいた。次に新種の生物を発見したような目を向けられる。

「なんで?」

「なんでと言われても…普通するのかなと思って」

「どこの世界の普通だよ。お前頭いいのにたまに馬鹿だよな」

「君は常に馬鹿だけど」

「うるさい。さっさと寝ろ。眠すぎておかしくなってんだろ」

「なってないよ」

「はいはい。ねんね、ねんね」

ぽんぽん背中を叩かれ憮然と口を尖らせた。
子ども扱いして。もっと恋人らしく扱ってほしい。
色気もへったくれもないのに無理なはなしだよなと納得し、好きな人ならそういうの関係なく触れたくなるはずなのに、そうならないということはやはり香坂は……。
ぽつりと垂れた染みはじんわり周りを侵食し、不安ばかりをかき集めようとする。
小さな風に簡単に揺らぎ、ぼっきり心が折れてしまいそう。
底なし沼に落ちそうになる前に無理に口角を上げた。
僕は香坂を信じてる。半端な男じゃないし、一度決めたことを簡単に投げ出すような奴ではない。
彼には彼の段取りがあって、もしかしたらなにもかも初めてな自分を気遣っているのかも。
生まれたての赤ちゃんにすぐ歩けなんて言わない。温かい毛布とミルクを与えて成長するのを見守る。きっと香坂も見守っている最中なのだ。
情緒不安定で悲しいとか、寂しいとか、新しい同室者と上手くやっていける気がしないと喚くばかりなので、更なるストレスをかけぬようそうっと包んでくれている。
きっとそうだ。
ありがたいと思う反面、そんな気遣いいらないんだけどと不満も生まれる。



「帰りどっか行く?」

修了式のあと、鞄に荷物を突っ込んでいると白石に顔を覗き込まれた。
行かないと素っ気なく答える。
白石に香坂をとられると知った日から八つ当たりは続いている。なのに白石は気にした素振りもなく相変わらず人当たりのいい笑顔を浮かべてばかりだ。

「部活暇なの今だけなのにー。月島結局一回も遊んでくれなかったじゃん」

「部活のない日も自主練しないとレギュラーなれないぞ」

「痛いとこつくなよ…マジでレギュラー争い過酷なんだから」

バスケのことはよくわからないが、あれだけの部員数でコートに上がれるのは五人だけで、レギュラーになっても安心はできない。
接触が多いスポーツのため怪我も珍しくなく、ベンチ入りした補欠に虎視眈々と狙われ、少しでも隙を見せれば喰われてしまう。
スポーツの世界はきらきら、爽やかなだけだと思っていたが、実際は目に見える競争社会で肉体は勿論精神も強くないとやっていけない。
改めてスポーツから縁遠い世界に生きててよかったと思う。
勉強は自分との闘いだし、足を引っ張ろうとする奴もいない。
やればやっただけわかりやすい結果で返ってくる達成感が好きだ。

「月島とクラスわかれるんだろうなー」

「だろうね」

「もう課題見せてって言えないじゃん」

「どうせ他の誰かに頼むんだろ」

「そうだけど、月島の字綺麗だし、見やすいし、楽だったのに」

白石はぐすん、と鼻を啜り机に身体を突っ伏した。

「折角部活休みなんだから部屋の片付けしなよ。部屋移動一日で終わらないよ」

「大丈夫大丈夫。とりあえず荷物移動させればいいだけだし、そんなに物多くないし」

移動の日は学年ごとに決まっていて、段階的に三年が部屋をあけ業者が清掃に入り、翌日二年が移動、清掃、そして最後に一年が移動する。
引っ越し業者と清掃業者と移動する生徒でそりゃあもう大変な騒ぎらしい。
自分は初めての経験だが、白石は中学から何度もやってきたので慣れたものだろう。
三月の四週目から四月頭まで春休みだが、片付けや移動を考えると実質ゆっくりできるのは十日もない。
香坂がどうするのかわからないが、自分は二、三日実家に戻り、部屋移動ぎりぎりまでまたあの小さな部屋で彼と過ごしたい。
ぽけっとすると白石にひらひら手を振られた。

「聞いてる?」

「あ、聞いてなかった」

「春休み中にクラスのお別れ会やるんだって。月島も来る?」

「お別れ会って。大袈裟な」

「名目はなんだっていいんだよ。ただ騒ぎたいだけ。で、どうする?」

「行かないよ」

「そう言うと思った」

白石は短く溜め息を吐き、つまんねえなーと尖らせた口をぴよぴよ動かした。
僕がいなくとも、友人が多いのだからつまらなくはないだろう。
恐らく仲間外れにしているような感覚が嫌なのだと思う。
楽しいことはみんなで共有したい、輪の中に入ってほしい。そうやってお節介する奴だ。
それをありがたいと思う人間もいれば、僕のようにありがた迷惑と感じる人間もいる。
それでも、外部入学の自分がなんとか一年暮らしてこれたのは白石の存在が大きい。
流石に二年になれば外部入学の奴だぞなんてひそひそされることもなくなるだろうし、進学クラスの連中がどんな奴かは知らないが馬鹿馬鹿しいいじめもないだろう。
だから白石がいなくともきっと上手くやれる。

「クラスも部屋も別れるからって急に友達やめんなよ」

軽く二の腕を拳で叩かれ、僕がそんな人間に見えるか?と聞くと、見えるとばっさり返された。

「これでも白石には感謝してる。だから課題も見せてきた。ギブアンドテイクってことで」

「別に恩に着てほしいから友達になったわけじゃないよ」

「わかってるよ。わかってるけど、与えらえたら返したいと思うのが普通だろ」

「えー…なにも与えてないんですけど…」

無意識で人に優しくできるから白石は大したものだ。
他人であっても困った人を見捨てられない。超がつくお人好し。そんなイメージ。実際のところは知らないけど。

「俺次は誰と同室かなー」

「香坂だよ」

憮然と答えた。畜生め。まだ悔しい。

「あ、マジ?なんで知ってんの?」

「香坂兄に聞いた」

「そっかー。仲良くなれるかな」

「なれるんじゃないの。僕と仲良くなれるなら大抵の人間と仲良くできるよ」

「捻くれ者め」

「うるさいな」

教室からぱらぱら人が去っていくのを眺め、そろそろ自分も帰ろうと立ち上がった瞬間、白石が声を張りながら廊下に向かって手を振った。

「香坂!」

ぎょっとしながらそちらを見ると、香坂と、それからたまに声を掛けてくれる彼の友人が並んで歩いていた。
香坂は虚を突かれた顔をしながら小さく手を挙げ応え、手招きする白石に従い教室に入ってきた。

「俺、次お前と同室だって。よろしくな」

こそこそと耳元で白石が言うと、香坂は興味なさそうにふうんと呟き、こちらに視線を寄越した。

「月島じゃなくて俺と同室か。てっきり月島とお前が一緒になると思ってた」

「なんで?」

「楓さんがそうするかと思って」

「ああ、弟かわいさに?」

「そう」

「楓さんそこまで優しくないってー。谷底に子どもを落として這い上がれって言うタイプ」

白石が言うと、香坂は顔をくしゃりとして笑った。

「確かに」

この二人はきっと上手に同室関係が結べる。
短時間で打ち解けた様子の二人を見てぎりぎり奥歯をすり合わせた。
ハンカチがあったらきー、と引っ張っているところだ。
いいな、いいな。香坂と同室。
羨やまし過ぎて白石を抹消したくなる。

「月島も誰と同室か聞いた?」

「あ、ああ、えっと、黒田君?」

「はーい」

少し離れた場所にいた香坂の友人が手を挙げた。
きょとんと見上げると、今呼ばなかった?と問われ、こいつかよと頭が痛くなった。

「…学年に黒田君は一人だけ?」

「どうだろう。他クラスはわからないけど、多分一人だと思う」

ぷ、と香坂が噴き出し、白石も性格よさそうな子でよかったじゃんと面白がって背中を叩いた。

「なになに?俺がどうかした?」

「なんでもない」

「気になるなー」

たまに出くわして二、三の会話をする程度。名前なんて知らなかったし、今も苗字しか知らない。
まったくの初対面ではないが仲がいいわけでもない。限りなく関係の薄い顔見知り。
明るい笑顔も事なかれ主義なところも好意的に映っていたが、同室者となると急に不安になる。
上手くやっていけるだろうか。
香坂が仲良くしているのだからきっと悪い子じゃないんだ。言い聞かせるが不安ばかりがむくむく育つ。

「あ、香坂そろそろ行かないと」

黒田君が腕時計を確認し、急かすように香坂のセーターを引っ張った。

「ああ、うん」

「遊びに行くの?」

「合コン!いいでしょー」

黒田君がにこにこ嬉しそうにする。
隣にいる香坂に視線を移したが、彼ははしゃぐ黒田君に呆れたようにするだけでこちらを見ようともしない。

「……香坂も行くの?」

「人数合わせ」

「……そう」

じゃあね、と元気に手を振る黒田君に応えながら胸にぽっかり穴が空いた。
風通しが良すぎて状況を上手く把握できない。
合コン、合コン。
何度も繰り返し、男女の出会いの場だよな?と自問自答する。
そういうのはルール違反では。人数合わせならしょうがないねと笑うべき?
でも僕は彼がそういう場所でどういう風に振る舞うのか知っている。
いくら人数合わせで積極的でなくとも、場を白けさせるような態度はとらないし、適度に会話を盛り上げ、適度にスキンシップをし、どんな女性でもぞんざいに扱わずいい気分にさせてくれる。一般的な浮気のボーダーラインに接触しないぎりぎりのところで。
いや浮気のボーダーラインってなんだ。合コンに参加した時点でリーチでは。
正直に事情を説明されたら構わないと笑えたかもしれない。
けど黒田君があんな風に言われなければ僕は参加したという事実も知らなかったわけで。
一応、気を遣って事前に言うものでは。
恋愛に疎すぎてなにが常識か、普通かわからない。

「……なあ、恋人がいるときに合コンに参加するのって普通?」

ぼんやりしながら白石に問うと、すぐさま普通じゃないと返ってきた。

「そういうもん?」

「俺は特定の人がいるなら参加しないのが当たり前だと思うけど。なにもなくても不誠実じゃん」

「…不誠実……そうなんだ」

当たり前、と白石は言った。
そんな当たり前も自分は知らない。
情けなさと敗北感で風通しの良かった心が今度はちくちく痛みだす。針で何度も何度も繰り返し刺されているようだ。
それからのことはよく覚えていない。ただ気付いたときには楓ちゃんの部屋の前だった。
ノックをしたが誰も出てこないので不在らしいと知る。
扉に背中を預けしゃがんだ。
香坂は彼女に尽くすタイプと言っていた。
だからいつもならこんなことする奴じゃないんだ。
僕なら平気と軽んじられたのだろうか。
ぎゃーぎゃー騒ぐな、これくらいで。と言われればもう黙るしかない。
肥大する自意識と、自己主張と自己否定。三つの間をゆらゆら揺れ、なにが正解でなにが不正解なのかわからなくなる。
床の一点をじっと見つめていると、薫?と楓ちゃんに呼ばれた。
隣には香坂さんもいたが、限界まで張り詰めた糸がぷつりと切れ、顔を歪めながら楓ちゃんに抱きついた。

「うわーん!」

「おい、どうしたよ」

楓ちゃんが背中を摩り、香坂さんが部屋の鍵を開ける。
とりあえず中に入れと促され、楓ちゃんにしがみ付いたままソファに座った。

「薫ー、どうした。誰かにいじめられたか?」

陽だまりのように柔らかい声色。
楓ちゃんは次々溢れる涙をシャツの袖で拭い、頭を抱えるように抱き締めてくれた。
なんで、どうして。僕は、僕は――。
嵐のような心が落ち着くまで数十分かかった。
二人は急かすことなく辛抱強く待ち、なにがあったか言ってみろと優しく問いかけた。
ぐすんと鼻を啜り、声を発そうとすると引きつった呻きが漏れる。

「こ、香坂が……」

「弟君が?」

「合コンに行ったー!」

またうわーん、と泣き出した自分に、二人は顔を見合わせ、香坂さんは額に手を添え溜め息を吐いた。

「あんの野郎!」

すくっと楓ちゃんが立ち上がったのを香坂さんが制する。

「待て待て」

「止めるな!一発殴らないと気が済まん!」

「わかってる。一発でも二発でも三発でも好きなだけ殴れ。だけど一回落ち着け。双方からちゃんと話しを聞かないと。お前も学習しただろ?」

決して頭ごなしにならぬよう、問いかけるような囁きに楓ちゃんはすとんとソファに逆戻りした。

「…薫、確認だけど本当に行ったのか?」

「行くのって聞いたら人数合わせって…」

「人数合わせ……また微妙なラインついてくるなあ」

楓ちゃんはよしよしと背中を摩りながら息を吐き出した。

「……違和感」

ぽつりと香坂さんが言い、二人で首を捻った。

「違和感がある。京は特定の相手がいるとき絶対そういうことはしない」

「ぼ、僕だからいいやと思ったのかも」

「それは絶対にない。相手が誰でも関係ない。あいつの信条に反する」

「お兄様の浮気癖がうつったんじゃありませんこと?」

「おい、浮気なんてしてねえぞ」

「悪いお手本ですからね」

「だから俺は浮気なんて一度も……まあ、いい。喧嘩してる場合じゃない。とにかくおかしい。あいつらしくない」

「つっても本人が行くって言ったわけだし…弟を庇う気持ちはわかるけど」

「庇ってない。事実を言っただけだ」

僕だってそう思ってた。香坂は一途で、真っ直ぐで、燃えるように人を好きになる。楓ちゃんを見つめる姿を見てわかった。
だからこそ、蔑ろにされる自分が惨めになったのだ。
香坂さんは顎に指を添えなにか考えるようにしたあと口を開いた。

「薫、ちゃんと京に好きだ、つきあってくれって言ったか?」

「え……」

「あいつ馬鹿だからわかりやすい言葉にしないと伝わんねえぞ。なんとなく、僕たちつきあってるよね?みたいな曖昧な始まりとかできないタイプだぞ」

「え、えーっと…」

あのとき確かに好きだと言おうとした。
なのにその三文字が喉につっかえ、もたもたしている内にわかってるからと言われ、勝手に伝わったと思い込んだ。
もし伝わっていなかったなら何故鬱陶しく付き纏うのを止めなかったのか。
ベッドのスペースを空け受け入れるようにしてくれたのか。
同じ認識だからじゃないのか。
そうでなければ急になんだよこいつ、と気味悪がるだろう。

「……とにかく、京と話したほうがいい」

香坂さんがスマホを耳に当て、五分以内に帰って来いと無茶な要求をした。
気を抜くとずるずる鼻水と涙が流れるので、唇を噛み締めて俯く。
楓ちゃんに温かいココアを手渡され、両手で包んでじっと耐えた。
あちらも、こちらも硬く結ばれどこから紐解けばいいのかもわからない。お手上げ状態だ。
記憶を巻き戻し、事実だけを抜き出そうとするがどうしたって余計な感情で穿った見方をしてしまう。
万が一僕の勘違いで恋人なんかじゃなかったら。
ちらりと考えただけで目の前が暗くなる。
合コンなんていくら行っても構わないし、うるさく言わないし、泣いたりもしないからどうか認識に相違ありませんように。
きっと大丈夫と大きく口を開ける不安に蓋をしたが、つきあってないと考えたほうが辻褄が合う。
だからキスはしないし、合コンにも行く。
それならどうして抱きしめてくれたのだろう。寂しいと言うとしょうがないと笑ってくれたのだろう。
わからない。知ってるはずの香坂が急に知らない人に思える。
ぼんやり考えているとノックの音がし、香坂が不機嫌そうな顔でこちらに近付いた。

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