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一日の授業を終え、だらだら友人と話しながら窓の外を見るとなぜか月島が体操着を着たまま校庭の端っこにぽつんと佇んでいた。
何をやっているのだろう。机に頬杖をつきながら眺めると、他にも数人の生徒がやって来て柔軟をしたのち、へろへろとグラウンドを走り出した。

「なにやってんのあいつら」

友人が窓からひょいと顔を覗かせる。

「長距離走りきれなくて居残りじゃね?」

別の友人が言い、全員であー、なるほどと頷いた。
運動音痴は大変ですねえ。他人事のように思いながらおかしなフォームでよたよたする姿にくっと笑った。

「かわいそうになあ。走り切れなくても別にいいのにさ」

「あの先生熱血漢の運動馬鹿だから」

「努力と根性で生きてきたタイプ」

「上司にしたくないな」

散々な言われようだが気持ちはわかる。
上司どころか教師にもしたくない。おかげで月島たちのように運動が苦手な生徒が追い打ちをかけられる状況だ。

「よし、応援してやろう」

友人は鞄を肩にかけ、早く行こうとシャツを引っ張った。
それが彼らのためになると本気で思ってるならこいつも相当な馬鹿だ。
できる人間ができない人間に安全な場所からがんばれー、なんて言ったところで嫌味にしか聞こえない。
なのに友人たちはきゃっきゃと踊るように昇降口まで走り、途中自販機で買った清涼飲料水を手にグラウンド脇の芝生に腰を下ろした。

「月島ー!」

友人がぶんぶん手を振ると、こちらに気付いた月島がだらんと垂らしていた手を小さく挙げた。

「あと何周ー!?」

月島は少し考えるようにしてから指を三本立てた。

「あと少しだ!がんばれ!」

なぜ自分たちは居残り組みを眺めながら話しているのだろう。
さっさと寮に戻ったほうがよくないか。
毎日同じ、刺激のない生活が死ぬほど嫌いなタイプはこういうちょっとした変化にも楽しそうに喰いつく。
喰いつかれた月島はご愁傷様としかいえない。
しかも既に飽きたのか、三人で彼女がほしいだの、あの先生が気に入らないだの、テストが嫌だの騒ぎ、もはや月島を見てもいない。
ゴールで膝に手を当てぜえぜえ呼吸する月島を眺め、友人の肩を叩いた。

「完走したぞ。持ってってやれよ」

「あ、本当だ。月島ー!」

友人はよくがんばったなあ!と騒ぎながら大袈裟に駆け寄り、ペットボトルを渡し満足げに戻ってきた。

「さ、俺らも帰りますか」

「なんだったのこの時間。すげえ無駄にした気分」

「無駄じゃない。月島にがんばれーって言えた」

「途中から飽きてたじゃん」

「まあまあ」

なにがまあまあだ。
四人で寮に戻りそれぞれの部屋で別れ、着替えを済ませてゲームを開始すると、ほどなくして月島が体操着のまま戻ってきた。
あまりにも顔が真っ青で、見た瞬間小さく笑ってしまった。

「なに」

「なんでも」

「馬鹿にしてんだろ。どうせ僕は居残りさせられるくらい運動音痴ですよ」

ふん、と顔を背けながらぐちぐち文句を言われ、だからやめようと言ったのにと友人を恨んだ。
月島はシャワーを浴び、濡れ髪のままベッドにぼすんと倒れ込むようにした。
ちゃんと髪乾かさないと風邪ひくだの、寝具が汚れるだの、いつもうるさいくせに珍しいこともあるものだ。

「髪乾かさなくていいのか」

「……無理。限界。HPゼロ」

「もやし」

「うるさい。走れなくても人生になんの支障もないのにあの教師……」

「走れたほうが万が一のとき便利だろ」

「なに、万が一って」

「火事とか、地震とか?」

「は、体力つけて自然災害に備えましょうって?馬鹿かよ」

「ああそうですか」

ああ言えばこう言う。月島は屁理屈が得意で口では絶対勝てないので、いい塩梅で会話を終わらせないとヒートアップし大喧嘩になる。同室を続けるうちに学んだ。
彼は虚ろな瞳でぼんやりしながら口の中で体育教師への呪詛を唱え続けている。
すっかり臍が曲がったらしい。
ここでうるさいだの、黙ってろだの言った日にはもっと面倒なことになる。
小さく溜め息を吐き、脱衣所からドライヤーを持ってきた。
腹這いで眠る月島のそばに座り、烏のように真っ黒な髪を乾かしてやる。

「よし、寝ろ。起きたら体力も少しは戻ってるだろ」

「……うん」

だからさっさとその口を閉じろ。
完全にいった目をしながらぶつぶつ文句を言い続けられるこちらの身にもなってほしい。
指を櫛のようにし髪を梳いてやると、いつも吊り上がっている眉を下げたあどけない寝顔を晒した。
八の字になった眉と、小さく開いた口。白く丸みのある頬を指の背で撫でる。
寝顔はこんなにかわいいのに。
恐らく楓さんも何度も思っただろう。
兄として弟を守り、衝突し、宥めながら眠った顔を見て苦笑する。
わかる。痛いほどわかってしまう。
俺だって弟なのに。宥められる立場のはずなのに。
月島と過ごすうち兄としての心得を会得してしまった。
面倒だと思わないわけではないが、こうして傍若無人に振る舞うのは気を許した証拠と思うと多少の横暴さには目を瞑ってしまう。
だからますます調子に乗らせてしまうのだけど、常に周りを警戒し、糸を巻き切ったように神経を張り巡らせる月島を甘やかすのは存外悪くなくて。
彼にとってこの部屋は鎧や武器をすべて放り出し寛げる場所なのだろうと思うと、どうしても世話を焼きたくなってしまう。犬猫の世話をしている感覚に近い。
じゃあ他の人間にも同じようにするのかというとそんなことはなくて。
相手が友人なら自分でどうにかしろと言うし、楓さんにはこちらが甘えてしまうし、兄はこちらに弱味を見せもしない。
どうして月島を構いたくなるのだろう。考えてもわからないのに、ふとしたときいつも思う。
なんというか、放っておけない。
月島はしっかりしてるし頭もいい。
どちらかというと自分のほうがだらしなくて、いつもくどくど説教される。
だけど頑丈な鎧に隠された柔らかい部分を知ってしまってからは彼の動向を気にし、子ども返りしたように弱音を吐いたらいつでも駆けつけられるように準備をしてしまう。
だってそうやって包んであげられるのは自分か楓さんしかいない。
不肖の兄が楓さんを独占するものだから、月島も大好きな兄に甘えたいのにそれができない。馬鹿兄貴の尻拭いと思えば、月島を楓さんの代わりに甘やかすのも自分の仕事だ。
そうやって納得させているけれど、正解からは少しずれている気がする。
ぼんやり考えながら月島の髪を撫で続け、寝返りを打った拍子に我に返った。
タオルケットの中に月島の身体を無理に押し込み、自分のベッドに戻りゲームを再開した。
窓の外がすっかり暗くなり目頭を抓んだ。
そろそろ学食が閉まる頃だが起きる気配がない。
眼鏡をかけ、静かに部屋を出た。
夕飯を食べ、そのままコンビニへ向かう。月島が夜中に起きたときのための食糧調達だ。
適当にカゴに放り込み、いつも勉強しながらつまんでいるチョコレートも買った。
部屋に戻ると暗い部屋の中で月島がベッドにぺたりと座り込んでいた。

「起きたか」

声を掛けるとぼんやりしたままこちらを眺め、何処に行ってたんだよと回らない呂律で拗ねたように言った。

「コンビニ」

袋を彼の机上に置き、自分のベッドに腰かけると四つん這いでこちらに近付いた月島が脚にきゅっと抱きつくようにした。

「おい!」

ぎょっとしながら見下ろすと、むにゃむにゃ口を動かしながらまた寝の姿勢に入った。
寝惚けてんのか。世話の焼ける。
文句を呑み込み下からすくい上げるように横抱きし、彼のベッドに運ぼうとすると両手足をばたばた動かし始めた。

「いやだー」

「なにが!」

「君のベッドで寝るー」

「いいから一人で寝ろ。疲れとれねえぞ」

「じゃあ起きる」

好きにしろとベッドに落ろしてやると、こっくり、こっくり船を漕いでははっと顔を上げ、まただらんと首を垂れた。
無理に抗わず寝ればいいのに。頭のいい奴の考えることはわからん。

「月島」

「……はい」

「起きるなら飯食えよ。買ってきたから」

「……食べさせて」

月島は瞳を閉じたまま口だけあ、と開けた。
この野郎と思わないでもないが、仰せのまま、袋からおにぎりを取り出し手に握らせた。
口元にもっていき、もう少しというところでだらんと腕を下ろしてしまい、慌てておにぎりを掴む。

「月島!」

「眠い……」

「もういい。口開けろ」

小さく開けた口におにぎりの先端を突っ込み、もしゃもしゃ咀嚼し、飲み込んだのを確認してもう一度持っていく。
それを何度も繰り返し、一つ食べ終えた頃には漸く目を半分開けた。

「もっと食べる?」

「…もういらない。寝る前に歯磨きたい」

「じゃあ洗面所に――」

「磨いて?」

俺はお父さんか?
歯磨き上手かな、じゃねえんだよ。

「歯磨かないと気持ち悪くて眠れない」

「ああ、そうかよ。ならがんばって起きろ」

「磨いて」

いいでしょ?と首を傾げられ、喉でぐう、と獣のような声を出す。
無駄に抗っても我満がひどくなるだけと判断し、歯ブラシに歯磨き粉をつけてベッドに戻った。
目の前にしゃがみ、あー、と開けた口に歯ブラシを突っ込む。

「いひゃい」

「文句あんなら自分でやれ」

「人の歯磨くときは後ろからやるんだよ。小さい頃楓ちゃんはいつもそうしてくれた」

なるほど。楓さんがしてくれたことなら自分に言っても平気という線引きらしい。
背後に回って胡坐をかき、足を交差した部分に彼の頭を乗せた。
高校生になって誰かの歯磨きをするはめになるとは思わなかった。
近々妹が生まれる予定なので、月島の我儘はその予行練習の一環と思おう。そうやって納得させないと客観視して死にたくなる。
撫でるようにブラシを動かし、もういいだろうと引き抜いた。
だけど結局ゆすぐために洗面所へ行かなければいけないわけで。
両脇に手を差し込み、浮かせるようにして洗面所へ連行した。

「ぺ、しろ。ぺ」

「んー……」

子どもの面倒みるよりきつい。
子どもならしょうがないなあと思えることも図体のでかい同い年の男相手には思えない。はずなのに、月島だとしょうがないで片付けてしまう自分が恐ろしい。

「よし、寝るぞ」

ベッドに落とし、タオルケットをかけてやる。
ベッドサイドに座りぽんと背中を叩いた。

「あれ、自分のベッドじゃん」

「目を開けるな。寝ろ」

ふひひ、と笑いだした姿を見てこいつ酔ってんのかと引く。

「次は絵本が必要か?」

「絵本より君のはなし聞かせてよ」

月島は放り投げていた俺の手を握りながら瞳をゆっくり閉じた。

「話すほどのことはない」

「……じゃあ、君の小さい頃の話しがいい。香坂さんとどんな兄弟だった?甘やかしてもらった?」

「まったく。喧嘩ばっかり」

「昔から変わらないんだね」

「でも今よりは仲よかった気がする。喧嘩しては遊んで、また喧嘩しての繰り返し」

「じゃあうちと逆だ。うちは昔はすごく仲が悪かったから」

「あんま想像できねえな。お前楓さんにべったりだから」

「…うん。楓ちゃんなんていなくなれって思ってたけど、実際いなくなるとすごく恋しかった。毎日喧嘩したけど、最後には絶対僕を守ってくれたんだ」

「いい兄貴だな」

「うん。だから楓ちゃんが好き。君は…少し楓ちゃんに似てる。喧嘩ばっかりなのに僕を見捨てない」

それは喜ぶべきか、世話係に認定され嘆くべきか。
答えに迷うと月島は満ち足りたような顔で微笑んだ。

「だから、君のことも、す、き……」

それっきり眠ってしまった月島を暫く茫然と眺め、額に手を当て溜め息を吐いた。
上から目線で人を煽るばかりの月島は、こうしてたまに爆弾を落とす。
心が不安定になって弱っているときだったり、熱を出したときだったり、今のように寝惚けているときだったり。
勘弁してくれ。
どちらの月島を信じればいいのかわからず頭が混乱するし、それなら優しくしようと思ってもどうせ明日には顎をつんと反らせて皮肉ばかりを口にするのだ。
同室になってから今まで振り回されてばかりだ。
こちらの気も知らないで。
それなら突き放せばいいのに、少しきついことを言うと今度は頬を膨らませ泣きそうになるものだから、ついごめんと機嫌を窺うようにしてしまう。

「楽しいか?俺を振り回して」

やんわりと柔らかい頬を抓ると言葉にならない文句が返ってきた。
ふっと笑い、頬に伸びる髪を耳にかけてやる。
我儘だったり、自分勝手だったり、そういう人間には慣れているつもりだった。
つきあってきた相手がそういうタイプだったし、振り回されるのも嫌いじゃない。
だけどこいつは今までが子どものお遊戯に思えるほどままならない。
それを許容してしまう自分が一番の問題なのだけど。
ありふれた愛情のようなものを感じ、馬鹿馬鹿しいと月島のそばを離れた。



END

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