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ノラに電話を掛ける頻度は日ごとに増え、だけど出てくれないし、折り返しもないし、随分やきもきさせられた。
きっと忙しいのだろう。高校生にはわからない部類の苦労があるのだと思う。
だけど少しくらい話せないのだろうか。一分でもいい。おやすみだけでもおはようだけでも。
それすら惜しいほどの忙しさってなんだ。
仕事内容を考えれば、肉体的にも精神的にも参ることも多いだろう。
いくらセックスが好きで向いてるといっても、問題がまったくないわけじゃないだろうし。
社会人経験がない自分ではわからないことがたくさんある。
わからないから自分に当てはめ考え、五分も時間ねえのかよと悪態をつきそうになる。
大人になればわかってあげられるのに。
いい大学を出て、いい会社に入って、ノラが身体を売らなくても困らない程度のお金を渡せば自分だけのものになってくれるのだろうか。
きっとそうだ。
階段を一段飛ばしで駆けあがるように大人にはなれない。
一番の近道はもっと勉強して、もっと上の大学を目指すことだ。
目標ができると希望ばかりが詰め込まれ、前以上に勉強に励んだ。
どこの大学を目指そう。どんな職業ならノラを安心させられるだろう。ノラはどんな部屋に住みたいのだろう。どんなものが好きで、なにが欲しくて、どんなことに涙を流すのだろう。
考えると楽しくて、色んな顔が見たいと思った。
セックスなんてしなくていい。ただノラの笑った顔が見れるならなんだってする。


ノラに連絡するときはダメ元くらいの心持ちになった。
今日もどうせ出てくれないんだろう。それでも電話をかけずにいられない。
電子音ばかりが響き、落胆しながらスマホを耳から離した瞬間、はい、と掠れた声が聞こえ、慌ててスマホを持ち直した。

「ノラ、久しぶり」

『んー……だれー?』

寝起きなのだろう。いつもより舌足らずな甘えたような声がかわいい。

「…俺だよ。公園で会った高校生」

『…ああ!久しぶりじゃんー』

「ノラが電話に出てくれないから」

拗ねたような口調になり、失敗したと思う。
子どもっぽさが前面に押し出され、これじゃあ幼い妹のようだ。

『ごめんごめん。電話いっぱいくるから誰にかけて誰にかけてないかわかんなくなってさー』

意図的に無視していたわけではないと知り、脱力するくらい安心した。

「ノラ、会いたい……」

『なんだー?ちんこが限界かー?さすが若いねー』

「そうじゃない!」

顔を見るだけでいいんだ。
言おうとした瞬間、電話の向こうでノラを呼ぶ声がした。
少し離れた場所から渋い、深みのある声が響く。
――ルームサービスとるけどなにが食べたい?
優しく、ゆったりした口調。
いつもの、とノラが答えるとわかったよとくすりと笑う。
いつもの。いつもの。
頻繁に逢瀬を重ねる関係なのだと知り、神経が焼けそうなほど苛立った。

『あ、ごめん。で、なんだっけ?』

「……今、仕事中?」

『違うよ。今日はお休み』

休みならもっと早く俺の電話に出てくれてもよかったじゃん。俺と会ってくれてもよかったじゃん。
その人ともプライベートで寝るの。
頭を掻き回されたようにぐわんぐわん揺れ、唇が震えた。
嫌だ。
ノラに触れる人がいるのはしょうがない。仕事だから。
でも金銭を発生させず寝るのは特別なんじゃないの。
その特別は自分だけじゃないの。
教えてくれよ。俺はどうしたらいい。

『おーい、どうした?次の約束は?』

「……ノラ、今から会いたい」

『えー?今はちょっと無理だよ』

「だって今日休みなんだろ」

『休みだけど、他の人といるから』

その人より俺を優先してくれよ。
こんなの嫌だ。苦しい。こんな気持ちを抱えて眠れない。頼むから。
首を絞められたように言葉を出せずにいると、再び電話の向こうで男の声がした。
――ここに呼んであげたら?私は帰るよ。ルームサービスも一緒に食べればいい。

『聞こえたー?』

「……聞こえた」

『じゃあそういうことで』

他の男がとった部屋、他の男と寝たベッド。
そんなところに行ったら頭がおかしくなる。でもノラに会うにはこれしかない。
ホテルに向かい、扉をノックするとバスローブ一枚のノラが迎えてくれた。

「ノラ」

顔見た瞬間抱きしめると、ノラはどうしたー?と笑いながら背中を撫でてくれた。
ノラ、ノラ。
会いたかった。触れたかった。
いい加減放しなさいと窘められ、二人でホテルのソファに並んで座る。

「ルームサービスさっき来たんだ。食う?」

「いらない」

「そう?美味しいよ」

テーブルに並べられた高そうなお酒やアラカルト。
部屋代とルームサービスで一体いくらかかるのだろう。
やはりいい大学を出て一流企業に入らないとノラを満足させられない。

「ノラ、俺……」

「ああ、うん。わかってるよ。でもちょっと休憩させてな」

「休憩……?」

「もう少し休憩したらできると思うから」

「そうじゃない。俺は別にしなくていい」

言うと、ノラはきょとんとした顔で首を傾げた。

「じゃあなんのために来たの?」

「なんのためって……」

膝の上で組んでいた手に力を込めた。
言ったらなにかが変わるだろうか。悪い方向に?良い方向に?
ノラはいい加減な奴だけど、こんな高校生のガキに手を差し伸べてくれた。きっと根は悪い人間じゃないんだ。だから一生懸命言葉にすれば伝わるかもしれない。

「ノラ――」

「俺、本当に悪い遊び教えちゃったんだな」

「……え」

「大人として責任はとらないとね」

責任という言葉に釈然としなかったが、今はそれでもいい。
ノラが自分を見てくれるならなんだっていい。
見てくれる限り方法はいくらかあるのだから、少しずつ、ゆっくり振り向かせれば。
ノラは腕を組んで悩むようにしたあと、あ、と顔を上げた。

「他の奴紹介してやるよ!」

「……なんだよ、それ」

「だから、他にも君の相手できる奴。ちょうどいいのがいたんだ。そいつも上手だから大丈夫だと思うよ。俺と連絡とれないときはそっちとしたらいいよ」

えーっと、と呟きながらスマホを操作する手を掴んだ。

「そんなのいらない」

「……なんで?そういう人はたくさんいたほうがいいよ?」

「たくさんなんていらない!俺はノラだけいればいい!」

「でも俺も仕事とかでいつも相手できるわけじゃないからさ」

「好きなんだ!」

掴んだ腕に力を込めた。
もっとスマートに言うはずだったのに。
妙に冷静な頭で考え、懇願するようにノラの瞳を見つめた。

「俺そこそこ頭いいんだ。だからノラのためにもっと勉強していい大学入る。いい会社に入って、ノラに苦労かけないくらい稼ぐから」

今はまだ高校生だし夢物語に聞こえるかもしれないが、どんな努力も惜しまない。絶対、絶対ノラが満足する男になる。
必死に続けると、ぽかんと口を開けていたノラが口角を上げた。
笑った。
嬉しくてノラを抱き締めようと肩に手を伸ばした。
その手を振り払うようにされ、今度は自分が虚を突かれた。

「かわいいこと言うね。でもそういうのは本当に惚れた相手に言ってやりな」

「だからノラに言ってる」

ノラは煙草に手を伸ばし、退屈そうに火をつけた。

「…俺最初に言わなかったっけ?そういうの嫌いだって」

「……でも」

「あー、ガキに手出すんじゃなかった。ま、しょうがないか。割り切った関係なんてガキには無理だよな。大人だって上手くいかないことも多いし」

「……ノラ?」

「でもさ、そういうの俺本当にだめなんだよね。面倒くさくなって一瞬で冷めちゃう。君は結構気に入ってたんだけどなー。肌とかつやつやだし、発展途上のセックスも新鮮でよかったし」

ノラが吐き出した煙が天井に上りながらノラの顔に影を作る。

「残念だよ。もう少し楽しみたかった」

「……ノラ、ごめん。嫌ならもう言わない。電話もしつこくしない」

「それそれ、そういうの。本当に無理。鬱陶しいというか、重苦しいというか。俺は楽しくセックスできればそれでいいのに、なんでみんな恋愛を持ち込むかな。そういうのは仕事だけで充分なんだよね」

指先がすっと冷え、次には痺れたように動かなくなった。

「ノラ、俺は……」

「ま、俺もいい勉強になったよ。これからはガキには手を出さない。で、どうする?最後に一発やる?」

「……最後?」

「うん」

「なんで……この部屋とった人とは何回も会ってんだろ?」

「ああ、あの人はそういうのスマートなんだよ。詮索しない、嫉妬しない、束縛もしない、余計なお喋りも省いて気持ちよくしてくれて、ついでにお小遣いもくれる」

「……ノラはそういう人が好きなの?」

「好きっていうか楽。やる気がないなら俺寝ちゃうよー?結構疲れてんだ」

ベッドにぽすりと横になったノラのそばにゆっくり近付いた。
瞼を落としたノラはとても綺麗で、この綺麗な口から出た散々な言葉を反芻して泣きたくなる。
なのにどうして嫌いになれないのだろう。最悪な人間だと切り捨てられないのだろう。
無理だとわかっているのにノラがほしくてたまらない。
誰の目にも触れないで、自分だけ見てほしくて、だけど自分はこの部屋をとった人のようにはなれなくて。

「……ノラ、俺の名前知ってる?」

「んー?名前なんて知る必要ないでしょ」

それっきり眠ってしまった寝顔を眺めながら暫くの間涙を流した。
名前なんて知る必要ない。それすら興味ない。
関係を築こうなんて少しも思ってくれなかった。
それなのに勝手に一人で暴走して。
あんなこと言うんじゃなかった。
夢なんて見るんじゃなかった。
わかってくれるなんて期待しなきゃよかった。

「……ノラ」

奥歯を噛み締め、ベッドシーツをぎゅうっと握りながら嗚咽を堪えた。
ノラはもう二度と自分からの電話には出ないのだろう。
彼の中で自分は面倒くさくて鬱陶しいクソガキ。
大人の遊び方も恋愛の仕方も知らないくせに夢だけは大きく、相手の重荷になるような言葉を簡単に口にする。責任なんてとれないくせに。

「ノラ、ノラ……」

すぐそこで眠っているのにノラがとても遠く感じた。
なにが悪かったんだろう。どこで間違ったんだろう。
初めて人を好きになった。
その人は愛嬌のある笑顔と心を軽くしてくれる口調でするりと隙間を埋めてくれた。
じゃあノラがいなくなった隙間はどうやって埋めればいい?
どうやったって埋まらない。
ノラ、ノラ。
好きで好きでたまらないのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
ノラが本当に猫ならよかった。そうしたら首輪をつけて家の中に閉じ込めておけたのに。
たくさん甘やかして、好きなご飯を食べさせて、目一杯遊んで、一緒に眠る。
自分がしたかったのはそういうことだったのに。




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