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チャイムの音が響いた気がし、腹這いだった身体を僅かに浮かせた。
ベッドの上からテーブルに手を伸ばし時間を確認する。
朝の六時。
昨日眠ったのが夜中の二時頃だったので四時間しか眠れていない。
重苦しい頭を持ち上げ隣に視線を移す。
狭いベッドの壁際に背中を預け、左手は自分の腰に回す愛おしい人。
前髪が頬にかかり顔はよく見えないが、きっと今日も最高にカッコイーはず。
昨晩、本当に三上としたんだなあと思い出に耽りそうになった途端、階下から陽介ー、と叫ぶ声が聞こえ現実に戻った。
次にはぱたぱたと廊下を歩く足音が近づき、慌ててベッド下に放り投げていたズボンを履いた。
扉が開いたのとベッド端に座ったのはほぼ同時で、顔を見せた椿さんが驚いた様子でこちらを見た。
「真琴君!泊まったんだ!」
「は、はい……おはようございます」
ぎくしゃくとした笑みを浮かべ、変なところないよなと確認するため辺りを見渡す。
「おはよー。陽介はやっぱ寝てるか」
「…ですね」
「真琴君は早起きだね。もしかして私が起こした?」
「い、いえ。大丈夫です。椿さんも朝早いですね」
「海行こうと思って。お父さんが車だしてくれるって言うし!真琴君も行こう!」
「は、はあ……」
ああ、夏だもんな。
椿さんのようにはつらつとした女性に海はとてもよく似合うだろう。
だけど自分は海でも山でもレジャー施設というものに縁がない。家族で海水浴なんて記憶にないし、せいぜい小学校のプールや市民プールで遊ぶ程度だった。
それも泳げない自分に学がつきっきりのレッスンで、遊びというより訓練だった。
憧れはあるし、いつかみんなで海行きたいねと潤や甲斐田君と話したこともあった。
でもこんな棚から牡丹餅的にその機会がやってくるとは。
「あ、でも僕海パン持ってないです」
「陽介何個か持ってるでしょ。なかったら買えばいいよ」
「でも三上起きますかね…」
ちらっと背後を振り返ったが、三上は先ほどとまったく同じ姿勢で、話し声も耳に届かないほど熟睡している。
疲れたのはお互い様。今日くらいはゆっくり休ませようと思ったし、自分も尻の違和感と身体の節々がぎこちないので激しい運動はできそうにない。
「無理にでも起こす」
言うが早いか、椿さんはタオルケットを乱暴に剥ぎ取り身体を揺すった。
「陽介!」
三上はその手を振り払い、逆向きに姿勢を変え丸くなった。
「陽介ー!」
「……うるさ…」
「陽介海行くよ!」
「……行かねえよ」
三上は腕をアイマスク代わりにし、再び深い寝息を立て始めた。
「だめだこりゃ。じゃあ真琴君二人で行こうか」
「でも彼氏さんとか平気ですか?」
「一応電話したんだけど出なくて。海連れて行こうかって急に言われたから暇人が陽介くらいしか残ってなくてさー」
「なるほど。じゃあ僕でいいならつきあいます」
「マジー?優しいなあ真琴君は」
洋服に着替え、身支度を整え、放り投げていた携帯や財布を鞄にしまう。
できれば三上も一緒ならもっと嬉しかったが、こういうときの彼は梃子でも動かないと知っている。
そもそも三上は海なんて誰が行くかと突っぱねるタイプだ。
騒がしい場所も暑い場所も嫌い。
冷房をがんがんにつけて毛布に包まり幸せと言うような男。それが三上陽介。
「準備できたー?」
「はい」
「陽介ー!真琴君借りてくよ!」
椿さんが三上の耳たぶをぎゅっと引っ張るとがばっと勢いよく起きた。
それに驚いたのは二人同時で、こんな俊敏な三上久しぶりに見たなと妙に感心した。
「泉は…?」
「あ、ここにいます」
視界に入るようにひょこっと顔を覗かせると三上は息を吐き出し再びベッドに横臥した。
なんなんだ。
「あ、折角起きたのに。陽介、真琴君借りるからね」
「どうぞ」
「陽介の海パン貸して」
「…は?どこ行くの」
「海!」
「……元気だな。遊んでないで勉強しろよ万年最下位」
「陽介に言われたくない。早く貸してよ」
「そこら辺のどっか」
三上は弱々しくクローゼットを指さし、椿さんが中を探り始めた。
「……ちょっと待て。お前も海行くの?」
「う、うん」
「また椿に押し切られたな」
「そんなことは……」
押しに弱いのは確かだが、自分だって楽しそうなイベントは好きだし椿さんのことも好きだ。
彼女が折角誘ってくれたならふいにするのは勿体ない。
だから別に義務感や仕方なしに了承したわけではなくて――。
つらつらと考えているとぺろんとTシャツを捲られた。
「な、なんですか」
「…お前この身体で海行く気?」
「この身体、とは……」
おかしなところがあるのだろうか。背中を見ようと首を捻ると三上は面倒くさいと言いながら溜め息を吐いた。
「俺も行く。お前、上脱ぐなよ」
「脱がないと海に入れない」
「それは諦めろ」
「な、なぜ」
「椿に色々突っ込まれて面倒なことになるから」
「……はあ…」
僕が海に入ると面倒なのか。溺れてレスキュー隊が出動、とか…?
然もありなんで否定しきれない。なんといっても不運と不幸なら誰にも負けないし、運動音痴も筋金入りだ。
「椿、俺も行くから少し待ってろ」
「お、珍しく行く気になったか」
椿さんは満足げに頷き、海パンをぽいぽいと二つ放り投げた。
「タオルとかは私が準備したから」
「はい」
「海楽しみー」
三上が戻るまでにこにこ笑う椿さんと楽しみですねえと頷き合った。
準備を整え三人で椿さんの自宅に向かう。
途中、三上は欠伸を連発し、目が開かないとふらふら歩いた。
椿さんの自宅前の駐車場では車の扉を開けたまま、椿さんのご両親が荷物をせっせと積んでいた。
「陽介久しぶり」
「久しぶりー」
「全然顔見せないで、この親不孝者」
「親じゃねえだろ」
「似たようなものだ。すっかり男になったなー。こーんな小さかったのに」
「はいはい」
返事もそこそこに三上は後部座席に乗り込み睡眠の姿勢に入った。
椿さんのご両親に自己紹介をしながら頭を下げると、陽介にこんなちゃんとした友達ができるなんて、と感動された。
初めて椿さんと会ったときと同じ反応だ。みんな随分三上に気を揉んでいたらしい。
助手席に椿さんが座り、三上の隣に自分が並び、おばさんは玄関前で行ってらっしゃいと手を振った。どうやら不参加らしい。
「朝ご飯、お母さんが食べてって」
バスケットとお茶を渡され、ありがたくサンドウィッチを頂戴した。
車に乗ることも滅多にないので流れる景色が楽しかった。
電車や、徒歩とはまた違った風景、少し開けた窓から流れる湿った風、親子仲がよさそうな二人の会話。楽しいなあと膝の上に置いたバスケットを両手で抱えるようにした。
暫くの間風景を楽しんだが徐々に瞼が重くなり、がくんと首が垂れてしまい慌てて顔を元に戻した。
「眠かったら寝ていいよ」
バックミラー越し、にこやかに笑うおじさんと目が合いすみませんと小さくなる。
「昨日陽介と夜更かししてたの?」
椿さんが後部座席を振り返るようにしながら言った。
「え!?」
「ゲームとか?」
「あ、ああ、はい!そんな感じです!」
椿さんはこちらの関係を知ってるはずないのに変に意識してしまい、じんわり耳の先が赤くなる。
不健全な行為に耽った罪悪感がちくちくと胸を刺激する。
どぎまぎしながら俯き、けれどやっぱり睡魔は拭えずゆったりとシートに身体を預けて瞳を閉じた。
着いたよと声を掛けられ薄っすら瞳を開けた。
後部座席の扉を椿さんが開け、こっちこっちと手招きする。
駐車場の向こうに広がる水平線からホイップクリームのように真っ白、もくもくとした入道雲が生えている。
強い太陽の光りを浴びた砂浜は細かく反射し、まだ早い時間にも関わらず親子連れや若者でごった返していた。
早く早くと急かされ、慌てて車から降りる。
椿さんは三上のシャツの首根っこを掴むように引き摺りだすことに成功し、運転席のおじさんに声をかけた。
車は駐車場から去っていき、あれ、と首を捻る。
「おじさんは?」
「お父さんは近所で仕事してくるって。若者だけでゆっくり遊びなさいよ、だって」
「いいお父さんですね」
「そー?普通だよ。普通ーのおじさん」
口ではそう言っても年頃の娘が柔和な態度をとるくらいだ。きっといいお父さんなのだろう。
なかなか子どもに恵まれず、漸くできた一人娘と以前三上が言っていた。おじさんもおばさんも椿さんがかわいくて仕方がないらしい。
椿さんの天真爛漫で明るい傲慢さは愛されて育った証拠だ。
「よっしゃー!泳ぐぞー!」
椿さんに腕を引かれ、サンダルの中に入り込む砂に四苦八苦しながら歩いた。
泳ぐなと言われたけれど一応着替えを済ませると、三上に薄手のパーカーを放り投げられた。
着ろということなのだろう。
紫外線なんて気にしないのに過保護だなあと呆れながら羽織るとしっかり前のチャックも閉められた。
「開けるな。脱ぐな」
「なんで?」
「なんでも」
横暴な、と文句が喉元までせり上がったが呑み込んだ。
椿さんと合流し、浮き輪とパラソルを借り、シートを広げて設置する。
その間三上は少しも助けてくれなかったくせに、設置した瞬間シートにごろんと横になった。
「ねみー…」
海に来てまでこの調子。本当にマイペースだなと苦笑しながら自分も隣に座る。
「二人とも泳がないの?」
「…実は僕カナヅチで…」
「じゃあ浮き輪貸したげる!」
「えっとー…」
ちらっと三上に視線をやり助けてくれと訴える。
三上は溜め息を吐きながら身体を起こし、一人で泳げとしっしと追い払うようにした。
「一人で泳いだら一緒に来た意味ないじゃん!」
「うっせーな!わかったよ!」
三上は乱暴に椿さんの背中を押すようにし、そのまま腕を掴んで海に放り投げるようにした。
ここからでは二人が何を話しているのかまでは聞こえないが、喧嘩していることだけはわかる。
三上は椿さんに浮き輪をずぼっと被せ、波打ち際で退屈そうに椿さんを見守った。
あれは一緒に泳いでいることになるのだろうか。まるで子どもを見守るお父さんだ。
椿さんもそう思ったのだろう。三上のところまで戻ってくると小競り合いを繰り返しながら一緒に海に入っていった。
三角座りした膝を抱きかかえるようにし、そんな二人をゆったり見守る。自分はもはやおじいちゃん、おばあちゃんの域だ。
退屈しのぎに砂をすくっては落としを繰り返し、椿さんの浮き輪を引っ張る三上をぼんやり眺めた。
三上は太陽の光りとか、夏とか、爽やかで明るいものが似合わないと思っていたが、意外とすんなり風景に溶け込み、そしてやっぱりどの人よりもカッコイー。
多分、顔は人によって好みが分かれる部類だろう。万人受けするわけじゃない。
だけどすらりとした長身と手足の長さや顔の小ささは視線を奪うには十分で。
はい、カッコイーんです僕の彼氏。あれ僕の彼氏なんです。彼氏。
誰にも言えるわけないが、心の中で噛み締めるように繰り返した。
未だに長い夢だったらどうしようと思うときがある。
なにが良くてつきあってくれたのか、男の身体を抱いてくれたのか、さっぱりわからない。
同情や根負けして恋人になるような人じゃない。
きっと多少は好いてくれている。
漠然となら思えるが、小さい理由を探してもまったく見つからない。
嫌われる要素ならすらすら言えるのに。
僕が三上に好意を持たず、普通の同室や友人として接していたら、きっと彼は今頃あんな風に彼女と並んでいたのだろう。
悪いことをしたと思わない日はないが、罪悪感や引け目以上の好きが溢れてもう自分ではコントロールできない。
三上に向ける感情だけが手元で大人しくしてくれない。
勝手に走り回って伝えずにはいられなくなる。
いつかこんな自分も落ち着く日が来るのだろうか。
隣にいてもどきどきしなくなって、嫌なところが目について、徐々に恋心がすり減っていく。
想像したが、まったくしっくりこない。
いつまで経っても追いかけて、いい加減落ち着けとうんざりされる場面なら何百パターンも予想できる。
長続きさせたいならあまり気持ちを表に出すべきじゃないとわかっているのに上手くできない。
もっと大人っぽくなりたい。ころころ転がる子犬はかわいらしいが、理想は訓練された使役犬だ。
努力は得意だが、どんな項目を伸ばせばいいのかわからない。
だから少しだけ三上を嫌いになりたい。
足元の砂を無意識に掘っていると、椿さんを放り投げた三上が戻ってきた。
当たり前だが全身ずぶ濡れで、海水で束になった髪を鬱陶しそうに後ろに流した。
嫌いになりたいと思ったそばから最高、好き、一生ついていきますと心の中が荒れ狂う。もう僕はだめだ。
「あっつー……」
三上はシートの上にどさりと座り、タオルを頭から被った。
「椿さん一人にして大丈夫?」
「平気だろ。そのうち戻ってくる」
「楽しかった?」
「楽しいと思うか?」
「うん。僕も海に入ってみたい」
「脚だけ入れば」
「ぜ、全身入ったらだめ?」
「だめ」
なんでだよー!と腕を揺すったがだめの一点張りだった。
がっくり落ち込みふて寝するようにシートに横になる。
ちらっと三上の背中を眺め、慌てて起き上がった。
「三上背中!なんか傷になってる!どこかに擦ったのかも!」
三上は身体を捻るように背中を眺め、ああ、と納得したように言ったきり黙ってしまった。
「お薬買ってくる?クラゲに刺されたとかじゃないよね!?」
「違う」
「じゃあ椿さん?」
「お前だろアホか」
「僕が三上を傷つけるわけないじゃん!」
心外だと主張すると、頬を目一杯引っ張られどの口が言うのかなと痛めつけられた。
「いだだだ……だ、だって僕そんなことしない…」
「覚えてねえだけだろ」
「もしかして寝てるとき?」
「さあな」
三上はふん、と顔を背け海から上がった椿さんに視線をやった。
「椿腹減った。なんか買って来い」
「自分で行けよ」
「つきあってやってんだからパシリくらいしろよ」
「つきあってやってるだとー!?」
また始まった。この二人は喧嘩するのが趣味なのか。
「つ、椿さん、僕たち二人で行ってくるから休んでて。ね、三上」
「なんで俺が」
「ほらほら、三上の好きな味のカキ氷買ってあげるから」
腕を引っ張り上げると観念したように歩き出した。
保護者ポジションも楽じゃないぜ。
学はいつもこんな心境なのだろうか。今度からなるべく負担をかけないようにしよう。
海の家で焼きそばやフランクフルト、たこ焼きやカキ氷を買い、両手いっぱいになった食糧を持って戻ると、椿さんのそばに二人の男性がしゃがんで顔を覗き込むようにしていた。
「お友達かな?」
「ナンパだろ」
「おお、さすが椿さん」
「あんな貧乳のどこがいいんだか」
「それ椿さんの前で絶対言わないでね」
きっと椿さんは般若のような顔でふざけんなと騒ぐだろう。
三上は男性にもお構いなしでビニール袋をどさっとシートに置いた。
「なんだ、彼氏と一緒なら最初からそう言ってよ」
「はあ?誰が陽介と――」
「そうそう、彼氏だから散った散った」
しっしと追い払い、おい、誰が彼氏だとすごむ椿さんをあしらう。
「面倒くせえな。そう言っとけばいいだろ」
「嘘でも彼氏以外を彼氏なんて言いたくない!」
「あー、はいはい」
「しかも陽介とか!私の趣味疑われるじゃん!」
その陽介を好きな自分には胸に刺さる言葉だ。
確かに言われるけれど。趣味悪いね、と。
少し早い昼食を食べ、もうひと泳ぎしたいと言う椿さんにつきあって足首まで海につかった。
日光は痛いし風は街中より重いし、だけど海水はびっくりするほど冷たい。
ぱしゃぱしゃと水を蹴り上げるようにすると、いつの間にか椿さんが横に並んでいた。
「真琴君まったく泳げないの?」
「犬かきは得意ですよ」
「あは、逆にすごい」
浮き輪を脇に抱えるようにしながら大きく笑う彼女を見下ろすように眺め、こういう目線は新鮮だなと思う。
平均身長なのでだいたい視線は同じくらいか、見上げることが多い。
女性と並ぶと自分でも見下ろす立場になるんだと知った。
普段いかに女性と接していないか身に染みる。
椿さんは少し歩こうと言いながら波打ち際を進んだ。
細い足首に巻かれた銀細工が反射して綺麗だ。
「それ、綺麗ですね」
「ああ、これ。彼氏がくれたの」
「いいですね。仲良しだ」
「そうなの。喧嘩も多いけど大好きなの」
素直に好意を示す彼女がとても好ましく、つられるように笑った。
「真琴君は好きな人いないの?」
うーん、と言葉を濁しながら苦笑した。
三上に近い人にこの気持ちを知られるのは非常にまずい気がする。
椿さんはいい人だけど、誰だって自分の腕の中にあるものは守りたいし、そのためには非道にもなる。
陽介を変な目で見ないでと言われても恨まないし、それが普通の反応だとも思う。
「じゃあ恋人できたら教えて?みんなで遊ぼう?」
「…そうですね」
今まさにその状況ですと冷や汗を掻く。嘘をつくのは苦手で、椿さんのように裏表がない人相手だと罪悪感で胸がぺしゃんこになる。
「そういえばさ、陽介の背中に引っかき傷あったね」
「へ…?」
「あれは彼女いるな」
「…引っかき傷があると彼女がいることになるんですか?」
「だってあの形、背中に回した手で引っかいたってすぐわかる」
お前だろ、と三上が言った言葉を思い出す。
もしかして本当に僕がやったのだろうか。昨晩わけがわからずもみくちゃにされ、泣いて縋って傷までつけた。
ずん、と落ち込みそうになる。
「今度探りいれよー」
悪戯を思いついたような笑みにほどほどでお願いしますよと心の中で願う。
どんなに探りをいれたところで三上は口を割らない。
椿さんからご両親や、妹さんに伝わったら彼の立場がなくなるし、世の中黙っていたほうが平和に過ごせることもある。
親子や友人、恋人だからといってすべて打ち明けるのが美徳だとは思わない。
「結構歩きましたね。そろそろ戻りましょうか」
「えー、もう?」
「三上が心配してるかも」
「するわけないじゃーん」
「それに僕だと椿さんがナンパされても守ってあげられないし。非力だから」
「そんなことないよ。性別が男ってだけで守れることはたくさんあるよ」
「そうですか?」
「そうですよ」
椿さんはくすりと笑い、じゃあ戻ろうとくるりと回って再び歩き出した。
途中、海の家に寄り道してソフトクリームを買う。残念ながら三上の分は溶けてしまうのでなし。
「太るとわかってても甘いもの食べちゃう」
「椿さんは十分痩せてますよ」
「男の痩せてると女の痩せてるはちょっと違うんだなー」
そうなのか。女性の世界も色々と複雑らしい。
あまり細いと心配になるので何事もほどほどがいいと思うのだけど。
「そういえば、彼氏に真琴君の話ししたら気が合いそうって言ってた」
「気が合いそう?」
「二人は少し似てる気がする」
それ大丈夫かと突っ込みそうになった。
僕に似てるなんて絶対だめだ。根暗で行き過ぎたポジティブとネガティブを繰り返す面倒な人間だ。その上ストーカー気質。客観的に判断するとやばい。
「彼氏もすごく優しいよ。あとちょっと暗い」
「意外です。すごく明るい人かなって勝手に思ってました」
「全然逆。部屋で漫画とかアニメ見るのが好きなんだって。教室でもいっつも端っこでもぞもぞしてる」
「あ、それは僕と同じ」
「そっかー。気が合いそうでしょ?」
「ですね」
そうか、だから椿さんは最初から僕に優しかったのかもしれない。
彼氏と似たところがあるからなおさら放っておけなかったのかも。
「今度は四人で遊ぼうね」
「はい。僕、人見知りするので上手く話せないかもしれないけどがんばります」
「がんばらなくていいのにー」
気の抜けたような笑顔は自分のような人間には薬になる。
彼氏さんもこんな気持ちなのかもしれない。
椿さんといると顔色を窺わずに済むから楽だ。大雑把で、いちいちこちらの反応を気にせずぐんぐん前に進もうとするから。
似たようなパラソルに混乱しながら戻ると、三上はシートに伸びて眠っていた。
「まーた寝てるよこいつ」
「寝る子は育つんですねえ」
「ね。また背でかくなったよね」
「……そういえばそうかも」
毎日顔を合わせていると気付きにくいが、確かに目線がまた少し上がった気もする。
三上の成長期はいつ止まるのだろう。ずるい。少しくらい分けてくれてもいいのに。
「文句言いつつ付き合ってくれたし、少し寝させてやるか。私って優しいなー」
芝居かかった口調に笑い、二人で並んでぼんやり海を眺めた。
次はプールにしようとか、お祭りもいいねとか、花火もしたいねとか、ころころ転がるボールのように軽快に話す横顔を飽きずに眺め、そのたびうんうんと頷いた。
「陽介の妹から聞いたんだけど、陽介の親友、えらいイケメンなんだって?」
「あー、皇矢かな?」
「沙羅も沙希も夢中だってね」
「らしいですね。三上が目くじら立ててます」
「重度のシスコンだからなー。将来の旦那候補が家に挨拶にきたらお父さんより前に出て絶対に許さないとか言うんだよ」
「はは、わかります」
「結婚式で大号泣したりね」
「あー、三上が泣くの見てみたい」
「そういえば私も見たことないかも」
「幼稚園の段階で悟り開いたらしいですからね」
「あー、確かに昔っから冷めてたわ。でも東城楽しそうだし本当によかったよ。一人だけ離れた高校行くからみんな寂しがってたけど……。真琴君みたいな友達がいてくれるなら安心だし」
「はは……」
引きつった笑みを浮かべ、全然いい人間じゃないんだけどなあと胸が痛む。
なんだか騙しているようで落ち着かない。椿さんと親しくなればなるほど、心臓をぎゅうっと握られるような感覚がひどくなる。
本音を言って楽になるのは自分だけなので、椿さんに重い現実を分けるつもりはない。
この痛みはこれから先、自分が同性愛者である限り一生ついて回るのだろう。
いつかは慣れるはずと無理に気楽に考え、沈みそうになる心を引っ張り上げる。
「泉」
背後から呼ばれ慌てて振り返る。
「喉乾いた」
「は、はい。なにか買ってきます」
「ちょっと陽介、真琴君をそんな風に扱うのやめなさいよ」
「大丈夫ですよ。慣れてるし」
「慣れてる!?陽介いっつもこんなこと頼んでんの!?」
「うるっせえな」
「い、いいんだよ椿さん。僕が好きでしていることだから。ね」
よっこしょと立ち上りながら笑うと、椿さんは少し悲しそうに眉を寄せた。
いらぬ誤解を生んだ気がするが、三上が上手く釈明してくれると信じよう。
財布を持ってお茶を買い、戻ると再び口喧嘩の真っ最中だった。
なぜ、こうなる。
どうして数分目を離しただけで喧嘩を始めるんだ。
「真琴くーん!」
ぎゅっと抱きつくようにされ、びしっと身体が固まった。
「陽介に理不尽な扱い受けたら私に言うんだよ?まったく、陽介みたいに偏屈な人間と友達でいてくれるだけありたがたいというのに!」
「はは、大丈夫です。世話を焼くのが生き甲斐みたいなとこあるんで…」
「天使か?」
「いえ、ただの変な人間です」
椿さんをなだめ、三上のご機嫌とりをし、そろそろ帰ろうかと言われたころにはすっかり精神的に疲れてしまった。
電話をかけるとすでにおじさんは駐車場におり、支度を済ませて車に乗り込んだ。
「楽しかった?」
「すっごく楽しかった!」
「よかったな。夏の思い出だ」
「今度は彼氏と来るー」
「いいけど泊まりはだめだぞ」
「わかってるよ」
拗ねたような椿さんの横顔を眺め、隣に視線を移すと三上の顔に疲労困憊と書いてあった。
「太陽浴びるとめちゃくちゃ疲れる」
「普段浴びないからだよ」
「海なんて来るもんじゃねえな」
「まあまあ。今度はみんなで来ようよ」
「絶対やだ。なにが悲しくて男だらけで海なんか…」
「……確かに華やかさに欠けるな」
想像するとかなりむさ苦しい。
だけど絶対楽しいと思う。今度は膝くらいまで海に入ってみたい。
帰りの車内では三人とも撃沈し、おじさん曰く寝息の大合唱だったらしい。
おじさんとおばさんにしっかり礼をし、椿さんに手を振って別れた。
「このまま帰ろうかな」
「帰んの?」
「え、だ、だって……今日も泊まってもいいの?」
「そうすんのかと思ってた。まあ、帰りたかったら帰れ」
「帰りません!」
「声でか」
椿さんの前では会話もちょっとしたじゃれ合いもできなかったので正直消化不良だった。
家の中ならなにも気にせず全身で好きを伝えられる。
「風呂入りたい」
三上はシャワーを浴びてもまだ身体がべたべたすると髪を引っ張るようにした。
「じゃあ一緒に入る?」
「結構です」
「遠慮しなくても。三上もいちゃいちゃできなくて寂しかったでしょ?」
「寂しかったよ」
「……え」
ぽかんと口を開け、馬鹿みたいな顔を晒すと、くっくと笑われた。
「またからかったな!」
「そのほうがおもしろいって気付いた」
ぐぬぬ、と唇を噛む。
自分から好きを放り投げるのは得意だが、予想した答え以外が返ってくると思考が停止する。
いつまで経っても彼には勝てない。なのにそれが心地いいから困るのだ。
END
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