京薫





ベッドに腹這いになりながらスマホゲームをしていると、そばに月島が立った気配があった。

「なに」

画面を見たまま言ったが、月島からの返事はない。
きりがいいところで一度スマホから手を離し、そちらを振り返るとセーターの裾をぎゅうっと握ったまま俯いていた。

「…なんだよ」

「あ、あのさ…」

口籠る様子に鳥肌が立つ。
切れ味のいいナイフのように言葉の暴力をかましてくる月島が言い淀むなんて余程の案件だろうか。

「……まだ?」

言わないならゲームに戻っていいだろうか。
スマホに手を伸ばすとあの!と切羽詰まった様子で遮られた。

「あ、明日予定がなかったら一緒に出掛けてほしい…」

「はあ……どこに?」

「ど、どこでもいい」

「遊びに行こうってこと?」

「まあ、うん」

「どういう風の吹き回し?怖いんだけど」

両腕を摩るようにした。
いつもならここで失礼だな君は!とか、馬鹿に付き合うだけ光栄と思えよとか言われるのだが、今日の彼は項垂れるばかりだ。
そういう反応は困る。自分がひどく性格の悪い悪役になった気がする。
だって普通に怖い。
顔を突き合せれば喧嘩したり、いがみ合ったり、嫌味ばかりの自分たちだ。
楽しく遊びに行くような関係ではないし、そんな誘いも今までなかった。
休日まで君の顔見たくないんだよね。そんな憎まれ口なら山ほど聞いてきたけど。

「ふ、普通の高校生がどういう風に遊ぶのか僕はわからないし、色々、考えて……」

頻繁に左右に揺れる瞳を眺め、そんなの適当だろと言いかけた言葉を呑み込んだ。
わざわざ宿敵に恥を忍んで頼むほどなりふり構っていられない理由。
様々な可能性を思案し、あ、と口を開いた。

「もしかしていい感じの奴がいて、デートの下見がしたいとかそういう相談?」

友人がいない月島は頼れる人が自分か白石くらいで、白石は厳しいバスケ部らしく休日など滅多にない。
消去法で渋々自分に頼んだのだろう。

「……思い出に…デート、できれば、いいなと…」

「おー、よかったじゃん。そういうことなら協力してやる」

明日起こせよと言うと、月島は苦しそうに笑いながら頷いた。
どうしてそんな顔をするのだろう。
デートできる相手がいるなら喜ばしいではないか。
経験がないことをコンプレックスに感じ、相手に失望されないようにとか、背伸びをしようとか、童貞を拗らせたような悩みでもあるのだろ。ごちゃごちゃ考えすぎる月島らしい。
月島は人を好きになれない、人に興味が持てないと悩んでいる様子だった。
それに比べれば随分成長したのでは。なんせデートしたいと思うほど食指が働く相手が見つかったのだ。
どんな子だろう。そもそも月島は女性の前ではどんな顔をするのか。
まさかこんな調子で減らず口で上から目線なんてことはないだろう。
ちゃんと男の顔をするのだろうなと想像すると、少し面白かった。
うまくいったらこっそり後をつけてみよう。楓さんと一緒に。
くっくと笑いそうになり、慌てて枕に顔を伏せて隠した。


翌日、適当に着替えを済ませると月島からダメ出しが入った。

「君もちゃんと考えて服着てほしい」

「お前と出かけんのにちゃんとする必要あります?」

「…でも」

「あー、はいはい。わかりました」

そう言う割に、月島はいつもと変わらない格好だ。
いかにも優等生然としたシャツと紺色のセーターとダッフルコート。楓さんはおしゃれに明るいのに弟のほうはさっぱりだ。
考えるのも面倒なので、考えているふりをしながらやっぱり適当に着替えた。

「で、どこ行くの?」

嬉々として月島に聞かれ、それはこちらのセリフだと言った。

「お前が考えろよ。デート相手にそう言うわけにはいかねえだろ」

「で、でも僕は初心者だから…」

「…好きそうな場所を何個か提案して決めさせれば?」

「例えば僕なら?」

「お前はなんか適当に小難しい場所でも行けばいいんじゃねえの」

「ちゃんと考えろ!」

「ダル。遊園地ー…は嫌いそうとか、水族館とか、静かな場所のほうが好きそうかな、とか」

「すごい。当たり。水族館好き。あと、動物園も好き」

「じゃあ水族館に行きますかお姫様」

「誰がお姫様だ」

ぎゅっと腕を抓られた。かわいくない。
憎まれ口を叩く割りにいつもより表情は明るく、外にいたほうが余計な喧嘩もせず済むかもしれないと思った。
電車を乗り継いで都内の水族館へ向かい、パンフレットを眺めながら瞳をきらきらさせるのをぼんやり眺める。

「地下から行こう」

「はいはい」

早くしろと服を引っ張られ、こうしていると年相応なのにと思う。

「トンネル水槽すごいな」

「ああ」

阿呆みたいに上を見ながら歩くものだから、前の人にぶつかりそうになり、慌てて腕を引いた。

「ちゃんと前見ろ」

「あ、ごめん」

俺は保護者か。
なにが悲しくて月島とこんなところに来ているのだろうと我に返りそうになり、慌てて首を振った。
だめだ。深く考えたら負ける。自分の存在意義などというものを真剣に悩んでしまう。
プライドの高い月島が自分に頼むほど切羽詰まった状況なのだ。
これくらい、一年同室だったよしみと思えば。
どうせもうすぐ部屋替えで、月島と顔を合わせることもなくなる。
最後に少しだけ善人ぶるのも悪くないだろう。
月島はアザラシだ、ペンギンだ、クラゲだと柔和な笑顔を浮かべながら露店を回る子どものようにひらひら歩き回った。
楽しさを隠し切れない様子ではしゃぐ背中を眺め、父親ってこんな気持ちなのかなとしみじみ思う。
一通り周り、腹が減ったので適当に腹ごしらえをし、行こうと席を立った。
もう十分だろう。十分つきあったはず。

「次はどこに行くの?」

なのにこんな風に聞かれたものだから帰ろうとも言えず、とりあえず電車に飛び乗った。

「…パンケーキ」

呟くと、月島ははっと顔を上げ、噂のパンケーキ……と深刻に考え込んだ。
難しい顔をする場面ではないのだけど、クソ真面目な月島らしい。
女性の流行は過ぎ去るのも早いので、今は他のなにかが注目されているのだろうが甘い物好きな月島にはうってつけと思ったのだ。

「食べたことあるか?」

「……ない。いつか食べたいとは思ってた。でも一緒に行く人いないし、一人でパンケーキは痛いし。楓ちゃんが作るホットケーキならたくさん食べたけど」

想像し、そっちのほうが美味しいかもと笑った。

「楓さんは凝って作りそうだからな」

「……うん。すごく美味しいよ。生クリームと蜂蜜かけてベリーを添えてくれる…」

「考えただけで口の中が甘くなる」

苦笑した月島の頭をぽんと撫で、扉に寄り掛かるようにした。
どこだっけ。以前行きたいとせがまれ、元カノが大層美味しい、美味しいと言っていた店があったはず。
月島も甘党なのできっと喜ぶだろう。
唸りながら思い出し、目的の駅で降りた。

「うわ、若者の街だ」

「お前も若者の一人だろ」

「僕はあまりこういうところには来ないから…」

「じゃあどこ行くの」

「どこも行かない」

なんて面白みがないんだと思うが、友達がいなければそうなるのも仕方がない。
若さはあっという間に過ぎ去るのだから、今のうちに遊んだほうが得だと思うのだけど。

「こっち」

人の多さにうんざりした様子の月島の腕を引いた。
どこかに捕まってくれないとはぐれるほど人が多い。そうなったら一大事。土地勘があまりない月島はうろうろ歩き回って警察に保護されかねない。
そこまで馬鹿ではないし、大通りと駅は一本なので大丈夫だろうけど、微妙に心配だ。
駅から十分程度のビルの看板を見上げ、エレベーターに乗り込む。
ワンフロアすべてその店で、予約がないと待ち時間もあったはずだが、時間が中途半端なせいか待たずに席に通された。
最上階なので一面窓の向こうは少し先のビル群が見える。

「…こういうデートスポットに男二人って変かな」

身を乗り出すように声を潜めて言われ、小さく首を振った。

「誰も他人のことなんて気にしない」

店内は程よい音量の音楽のおかげで隣の会話も気にならない。

「これが一番人気らしいぞ」

「じゃあそれ食べる」

焼きあがるまで二十分ほどかかりますがよろしいですかと確認され、大丈夫ですと月島が大きく頷いた。
先にきたアイスコーヒーに口をつけ、なんとなしに窓の外を眺める。

「君はいつもデートするときこういう場所に来るんだね」

「いつもじゃない。行きたいって言われたらつきあうだけ」

「でも、ちゃんと彼女の好きそうな場所を考えて、甘いもの好きじゃなくてもつきあうんでしょ。いい彼氏じゃん」

「だから言っただろ。俺彼女には優しいの」

「いいなあ……」

「なにが」

「あ、いや、そういう経験がたくさんあっていいなって」

「俺らまだ十六だぞ。これからお前もたくさん経験するんだよ」

「…そうかな」

「そうだよ。だってデートの約束とりつけたんだろ?」

「……いや、そのー…」

曖昧な返事にあまり上手くいってるわけではないらしいと察し、それ以上突っ込んで聞くのはやめた。
運ばれてきた三段重ねのパンケーキを見て、月島はにっこり笑いナイフとフォークを両手に持った。
一口食べると美味しいと瞳を大きくしたのを見て思わず笑みが浮かぶ。

「君も食べる?」

「いらん」

「一口だけ。中に入ってるリコッタチーズすごく美味しい」

「…じゃあ一口」

頬杖をついたまま、あ、と口を開けると月島が小さく切り分けたパンケーキをそっと入れた。

「…甘い」

「君、味覚音痴?甘い以外にもあるじゃん。ふわふわだなとか、バターが美味しいとか」

「甘い」

「はいはい、もういいです」

一口食べるごとにふんわり笑う顔が珍しく、そういう笑い方をすると楓さんと似てるのになあと眺めた。

「なに」

「……兄貴が、お前と楓さん、笑った顔が似てるって言ってたけど、やっぱ似てるなと思って」

「……そうかな。あまり言われないからわからないや」

「大好きなお兄ちゃんと似てて嬉しくねえの?」

「微妙。君は似てるって言われると嬉しい?」

「まったく。これっぽっちも」

「そんなもんだよ兄弟なんて。この顔で損したことはたくさんあるけど得したことなんて一度もないし。君はありそうだけどね」

「ねえよ。なんてったって俺には顔面にステ全振りの兄貴がいますから」

「ああ、そうか。君もイケメンだけど香坂さんと比べると見劣りするって感じか」

「相変わらずはっきり言うな」

「でも僕は君の顔のほうがいいと思うよ。あ、顔だけね。顔だけ…」

「だけを強調すんな。顔以外も俺のほうが優良物件だわ」

「例えば?」

「俺様じゃない」

「あとは?」

「一途」

「香坂さんも楓ちゃんには一途だよ?」

「俺のほうが尽くす」

「それは判断する人によるでしょ」

「じゃあもうない」

「ないのかよ」

かっくりと肩を落とされたが、それだけあれば十分だ。俺様の暴君なんて最悪だろうが。
自分に対する扱いと、楓さんに対する扱いは別だとわかっている。
ちゃんと大事にしているし、愛おしさが溢れた優しい瞳を向けるから。
だけど全体的に恋人にするなら自分のほうがいいのにと思うが、そういう細かい部分をすっとばしても兄貴がいいと言う人が多いのだから悔しくなる。
一生こんな調子で勝てずに人生終了するのだろうが、たった一人、自分を見てくれる人がいればそれでいい。
多くは望んでないはずなのに、どういうわけか神様はそれすら与えてくれないらしい。

「美味しかった。これはまた食べにくる価値あり」

「そりゃーよかった」

窓の外が暗くなり始めると、キャンドルを模した小さな照明がテーブルに置かれ、これはさすがに男二人では居た堪れないと顔を顰めた。

「……帰ろうか」

月島の言葉にほっと安堵し、寮についた頃には疲労困憊でベッドにダイブした。
ベッドの端が沈む感覚に薄っすら瞳を開けると、月島が膝の上に置いた手を握りしめながら俯いていた。

「なんだ」

「……実は嘘をついた」

「嘘……?」

「いい感じの子なんていないしデートの予定もないんだ」

「……じゃあなんで…」

月島は項垂れ、苦しそうに顔を歪めた。
これは深刻だぞと覚悟を決め、きちんと話しを聞くため隣に座った。

「……もうすぐ寮の部屋替えだろ。君と僕はクラスも同じにならない」

「まあ、そうだろうな」

頭の出来が悪い自分と優秀な月島ではどうがんばっても同じにはならない。
部屋だってこれだけの生徒数でまた同室になる確率はとても低い。

「だから最後に遊ぼうと思って」

最後という言葉にああ、そうかと納得した。
月島は部屋替えと同時に他人になりましょうと言っているのだ。
そうでなければ一生の別れじゃないのだから最後なんて言わない。
部屋が別れようがクラスが違かろうが同じ学校なのだ。連絡をとりあったり、偶然会えば飯を一緒に食べたり、そういう友人らしいつきあいはせず関係をきっぱり白紙に戻したいということだ。
擦れ違っても気安く話しかけないでくれる?と両腕を胸前で組み、顎を反らしながら冷めた視線を寄越す月島が容易に想像できる。
たった一年同室だった程度で友人面するつもりはないが、相手に直接突き付けられると少し寂しいものだ。
最初に比べれば多少いい関係になれたと思ったのは自分一人だったらしい。

「……君に言っておきたいことがあるんだ。黙っておこうとも思ったけど、ちゃんと自分の気持ちを口にしないと決着つけられないから」

苦笑され、胸が痛んだ。
自分たちは決して仲良しではなかった。いい加減喧嘩はやめろと散々周りに怒られた。
それでも一年同じ部屋で過ごし、色んな月島を知った。
憎たらしい減らず口には辟易したが、そうやって誤魔化した内側は意外と真っ直ぐで臆病で、かわいらしい部分も多かった。
感情を上手に処理できず、キャパオーバーになると涙を流して子どものように泣いたり、甘ったれてみたり。
噛み付いて爪を出し、物陰に隠れ自分を大きく見せながら唸り、だけど時間をかけると気紛れに甘えて、なのにまた小さな物音で爪を出す猫のようで。
手なずけるのが大変で、縮まったと思った距離が次の日には元通り。それの繰り返しで結局最初から比べどの程度の仲に着地したのかわからない。
それでも、わざわざ宣言しなければいけないほど自分は嫌われていたのかと愕然とする。
難しい奴だからしょうがない。自分がいなくとも楓さんや白石がいる。
クラスメイトとも着かず離れず、程よい距離感で猫をかぶってやり過ごすのだろう。

「…あの、えっと……」

月島は指先をいじりながら言葉を探した。一応こいつにも相手を傷つけないような気遣いや申し訳なく思う気持ちがあるんだなあと馬鹿みたいに考えた。
いつもみたいに不遜に鼻で嗤いながら明日から他人だからな忘れるなよ低能、と吐き捨てはしないのだろうか。
苦しそうな表情が段々かわいそうになってきて、ぽんぽんと背中を叩いた。

「お前の言いたいこと、わかってるから」

「……本当?」

「ああ。だから無理して言わなくていい」

安心させるつもりだったが、月島はぐしゃりと顔を歪めた。

「君はいつも僕の考えることがわかるんだね」

「……いや、お前を見てればだいたいわかるだろ」

「そんなにわかりやすい?顔に出てたとか?」

「そりゃあ、顔にも言葉にも出てるだろ」

心底軽蔑した眼差しや憎たらしい言葉の数々。思い出しても辟易する。

「言葉にまで……まさか本人に知られてるとは…」

なにを言ってるんだ。あれだけ目を吊り上げながら罵倒の数々を浴びせればどんなに鈍感でも憎まれているとわかるだろう。

「……あの、それで、君の気持ちは…?」

こちらの気持ちがどうであれ、月島がきれいさっぱり関係を解消したいなら従うまで。
追い縋るのは惨めだし、嫌われてる相手に友達になろうよなんて馬鹿もいいとこだ。

「お前がそうしたいなら別にいいけど」

「本当!?」

ぐっと身体を寄せられ思わず後ずさった。
見たことないほど大きく笑うものだから、そんなに嬉しいか、そんなに離れたかったのかと胸が痛む。

「まさかそう言ってもらえると思ってなかった。絶対暴言吐かれると思ってたし、最悪のパターンを何回も繰り返し想像して……ああ、よかった。本当に嬉しい」

「嬉しい、か……」

「すごく、すごく嬉しい。やっぱり楓ちゃんと顔が似てるからかな」

ん?と頭を捻った。
今の会話の内容と顔になんの関係があるのだろう。

「似てるのは、関係ねえけど……」

「そっか。うん。そうだよね。君は誰かの代わりとかそういう汚い真似はしない男だよね


待ってくれ。月島がなにを言っているのか段々わからなくなってきた。
思考が混乱し始め、だけど確認すると馬鹿だの猿のほうが賢いだの言われるので聞けない。

「勇気を出してよかった。最後の思い出にしようと思ってたけど、最後じゃないってことだよね?」

意味がわからぬまま曖昧に頷いた。
最後ってなんだ。思い出ってなんだ。わからない俺が悪いのか。
眉間に寄った皺を抓み、興奮ぎみの月島をちらっと見た。
にこにこ、にこにこ、随分上機嫌で頬を紅色に染めている。
こんな普通の表情もできるんだなあ、なんて考えている場合ではない。

「またあのパンケーキ食べに行きたい」

「あ、ああ、うん……」

どうしよう。まったくわからん。
離れたいのか、離れたくないのかどちらだ。
もしかして部屋もクラスも離れるけど、友達になろうという話しだったか。
はっと顔を上げ、そっちの線が濃厚だろうと納得した。
そうか、友人が白石しかいないから素でつきあえるお友達がほしいのか。
その瞬間ひどく安堵し、傷ついた心がみるみる修復された。
不器用な月島は、お友達の作り方も下手くそだ。
こんな畏まって言わずとも、一度繋がった縁を簡単に手放すほど薄情な人間じゃないのに。
おかしくなって、月島の髪をくしゃりと撫でた。
さっと視線を逸らし、目元を赤くする姿に高校生にもなってこれって天然記念物かよと思う。

「俺も嬉しいよ」

言うと、大きな瞳をますます大きくし、じんわりと縁に涙を浮かべた。
なんで?
ぎょっとし、間違っただろうかと発言を悔やむ。
月島が泣くときは怒り、悔しさ、焦り、そういった負の感情が入り混じったときだ。
不快にさせるなにかがあったのだろうか。まったくわからん。
月島は茫然としたままぽろぽろと涙を流し続け、拭いもせず放っておくものだから慌てて親指で頬を撫でた。

「…ごめん。嬉しくて泣いたの初めてだ」

「そんなに…?」

あれだけきゃんきゃん噛み付いてきたくせに、本音は仲良くしたかったとか。
友達との距離感がわからず、マシンガンのような口撃を盾にし身を守っていたのか。
それは気付けず申し訳ないと思うが、あんな態度で気付けというほうが無理がある。

「一回泣き出すと止まらねえからなお前は」

濃く、長い睫毛が雫を孕んで重そうにぐっしょり濡れている。
これが好きだった。
絵画か、CG加工された作り物のように綺麗だ。
燃えるように強い瞳が不安定にゆらゆら揺れ、その中に自分が映っているとたまらない気持ちになる。
もっと泣かせたいような、優しく慰めたいような。
ことり、ことりと揺れる気持ちは自分でも説明し難いが、胸の真ん中が騒々しくなる。
伏せた瞳から流れる涙は止まらず、頬を包んで顔を寄せた。
唇で涙を吸い取るようにしてから我に返り身体を離した。

「悪い。魔が差した」

「……いいよ別に。嫌じゃないしもっとしていいよ」

この発言の裏にはどういう意図があるのだろう。
揶揄してなに本気にしてんの?と馬鹿にされるパターンだろうか。
もしかしてキャラを小悪魔路線に変更したとか。

「…お前そういうこと他の奴に言うなよ。本気にされたら大変だぞ」

「君にしか言わないよ」

それはそれで問題だ。玩具にされるのは慣れてるが、月島にまでそんな扱いされたくない。
そもそも友人同士でこういう雰囲気は非常にまずいし、普通じゃない。
なぜ月島が泣いたのかなんて頭からすっ飛んでしまった。
ふっと溜め息を吐き、痛む頭に手を添えた。

「もしかして奥手な子が好みとか?」

「は?」

「でも僕は男だし奥手にはなれないと思うから、そこは諦めてほしい」

今度はなんの話しをしているのだろう。ああ、頭が痛い。

「君はつきあったらその日にキスとかするの?」

「なんだって?」

「キスはいつするの?」

「…さあ。したいなと思ったらするんじゃねえの?」

「今は?」

「ちょっと待て、なんの話しを…」

「だから、今は僕にキスしたいと思わないのかって聞いてる」

「思いませんけど!?」

「……そう」

月島はむっつりと口を引き結び、身体を元の位置に戻した。
これ俺が間違ってんの?
普段使わない頭をフル回転させたがわからない。
もう考えるのも面倒になり、月島の性格が変わっているのは元からだし、まあいいやと放棄した。

「…俺風呂入って寝たいんだけど」

「あ、うん」

じゃあそういうことで、と逃げるように風呂場に向かい、頭から熱い湯をかぶる。
月島の言葉を反芻し、整理してがんばったが答えにたどり着けない。
わからないと気持ちが悪い。
月島はいつだってそうだ。馬鹿にもわかるように説明してほしいと言っても抽象的な話し方ばかりで。
それでも努力し自分なりに噛み砕いてきたつもりだが、今回ばかりは本当にさっぱりわからん。
とにかく、嫌われているわけではないらしいので、部屋替えをし、学年が上がっても彼とのつきあいは続いていくのだろう。
たまに顔を合わせ、たまに遊びに行って、今よりは頻繁でなくとも会話もあって。
そういう普通のお友達を望んでいるらしい。
相変わらず喧嘩ばかりで、嫌いなのにどうしてつるむんだと呆れられる、そんな関係が自分たちにはお似合いなのだ。
入れ替わるように月島が風呂に向かったので、横臥しながらゲームをし、戻ってきたのを確認して電気を消した。
月島に背を向けるように枕に顔を埋めると、ぎゅうぎゅうと背中を押された。

「なに」

「入れて」

「なんで!?」

「なんでって、普通一緒に寝るでしょ?」

「普通!?」

お前の思うお友達の普通はこうなのか。それはどこの世界のお友達だ。
だめだ。こいつなにもわかってない。ボッチを極めすぎて斜め上の発想に至ったらしい。
一から教えなければいけないのかと思うとうんざりするが、次同室になる奴に同じことをしたら大変だ。

「あのな、普通は一緒に眠らないだろ」

「……そうなの?でも楓ちゃんは香坂さんと一緒に寝るし、父と母も同じベッドで寝てるし…」

それは恋人とか夫婦なら珍しくないだろうがお友達には通用しない。
月島は学年で一番頭がいい。なんでも知ってるし、苦手な教科もないらしい。なのにたまにとてつもなく馬鹿になる。

「…まさか白石とも……」

「なんで白石と一緒に寝なきゃいけないんだよ。君だけだよ」

線引きがわからん。
なにか基準があるのだろうが、白石がだめで自分がいい理由はなんだ。
考えている間にもぐいぐいと押され、できた隙間にするりと入ってきた。

「おい」

「同室でいるのあと少しだし、いいでしょ」

お泊り会の感覚?
寝転がりながらお前好きな子いんのかよ、が始まったらどうしよう。死にたい。
月島は胸あたりのTシャツをぎゅうっと掴み、すりっと額を摺り寄せた。

「同じ気持ちならもっと早く言えばよかったな……」

月島がぽつりと呟いた言葉はひどい違和感があった。
同じ気持ち、同じ気持ち、同じ気持ち……。
月島の気持ちなんて一ミリも理解してない。なのに彼は同じ気持ちだと言う。
喉に小骨が刺さったような気持ち悪さを感じた。
自分たちの思考には大きな齟齬があるのではないか。

「……月島」

「……なに。もう寝そう」

「…じゃあいいや」

「…もっと、ぎゅってしないの」

「しませんけど!?」

「なんで?ぎゅって、してよ…」

眠りに落ちる寸前のとろんと甘い声色。
思わず背中に手を回し、とんとんとリズムをつけて叩いた。
なんだ。なぜ急にそんなかわいい発言をする。
これじゃあまるで恋人のようだ。
恋人――。
炭酸の気泡のように浮かんだ思い付きに、いやいやまさかと首を振る。
今考えても仕方がない。
月島は甘えた翌日に触らないでくれる?と手を叩き落とすような男だ。
だからきっと明日にはまた見下すような瞳で高飛車に嗤い、考えるだけ徒労だったと知るのだろう。
そうならぬよう、よくわからないままでいいやと投げやりになる。
きっと少し寂しかったのだ。
折角素でつきあえる同室者だったのに、これから先、別な奴と同室になれば猫をかぶって暮らす必要がある。
ストレスで慣れ親しんだ人や場所が恋しいのだ。きっとそうだ。
甘ったれた子どもと結論付けよう。
重くなる瞼と思考を手放しそうになりながら、明日もかわいいままならいいのにと思った。


END

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