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「三上!」

ばんばんと扉を乱暴に叩く音と共に香坂先輩の声が響いた。
慌ててソファから立ち上がり恐る恐る扉を開く。
できた隙間から覗くと、眉間に皺を寄せた香坂先輩と目線が交じり、先輩はぱっと表情を和らげた。

「よお三上の犬。あいついるか」

「今寝てます」

「そうか」

先輩はこちらの返事も待たずに扉を全開にし、背後に隠れるようにしていた後輩の首根っこを掴んだ。
ぶん投げるように室内に押し込むと二人に向かって舌打ちをかました。

「悪いんだけどこの馬鹿二人ちょっと預かってくれ」

「え、っと……」

「暴れたり反抗的な態度とったら思い切り殴っていいって三上に言っといて」

「は、はあ……」

ばたんと扉が閉まり、茫然とする彼らに向かって小さく頭を下げた。

「ぼ、僕は泉真琴といいます。よくわからないけどどうぞ…」

ソファに誘導し、粗茶ですと言いながら温かい緑茶を出した。
彼らは小さく礼を言い、自分も向かいのソファに着く。
よくよく見るとシャツの釦はいくつかついておらず、ネクタイはくしゃくしゃで、おまけに顔や身体に擦り傷がある。
これは香坂先輩に返討ちにされたパターンだろうか。

「……あの、お名前は」

おずおずと聞くと、黒髪の子が失礼しましたと背筋を正した。

「月島薫です」

「月島……?」

まさかと思ったが全国に一家庭しかない苗字でもあるまいし、とすぐに思い直す。

「兄をご存じですか?」

兄、兄……。
何度か咀嚼するように繰り返し、ならやはり月島君の弟ということかと大きく頷いた。

「特別仲がいいわけじゃないけど、月島君は目立つからね」

「兄がご迷惑をお掛けしております」

深々と頭を下げられ、なんて丁寧で礼儀正しい子なんだと軽く感動した。
月島君は明るく、奔放で、高校生になった今でも麦わら帽子と虫取りカゴがよく似合うような人だが、弟のほうは細身の身体と理知的な顔、雰囲気はどことなく冷ややかでまったくの正反対だ。顔もあまり似ていない。
月島君にこんな弟がいたとは。そうか、そうかとまじまじと眺めてしまった。

「おい、君も自己紹介しなよ」

月島弟が隣の子を肘でつつくようにすると、彼は胸倉を掴んでそもそもお前のせいで、と喰ってかかった。

「君のせいだろ!」

「お前のせいだ!」

「ちょ、ちょっとストップ!喧嘩はまたあとにしよう」

「……すいません。香坂、京です……」

「……えーっと、月島君と香坂先輩の弟ということで…?」

「はい」

ぐるんと目が廻りそうになる。額に手を添えなんてこったとあのとき扉を開けた自分を悔やむ。
兄二人と違い弟たちは険悪な雰囲気で、きっとこの部屋に幽閉される理由がそれなりにあるのだろうと察する。

「どういう経緯でここに来たのかな」

「ベッドぶっ壊したんだろ」

突然聞こえた声に阿呆みたいな顔で上を向く。
三上が欠伸をしながら携帯を手に、面倒くせえという顔を隠しもせず言った。

「香坂先輩からライン入ってた。喧嘩の末ベッドを壊し、ついでにクローゼットの扉もぶち抜いた馬鹿二人を夜まで頼むってよ」

「なぜ、三上に…?」

「容赦しねえからだろ」

「は、はあ……」

「俺もお茶飲みたい」

「はいはい」

キッチンでお湯を沸かしながら甲斐田君がいてくれればなあと思う。
こういうとき上手に全員の機嫌をとり、かつ円滑に循環させる天才なのに。
自分はとてもそんな役をこなせないし、三上はあんな調子だし、後輩二人はむっつり口を引き結んで俯いている。
甲斐田君は学と遊びに行ったはずだが、今すぐ帰ってきてと泣きつきたくなる。
なにか自分にできることはあるだろうか。
うーん、と悩み、冷蔵庫の扉を開けた。
コンビニで買ったケーキがあったはず。二つしかないので、後輩にあげよう。
甘い物を食べれば少しは怒りが落ち着くかもしれない。
三上のお茶とケーキが乗った皿を運び、よかったら食べてと差し出した。

「いいんですか?」

「勿論。遠慮せずどうぞ」

さあ、さあと促すと、薫君は小さく笑みを浮かべた。
よかった。甘いものは嫌いではないらしい。
隣の彼はちらっとケーキを見た後そっぽを向いてしまった。
こちらは甘いものがお好きではないようだ。
三上にカップを手渡し隣に着いた。
限界まで巻き切ったような張り詰めた空気が息苦しい。

「こ、香坂先輩から伝言です。暴れたり反抗的な態度とったら思い切り殴っていい、だそうです」

三上の耳元でこそこそ言うと、彼はふんと鼻で嗤った。

「言われなくても。こんな面倒な役押し付けられたんだ。せいぜい大人しくしてもらわないと困る」

彼らに聞こえるように言うものだから、慌てて三上の口を塞いだが、時すでに遅し。京君がものすごくこちらを睨んでいる。
怖い。普通に怖い。
香坂先輩より木内先輩と兄弟といったほうがしっくりくる。
警戒心から牙をむき出しにする野犬のようで、少しでも手を差し出したら噛みつかれそうだ。

「ま、まあまあ、たまには後輩と親睦を深めるのもいいと思いません?」

「思わねえな」

「う……でもほら、三上も香坂先輩にはお世話になってるしさ」

「世話したことはあっても世話になった覚えはねえな」

そんなこと言うなよー、と一生懸命ご機嫌とりに四苦八苦すると、京君がぼそりと態度でか、と呟いた。
ああ、なぜ火に油を……。
声はしっかり三上にも届き、思い切りロウテーブルを蹴っ飛ばした。
この部屋の備品も壊すのではないか。
立ち上がった三上のシャツをぎゅうぎゅうと引っ張り、早まるなと止めたが振りほどかれた。
薫君は危機を察知し、ケーキ皿を持ってさっとこちらに避難した。

「おい、クソ生意気な口きくのは構わねえけど俺は香坂先輩の弟だからって気遣わねえからな」

「そんなの頼んでませんけど」

「躾けが必要か?」

「やってみろよ」

睨み合う二人をぼんやり眺め、隣の薫君に顔を寄せた。

「京君は部屋でもこんな感じなの?」

「まあ、そうですね。彼、上下関係とかわかってない馬鹿なんで」

「あんな絶対服従のお兄様がいるのに?」

「香坂さんと、木内先輩には従うんですけどねえ…」

「あー、なるほど、そういう感じか……」

飼い主を選んでいるというか、誰にでも尻尾を振るわけではないらしい。
三上も三上で無駄に挑発するからいけない。
気持ちよく眠っていたところを起こされた苛立ちをそのままぶつけているのだろう。
完全に八つ当たりだ。京君にとっては不幸でしかない。
薫君をソファに座らせ、二人で膝を抱いた。
向こう側では三上の言う躾けが実行されている。
関節技をきめられた京君が唸っているのを見ながら、痛いよね、わかるよと心の中で頷く。
自分もいつもかけられる。うるさいとか、鬱陶しいとか、そういう理由で。
肩を抑えながら転がった京君の腹の上に脚を置き、ころころ転がすようにすると、復活した京君が飛びついた。

「おー、さすが香坂先輩の弟。降参しないねえ」

「実況してる場合じゃなくないですか?」

「ああなると僕じゃ止められないしね……」

皇矢と三上の喧嘩が始まったとき、最初はやめようよと必死に止めていた。
放っておく潤になぜ止めないのかと聞くと、放置するのが一番だからと言われた。
納得できなかったが、今ならわかる。
放置が一番終息への近道なのだ。
好きなだけ暴れれば疲れて眠るだろう。子犬か子どものような扱いだが、下手に手を出すと余計に怒りに触れてしまう。

「あれですかね、雄の動物のヒエラルキーを決める戦いみたいな」

「人間も動物だしね」

「本能ですね」

のんびり会話をしていると、京君は腕を背後で捻られ床に頭を抑えつけられた。
降参の証に三上の腕をタップしている。
決着がついただろうか。

「おお、三上先輩の勝利ですね。きっとこれで服従してくれますよ」

「やっぱり負けたら従うんだ」

「単純馬鹿なんで」

「そっか。じゃあ僕はそういうヒエラルキーでいったら最底辺だな」

「僕もです」

お互い苦労しますねえと頷き合う。
三上がシャツの襟をばさばささせながら暑いと呟き、こちらに戻ってきた。

「切り傷」

腕を指すと、思い切り舌打ちした。

「だから馬鹿は嫌いなんだよ」

「同感です」

薫君がはい、と挙手をし、二人から責められた京君が眉根を寄せた。
どうしていじめるんだ。かわいそうに。
彼だってわけもわからず知らない先輩の部屋に放り込まれた被害者だ。
おまけに三上にねじ伏せられ、薫君に厳しい言葉を投げ捨てられ、踏んだり蹴ったり。
あ、っと思い出し、鞄の中から絆創膏をとりだした。
床で胡坐を掻く京君のそばに座り、所々血が滲む場所にぺりっと貼ってやった。

「……すいません」

「いいんだよ。僕もよく怪我するから。持っていてよかったよ。肩は痛む?冷やそうか?」

「いえ、これくらい慣れてるんで」

「わかるよ。僕もよく三上にやられるから。痛いんだよねえ」

うん、うんと頷くと、眉根を寄せたまま顔を覗き込まれた。

「先輩こそ大丈夫?」

ああ、誤解させてしまったらしい。
いじめられてるとか、理不尽な暴力ではないが、簡潔に言葉にできないので全然大丈夫と胸を張りながら笑った。

「立てる?」

手を差し伸べると素直にきゅっと掴んだので、引っ張り上げるようにした。

「先輩はここの部屋の人、だよな…?」

「僕の部屋は別だよ。たまたまいただけ」

「じゃあ帰る?」

「うーん…君たち残して帰るのは心配だからいるよ」

告げると、一瞬だけほっと表情から力が抜けた。
三上と残されたらそりゃ不安だよな。
甲斐田君のように上手にできはしないけど、ここは自分が潤滑油の変わりになろうではないか。
後ろを振り返ると、ケーキを食べる薫君とタブレットを操作する三上が呑気に隣り合って座っている。
こいつら……と一瞬思ったが、今は彼ら二人を無事に保護するのが先決だ。
きっと今頃彼らの部屋では寮監と香坂先輩たちで尻拭い中だろう。

「甘いのは好きじゃない?」

「……あんまり」

「じゃあ珈琲でも淹れようか」

「いいです。気遣わないでください」

「そうですよ。そんな奴に遣うだけ勿体ないですから」

「お前……」

「わー!この部屋にいる間は喧嘩禁止!」

二人は渋々といった様子で顔を背けた。
苦笑し、新たに珈琲を淹れながらだんだん楽しくなってきたぞと思う。
懐かなかった野良犬が徐々に心を開いてくれているような感覚。
それに、先輩との関係も希薄だが後輩との関係も薄いので、新鮮でもある。
この短時間でなぜ彼らの仲が悪いのかもなんとなく察した。
口の減らない薫君と、すぐ手が出る京君の相性は最悪なのだろう。
自分が一年の頃、同室者として相性の悪かった自分と三上を思い出して懐かしくなる。
今でもお互いの性格は変わらないので上手に噛み合わないことも多いけど。
彼らも少しずつ、お互いが我慢したり頭を冷やしながら接すれば大きな喧嘩に発展する前に我に返れると思うのだけど、余計な口は挟まないようにしよう。
年長者からのアドバイスなんて煙たいし、一歳しか違わないのに年上ぶるのも変だ。
京君にカップを手渡し、隣に着いたはいいが夜までどうやって過ごそうかと思う。
テレビを見たり、漫画を読んだり、過ごし方は色々あるけれど、気心が知れない関係で長い時間を消費するのは難しい。
三上は喋るほうじゃないし、自分も楽しい話題を提供できるほどコミュ力が高くない。
こういうとき潤や月島君の偉大さを知るのだ。

「……つ、月島君と兄弟仲はいいの?」

結局無難な会話を探し、ぎこちなく笑顔を作った。

「はい。楓ちゃんのことは大好きです」

先ほどまでの傲慢な表情とは打って変わって年相応の笑顔を見せたものだから少し驚いた。

「そっか。月島君がお兄ちゃんだったら楽しいだろうね」

「口煩いとこはありますけど、いい兄です」

「うんうん。京君は?」

「仲いいと思います?」

「うーん……」

この弟とあの兄。衝突するほうが多いだろうと容易く想像できる。

「俺も楓さんが兄ちゃんならよかったのに」

「はー?楓ちゃんは僕のお兄ちゃんだから!」

「いい加減兄離れしろよブラコン」

「ブラコンで結構!」

「ブ、ブラコンになるくらいいいお兄ちゃんなんだよね?三上もシスコンだし」

慌てて付け加えた一言に、後輩二人がぎょっとしながら三上を見た。
ああ、余計なことを言ってしまったらしい。

「え、シスコン……?うわあ…」

「なんだよ」

「いえ。ちょっときついなと思っただけです」

「ブラコンに言われたくねえよ」

「み、三上の妹さん双子なんだけど、すごくかわいいんだ!そりゃあちょっと過保護にもなるよなって感じで!僕もあんな子が妹だったら心配になるなあ…」

慌てて取り繕ったが、今度は三上に睨まれた。

「俺の妹だ」

「例えばのはなしだよ……」

薫君が珍獣を見るような目を三上に向けたが、君たちそう変わらないぞと思う。
兄が大好きな薫君、妹が大好きな三上、残念な生き物を見るような心境の僕と京君。
なんだこの空間。

「写真とかないんですか?見たいです」

「あるけど見せない。減るから」

「本物のシスコンだ……。一度、高杉先輩の妹さん校門まで来たじゃないですか。あのとき美少女ってクラス内でもすごい話題になって。あの子よりかわいいですか?」

「比べ物になりませんけど」

「えー、でも三上先輩と似てたらかわいげなさそう…」

「わかった見せてやる。かわいいからって惚れんなよ」

薫君は三上相手でもずけずけ物を言うので、逆に新鮮だし尊敬する。
スマホの写真を眺めた薫君は何度か頷き、かわいいですねと笑いながら携帯を返した。

「でも高杉先輩の妹のほうが美少女かな」

「喧嘩売ってんのか」

「客観的な判断です」

「僕にも見せて」

携帯を渡され、隣の京君と覗き込んだ。
三上の妹二人が顔を寄せるようにして微笑んでいる。うん、かわいい。
二卵性なのでそこまでそっくりではないが、ぱっと見ではまだどちらがどちらか判断できない。

「京君どう思う?」

「こっちの、ちょっときつめの子。かわいいと思う」

「お前見る目あるな。でも惚れんなよ」

「惚れませんよ…」

「そういう顔、君のタイプだもんね?」

はん、と薫君が鼻で嗤った。
僕はどちらもかわいいと思う。共学校に通っているのだ、恋心を寄せる男の子がいてもおかしくない。三上に邪魔されそうだけど。
それ以前に彼女たちは皇矢にご執心らしく、お兄ちゃん的には断じて許しませんと必死なのだけど。

「先輩はどっちが好み?」

京君に聞かれ、うーんと曖昧な返事をした。

「おい、俺の妹を変な目で見んな。汚れるだろ」

「心配しなくても同じ学校の男に変な目で見られてますよ」

「やめろ!俺は認めねえからな!」

「ね、すごい重度のシスコンでしょ?」

「やばいっすね」

こそこそ話したが三上の耳にはしっかり届いていたらしい。
シスコンですがなにか?と開き直った態度で言われた。

「そんなシスコンだと彼女に引かれません?」

薫君が身を乗り出し、興味津々といった様子で聞いた。

「彼女なんていない」

「うわ、意外」

こういう話題は居心地が悪い。
自分たちの関係は大っぴらにできないし、上手に隠さなきゃいけないのに嘘をつくのが下手なせいでそわっと落ち着かなくなる。

「僕、三上先輩に興味あります」

「は?」

「一年の間でも有名ですよ。目が合うと腕折られるらしいです」

ぶはっと噴き出してしまった。
そんな馬鹿な。目が合っただけでそれってどんだけ暴君なんだ。
二年の間でも爪弾き者だが、一年の間でもひどい噂が流れているらしい。

「そんなの信じないけど、なんでそんな風に言われるんだろうと思って」

「知らん」

三上は興味なさそうにタブレットに視線を戻した。
皇矢と三上は外部入学で、それだけで遠巻きにされた挙句、見た目もこんな調子で口数少なく馴染もうとしない。
気に入らない生徒があることないこと吹聴した挙句、今の形に収まってしまったらしい。
でも色々言われる材料が揃ってしまっただけで悪い人ではないのだ。

「そんなに怖い人じゃないんだよ」

「いやー、さっきの香坂への仕打ちを見る限り怖い人ですけど」

「理由なくあんなことしないし、後輩をわざわざいじめたりもしないから。そもそも人に興味ないし。クラスメイトの名前と顔すら覚えてないんだよ」

「ますます興味深いです」

「俺の話はいいっつーの」

うんざりした表情にふっと笑うと、控えめに扉が叩かれた。
三上の部屋だが家主が対応しないので自分が扉を開けた。
そこには月島君が立っており、苦笑しながら面倒みさせて悪いなと謝罪を受けた。

「大丈夫だよ」

中に招き入れると二人は月島君の視線を避けるようにさっと斜め下に顔を逸らした。

「お前らなあ!」

説教タイムの始まりだ。
元々備品のベッドはガタがきていたのだろう。そこに負荷がかかった挙句、真ん中の板がばきっと折れたらしい。
それでも止まらず、月島君をクローゼットに押し付けた拍子にそちらもひび割れたらしい。
暴れん坊だが元気でなにより、なんて呑気に言ってられないだろう。
反省文とまではいかずとも、先生たちからのきついお説教は覚悟しなければならない。
月島君は散々怒ったあと疲れたと肩を落とした。
お兄ちゃんなんだなあと実感し、弟や妹がいない自分は少しだけ羨ましくなる。

「三上も泉も悪かったな。面倒押し付けて」

「楽しかったよ」

気にしないでと言うと、月島君は労わるように肩をぽんと叩いた。

「お前らも!礼!」

月島君は二人の頭に手を置き、順に下げさせ、ありがとうございましたと無理に言わせた。
厳しいお兄ちゃんだ。
苦笑しながら大丈夫だからと何度も繰り返す。

「おら行くぞ。暫くは一つのベッドで仲良く寝ろよ」

「は!?楓ちゃんの部屋に泊めてよ!」

「だめ。自分たちのせいでこうなったんだからしょうがねえだろ」

「嫌だ!ねえ、泉先輩泊めて」

「と、泊めてあげたいのは山々なんだけど……」

ちらっと月島君を見ると、薫君の頭をぽかっと叩いた。

「説教が足りねえか?」

「……わかったよ…」

薫君は叩かれた頭をさするようにし口を尖らせた。
扉まで見送り、またなにかあったらいつでも来てねと笑いながら手を振った。
廊下を歩きだした三人の背中をなんとなく見ると、京君が思い出したように戻ってきた。

「どうしたの?忘れ物?」

「……これ、ありがとうございました」

絆創膏を指さされ、この子も見た目に反して素直で律儀だなあと思う。

「泉先輩になにかあったら言ってください。なんでもします」

「おお、さすが」

なにが?と首を捻られたが、なんでもないと慌てて首を振った。
ヒエラルキーの力関係は彼にとっては絶対で、最底辺である自分も三上とセットで服従の対象にしてくれたらしい。
そんな風に思う必要ないんだよと伝えたいが、方法がわからない。

「じゃあ、今度困ったことがあったら頼みます」

ぺこりと頭を下げると彼はふっと笑い、くしゃっと頭を撫でた。

「あ、すいません、つい…」

「はは、頼りないからそうなるよね」

「そんなことないです。助けられました」

大したことはなにもしてないが、そう言われると悪い気はしない。
ちょっと先輩面しすぎたかなと気恥ずかしくもなる。

「香坂!」

「今行く!じゃあ、また」

「うん」

今度こそ部屋に戻ると、三上がソファで伸びていた。

「お疲れ様」

さらりと髪を撫でながら耳にかけてやると、薄っすらと瞳をあけ、一年分疲れたとぼやいた。

「三上のことだから香坂先輩の頼みなんて知らんって放り投げるかと思ったよ」

「お駄賃くれるって言うから乗った」

「あー、なるほど、有料でしたか」

「当たり前だろ。保育園は有料なんだよ」

保育園というより動物園といったほうがしっくりくるけど。

「ちょっと膝貸せ」

上半身を起こしたので空いたスペースに慌てて座ると三上は頭を預けて瞳を閉じた。

「寝るの?」

「寝ない。もう少ししたら飯食いに行く」

「うん」

三上はこんなことは二度とごめんだと言うけれど、自分は彼らのハプニングのおかげで見知らぬ後輩と言葉を交わせたことが楽しかった。
見た目は派手だが義理に厚い京君と、生意気な口調と甘え上手な薫君。
どちらもこんなことがなかったら赤の他人のまま卒業していただろう。
人の出会いは一期一会だ。どこにどんな縁が転がっているかわからない。
人を怖いと思うのと同じくらい、深く接してみたいとも思う。
三上は理解できないと言うだろうけれど。
さらり、さらり、黒い髪を撫でながら深く溜め息を吐く三上を見下ろし、くすりと笑った。


END

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