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高校時代と大学生になった今、なにが変わり、なにが変わらなかったか。
変わったことは体力が目減りしたこと、自由時間がもてるようになった分すべての責任は自分に返ってくるようになったこと、一人暮らしは想像以上に大変ということ。
変わらなかったことは楓がそばにいることと、彼への気持ち。
物理的な距離と気持ちの距離は比例するかもしれないと思った時期もあった。
自分はまだしも、彼はかわいい女性が大好きだし、お人好しな分流されやすい傾向にある。
彼は香坂の浮気が心配と口うるさく言うけれど、むしろ楓のほうが心配だった。
万が一、楓が浮気しても離してやれない。
幸せを願い拳を作って身を引くなんて芸当、自分にはできないと思う。
なんて悪い想像をすることもあったが、今のところその気配はないし、交際も継続中だ。

「香坂ー、起きろー」

ベッドが軋み、背中をゆさゆさ揺すられる。
起きてると口にしたいのに声が掠れて上手に音にならない。

「朝飯できたってば」

起き抜けに飯。
できれば珈琲でも飲んで少し頭を覚醒させてからと思うが、ここで文句を言うと二度と作らねえからな!と雷が落ちるので黙って身体を起こした。
さっさとキッチンへ向かった楓の背中をぼんやり眺め、欠伸をしてからダイニングに着いた。
まだはっきり目が開かない。
昨日寝たの何時だっけ。確か夜中の三時くらい。
何回したっけ。確か楓に強請られ二回。
パンを皿に盛りつける楓に視線をやりながら、こいつ元気だなと呆れ半分、安心半分。
受け身のセックスは身体への負担が大きい。
昔と変わらず、なるべく傲慢にならぬよう丁寧にしているつもりだが、それでも自分より楓のほうが余程辛いはずで。
なのに自分のほうが疲労困憊だ。
しょぼしょぼする目を擦ると、目の前にホットサラダとクロワッサンと珈琲と林檎が並んだ。ちなみに林檎は兎の形。

「ちょっと疲れてるからパンは焼いただけな」

「充分」

普段が手を込んで作りすぎだ。
朝食なんてトーストにジャムを塗る程度で構わないのに、ソイソースクロックムッシュだ、エッグベネディクトだと年々料理の腕を上げ続けているし、もはやいつでも嫁にいける。
料理ができるぶん、掃除は積極的にやろうとしないのでそれは自分の仕事。
そもそも自分の家なのだから自分でやるのが当たり前だけど。

「いただきます」

手をあわせ、向かいに座った楓に小さく頭を下げる。

「召し上がれ」

パンに手を伸ばすと野菜から食えと叱られる。
楓はいつの間にかママになったらしい。
自分の母親でもここまで口煩くねえぞと思うが、だらしない自分にはそれくらいのほうが丁度いいのかもしれない。
今日の予定を話しながら食べ終え、美味しかった、ありがとうと言うと、楓は俯きがちに別に、これくらい……とぼそぼそ話した。
楓とつきあうようになって三年目。
未だにこんな不器用な反応をみせるし、ツンデレは健在だ。
だから毎回新鮮で、変わってないことに安堵する。
飲みかけだった珈琲を煽り、楓とバトンタッチ。
調理は楓、後片付けは自分。
水切り籠に洗った食器を放り投げていると、カウンターに頬杖をつきながら、なあ、と甘えた様子で楓が身を乗り出した。
この顔をするときは大抵自分に不都合なおねだりが始まる。
身構えながら思い切り嫌な顔をした。

「まだなにも言ってねえだろ!」

「じゃあさっさと言え」

「髪いじらせて」

これだよ。絶対こういうお願いだと思ったんだ。
楓は美容専門学校に入学し、日々座学と実技に励んでいる。
大きく重い鞄を毎日持ち歩く。鞄のチャックを開けると生首が入っていて、初めて見たときは気持ち悪いと思ったものだ。
今となっては自分の家にも生首が並んでいる。
実家に置いとくと怒られるからさーなんて呑気に話すが、こっちだって早く処分してほしい。
夜中に帰宅し、暗い部屋に生首があるとほどほどにびっくりするんだぞ。
四年制の大学より美容学生は大変だし体力勝負と聞くので、なるべく力になりたいが、おかしな髪にされるから嫌なのだ。
ストレス発散なのか、趣味なのか、勉強なのか、コテを取り出し巻いてみたり、ワインディングの練習台にされたり。
溜め息を吐くと、お願い、と両手を合わせながら懇願される。
楓は惚れた弱味というのを最大に利用してくる。
しょうがないと文句を言うと、もちろんシャンプーもしますと首を傾げられた。
その仕草やめろ。かわいい。
洗い物を終え、ソファに座ると後ろに回った楓が髪の状態を確かめるように触れた。

「トリートメント追加するかー」

「なんでもいい。あんまりさらさらしててもきもいだろ」

「香坂は意外と自分の容姿に無関心だよなー。無造作ヘアですって言い張るし」

「そう見えるだろ」

「見えるけど!見えるから悔しいんだけど!」

「伸びたら適当に切ってくれよ」

「ちゃんとしたプロにお願いしたほうがいいと思うんだけど」

「いいよ。お前の練習にもなるし、失敗してもどうせ髪なんて伸びんだから」

「うーん、適当すぎて心配」

「顔がものを言うから大丈夫」

「そういうとこ、昔からマジでむかつく」

ぶつくさ文句を垂れる楓は無視をし、練習台になる間自分はドラマを見たり、映画を見たりする。
お前勉強してんの?と楓に聞かれることも多いが、それはまあ、ほどほどに。
楓と一緒にいる時間は限られているので、勉強なんかに時間を割きたくないだけ。
学校、バイトと楓は大忙しだ。
昔からなにに対しても全力疾走で、止まると死ぬ生き物のように忙しなかった。
それは今でも変わらないし、多分一生このままだ。
楓らしいのでむしろ安心するけれど、放っておかれることも多い。
学校、バイト、恋人、友人、もう少しバランスよく配分できないのだろうかと不満はあるが、器用にこなしたらそれはもう楓ではない。
こういう性格だから新しい友人も多く、旧友である蓮たちとの付き合いも続いている。
その中で自分は僅かに空いた時間に放り込まれ、どんどん後回しだ。

「……バイトしようかな」

思い付きで言うと、この世の終わりのような顔をされた。

「香坂が、バイト……?」

「なんだよ」

「お前誰かの下で働けんの…?」

「社会人になったら働かなきゃいけねえだろ」

「そうだけど、理不尽に耐えられる?むかついたから辞めるとかできないんだよ?」

「馬鹿にしてんのか」

「いやー、そうか。東城の王様もついに誰かの下につくのか……」

「なんだそれ。悔しいからめちゃくちゃ稼いでやる」

「ホストとか水商売はだめな」

「俺がそんな器用なことできると思うか?」

「思う」

心外だ。
細かい気配りや豊富な話術なんて身についてない。
顔だけでどうにかなるほど甘い世界ではないのだ。

「居酒屋とかもだめ。絶対連絡先渡される」

「渡されたってかけねえよ」

「ただでさえ大学の女の子かわいくて心配なのに!」

「お前意外と束縛するよな。考えが昭和」

「そりゃ、俺だって香坂の顔面偏差値が低ければそこまで心配しないよ。でもそうじゃないじゃん。一声でベッドインできるじゃん」

「お前の中の俺のイメージひでえな」

「わかってるよ。香坂は意外と誠実で、一途な男だって。でもそれとこれは話しが別」

「この三年間浮気したことあります?」

「ありません。でも三年目の浮気って言うじゃん」

楓は懐かしい昭和の歌謡曲を歌いだした。どこで覚えてきたんだと呆れる。
そんなもの、綱渡りをしているのはお互い様だ。普通の恋人同士ではないのだから。
お互い女性とつきあえるのだし、いつ目が覚めるかわからない。男とつきあっても未来はないと切り捨てることもあるかもしれない。
まだぎりぎり学生だからいまいちぴんとこないかもしれないが、社会人になり、現実を嫌というほど知れば考え方も変わる。
美容系はジェンダーレスの傾向が強いし、同性愛者も特別珍しくないという。
だから恐らく、普通の大学に通い、マジョリティが持て囃される環境にいる自分を思うと、楓のほうが不安は大きいのかもしれない。

「よし、できた。今日もかわいい」

「もうこのまま出かけてやろうか」

「あ、それいいな」

「冗談。終わったならシャンプーしてくれ」

「はいはい」

脱衣所で洋服を脱ぐのを楓が腕を組んで待っている。
脱ぐのは自分だけで、楓はズボンの裾をまくり、せいぜいTシャツになる程度だ。
湯船に浸かり、縁に頭を預けるようにし、楓は洗い場でせっせとシャンプーする。それがいつもの形。
だけど、たまには一緒に入ろうと無理に服を脱がしにかかった。
楓はいつしか事後も一人のほうが楽だからと、さっさと一人でシャワーを浴びるようになった。
自分としては最初の頃のように快感でふにゃふにゃになって力が入らない身体を介護したいのだけど。
セックスに慣れていいこともたくさんあったが、少し残念なこともある。

「昨日の夜も二回シャワー入ったのに」

「シャワーだけだろ。夏でもゆっくり湯船に浸かったほうがいいんだぞ」

「いやシャワー派の香坂に言われたくない」

素直に返事をしないのはいつものことなので無視をして、楓の腕を引いて湯船に浸かった。流石にでかい男二人だと狭いので、背後から抱えるようにして。
胸に凭れるようにした楓から自分の家のシャンプーの匂いがする。
楓が選んだもので、匂いなんて気にしてなかったが、ふんわり香るラベンダーは悪くない。

「……でかい風呂入りてえな」

寮を思い出して急にそんな風に思った。

「銭湯行く?」

「銭湯だと帰らなきゃいけないだろ。風呂入ったらゆっくりしたい」

「じゃあ温泉?」

「いいね温泉。夏休みになったら行くか」

「じゃあみんな誘うか。秀吉とかー、ゆうきとか」

楓は声を弾ませるが、またもや自分を後回しにしやがってとむかっとする。
普通恋人に温泉行こうと言われたら二人に決まっているだろ。

「嫌だ。二人で行く。秀吉たちとは別で遊べ」

「それがなかなか全員揃わないからさ」

「知らん。俺は夏休みまで仁の顔は見たくねえぞ」

「じゃあ二人で」

少し落胆した様子が気に喰わない。
友人を大事にするのはとてもいいことだ。楓の長所だと思う。
だけど高校時代から楓やゆうき、あそこら辺は全員恋人より友人を優先する。
仁が文句を言うたび、ああ、わかる、わかると何度相槌を打ったことか。
例えば、いざ抱き合いますという瞬間に蓮たちから呼び出されたらさっさとそっちへ行ってしまうほどに友情に厚い。

「俺と二人だと不満ですか」

「そんなことないって。拗ねんなよ」

楓は顔を上げ、へらりと笑った。
人の気も知らないで。
社交的な楓と、浅く広くの人間関係を望む自分では考え方が遠く離れているのだろう。
溜め息を吐きながら壁に背を預けるようにした。
楓は慌ててこちらを振り返り、マジで怒った?と窺うようにする。
特になんの反応もしないでいると、身体を対峙させるようにし、頬を包まれた。

「香坂と二人で行くのも楽しみだよ」

「嘘つけ」

「嘘じゃないって。ほら、働きだしたら予定合わせるのも一苦労だろうし、今のうちにやりたいこと全部やらないとって思うし」

「ふーん」

「本当だって」

「三年目の浮気がうんたらかんたらって言う割には俺のこと放っておくのな」

「そんなことない。口では色々言っても香坂を信じてるってこと」

楓は昔に比べて口が上手くなった。
逆ギレすることもなく、こうやって御愛想も浮かべてくれる。
変わらないと思っていたけど、小さな変化は確実に起きている。
特別気付かない小さなことを含めると、お互い日々変化しているのだろう。
どこかで大きく歯車が狂わなければいいけれど、変化は悲しみや別れも呼び寄せる。もう一度浅く溜め息を吐いた。

「機嫌直せよ。折角の休みだし」

楓は甘えるように首に手を回し、触れるだけのキスをした。
こういう対応も昔では考えられなかった。
悲しいような、嬉しいような。気持ちが定まらない。

「……そうだな。風呂あがったらどっか行くか。なんか買いたいって言ってただろ」

「うーん、それもいいけど」

頬杖をついていた手をとられ、指間みずかきをなぞられた。
甘く促すように仕草にいつの間にそんな技を覚えたんだと問い質したくなる。

「お前本当に元気だな」

「香坂は性欲が衰えたよな」

馬鹿言ってんじゃねえと楓の頬を抓った。
まだ二十歳だぞ。俺はまだまだいける。むしろ楓が年々元気になっているだけだ。

「じゃあ証拠みせろよ。証拠」

「お前なあ、俺は毎回細心の注意を払って遠慮してんだぞ」

「ていう言い訳?」

「あー、もういいです。知らねえからな。後で文句言うなよ」

楓の顎を掴み、噛み付くようにキスをすると、視界の端で彼がにやりと笑った。
この野郎。いつの間にそんな奔放になったんだ。
いや、昔から楓は性に奔放だった。
男同士だし、まあ、恥じらいよりも好奇心が勝つよなと思いつつ、色気を身に着けられると心配になる。
脚を開くのは俺だけにしてくれよ。ああ、本当に心配だ。
香坂じゃ物足りないんだよなー、なんてふざけたことを言われないよう、これからは加減もほどほどにしようと思う。


END

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