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楓を連れて帰るからお前もどうだと兄に誘われ、夕方頃実家に顔を出した。
行きは別行動だったので、玄関を開けて月島が現れたときは家を間違ったかと本気で思った。
なぜ、お前が、ここに。
区切るように問うと、月島は香坂さんに誘われて、と悪びれずに答えた。
額に手を添えながら溜め息を吐き、こんなことなら兄の誘いに乗らなければよかったと後悔した。
来てしまったものは仕方がないし、久しぶりに楓さんのご飯が食べられるならまあいいかと妥協し、文句は慎んだ。
どうせ寮にいたって月島と顔を合わせるのだから、然程変わりはない。
変わりはないのだけど、自分のテリトリーに他人、しかも月島がいると無条件でいらっとする。
荷物を置くために自室の扉を開けると、ベッドの下にちょこんと知らない鞄があった。
大方月島のものだろう。
彼が勝手に置いたわけではなく、兄が置いとけばと指示したに違いない。
わかってる。月島が悪いわけじゃない。わかってる。頭では。
感情は別の回路でちりちりと燃えるようになり、落ち着けるはずの我が家が急に遠く感じる。
あーあ、とごちながらリビングに入ると、楓さんによ、と手を挙げられた。
どうも、と答えながらエプロン姿久しぶりだなとまじまじと眺めてしまった。
視線に気づいた兄に脛を蹴られて我に返り、無意味に咳払いしながらソファに着く。

「弟君嫌いなものあったっけ?」

「ピーマン、ニンジン、しいたけ」

「おい」

勝手に答えた兄の肩を軽く叩く。どこの幼稚園児だ。

「レバー以外ならだいたい食べられる」

「はは、了解」

楓さんは腕まくりをしながらキッチンへ入り、冷蔵庫を開けた。
彼にとって我が家は勝手知ったる他人の家で、母以上にキッチンを使いこなしている。

「楓くんは本当にいい子」

大きなお腹をさすりながら母が感嘆したように言う。
次に続く言葉はわかっている。

「それに比べてうちの息子たちは…」

やっぱりこれだ。

「あんたたち将来奥さんが妊娠したときそんな態度じゃぺっと捨てられるんだからね」

「大丈夫。俺楓と結婚するから」

「あらまあ、それはいい考え」

さらりと言った兄に、母は冗談で返しながらくすくす笑った。
内情を知っている自分と月島はぴしっと顔を強張らせたが、兄は呑気にそうだろうと頷く。
やめてくれ。細い糸で首を絞められている気分だ。
ぎりぎりの綱渡りに自分と月島を巻き込むな。
月島を見ろ。俯いて拳にした手を口に当てている。
さぞかし気まずいだろうと察したが、よく見ると月島は笑いを堪えていた。
兄と月島の図太さに呆れ、だから精神が細い自分や楓さんが振り回されるんだよなあと溜め息を呑み込む。
居たたまれなくなり、楓さんを手伝うという言い訳でキッチンに逃げた。
とはいえ、料理などできないし、かといってあの場に戻るのは絶対に嫌だ。

「今日の献立は?」

聞くと、楓さんはうーんと唸った。

「大根と鶏肉揚げたやつと、小松菜と油揚げの煮ひたしと、豆腐のグラタンとー……あとなんかリクエストある?」

「肉」

「大雑把だな。じゃあなんか肉料理追加」

プラスして、母がいつでも食べられるようにクラムチャウダーもこしらえてくれるらしい。

「…なんか手伝おうか?」

「お、偉い。じゃあ大根の皮剥いて、半月切りにして。厚くしすぎないように」

「うーん、そういうのはできない」

「できないじゃない。やるんだよ。簡単なものくらい作れるようになったほうが将来楽だぞ」

まるで母かおばあちゃんのような言葉だ。
楓さんの言い分はもっともで、正論なのだけど面倒くさいが勝ってしまう。
渡されたピューラーで初めて大根の皮剥きを体験しながら、隣で無駄なく動く姿に視線をやった。

「…なんでそんなに料理得意なの」

「両親が忙しい人だったから。薫のためには俺が作るしかなかった」

なんていい兄貴だ。
自分なんて、腹が減ったと兄に言えば出前でもとれば?と素っ気なく言われたものだ。世話をされた記憶がない。
いつも意地悪をされ、いつも喧嘩していた。それ以上に大笑いしながらたくさん遊んだ。
だけど桜さんが亡くなってからの兄は笑顔を見せず、喋らず、すべての人間を締め出すようにし、母も手を焼いている様子だった。
幼いながらに家の中が不穏な空気で満ちているのを察し、お兄ちゃんどうしちゃったのと、以前の兄に戻ってほしくて方法もわからぬままに語り続けた。
それでも兄は自分になにも返すことなく、ろくに会話もないまま東城へ行った。
久しぶりに兄が心から笑っているのを見たときは心底安堵した。
そうさせているのは楓さんで、彼が大きな声で笑い、冗談を言い、兄の腕を引っ張って前へ前へと走るおかげだ。
後ろを振り返る暇もなく、目的地もゴールもわからないまま、それでもこっちだよと寄り添ってくれる。
楓さんには感謝しているし、兄には必要な人だと思っている。
だけどぎくしゃくした兄弟関係は持ち越され、憎しみや怒りや劣等感などが複雑に入り組んで、楓さんを奪おうとしたり、素直に話せなかったり、そんな調子で今に至る。
剥き終わった大根をまな板の上に置いた。

「後はよろしくー」

「……まあ、刃物持たせて香坂と殺し合いしても困るしな」

「そこまでひどくない」

「そうか?じゃあ次小松菜洗って」

はいはい、と返事をしながら器用に包丁を扱う様子を眺めた。
まるで魔法の手だ。

「すげえな」

「こんなの誰だってできるようになる。俺だって最初は大量出血しながら作ってた」

「やばいな」

「やばいよ。一回ざっくり切っちゃって、それを見た薫がパニくって玄関開けて助けて―って大騒ぎして警察沙汰になったんだよ」

思わず噴き出すと笑い事じゃないと言いつつ、楓さんも笑った。

「両親がご近所さんや警察にどうもすいませんでしたって頭下げて回って。でもその判断は間違ってなかったって薫を褒めてた」

「いい親だ」

「母さんはきついけどな。そんな事件を繰り返し、今では立派に母以上に料理ができる男になってしまったわけよ」

月島兄弟の昔話はどれもおもしろくて、あの月島にそんなかわいい時代があったんだなあと感慨深くなる。

「月島は昔っからあんな風かと思ってた」

「まあ、基本的には変わらない。斜に構えて、馬鹿じゃないのって見下す感じ。でも動揺するといまだに一気に幼くなる。昔も突飛な行動するせいでこっちも気が気じゃなかったよ。道でひかれた猫がカラスにつつかれてるの見たときなんか、大泣きしながらカラスと喧嘩してた」

再び噴き出した。

「うわーって言いながら持ってた手提げ鞄振り回して。薫を必死に止めて、一緒に猫の墓作って落ち着かせたよ」

「かわいいじゃん」

「そう。かわいい部分もあんのよ。捻くれてそういうピュアなところを一生懸命隠してるだけなんだ。だから、呆れることも多いと思うけどよろしく頼むよ」

楓さんが一気にお兄ちゃんの顔で微苦笑したので思わず頷いてしまった。
やっちまったと思ったが、楓さんがほっと息を吐くように安堵したのが伝わり、まあいいかと受け流す。

「まあ、弟君はあの香坂がお兄ちゃんだし、それに比べれば薫なんてかわいいほうだろ?」

「同じくらい面倒くさい」

「お互いに苦労しますね」

楓さんはくっくと笑いながら、だけどとても幸福そうだった。
兄に世話を焼かされることも多いだろうに、文句を言いながら甘やかしてくれる。
この人には一生頭が上がらないなと思った。


ろくな手伝いもできぬまま、楓さんの話し相手をしている間に夕飯が出来上がった。
せめて配膳くらいはしようとカウンターとダイニングテーブルを往復しながら並べる。
兄と母は美味しい、天才と大喜びで、家の中がこんなに賑やかなのいつぶりかしらとぽつりと母が呟いた。
罪悪感で胸がぎちぎちに痛む。これからはもう少しだけ頻繁に帰ろうかなと思うけど、明日にはその罪悪感も忘れてしまうのが常だ。
すべての料理をぺろりと平らげ、楓さんが月島に後片付けはお前の仕事と押し付けた。
月島はぶうぶう文句を言いつつ皿を洗い、なにもしないで座っているだけの兄に軽蔑の視線をやる。

「なんだよ」

「相変わらず王様だなと思って」

「もっと言ってやれ!」

「いつか愛想つかされるんだ…」

兄にだけ聞こえる声で言うと、兄はこめかみをぴくりを揺らし耳の先端を引っ張った。

「いってえ!」

「じゃあ優しいお兄様が食後のデザートを用意してやろうじゃねえか」

ふん、と一瞥され、兄が月島と交代するようにキッチンへ向かう。
母はお腹が苦しいと言った次には大きな欠伸をし、眠いとブランケットを引っ張った。

「ああ、だめですよ綾さん。お布団で寝ないと」

「んー、でもお風呂も入ってないし、ちょっと寝たら起きるから…」

「歯だけ磨いて寝ちゃったらどうですか?風呂は入らなくても胎児に影響ないし」

「赤ちゃんには影響ないけど、ちゃんと化粧落とさないと女の肌には影響あるのよ」

「おお、さすが美意識が高い」

楓さんが褒めると、母は嬉しそうにそうでしょー?と笑い、最後の力を振り絞るように立ち上がった。

「お風呂入って寝るわ。楓くんも薫くんも好きに過ごしてね」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみー」

よっこら、よっこらと歩く母は何度経験してもこの時期が辛いとぶつぶつ言いながら扉の向こうへ消えた。
キッチンから食器同士がぶつかる乱暴な音が響き、大丈夫かよと呆れる。

「楓ー!お盆どこー?」

「お前の家だろ!」

「わかんねえんだよ。ちょっと来て」

面倒くせえなと悪態を吐きながら兄のところへ向かう背中を眺めた。
恋人関係になって約一年と聞いているが、もはや熟年夫婦の貫禄がある。
兄は素直になれない楓さんを上手に扱い、楓さんは兄の甘ったれで自己中心的な部分を大きな心で包む。
お互いが最初からそうなる運命であったかのように足りない部分を補い、助け、助けられ支えあう。
素晴らしい関係だと思えば思うほど、楓さんがほしかったなあと少し悔しくなる。

「顔にでてる」

「……なにが」

「楓ちゃんが好きでたまらないって」

「あ、そう」

楓さんに対する感情は完全に消える直前の火種程度のものだが、月島に言っても強がらなくていいよと皮肉な笑みを見せられるだけだ。
勝手に勘違いしてればいいと思うし、面倒なのでいちいち訂正もしない。

「……辛いの?」

顔を覗き込まれるようにされ、なにが?と聞き返した。

「ああいう場面を見るのって辛いの?」

月島が指さした先では兄と楓さんが軽口を叩きながら笑い合っている。

「別にもう気にならない」

「……そうなんだ。諦めの境地に入ったってこと?」

なぜ月島に自分の心の内を吐露しなければならないのだろう。
適当にそうだなと頷くと、月島は悲しいとも嬉しいともわからない表情をした。

「じゃあ他に好きな人は?」

「いない。ていうか、なんでお前にそんなこと言わなきゃならん」

「……まあ、そうなんだけど…」

指先をいじるようにした横顔に影が落ち、調子が狂って心の中で舌打ちした。
いつものようによく回る舌で口撃してくれないと、自分ばかりがきつい言い方をして悪者みたいだ。
不遜な態度で人を小馬鹿にしてくれないと困る。そうでないと罪悪感でごめんと謝りたくなるではないか。
ソファの背に手を伸ばすと兄が盆に乗せたカップをテーブルに置いた。

「おら、優しいお兄様からのデザートだ」

中身を確認するとココアかホットチョコレートのようだった。
湯気まで甘く、うっと顔を顰める。

「僕ホットチョコレート大好き」

「そうだろう。感謝したまえよ薫」

「はいはい。ありがとうございます香坂さん」

月島はカップに手を伸ばし、一口飲むと美味しいと頬を緩ませた。

「粉っぽさが全然ない。さすが香坂家。いいもの置いてあるんですね」

「違う。俺がちゃんと手間暇かけて作ったから」

「作ったのほぼ俺じゃん…」

「俺も少しはやったもん」

「もんじゃねえよ。かわいくねえんだよ」

壁に沿ったラウンドソファの端に二人が座り、楓さんもうまいと笑った。
カップをじっと見下ろし、隣の月島のほうへスライドさせる。

「俺のやる」

「いいの?」

「せっかくお兄様が作ってやったというのに」

「だから作ったの俺じゃん…」

月島が勉強中に小粒のチョコレートをつまんでいるのを知ってる。甘いものが好きなのだろう。先ほどの罪悪感を帳消しにするためのささやかなお返しだ。
月島は二杯分をぺろりと飲み終え、楓さんにおかわりを強請った。

「あとで気持ち悪くなっても知らねえぞ」

「大丈夫」

「じゃあ作り方教えるから来い」

兄までカップをあおっているのを不思議に思う。
すすんで甘い物をとる人じゃないのに。
そんなに美味しいのだろうかと、兄からカップを奪い一口飲んで顔を顰めた。

「酒入ってるな」

「少しだよ少し」

「これが少し?ばれたら楓さんに怒られるぞ」

「大丈夫。俺と薫とお前のカップにしか入れてない」

「いや月島のに入れんなよ」

「薫は外部からの力がないと羽目外せないだろ。いつも窮屈そうだし、悩みもあるみたいだし、かわいそうだなあと思った俺の優しさだよ」

「あいつに悩み……?」

「気になる?」

「別に」

兄からふっと視線を逸らす。
寮の部屋で月島と同じ時間を共有しても、彼は勉強したり、本を読んだり、口数少なく自由に過ごしている。
とても悩みがあるようには見えないし、兄の勘違いではないかと思うけど、月島が兄に懐いているのも事実なので、もしかしたら兄には手負いの姿を見せているのかもしれない。
自分の前では緊張しながらぴりぴりと警戒して全身の毛を逆撫でているのに。
兄から自分が知らない月島の姿を聞かせられるたび、今一番一緒にいるのは自分のはずなのにとわけもなく敗北感が押し寄せる。
これはもう、月島がどうのというはなしではなく、兄への劣等感や対抗心のせいだと思う。
キッチンから楽しげな声が聞こえ、そちらを見ると兄弟仲睦まじくカップを煽りながらじゃれ合っていた。
兄もそちらを眺めながらふっと口元を緩めた。

「あの兄弟、似てるよな」

「全然似てない」

「最初はそう思ったけど、笑った顔がそっくり」

目を細める兄に焦燥感が芽生える。
楓さんを顔だけで選んだわけではないだろうが、兄はあの系統の顔が好みだ。桜さんと楓さんはよく似ている。
ということは、月島の顔も好みのうちに入るのだろうし、似ていればその分愛おしく思うのではないか。
兄はいつも自分が腕に抱えているものすべてを奪っていく。きっと月島のことだって――。
はっと顔を上げると兄と視線が絡まった。

「この前薫に俺とお前もふとしたときそっくりだって言われたぞ」

「やめろ」

もう一人になりたくて、ソファから立ち上がろうとすると月島と楓さんが戻ってきた。
月島は滑り込むように隣に着き、数秒じっとこちらを見たあと眠いと肩に寄り掛かった。

「おい」

肩を引くようにすると腕をぎゅうっと掴まれた。
これは恐らく酔いが回っているのではないか。
自然と眉間にしわが寄り、兄と楓さんに助けを求めるようにそちらを見ると、楓さんが兄をきっと睥睨した。
兄はちょっとラム酒を入れただけと白状しながら降参するように両手を挙げた。
雷が落ちるぞと身構えたが、楓さんは呆れたように息を吐き出すだけだった。

「……京、悪いけど薫のこと頼むわ」

「頼むって、これどうすりゃいいの」

「まあ、吐いたりはしないだろうから適当に転がしといて」

転がすと言われも。
試しにそっと腕を引き抜こうとすると掴まれた腕にますます力を込められた。

「お風呂に入る」

かと思えば突然立ち上がり、すたすたとバスルームへ消えた。

「…あれ風呂入れて大丈夫なの?」

「あー、大丈夫だろ」

適当すぎる返答にだけど、と自分も風呂に向かった。
よく言うではないか。酔って風呂に入ると溺れるとか、アルコールが急激に回って身体が制御できないとか。
バスルームの扉をこんこんとノックし、月島と声を掛けたが返事はない。

「……月島?」

シャワーの音すらしない。
これはやばいと返事を待たず扉を開けると、月島は湯船につかりながら瞳を閉じていた。

「うわ!なんだよ!」

「……死んだかと思った」

「死なないよ!」

早く出ていけと顔を赤くして目を吊り上げられたが、男同士だし、このまま一緒に入ったほうが自分も安心できると思い服を脱衣所に放り投げた。

「なんで君も脱ぐんだよ!」

「俺の家で死なれたら困るから」

「だから死なないって!」

「お前酔ってるだろ!」

「酔ってない!」

不毛な言い争いに辟易しながら、風呂事態は広いのだし一緒に湯船に浸からなければ大浴場と大差ないだろうと宥めた。
月島は納得しかねる様子で顔を背け、ぶつぶつと文句を並べた。
なんとでも言えと無視をし、髪と身体を洗い終え、月島の腕を引いて立ち上がらせた。

「交代」

「じ、自分で立てます!」

「なんで敬語なんだよ。ますます酔い回ってんだろ」

「酔ってません!」

うるさいなあと思いながらバスチェアに座らせ、湯船につかって無意味にあー、と言いながら天井を眺める。
寮の部屋の風呂もこれくらい広かったら文句なしだったのに。
来年は個人部屋がつき、再来年には一人部屋。
二年になったら月島との同室関係も終わるんだなあと改めて考えた。
自分と月島の繋がりはそれしかないので、同室を解消されたら一切話さなくなるのだろうか。
清々すると鼻で嗤う月島がリアルに想像でき、勝手にいらっとする。

「……僕上がります」

月島からさっきの威勢は消え失せ、今度はしょぼくれた様子で俯きがちに扉を開けた。
あとを追い、ちゃんと拭けだのちゃんと着ろだの口うるさく言い、自室に連行した。

「水もってくるからベッドから降りるなよ。降りるなよ?」

「念を押さなくてもわかってるよ」

酔っ払いは予想外の行動を平気でとるから怖いのだ。
リビングの扉を開けると、兄と楓さんはまだソファに座って談笑していた。

「随分騒がしかったな」

「あいつ今幼稚園児だぞ」

水のペットボトルを片手でぷらぷらさせると、楓さんがくすりと笑った。

「かわいいだろ?」

「かわいくねえわ!」

勢いよく扉を閉め、ベッドの上でこくこくと船を漕ぐ月島の身体を支えた。

「水飲め。喉乾いただろ」

「……うん」

握らせたが動こうとしないので、キャップを外し口元にもっていった。
嚥下したのを確認し、再びキャップをしめる。

「ここに置いとくからな。聞いてる?」

「聞いてる」

「じゃあさっさと寝ろ」

ベッドの中に押し込み、なにナチュラルに自分の部屋に連れてきてんだとはっとする。
ゲストルームは他にあるのに。同室としての癖が染みついているらしい。怖い。
ベッド端に座り、あーあ、と呟きながら携帯を眺めると、背後からTシャツをくいくいと引っ張られた。

「なに」

「……一緒に寝よう」

「まだ眠くない」

「一緒に寝よう!」

「あー、はいはい。お前今何歳?五歳くらい?」

「十六歳」

「十六歳なら一人で寝れるだろ」

「……じゃあ五歳でいい」

必死に言い募るのでつい横になったが、なぜ自分が寝かしつけまでしなきゃいけないんだ。
これは楓さんの仕事だ。
だけど美味しい料理をご馳走してくれたし、ここから先は兄との甘い時間なのだろうし、邪魔したら兄に殺されるし。
寝かせたらそっと起き上がればいいかと算段すると、月島が毛虫のようによじよじ近付き、腕枕を強請るように肩に頭を寄せた。
顎の下に月島の髪があたりくすぐったい。
もうどうにでもなれと自棄っぱちになり、背中をぽんぽんと叩いた。
ここまできたら最期まで完璧に面倒みてやる。どうせすぐ寝るだろう。

「……ねえ、楓ちゃんのご飯好き?」

「…好きだよ」

「好き?」

「だから、好きだって」

月島はなにが楽しいのか、ふふっと笑った。
すぐに寝るだろうという予想に反し、月島は他愛のない会話を望み、ベッドに入ってから一時間後漸く小さな寝息が聞こえた。
酔ってると喧嘩腰ではなく普通に話せるらしい。新しい発見をした。
さらりと音がしそうな髪を耳にかけてやり、自分も瞳を閉じた。


斜めに射る朝の光りがまぶしくて瞳を開けた。
月島は胎児のような姿で眠っており、起こさぬようそっとベッドから這い出る。
欠伸をしながらコーヒー飲もうとキッチンへ行くと、まだ早いのに楓さんがいた。

「おはよう。早起きだな」

「…楓さんこそ」

「ああ、朝飯作ろうと思って」

「いい人ー。ついでにコーヒー頂戴」

「そういうとこ香坂とそっくりな!」

文句を言いつつやってくれるからつい甘えてしまうのだ。
ダイニングテーブルに座ると、楓さんも自分の分のカップを持って対峙する席に着いた。

「昨日、薫大人しく寝た?」

「……まあ、概ね」

「そっか。よかった」

「もっと怒るかと思った」

「なにが?」

「俺の弟に酒なんか飲ませやがって、って」

「ああ、薫酒強いから別にいいか――」

楓さんは慌てて自分の口を覆うようにし、不自然に視線を泳がせた。

「なんだって?」

「いや、なんでも……」

「酒強いの?」

「そう思ってたけど、勘違いだったかも!」

「じゃあなにか。酔ったふりして俺をこき使って遊んでたわけか」

「ち、違う!それは絶対に違う!」

「じゃあなに」

「それはー……」

楓さんは両手で包んでいたカップに視線を固定させた後、ちらっとこちらを窺うように見た。

「……ここだけのはなしにしてほしいんだけど、酔ったふりして甘えたかっただけだと思う」

「はあ?」

「ほ、ほら、あいつ、つい喧嘩しちゃうって落ち込んでたし、素直になれる大義名分がほしかったというか……。たぶん、そんな感じだと思う」

手で口元を覆うようにテーブルに肘をついた。
なぜか顔がにやける。

「……聞かなかったことにしてくれよ?俺の勝手な憶測だし、本当に酔ってただけかもしれないし」

「……わかった」

よかったと笑う楓さんを見て、兄が似ていると言った意味がわかった。
昨晩月島がへらりと笑った顔は確かにこんな風だった。

「朝食のリクエストは?」

「パン」

「薫が世話になったし、弟くんには特別にアボカドとポーチドエッグのトーストを作ってやろう」

楓さんが席を立ったあともにやけが収まらなかった。
楓さんの予想が確かなら反則だと思うし、月島を昨日以上に甘やかしたくなる。
変だ。
全然めんどうだと思わない。
不器用が一周回って変なところに着地した月島をかわいいと思ってしまう。
そんな自分はもっと変だ。


END

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